吹雪のような灰が舞う鳥居前。
沈みゆく太陽の残光が、死の門を血のように染めていた。
蹄の音が、一歩、また一歩。
白い靄の中から、かつて見た“あの影”が現れる。
骨の馬が息を吐くたび、空気が凍り、世界が震えた。
レイスは一歩前に出る。
口元にかすかな笑みを浮かべ、短く声をかけた。
「……よぉ」
「約束通り来たぜ。死の騎士」
馬上の影が静かに顔を上げる。
瞳孔のない眼窩が、確かにレイスたちを見ていた。
「この層に辿り着いたと言う事は、浄玻璃鏡の試練を越えたか」
「まずはその意思を讃えよう――大儀である」
死に、褒められた。
そんなことを言われる日が来るなんて、誰が想像しただろう。
レイスは肩をすくめ、目を細める。
「まさか“死”に褒められるとはね……」
「悪くなかったよ、死京の景色は」
その言葉に、ペイルライダーの肩の鎧がかすかに鳴る。
音もなく、静かな笑いが風に混ざったような気がした。
「あの地は“終わりを知らぬ街”。お前があれを歩いた時点で。
すでに冥界の風は、お前を選んでいたのだろう」
レイスは片手で煙草を回しながら、にやりと笑った。
「選ばれるのは嫌いなんだよ。どうせなら自分で歩いて死にに行く」
死の騎士はその言葉に一拍の沈黙を置き、そして剣をゆっくり抜いた。
空気が変わる。光が消える。
あの“死京”の時と同じ冷たい音――けれど今は、逃げるつもりはなかった。
「ならば――進め。死を越えて、真の冥府へ。」
ペイルライダーがゆっくりと剣を抜いた瞬間、世界が青く軋んだ。
空気が凍り、雪が逆流する。
“死の音”が鳴る。
「……我が進軍は、絶望の行進」
「生者の鼓動など、踏み潰してゆくだけ」
「“青ざめた凱旋”、始めよう」
剣先から流れ出た光は、もはや炎でも冷気でもなかった。
それは“死”そのもの。
呼吸を止め、鼓動を凍らせ、存在の境界を一瞬で削ぎ落とす。
青白い風が吹き荒れ、世界が白に塗りつぶされていく。
耳鳴りも、声も、何もかもが消える。
馬が嘶き、空間が歪み――一瞬にして、全滅していた。
静寂。
音のない真白の世界。
その中心で、レイスだけが“形を失いかけた身体”を起こした。
指先が霧に溶けかけ、足元に焦げ跡のような影が広がっている。
――自分の魂の“焼き印”。
レイスはしばらく呆然とし、やがて苦笑しながらぼそっと呟いた。
「あー……きっついの来たわぁ……」
息を整える。左手で顔を覆い、額の冷たい汗を拭う。
「今までは原因がある死因だったが……」
「今回はダイレクトに“死”ぶつけられたからな」
言葉が白く滲む。
その足元に、うっすらと“魂の形”の焦げ跡が残る。
まるで世界が、“ここに一度死んだ”という証を刻んだようだった。
「おかげでキツかった死亡記録。暫定1位だぜ、骸骨さん」
顔を上げたその瞳に、少しだけ光が戻る。
――彼はまだ“死んでいない”。
霧の中で、もうひとつの影がゆっくりと動いた。
氷面の上に倒れていたハオ・ランフェイが、静かに身を起こす。
額の結晶が、月光のような白光を放ちながら。
「あいたた……効いたヨ……久しぶりに“桃源郷”が見えタワ」
息を吐き、肩を回すように立ち上がる。
その仕草は不思議と柔らかく、どこか楽しげでさえあった。
「でもまあ、帰る気はないケドネ……」
「せっかく美味しい飯屋、地上に開いたばっかりナノヨ」
結晶がふっと輝く。
その奥に、炎のような霊火が灯った。
死を拒むのではなく、死の向こうにも笑う仙人の光。
レイスはその光を見て、薄く笑った。
「……相変わらずだな、仙女さぁん」
「死んでも飯の話かよ」
ハオが軽く肩をすくめて返す。
「死んでもお腹は空くのヨ~」
二人の笑いが、死の静寂に小さな音を戻す。
白い世界に、わずかな“生”の音が蘇る瞬間。
世界が白く塗り潰され、
音も、光も、心拍のリズムさえも溶けていった。
“生”の名残を削り落とし、ただ“死”だけが在る世界。
その静寂を最初に破ったのは、風だった。
黒く焦げた布地がふわりと舞い上がり、
焦げ跡の中から、細い“足音”が一つ響く。
プルトが現れた。
その姿は、影と煙の境界線に立つ“冥王の娘”そのものだった。
衣の裾を整えながら、ゆっくりと息を吐く。
「……エレボス様は」
「“母の臍の緒で首が絞まったまま”生まれたと、おっしゃっていました」
その声には、淡い微笑と冷たい慈しみが混じる。
痛みを知っている者だけが持つ、優しい毒の響き。
「それと少し、似た痛みだったかもしれませんね」
指先が、首元の焼けた痕に触れる。
皮膚の下から滲む熱が、彼女の中の“冥王の血”を呼び覚ます。
「……冥王は、伊達じゃない。ええ、ほんとうに」
笑みが消える。
瞳の奥で、暗い光が閃く。
「あなたは。“母の胎”すら拒んだ死ですか?」
その一言は、まるで“死”そのものに語りかけるようだった。
ペイルライダーの剣先が、わずかに震える。
冥王の娘の声には、死をも躊躇わせる“真の死”の響きがある。
白い風が止む。
静かな氷の音が、次に世界を満たす。
帽子が転がる音、氷片が光を反射して散る。
カリストがゆっくりと手を伸ばし、それを拾い上げる。
氷の髪が乱れ、息が白く滲む。
「……私の故郷、“丙(ヒノエ)”には」
「“散り際の美学”という言葉があります」
彼は帽子の埃を丁寧に払い、再び頭に被る。
その動作ひとつひとつが、まるで儀式のようだった。
「人は死すときが最も美しくあらねばならない。
その瞬間こそが、すべてを超える“凍頂”でなければならない……」
瞳を開いたとき、その奥には凍てついた激情が宿っていた。
「だが、ここで散るのは美しくありません」
「私が求める“死”は……あなたではありませんので」
言葉と同時に、彼の背後にもう一人の“影”が立つ。
氷面に映った自分自身。
それを一瞥し、静かに凍らせて消す。
カリストは真っ直ぐペイルライダーを見据えた。
そこには、恐怖も驕りもない。
ただ“死を知る者”としての気高さだけが残っていた。
風が止み、雪が落ちる。
四人は、再び立ち上がっていた。
ペイルライダーの青白い瞳が彼らを見渡す。
そして、ゆっくりと剣を下げた。
「ほぅ……我が凱旋を前に“立ち上がる”とは、見事」
「この一帯に響くは、黄泉の軍靴」
「いざ……尋常に、勝負」
その声はもはや“敵”ではなく、儀礼の宣告。
“死を恐れぬ者たち”と、“死そのもの”の真の決闘。
空気が鳴る。
冥界の空が裂け、光のない稲妻が走った。
鳥居の向こう、骨の馬の息が白く凍り、世界が一瞬で静止する。
ペイルライダーは剣を抜き、青白い燐光をまとったまま静かに言葉を紡ぐ。
「我が名は、死の騎士──ペイルライダー」
「その歩み……伊弉冉を汚すに足るか、試す」
「命よ、終わることを知れ」
その声は低く、しかし絶対だった。