次元牢――。
それは罪を犯した魔王たちを、異次元に幽閉するための特別な施設。
時の流れすら歪むこの牢獄では“定例行事”が始まろうとしていた。
「囚人番号〇二六、鉄血のエリュシオン。血圧、心拍、瞳孔、異常なし。……次」
牢内に響くのは、金属の摩擦音と、どこか乾いた足音。
そしてそれを上回る、ぞわりとした不穏な声。
「腕を出せ。健康にしてやる」
顔に深い隈を刻んだ白衣の男、カドゥケウス。
“人体実験のための健康診断”という。
ヤバい行為を淡々とこなすこの医者は、今日も当然のように注射器を構えていた。
「……俺、あんたのせいで“健康”って言葉聞くだけで背筋伸びるわ」
イグニスが眉をしかめながら、渋々と片腕を差し出す。
「関係ない。まず手からだ」
ぴくりとも笑わずに、カドゥケウスはゴムバンドを締める。
即座に浮き上がる血管、滑り込む針。
“健康診断”というより“捕獲と採取”の光景に。
背後で待機していたノランがスマホを構えながら口を開いた。
「それ、エモすぎない?採血される瞬間の表情、切り抜いてサムネにしよっかな♡」
「ノラン、てめぇそれバズらせる気かァ!!」
悲鳴混じりに叫ぶイグニスを背に。
カドゥケウスはまるで機械のような手つきで注射器を差し替える。
「次はワクチン……副作用は、心の準備をしておいてくれ」
「え、あのっ、僕さっき何も異常なかったよね!?今正常値だったって言ったよね!?」
声の主は、いつの間にか列に並ばされていたアヴィド。
目元をぴくぴくさせながら、飴の包み紙を握りつぶしている。
「問題がないなら、予防医療に移行するだけだ」
カドゥケウスの目が光った。
「さぁ、いい子は注射を我慢するもんだ。腕を出せ」
この日、次元牢で叫び声が止むことはなかった。
最終チェックを終えたカドゥケウスが、検診台から静かに立ち上がる。
無数のカルテとデータパッドを背後の端末へ転送し、マスクの下でわずかに口角を上げた。
「ふむ、珍しく……誰ひとり壊れていない。合格だ」
まるで動物園の健康チェックでも終えたような声だった。
囚人たちはというと、全員ぐったり。
「……健康、って何だっけ……」
イグニスは壁にもたれながら虚空を見つめ、
アヴィドは砂糖の摂取で血糖値を取り戻そうと無言でクッキーをかじっていた。
ノランはそれすら“エモい”と称して、動画用の編集案をスマホで組んでいる。
そして背後の扉が、カシャンと金属音を立てて開いた。
「ご苦労でした、ドクター」
軍帽を傾けながら、リベリオ署長が姿を現す。
いつもの慇懃な微笑を浮かべたまま、囚人ではなく医者へと目を向ける。
「カドゥケウス。貴方は……エンジニアとしても優秀ですね」
「当然だ」
カドゥケウスはすぐに返す。自慢とも謙遜とも違う、ただの“事実”として。
「私はかつて、獣医・整備士・生体工学技師・ついでに義肢職人もやった。
大抵の生物の構造は、頭に入っている」
「頼もしいかぎりです」
リベリオはクク、と喉の奥で笑うと、自らの右手を掲げる。
関節がカチリと動き、メタリックな反射が閃いた。
「なにしろ、私は肉体の98%が“あの男”によって改造済みですから」
「レイバー准将だな?」
マスクの下、カドゥケウスの目元がわずかに動いた。
「では逆に聞こう。貴方の“2%の生身”は、どこにある?」
問いと同時に、医師の指がシュルルと動いて注射器を回す。冗談のつもりはないらしい。
「フフフ……さあ?」
リベリオは楽しげに肩をすくめてみせた。
「自分でも知らないんですよ。どこまでが私か、もう分からない」
その答えに、カドゥケウスはしばし沈黙し――
やがて、再びカルテを閉じた。
「では、解剖してみますか?」
「やめたまえドクター、私は健康ですよ?」
「現時点では、ですがね」
お互いの仮面の奥、目だけが鋭く交錯する。
そして数秒後、リベリオがふっと目を細めて言った。
「本日も異常なし。よきかな、次元牢は健全です」
──それがブラックジョークであることを、全員が知っていた。
健康診断が終わり、囚人たちが散り散りに戻っていく中。
検診室には、まだ数枚のレントゲン写真が壁に残されていた。
「なぁ、これ……置き忘れてね?」
後からひょっこり顔を出したのは、イグニスとノラン。
2人とも健康診断を終えたあと、ヒマを持て余して冷やかしに来たらしい。
「どーせカドゥケのヤベェ写真でしょ?“人体の限界に挑戦してみた”とかそういう」
ノランがタブレットを構えながらヒラヒラと紙をめくる。
だが――そのうちの一枚に、目が留まった。
「……って、あれ?」
「はぁ!? このレントゲンなんだよ……ロボじゃん!!」
イグニスの声が跳ね上がる。
壁に貼られたそれは、明らかに人間の骨格とは異なる。
骨と機械の中間のような関節、各所にスライドジョイント。
「これ……署長の、だよな?え、なに!?リベリオの癖にかっけぇじゃん!!」
少年魂フルスロットル。
イグニスはもはやテンションの限界を突破していた。
そこへ、白衣の影がすっと現れる。
「それはリベリオの身体だ」
「肉体の98%が義体に差し替えられており……」
「この写真から、脳も交換可能である可能性が高い」
「えぐくね!?」
ノランが一歩引く。
「え、なに、じゃあ脳みそも換装できんの?そんなの……」
「ほぼロボじゃん!!」
「いやマジでロボじゃん!!!」
イグニスが興奮気味に指を差す。
「見ろよこれ、肘のとこ、なんか注釈書いてあるぞ?」
ノランが覗き込む。文字は小さいが、確かにそこにはこう記されていた。
「肘関節部:スライド分離式」
「スライド……?」
「分離……?」
カドゥケウスは平然と答えた。
「分離射出を行うためのものと思われる」
「分離射出……!?」
一瞬の沈黙。
そして、同時に叫んだ。
「ロケットパンチじゃねぇえかあああああああ!?」
天井が抜けるほどの叫び声が、牢獄中に轟いた。
その日、次元牢の南棟――
防音結界つきの“娯楽室(音出し可)”では、演奏が鳴り響いていた。
「……ンだよ、また調律ズレてんじゃねぇか……」
呟くのはクヴァル・ジュン。
ノクターン曲を奏でるその姿はまるで優雅な貴族。
――だった、あの“音”が響いてくるまでは。
\ロケットパンチじゃねえええええええええかあああああ!?/
怒声と同時に、クヴァルの指が鍵盤をぶち抜いた。
鍵が2本飛んだ。伴奏が一瞬で粉砕された。
「うっるせええええええ!!」
「誰だ俺の演奏にクソデカノイズぶち込んだやつはあああああ!!?」
怒りのオーラが音楽室を焦がす、部屋の壁紙が“怒気”でビリビリ震える。
そのすぐ傍、部屋の隅っこでうずくまっていたアリエッティが、
ぴくぴくと狼耳を揺らしながら小さく言った。
「……あ、あの……クヴァル……」
「ロケットパンチって……えっと、腕が……とんでくやつ、だよね……?」
キレていたクヴァル、動きがピタリと止まる。
「……は?」
キョトンとした顔で振り返るクヴァルに。
アリエッティはおずおずと両手を上げてジェスチャー。
「え、あの、こ、こーやって……びゅんって、腕が飛んでって……」
「…………いや意味わかんねぇ……」
その場に座り込み、頭を抱えるクヴァル。
「演奏にノイズ入れたどころか……物理的に飛ぶ?この牢、終わってんな……」
「……ちょっと、カッコイイかも」
アリエッティ、ちょっとテンション上がってる
「アリエッティまで頭おかしくなってんじゃねぇかよぉぉぉ!!!」
次元牢、騒然。
厨房。
それはどんな騒動が起ころうと、誰かが叫ぼうと、ノイズが響こうと、
「今日のメニュー」が全てを支配する、最も秩序ある空間である。
コック帽を整えるアマーリエは、手元の材料と対話していた。
その手元で、卵を割る音、バターが溶ける音、そして。
「料理長ぉ~~~健康診断、異常なしだった記念にぃ……なんか作りません?」
アヴィドだった。
半目でダラァっとキラキラしたスマホをいじりながら、いつもの調子で滑り込んでくる。
「良いですね。何がいいですか?」
アマーリエは一切驚かない。
彼がここに現れるのは予定調和。材料の一部と言っても過言ではない。
「えーと……“お祝い”……“スイーツ”……」
スマホをタップしながらアヴィドは呟く。
「“健康診断が無事だった日に作る♡ごほうびプリン”」
「“血液のように真っ赤なラズベリーソースで彼の心を掴む♡”……へぇ、いいねぇこれ」
「普通に作るならいいですが、比喩を現実に寄せないように」
「努力しまーす」
絶対しない。
そのとき厨房の向こう側、ガラス越しの廊下にチラリと奇妙な影がよぎった。
――クヴァルだ。
演奏室でブチ切れたテンションのまま。
片手でアリエッティの首根っこ掴んだまま、ずるずると引きずっている。
アリエッティの耳がぴこぴこしていた。
だが、アヴィドもアマーリエもそれに目もくれない。
もはや“生活音”である。
「……見えましたか、今?」
「何がです?」
「ううん、気のせいかも。多分アリエッティが移動してるだけ」
「あとクヴァルがなんかすごく怒ってたような気がするけど、多分気のせい」
そうして、厨房にはいつも通りの“甘い香り”が漂いはじめる。
なおその裏で、ロケットパンチを巡る情報戦と。
MAD制作が静かに加速していることなど、一切関係なかった。