オーゼ編-北へ - 1/5

夜。
処刑も終わり、兵たちは誰一人近寄ろうとしない。
ユピテルはひとり、崩れかけた指揮室の冷蔵庫の前にいた。

「……あったあった。やっぱティータの野郎、勝手に持ち込んでやがったか」
冷蔵庫を開けると、中には軍用とは思えない種類の酒が何本か隠されていた。
ラベルには「極寒ビール」とある。
砂漠で飲むには皮肉な名だ。
ユピテルは一本取り出し、ポンと冷蔵庫の扉を閉めた。

「ま、ちょっとはイラつきも収まったし……一本ぐらいは俺のモンでいいだろ」
そこへ、後ろから静かな声。
「……冷蔵庫など使わずとも、私が冷やして差し上げますよ」
ユピテルは顔を向けず、瓶をプシュッと開けながらニヤッと笑う。
「お、やっと喋ったな。……冷蔵庫にまで嫉妬か?
独占欲つえぇな、カリストよ」
カリストは無言で一歩近づくと、指先に微かに冷気を纏わせ、瓶にそっと触れる。
瓶がキンッと凍りつく。
一瞬で完璧な冷え加減になる。

「ふっ……便利だな、お前」
ユピテルは一口飲み、椅子代わりの瓦礫に腰を下ろした。
「ま、今日のことは忘れねぇよ。ガキどもも、ティータも……全部だ。
全部、次に繋げるための“クソったれの下地”だ」
空を見上げるユピテルの視線は、ただの酒飲みには見えなかった。
その奥に、次の一手を練る魔将の目が光っていた。

カリストは黙ってその隣に座り、沈黙のまま、空になった瓶をもう一本冷やし始める。
ユピテルは胡座をかき、愛刀「舞雷」を抱くようにして。
冷えた酒を喉に流し込んでいく。

「おお、くわばらくわばら……ティータ、お前のギラついた目は好きだったぜ」
勇者どもはすでにアンスロポス連合へ向け旅立っただろう。
最早こんな埃っぽい駐屯地に用はない、ティータのことを出世させる気はなかったが。
あの凶暴性は気に入っていたのだ、礼はせねばなるまい。
「アンスロポス連合か、ならオーゼを通るな。俺が直々に」
「ユピテル様」
「なンだ?」
「オーゼは雪と氷の大地です。この私のためあるような地です、貴方様のお手を煩わせる訳に行きません」
カリストはユピテルの手に自身の雪のように冷たい手を重ね、軍帽の奥から金の双眸を光らせていた。
-相変わらずの無表情、だが目には確かな意思が宿っている。

同時にユピテルはこの氷の副官の事を誰よりも知っている。
無感情なふりをしているが、独占欲と支配欲が強い男だ。
この手が、この顔が、この声が、自分以外-部下ならまだしも勇者風情に向けられることが許せないのだ。
そして恐らくこの先もずっと変わらない。
カリストとはそういう男なのだ。
だからユピテルは、期待してるぜとカリストの手に軽く電気を流した。

「ヴィヌス以外は殺していい、あの女勇者は俺が仕留める」
「……御意」
カリストは軍帽を目深に被り直し、 ユピテルの前から姿を消した。
「ま、俺も俺で……“下地”は作らねぇとな。この俺の野望のために」
ユピテルはひとり、酒をあおり続けた。

カリストはオーゼへ向かいつつ。
処刑に使った手を見つめていた。

無表情。
冷えきった目。
それは処刑を終えたばかりの死神の顔だった。

—しかし。
その手に宿る微かな熱。
ユピテルの電気の余韻。
それが皮膚に触れた瞬間、彼の表情が、ほんの少しだけ揺れた。
頬にそっと手を添える。
目を閉じ、かすかに息を漏らす。
「……あたたかい……」
そして。
「……お願いされた通りに、致します」
冷たい仮面がひび割れ、恍惚とも陶酔ともつかぬ笑みが顔に広がっていく。
頬はほんのりと紅く。
睫毛が伏せられ、唇が微かに緩む。

「ユピテル様……」
まるで恋人の名を囁くように呟き、両頬にそっと手を添え吐息をこぼす。
それは。
「貴方に仇なすものは、すべて……凍り付かせてみせます」
魔将のそれではなく“カリスト”自身の欲望から来る顔だった。

アンスロポス連合はメキア砂漠から遥か北西、移動するには必ず大陸中央部を通らねばいけない。
眼前に広げられたソラル大陸全土を示す地図には、その名が刻まれていた。
オーゼ地方。
帝都デリン・ガルを南に下った先、 大陸のほぼ中心に位置する。
氷雪と氷山に覆われた極寒の地だ。
今の時期は長く厳しい冬、到着頃には銀世界となっているだろう。

「……懐かしいわ」
「へ?お前住んでたのヴィヌス」
馬車の中でティータとの戦いを終えすっかり元の調子となったサタヌスが。
ヴィヌスの思わぬ言葉に驚いていた。
褐色の肌色からてっきりアルルカン生まれと思っていたが。
まさか雪国生まれとは、思わぬ出生にガイウスも地図を指でなぞるのを止め、ヴィヌスを見た。
「色黒なのはダークエルフの血よ。隔世遺伝ってやつ」
「オーゼにいた頃から色黒だったのか?」
「そ。まあおかげで雪国なのに肌が黒いっていじめられてたんだけど」
オーゼの人々は全体的に色素が薄い。
その中に褐色肌の少女がいたら、確かに目立つだろう。
ヴィヌスは「でも」と続ける。

「雪は好きよ、綺麗じゃない?冬だけ会える友達もいたから意外と寂しくなかった」
「冬だけ会える友達?」
「オーゼの子どもたちの方が詳しいわよ。その『友達』は春になると会えなくなるから」
「なんだよそれ、幽霊?」
「ま、そんな感じね」
ヴィヌスはいたずらっぽく笑いながら窓の外を見た。
既に窓の向こうは銀世界のオーゼ。
雪原にポツポツと、まるで小さな宝石をばら撒いたような氷山が連なる。
「さて、まずは宿探しからよ。長旅で疲れたし」
「だな、もうヘトヘトだぜ……」
今馬車が進んでいるのはコダの森。
今まで見てきた森と全く違う。
針葉樹林に雪が重たそうに積もり、 針葉樹林特有の辛気臭さを助長している。

「雪の森ってジメジメしててやだな……キノコとか生えそう」
「お前ホントに食い意地張ってるな……」
まずは街に向かうことから、コダの森を抜けていく馬車をカリストは腕を組み見下ろしていた。
相変わらず無表情で、しかし獲物を狙う狼の如き眼光で。
「雪の都……か」
カリストはひとりごちた。
-その目はまるで、獲物を狩る狼だった。

馬車の窓を曇らせる白い息。外は静まり返った雪原。
ぼんやりとした針葉樹の影が流れていく。
サタヌスはぺたんと座り、膝を抱えながらぼそりと呟いた。
「……ここ、さっきからずっと同じに見えんだけど。なんか進んでんのか、これ?」
窓の向こう、どこまで行っても変わらない白。
木の幹はどれも背が高くて、空まで突き刺さってるみたいだ。
目印になるようなものはどこにも見えない。
足跡だって、さっきの雪で消えてしまっている。
サタヌスのつぶやきを聞いて、ヴィヌスが小さく笑った。
少し懐かしそうに、けれどどこか誇らしげに。

「今、見てるのは“コダの森”よ。オーゼでいちばん大きな森」
「冬はずっとこんなふう。ほとんどが針葉樹で、雪が降ると全部真っ白になっちゃう」
「だからね、少しでも奥に踏み込むと、もう帰れなくなるの」
窓の外を指差して続ける。

「ほら、あそこ見て。木の下に誰かが赤いリボン結んでるでしょ?」
「あれ、迷わないようにする目印。絶対にひとりで奥に行くな”ってよく言われたっけ」
サタヌスは窓の外をもう一度じっと見つめた。
確かに、どこかの枝にちょこんと赤い布が揺れている。
でも、そのすぐ隣にも、まったく同じ形の木が何本も並んでいる。
木も、雪も、全部が同じ色、同じカタチ――まるで世界がループしてるみたいだ。
「ヤバ……そりゃ帰れなくなるわ」
ヴィヌスはサタヌスの反応に、またくすりと笑った。

「でもね、慣れれば平気。冬のあいだだけ会える不思議なモノもいるし」
「コダの森って、怖いだけじゃなくて、ちょっとワクワクする場所なのよ」
サタヌスは小声で「オーゼ育ち、たくましすぎんだろ」と呟いた。
馬車はそのまま、白い森の奥へと、静かに吸い込まれていった。

馬車は静かに雪原を進んでいた。窓の向こうには、夜の帳に沈む銀世界。
針葉樹に雪が積もり、時折、木の陰から白い息を吐きながら小動物が跳ねていく。
ふと、ガイウスがぼそりと尋ねた。
「さっき言ってた“冬だけ会える友達”って、何なんだ?」
ヴィヌスは、しばらく外を眺めていたが、やがて懐かしそうに口を開く。
「ジャックフロストっていうの。――男の子の雪の精よ」
その声には、かすかな照れと、子供の頃の秘密を明かすような親しみが混じっていた。
「ジャックは、銀色の髪をしてるの。夜の雪原みたいに、ちょっと青みがかった銀。
しかも、瞳は金色――ほら、冬の朝日に雪が照らされると、キラキラ光るでしょ?
あんな感じ。初めて会ったとき、思わず見とれちゃったくらい」
ヴィヌスは指先で自分の髪をいじりながら、ぽつぽつと思い出を語る。

「声も不思議なの。透き通ってて、雪が降る音みたいだった。
あの頃は、“本当に生きてるの?”って何度も聞いたけど。
“ちゃんとここにいるよ”って笑って……手を振ってくれるんだ」
ヴィヌスの目が少しだけ遠くを見る。
「でもね、春が来ると必ず“もう帰る時間だ”って言って、ふっと消えちゃう」
「絶対に引き止められない。だから、冬の終わりはいつも寂しかったな……」
ガイウスが「なんだ、精霊みたいなもんか」と呟くと、ヴィヌスは軽く微笑んだ。
「そう。幽霊じゃない、ちゃんとそこにいる“雪の友達”よ」
馬車の中に、しばし静寂が訪れる。外の世界はますます白く、静かに沈んでいった。

馬車が急に軋む音を立てて止まった。
「おや?」と御者が首をひねる。
「……氷が……」
車輪の先、真っ白な雪道に、まるで生き物のような氷の棘が群れをなして生えている。
その鋭い結晶が道を塞ぎ、まるで進路を拒むかのように光っていた。

「これじゃ馬がケガしちまうよ。お客さん、しばらく降りて様子を見た方がいい」
御者に勧められるまま勇者ズは降りて、コダの森を歩き出す。
少し前まで感じていた、うだるような砂漠の熱気はここにはない。
あるのは銀世界と静寂のみ。
「さて……どう時間を潰そうか」
そう呟くと同時に、どこからともなく冷たい風が吹き込んだ。
静寂が落ちる。肌を刺すような冷気。
雪原の彼方、針葉樹の影から――ひとりの男が、ゆっくりと歩み出てきた。

その男は、銀色の髪と金色の瞳を持っていた。
まるで冬の夜に現れる幻。
その姿は、大人になった“ジャックフロスト”のようだった。
ヴィヌスが、はっと息を呑む。
ガイウスとサタヌスも顔を見合わせ、半ば冗談めかして囁いた。

「おい……もしかして、あれが“大人になったジャックフロスト”とか?」
「おいおい、そんなの聞いてないぞ……」
ヴィヌスは首を横に振る。  瞳がわずかに揺れる。
「……違う。ジャックフロストはみんな少年」
「“大人のジャック”なんていないはずよ……でも……」
目の前の男の特徴は、幼い頃に何度も見た“雪の友達”と寸分違わない。
銀色の髪。金色の瞳。氷のように透き通る肌。
けれど、纏う雰囲気はあまりに冷たく、そして――人間離れしていた。
男は一歩、また一歩と近づく。

「……見付けた」
その声は、雪を踏みしめる音よりも静かで、冷たい。
金色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。