タタリ編-輪廻の街 - 1/5

ガイウスが国外追放され、新たな仲間とともに。
ルナ再臨に奔走する魔王軍残党と熾烈な戦いを繰り広げている頃…… 。
アルルカンのスラムからも姿を消し、消息不明となったサタヌスは。
「初めての一人旅」に出ていた。

顔を合わせれば喧嘩していた仲間たちもいない。
「助けてくれ」と頼れる存在もいない。
勇者パーティの看板も、親しい声も、全部どこか遠くなった——。
褐色肌に黒髪、現地民と混じっても全く違和感がない。
そのことにちょっとした安堵を覚えていた。

「……あー、気楽だな。もうガイウスやヴィヌスと喧嘩しなくていい」
「足並み揃えろだの、理屈こねるなだの、うるせぇヤツらもいねぇ」
サンデラ。
この街は、あらゆる音でできている。
荷車の車輪が石畳を軋ませる音。
魔導エンジンの小さな振動。
遠くで鳴く牛の声、売り子の掛け声、鍋をかき混ぜる音、香辛料の匂い。
それらが入り混じり、まるで一つの“祈り”のように街全体を包んでいた。
この近代化への積極姿勢の裏には、カリヤ王国独自の“サンサーラ思想”が深く関わっている。

「この世の全ては魂の修練であり、同じ形にとどまるものは何もない――」
そう信じる民は、伝統や形骸に執着せず。
“変化・進化”こそが輪廻の本質だと受け入れている。
そのため「新しい技術を恐れない」
「いずれ古きも新しきもまた還る」と、 魔導エンジンすら。
“魂の流転”の一部として市民権を得ていった。

結果――サンデラは見た目こそ古き都だが。
瓦屋根の下や路地裏に魔導パイプが張り巡らされ。
老舗の飴屋も機械仕掛けの練り機で餡を煉り。
道端や遠景にはのんびり座ってる牛が1~2頭。
庶民ですら魔導自転車で街を駆ける…都市が出来上がった。

サタヌスは人の波に混じりながら歩いていた。
褐色の肌に黒髪。誰も彼を振り返らない。
この街ではそれが普通だからだ。
「外から来た誰か」なんて、もはや珍しくもない。
彼の異端は、初めて溶けた。

チャイ屋の軒先に立ち止まると、店主が何気なく言った。
「現地人ならサービス……あ、おにいさんメキア系か」
「じゃあメキアの人には、これオマケね」
サタヌスは思わず笑う。
「わかんのか?カリヤとメキアって」
「なんとなくね」
店主は、手慣れた動きで素焼きの器に焼き菓子を乗せながら続けた。

「メキアの人は、独特のオーラがある」
「値切るのが上手い、遠くを見てることが多い、あと……死に淡白」
「この三つがそろえば、だいたい間違いない」
「死に淡白、ね……」
風に赤茶のスカーフが揺れる。
遠くの屋根の上で、牛が寝そべっている。
人の声と機械音と祈りの鈴が、街のどこかで混じり合って響いていた。

露店の古びたベンチに腰を下ろすと。
土色の小さなチャイカップがサタヌスの前に差し出された。
熱い茶の香り。陽射しに照らされた埃っぽい空気。
周囲は忙しなく人が行き交うのに。
この席のまわりだけ、妙にゆっくりと時間が流れているように思えた。

サタヌスはいつもの調子で、どこか場違いなほど堂々と露店の椅子を陣取っていた。
通りには色褪せたタープがいくつも張られ。
カラフルなスパイスの香りと、人の声、牛の鳴き声が渦巻く。
ここ“輪廻の街サンデラ”じゃ、人も獣も、泥まみれの路地の端っこで生きてる。

ひと口すする。熱い液体が喉を通ると、どこか胸の奥までジンとしみる。
スパイスの刺激、ミルクの甘さ。
ここじゃ、これが“生きてる”実感だ。

遠くでは誰かが叫び、隣の香辛料屋では二人の男が値段交渉で揉めている。
目の前を女の子が裸足で駆け抜け、後ろでは牛がのんびり寝そべっている。
この街に来てから、誰にも名を呼ばれることはなかった。
“勇者”だの“英雄”だの、そんな大仰な肩書は埃にまみれて消えていく。
カップを掲げて一息つく。その横顔は、どこか達観した大人びたもの。
けれど瞳の奥では、消えきらない熱――捨てきれない“何か”がまだ燻っていた。
ガイウスと再会する前夜、サタヌスは群衆の中にただ一人、静かに自分の鼓動を感じていた。

「飲んだら器を叩き割るんだよ。そういう風習さ」
店主が笑いながらそう言う。
サタヌスは思わず口を開く。
「どういうことだ? メルクリ―――……」
けれど、その先の言葉が、喉で途切れた。
そこにいるはずの誰か。
気がつけば、隣に座る“ブレーキ役”はいない。

「あ、いねぇんだったな……」
ぽつりと呟いたその声は、喧騒にすぐかき消された。
手の中のカップは、熱いはずなのに、どこか冷たく思えた。
仲間たちと過ごした遠い夜。
「あいつは絶対に器を割らずに持ち帰る」だの「割るなら綺麗に割れ」だの。
そんな小さな諍いが、どれだけ自分を支えていたか、今になって初めてわかる。

サタヌスは茶を飲み干し、カップをじっと見つめる。
ふ、と苦笑が漏れる。
解放感と、取り返しのつかない孤独。
それが、胸の奥で静かに混ざり合っていた。

そして、そっとカップを石畳に叩きつけた。
パリン、と乾いた音が響く。
割れた破片は地面に散り、誰も気に留めない。
だが、サタヌスの胸に残ったのは「寂しさの音」だった。

昼下がりのサンデラは、人の声と機械音が溶け合って“ざわめき”そのものみたいな街だった。
香辛料の匂いが風に乗り、どこか遠くで祈りの鈴が鳴っている。
サタヌスはチャイの湯気をぼんやり眺めながら、露店の影に腰を下ろしていた。
昼下がりの太陽に焼かれた石畳を、魔導エンジンの車がノロノロと進んでいる。
その前を、でかい牛が一頭、悠々と寝そべって道をふさいでいた。
サタヌスは人混みの中で立ち止まり、眉をひそめた。

「おいおい、あの牛、車道ど真ん中だぞ。誰もどかさねぇのか?」
傍らの現地人が苦笑して答える。
「カリヤじゃ牛は神様の使いなんだよ」
「使い…?」
「そう。牛はね、この世とあの世をつなぐ橋みたいなものでさ」
「どいてくれって頼むのも、急かすのもよくないこととされてる」
牛はのんびりと反芻しながら昼寝を決め込んでいる。
その横を、魔導エンジンの車が遠慮がちに大回りして避けていく。
誰もクラクションを鳴らさないし、歩行者も文句一つ言わない。

「嘘だろ……」
サタヌスはぽかんと口を開け、しばしその光景に見入った。
ここでは神聖なものを急かすことは、ただのタブー以上に。
「生き方そのもの」に深く結びついているようだった。
まるで「急がないこと」が、この街の祈りのリズムとでも言うように。

「じゃあ……ずっとどかなかったらどうすんだよ」
「その時は牛が飽きて移動するまで待つしかないな」
現地人は肩をすくめ、なんでもない顔で笑った。
その緩やかな空気が、どこか羨ましくも感じられる。
「……やっぱ変な国だな、ここ」
そう呟いたサタヌスの横で、牛は幸せそうに目を閉じていた。

その時――向こうの路地で。
色鮮やかなサリーをまとった女性たちが立ち止まり。
ひそひそ声を交わすのが耳に入った。

「ねぇ、六将って勇者様が五人まで討ったんでしょ?」
「うん……もう全部終わるはずなのに、なんだか“すべてが終わる”気配しかしないわ」
その一言に、サタヌスの背筋が微かに震えた。
反射的に口が動く。

「いや俺も勇者なんだけど。てか、お前らの言ってる“勇者様”って……」
言いかけた瞬間、魔導エンジンの車が“ヴォォォッ”と土埃を巻き上げて通り過ぎた。
轟音に女性たちの声は掻き消え、サタヌスの言葉も飲み込まれる。
彼女らは気づかない。
目の前を、本物の“勇者”が通ったことすら。

喧騒の中で息をするみたいに、寂しさが自然と胸に広がった。
誰も歓迎しない街。
誰も“勇者”と呼ばない現実。
ここにいても、どこにいても――自分はただの影でしかない。

メルクリウスが隣にいたら、絶対つっこんでくれてた。
「“勇者の一人”って言い切ればいい」とか、
「肩書きは便利に使うものだよ」とか、あの腹黒い笑顔で軽く流してくれた。
でも今は、何もない。
ガイウスの笑い声も、ヴィヌスの毒舌も。
自分の闇を笑い飛ばす仲間も、誰ひとりとしてそばにいない。
喧騒の中で、サタヌスはふっと息を吐いた。

「……俺は、何のために生きてる?」
初めての問いだった。
怒りや復讐じゃなく、誇りでも使命でもなく、
もっと素直で、もっとどうしようもない“自分”の根っこに触れる問い。

陽射しは明るいのに、胸の奥は妙に冷たい。
チャイの甘さも、その冷たさを溶かしてはくれない。
歩くたびに風景が変わるサンデラの街で、取り残されたみたいに。
静かな孤独だけが彼の背中にまとわりついて離れなかった。
ここから“祟り”が暴れだす未来なんて、この時はまだ誰も知らない。