アンスロポス連合編-聖女来訪 - 1/5

「スクワット50回!腕立て50回!合計3セットオオオ!」
黒ベレーたちが汗まみれで訓練に励む演習場。
その端にある高台の椅子で、足を組みながら観察しているのはユピテル。
その視線は涼しげで、しかし時折、何かを愉しんでいるような艶を帯びる。
「ちゃンと俺がいなくても訓練してるね、みンないい子だねェ」
隣で無表情なカリストが、静かに口を開いた。
「……何故、演習場に来られたのです?
ここのレッドベレーは、重要拠点ということで、私が鍛えた精鋭ばかりです」
ユピテルは顎に手を当て、ふふっと笑う。

「あ、そうかーカリストは知らないンだね。5人目」
「……5番目の、魔将」
「知らないやつも多いンだよ」
「アイツ、深月城にいるの月の数日だからさぁ」
足を組み替える。
—その足の動きに、橙ベレーが目を奪われていた。
「ねぇ。あの太もも……わざと出してるの……?」
「その発言は極めて危険です」
青ベレーが即座に警告を飛ばした。
その横で、カリストが一瞬だけ視線を落とす。

(……何故、あんなに軽く“名前”を出せるのか。
私にさえ、まだ“いい子”の一言もないのに)
—氷の心に、ゆっくりとひびが入り始めていた。

訓練を見下ろすユピテルは、ふっと煙管に火を灯す。
灰色の煙を細く吐き出してから、何気ない口調で言った。
「……第五の魔将——プルト・スキア」
言葉に反応して、カリストがわずかに表情を変える。
「ぶっちゃけ嫌いだ」

「ベリショだし、女のくせに俺より背たけぇし、おっぱいねーし、卑屈だし」
煙管をくゆらせながら、さらっと毒を並べる。
「でも——“アレ”を作ったとこだけは、認めてるヨ」
その声のトーンは、皮肉でもなく称賛でもなく。
ただ、淡々とした事実のように。
「邪痕……あれは、神の印の“歪み”。
—だけど、それを“造った”のは、アイツだけだ」
訓練の掛け声が遠く聞こえる中、高台ではカリストとユピテルが並んで座っていた。
無表情を保ったまま、カリストが静かに口を開く。

「……何故、聖痕を研究し、歪めようと考えられたのでしょうね。プルト様は」
ユピテルは、軽く煙管をくゆらせる。
その目は遠く、けれど笑っていた。
「アイツは宗教屋だからネ」
ふわりとカリストに顔を寄せ、指先で鼻先をつんつんと軽く触れる。
「深く聞いちゃダメだよ、カリスト?」
カリストの目が、わずかに揺れた。
ユピテルはそのまま、煙をひと吹きして言った。

「“何人分”の勇者の血でできてンだろうね、アレ」
「……」
「くわばらくわばら……ふふ、考えるだけでゾクゾクする」
その笑みは、冗談のように軽やかで。
でも語られているのは—勇者の血と、神の印を模倣して作られた闇の代物だった。

「アレ?」
赤ベレーの怒声が飛ぶ中、橙ベレーが首を傾げた。
「今、ユピテル様が言ってた“アレ”って……なんだ?」
「“邪痕”って聞こえたけど……」
青ベレーが腕立ての途中で呟くと、紫ベレーが横でふぅっと髪を払った。
彼はスクワットを続けながらも、妙に優雅な笑みを浮かべていた。
「“魔王軍のマニュアル”は血でできてる事は知ってるわよね、坊やたち?」
「は、はいっ……ッ」
橙ベレーが息を切らしながら答える。
「……基礎ッ知識だからねっ、戦車の乗り方から拷問までっ……丸暗記したよっ」
「ふぅ……ふっ……とすると、“邪痕”も?」
青が問いかけると、紫はくすりと笑った。
「そう。“あの御方”——第五の魔将プルト・スキア様」

「六将で一番陰湿って言われてたわねぇ」
「え……どんな人……?」
「……あんまり深く聞くとね、SAN値減るわよ♪」
にやりと笑う紫ベレーの声が、訓練場の喧騒の中でも妙に耳に残る。
その後ろでは赤軍曹が絶叫していた。
「しゃべんなァアア!!スクワット50回追加!!」
「ひっ」
「うふふ、黙ってても地獄よ♪」

午後の礼拝が終わり、修道院の中庭には風が吹いていた。
石畳のベンチにメルクリウスは静かに腰を下ろしていた。
髪を束ね直したばかりの糸目の神官は、今日も相変わらず笑っていない。
そこに、昨日から寝不足顔の勇者トリオがやってきた。
サタヌスがぶっきらぼうに口を開く。

「なあ。全員が悪夢を見たんだよ。これって、何かの呪いか?」
メルクリウスはベンチに視線を落としながら、静かに言った。
「それは……気になるね。座りなよ」
三人はなんとなく誘導されるまま、神官の隣に腰を下ろす。
「……連合に魔族はいないんだろ?」
ガイウスが低く問いかける。
「居ないよ」
メルクリウスは即答する。
「でも……自浄作用もない。入り込まれてたら、きっともう手遅れだ」
三人が顔を見合わせる。
「なにそれ」
「つまり、寝苦しい夜が続くかもねぇ。お祈りする?」
「……お前ほんとなんなんだよ」
「神官だよ?」
と、あくまで澄ました声で返す。

こうして、三人は改めて思った。
この神官、やっぱり“一番信用できないやつ”だ。
でもなぜか、その隣は居心地が悪くない。
それがまた、厄介だった。

ベンチに並んで座る四人。
礼拝堂の朝を告げる鐘が遠くに鳴った。
会話も途切れかけたそのとき、メルクリウスは静かに立ち上がると。
修道服の内ポケットから一枚の書類を取り出した。

「……見せたいものがあるんだ」
サタヌスが首を傾げる。
「んだよ。お祈りにも書類がいんのかよ」
メルクリは目を細めて、くすりとも笑わず答えた。
「免罪符だよ」
その言葉に、ヴィヌスが目を見開いた。

「あら……レベッカ達が言っていたアレね。
“勇者様に寄付すれば、家族が救われる”って——」
「聖教は……本来の教義を見失っている。
“救い”を、売ってるんだよ」
メルクリは、書類を広げながら言う。

「魔王軍の存在すら、今や稼ぎ時さ。
“恐怖”があれば、人は寄付する。
“勇者”がいれば、奇跡に縋る。
教団はそれを利用する。わかりやすい構図だろ?」
三人は言葉を失っていた。

メルクリは無言で、その免罪符に視線を落とした。
次の瞬間。装着したガントレットがきしむ音を立て。
免罪符の紙を——音もなく、ぐしゃりと握り潰した。
「……フッ」
息にも笑みにも似た音を漏らし、その手を膝に戻す。

「……エデン? そんなもの、どこにもないさ」
どこまでも静かで、どこまでも冷たい。
それが、リプカという“楽園”にいた神官の本音だった。

免罪符をガントレットの中で潰した瞬間。
メルクリの顔に、初めて揺れが走っていた。
その目が——ほんの少しだけ、開いた。
細く、薄く。けれど確かな怒りがあった。
サタヌスが、ひと呼吸置いてぽつりと呟いた。

「……お前、怒ると目開くんだな」
それは、昨夜の礼拝堂。
信徒に優しく祈りをかけるフリをして、一瞬だけ片目を開いたあの時と同じ。
サタヌスは自分でも気づかないまま、寒気を覚えた。
(……ん?じゃあコイツが両目をカッ開いたら……)
その想像は、なぜか途中で止めたくなった。

「……ま、まあ、開けたほうが目つき悪いしな、あはは」
と強引に笑って誤魔化す。
メルクリは何も言わず、すでに潰された紙の破片を整然と拾い集めていた。
怒りすら静かに処理する男の目が開いたとき、それは多分-冗談では済まない。

免罪符をガントレットでぐしゃりと潰したその直後。
静けさの中に、どこか涼やかな足音が響いた。
振り向くと、修道院の院長がにこやかに立っていた。

「神官様、明日リプカに“聖女様”が教皇庁よりお越しになるそうです」
「……うん? それって、もう少し先の予定じゃ……?」
メルクリウスがわずかに首を傾ける。
院長は満面の笑みで、朗らかに言った。
「ええ、“聖女様ご自身”がスケジュールを変更されたそうでして♪
それで本日——修道院内を大掃除いたしますので……」

「神官様、席を空けて下さいね♪」
—数秒、沈黙。
メルクリの表情が、止まった。
本当に、止まった。
その数秒後—。
「はぁあああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
メガネがずれる。
声が裏返る。
指は震える。
ガイウスとヴィヌスが横でフリーズしていた。

「……あら、目が開いたわ」
「全開だな」
ガイウスがぽつりと呟く。
メルクリウスは顔を前髪で半分隠しながら、怒りのままに呟いた。
「……お仕置きされたいのか、君たち……?」
3人の勇者は、即座に距離をとった。
神官様、お怒りである。
しかし彼は抵抗することなく、静かに修道院を追い出された。
それが、リプカの午後のことだった。