カフェの裏通路。
黒水晶の通信機が、静かな光を放っている。
「……報告を」
プルト・スキアの声が、黒水晶から淡々と響く。
デクシアとアリスが、その前に膝をつき報告を始める。
「……すみません、マスター」
アリスが、少しだけ躊躇しながら口を開いた。
「四人とも眠らせましたが……一人が覚醒しました」
プルトは、わずかに首をかしげた。
「どなたが?」
「メルクリウスです」
「……ふむ」
その言葉に、プルトは特に感情を見せなかった。
「他の三人は依然として眠ったままですか?」
「はい、ヒュプノDが効いているので朝まで……」
アリスがそう言った瞬間――デクシアの肩が大きく揺れた。
「……デクシー?」
アリスが振り返ると、デクシアの額には汗がにじんでいた。
「なんか……頭が……クラクラする」
「デクシー、薬、切れてきてるんじゃないの?」
「……ッ、やべぇ……!」
デクシアが、額を押さえてうずくまる。
「……時間制限内にできたことだけはよかったですね」
プルトは、無表情のまま静かに呟いた。
「お二人とも、補充を」
そう言いながら、プルトは黒水晶に手をかざす。
カチリ――床に仕込まれていた小さな機械が動き、薬剤が露出した。
「……はぁ……はぁ……」
デクシアは、震える手で注射器を掴む。
「……切れそうになるとこうなるんだよねぇ」
アリスが苦笑しながら、自分の腕にも注射器を当てた。
「ねぇ、デクシー、ちゃんと打てる?」
「……ぁぁ……大丈夫……」
薬を腕に差し込み、注入する。
体中を巡る熱と興奮。
心拍が異常に高まる。
裏通路に、静寂が戻った。
薬を打ち込んで、ようやく正気を取り戻したデクシアとアリス。
その顔には、焦りと後悔が混じっている。
「……マスター……」
アリスが、か細い声で訴えた。
「もう一回だけ……チャンスをください」
「……」
プルトは、少しだけ目を伏せた。
その無表情の中に、わずかな冷淡さがにじむ。
「……いいですよ」
その一言に、デクシアが目を輝かせた。
「良いの!?」
「ええ」
プルトは、淡々とした声で続ける。
「どっちにせよ、教皇庁は潰すつもりです。
そのためには――手数が多い方がいいですから」
(……良かった……)
アリスが胸を撫で下ろそうとした瞬間――
「――代わりに」
プルトが、すっと指を口元に添えた。
「……そこで、始末できなければ」
その動作だけで――デクアリの顔色が一気に青ざめる。
(……マスターが怒る)
(殺される……)
アリスが、焦りと恐怖に満ちた笑顔を作った。
「は、はいいぃ!!絶対殺します!
もう――めっちゃくちゃにしてやりますからっ!!」
デクシアも、震えながら笑みを浮かべた。
「うっ……うん、そうだねアリス!
もう放送できないレベルでやっちゃおう!!」
「……それでいいです」
プルトは、無表情のまま指を下ろした。
「次は――失敗しないように」
その一言が、冷たい鋭利さを持ってデクアリの胸に突き刺さる。
(……失敗すれば――自分たちが死ぬ)
その事実を、二人は本能で理解していた。
「……必ず……やります」
アリスが、震える声で答える。
「期待してますよ」
プルトは、冷ややかな笑みを浮かべた。
デクシアとアリスを見送り、プルト・スキアは静かに踵を返す。
カフェの裏通路から、街路へと続く細い道を歩き出す。
夜風が、黒いローブをかすかに揺らしていた。
(……そろそろ、勇者たちは連合の真実を知る頃か)
無表情のまま、淡々と考えを巡らせる。
(アレを“聖なる守り”と思っているのか)
微かに目を細め、薄く笑みを浮かべた。
プルトは、柱を通り過ぎた瞬間――その姿が、静かに変化していく。
黒いローブが、淡いクラシカルメイド服へ。
短く整えた髪が、真珠色のロングヘアへと変わる。
瞳の色さえ――穏やかな藍色に。
――エリス。
教皇庁の聖女付きメイドの姿。
そのまま、何事もなかったかのように歩き出す。
(……もうすぐだ)
小さく呟きながら、ポータルへ足を踏み入れる。
一瞬にして、その姿は闇に溶け込むように消え去った。
—–
朝の陽光が、カタパウシスの休憩室に差し込んでいた。
薄く開いた窓から、爽やかな風が吹き込む。
「んんー……ん……」
ガイウスが、体を丸めて床で寝ていた。
マントを毛布代わりにして、触覚アホ毛を無意識に弄くる。
「……あれ?」
ようやく目を開けたガイウスが、ぼんやりと起き上がった。
「……俺……いつ寝たんだ?」
頭をかきながら、周囲を見回す。
「……なんでメルクリのメガネ割れてんだ?」
ガイウスが、宇宙猫顔になりながら割れたメガネを見つめた。
考えても答えが出ないまま、ぼんやりと首をかしげる。
「ん……」
その時、メルクリウスが呻き声を上げた。
「メルクリ?」
ガイウスが、少し心配そうに声をかける。
「……ぅ……痛っ……」
メルクリウスが、額を押さえながらゆっくりと目を開ける。
「お、おい、大丈夫か?」
ガイウスが、駆け寄ってメルクリウスの肩を揺さぶる。
「……ガイウス君?」
「メガネどうした? 割れてるじゃねぇか」
メルクリウスが、朦朧としたままメガネを手に取った。
(色々ありすぎて、説明するのが面倒だな)
メルクリウスは、額に残る鈍痛を軽く押さえた。
「僕のメガネが割れたのは……うーん、少しトラブルに巻き込まれてだな」
メルクリウスが、手の中の割れたメガネを眺めながら言った。
「トラブル!?」
ガイウスが、寝ぼけた顔から一気に覚醒したように驚く。
「……まぁ、とりあえず二人を起こそう」
メルクリウスが、淡々とした口調で言いながら、
眠るヴィヌスとサタヌスを見やる。
「困ったな……ヴィヌスが寝てるから、ボスの声真似でサータを叩き起こせねぇ」
ガイウスが、考え込みながら髪をかき乱す。
「では、リーダー君」
メルクリウスが、少しだけ意地悪そうに笑う。
「ヴィヌス君は何に一番反応するかな?」
「えーっと……カエル」
ガイウスが、即答した。
「……そうか、いいものがある」
メルクリウスが、ニヤリと笑った。
ポケットから小さな氷の塊を取り出す。
「これを使おう」
「それ、氷じゃん?」
「……カエルの声、再現できるんだよ」
「ふふ、少し魔法を使うだけさ」
メルクリウスが、氷の塊を指先で弾く。
その瞬間―「ゲロゲロッ……ゲロッゲロ……」
本物そっくりのカエルの鳴き声が、部屋中に響き渡った。
「うわぁッ!?」
ヴィヌスが、目を見開きながら飛び起きる。
「何で!?カエルがいるの!?」
ガイウス、腹を抱えて大爆笑。
「はははははッ!お前、カエルだけはダメなんだな!」
メルクリウスも、少し満足げに笑う。
「効果てきめんだったね」
「何やってんのよ!!」
ヴィヌス、怒りながらガイウスに枕を投げつける。
その枕がサタヌスの顔面に直撃。
「ぐえっ!?」
仰向け大の字のまま、サタヌスも目を覚ました。
「カエルの声真似とか最低よ、あなた!!」
ヴィヌスが、怒りをあらわにしながらジト目を向けた。
「ごめんごめん」
メルクリウスは、軽く手を上げて謝る。
しかし、その顔には薄い笑みが残っている。
「……ったく」
ヴィヌスは、ふんっと顔をそらした。
「……で、ここどこ?」
サタヌスが、頭を掻きながら辺りを見回す。
「カタパウシスじゃないか?」
ガイウスが、ぼんやりとしたまま答える。
「従業員スペースっぽいけどね。長居していいのかしら?」
ヴィヌスが、周囲を見渡しながら呟く。
その時――メルクリウスがカレンダーに目を留めた。
「……天使が味方してくれたようだ」
「は?」
「今日は祝日だよ」
メルクリウスが、少し安堵したように微笑む。
「つまり腰を据えて話せる。幸い――キッチンもあるしね」
そう言って、軽く肩をすくめた。
「祝日か……じゃあ、ちょっとぐらいのんびりしても怒られないか」
ガイウスが、ふぅっと一息ついた。
「……なんかお前、妙に冷静じゃね?」
サタヌスが、まだ寝ぼけたまま言う。
(……昨日のことを話すべきか)
割れたメガネを直そうと試みながら、どう切り出すか考えていた。
「ま、とにかく腹が減ったな」
ガイウスが、空腹を訴えて腹を鳴らす。
「キッチンが使えるなら――何か作って食べようぜ」
「いいわね、朝食くらいはしっかり摂らないと」
ヴィヌスも、少し落ち着いた様子で頷いた。
カタパウシスのキッチン。
朝食の準備が始まった。
「ん?おいメルクリ!?」
サタヌスが、キッチンの隅から声を上げた。
「そっちは皿だ!!」
「……え?」
メルクリウスが、手に持っていたのは――大きな皿だった。
「これって鍋じゃないのか?」
「違うわよ!」
ヴィヌスが、がっくり肩を落とす。
「……神官様がポンコツ化したわ」
ヴィヌスが、ため息をつきながら言った。
「由々しき事態よ。何か手伝ったほうが良いんじゃない?」
「いや、俺がやるよ」
ガイウスが、軽く笑いながら近づく。
「てか、お前メガネないとやっぱダメなんだな」
「……手元しか見えないんだ」
メルクリウスが、困った顔で呟く。
「マジで近眼なんだな……」
サタヌスが、感心したように口笛を吹いた。
「……メガネ買わなきゃな」
ガイウスが、ぽつりと呟く。
「そうだね……割れたままじゃどうしようもない」
メルクリウスが、割れたメガネを手の中で確認しながら苦笑いを浮かべた。
「……まぁ、とりあえず朝飯作ろうぜ」
ガイウスが、気を取り直してキッチンに立つ。
「スープは任せた!」
「了解」
メルクリウスが、少しだけ笑顔を取り戻した。
――カタパウシスのキッチン。
朝食がついに完成した。
スープ&パンと目玉焼きが、テーブルに並べられる。
しかし――目玉焼きが一枚、焦げていた。
「……あ、これ失敗したやつだな」
ガイウスが、苦笑しながら焦げた目玉焼きを手に取る。
「じゃあ、それ俺がもらうぜ」
サタヌスが、ひょいっと手を伸ばしてパクリと食べた。
「……まぁ、食べ物があるだけありがたいわね」
ヴィヌスが、優雅にスープをすする。
「よし、いただきます!」
ガイウスも、がっつりパンをかじった。
(……ようやく、落ち着ける)
メルクリウスも、ゆっくりとスープを一口飲む。
温かさが身体に染み込んでいく。
「……で、メルクリ」
ヴィヌスが、ちらりと彼を見やる。
「昨日のこと、説明してくれるかしら?」
「そうだな。なんか変なことがあった気がする」
ガイウスも、記憶を手繰り寄せるように言う。
「……僕たちは、何者かに眠らされた」
メルクリウスが、冷静な口調で話し始めた。
「睡眠薬が混入されていたんだ。おそらく、飲み物か食べ物に」
「……ああ、なんかやけに眠かったな」
「でも、どうしてそんなことされたんだ?」
サタヌスが、首をかしげながら聞いた。
「恐らく狙いは、僕だった」
メルクリウスが、割れたメガネをそっと触りながら続ける。
「昨夜、暗殺教団のアサシンと遭遇したんだ。
デクシアとアリスという二人組だ」
「彼らは偽りの聖痕を刻まれていた」
「偽りの……?」
ガイウスが、驚いたように繰り返す。
「つまり、聖痕を持たない僕を狙っていた。
“勇者のくせに聖痕がない”と嘲笑されたよ」
メルクリウスが、自嘲気味に笑う。
ヴィヌスは静かに息を整え、穏やかな声で言った。
「でも……死んでいないということは、神様が味方してくれたのかしら?」
メルクリウスは首を横に振る。
「神が味方したかどうかは、正直わからない。だが……」
そう前置きしてから、彼は初めて出会ったあの時と同じ仕草で、手の甲を掲げた。
青銀の光が、はっきりと、確かな意志を持って灯っていた。
「……証拠なら、ここにある。」
サタヌスが思わず息を呑む。
「お前、それ……!」
「待て!!」
ガイウスが即座に制し、懐からアストラ・コンパスを取り出した。
かつては、近づけば逃げ、覗き込めば迷い。
“勇者と認めるかどうか”を躊躇っているかのように揺れ続けていた針。
だが今は違う。
針は一切ぶれることなく、迷いなくメルクリウスを指した。
それはまるで――数々の疑念と試練を越えた彼を。
「ようやく辿り着いた」と讃えるかのような、まっすぐな指し示し方だった。
ガイウスは、ゆっくりと息を吐く。
「……文句なしだ。」
誰も、もう何も言わなかった。
この瞬間、メルクリウスは“異端の神官”でも、“仮の同行者”でもなく。
勇者パーティ最後の一人として、確かにそこに立っていた。