――アルキードの空気は重かった。
王宮の礼拝堂には、王家の者だけが許される静謐な沈黙が流れていた。
リアナ姫の遺影は微笑んでいるけれど、その笑顔がかえって参列者の胸を締めつけてくる。
ロディは、祭壇に供えられた花を見つめながら、いまだにどこか現実感がなかった。
あの子の死は、王国の悲劇であると同時に。
自分の手でウラヌスを討ったという事実を何度も突き付けてくる。
(これで良かったのか……? 本当に、これしかなかったのか……)
彼の胸の奥には、誇りと痛みが絡み合って残っている。
王は泣き崩れ、家臣たちも神妙な面持ちで祈りを捧げていた。
レオノーレは祭壇の端で目を伏せ、そっと手を合わせていた。
普段は毅然とした彼女も、この時ばかりは震える指先を隠せない。
静かに、荘厳な音楽だけが流れる中で――。
誰もが「これで一区切りついた」と言い聞かせてはいたけど、実際はどこか、空虚なままだった。
葬儀が終わった後。
王宮の一室、例によって貴族や使節が集まるお茶会タイム――
場は重苦しい空気だったが、話題は意外な方向へと転がり始める。
「……そういえば、デリン帝国でも――」
その場にいた宰相がすかさず反応。
「帝国でも……?」
「皇女様の婚約者候補だった悪魔が、異国の武闘家に煽られ本性を見せていましたわね」
「なんと……」
重苦しい空気のなか、貴族たちは互いの表情を探りながら。
控えめに紅茶と菓子をつまんでいた。
ふと貴婦人の一人が、まるで記憶の糸を手繰るように。
スコーンを摘み、優雅に一息つく。
「あの日、わたくしはルチア様の婚礼を観ようと、デリン帝国に訪れていまして」
その場にいた数人の貴族たちが「まあ!」と目を丸くする。
あの政変直前の話だ、誰もが噂には聞いていたが、現地体験者は珍しい。
「あの夜のことは忘れたことがありません。それはもう、恐ろしい形相でしたわ」
思い出すのは、ユピテルの「笑顔」
それが一瞬で悪魔の形相へと変わったあの瞬間だ。
「“悪魔”とはかくも人の皮を被るものなのか、と。
でも、それよりも、あの“舞姫”の姿は……今でも目に焼きついて離れませんの」
彼女は静かにスコーンを口に運び、少し微笑む。
「“シン”と名乗っておりましたわ。フーロンの言葉で星だとか……」
「シン? フーロンの女性、でしたっけ?」
「……ええ。女性としては少し……いえ、殿方としても背が高い御方でした。
それでも、その麗しさは……忘れられません。まるで、炎のような赤いドレスが揺らめいて……」
貴族たちはざわざわと小声でささやき合う。
その時の光景は、どうしても忘れられなかった。
炎のような赤いチャイナドレス、月光のような笑み。
“彼女”は悠々と踊るように悪魔を追い詰め、最後には指一本で沈黙させた。
……そう、“彼女”は女装したガイウスだった。
だが、奇跡的に「女装を解いた瞬間」を見ていない。
「ガイウス、海の向こうで女装してた」という。
致命的黒歴史が公になるのをギリギリ回避できた。
「わたくしも会場の片隅で拝見しておりました。あの舞、ほんとうに見事でしたわ……」
「そうそう、あの“異国の舞姫”――扇で悪魔の弾丸を止めてしまったって噂、本当だったのね」
「ええ……ほんの小一時間の出来事でしたけど、人々の記憶には深く刻まれたと思いますの」
彼女はただ上品に、お茶を啜るだけ。
彼女の口から「星の舞姫=勇者ガイウス」と名指しされることは、この場ではなかった。
まず、女装が似合うかどうかは顔立ちではない。骨格である。
体格のいい美男子が女装した場合どうなるか?
答えは簡単だ。ガタイが完全に男の美女という、絶妙にちぐはぐな産物が誕生する。
それは見る者に混乱と背徳の美を同時に植え付ける奇跡の造形。
正直、プルトに見せた「どこが女だ。筋肉でドレス裂けるぞ」と酷評されるだろう。
だが当時のソラル大陸では、それが“刺さる”人間が異常に多かったのだ。
ユピテルを欺くための潜入作戦。
バルトロメオの作戦により、ガイウスは女装する羽目になった。
だが、見た人の八割は即座にツッコんだ。
「いや、これ女装した男だろ」
「肩幅が侍じゃん」
「二の腕でバレるわ」
にもかかわらず――そこから事態は妙な方向へ転がる。
「シン」と名乗るその舞姫は、明らかに男の骨格をしていた。
だが扇子をひらめかせ、紅い裾を翻す姿には確かに艶があった。
背は高く、腕は太く、足首はしっかりしている。
なのに動きはしなやかで、扇子の角度ひとつで貴族たちの視線を奪う。
笑えばハスキーで低く、まるで傷ついた獣のように甘い。
舞踏会での“扇子事件”以降、ソラル各地では不可解な現象が起きた。
「男でもいい……」という新たな宗派が発生。
市井の仕立屋に“男物ドレス”の注文が殺到。
特に青年層に甚大な影響を及ぼし、一部研究者はこれを「女装男子覚醒現象」と呼ぶ。
こうして、ソラル大陸の人口の一割ほどが“性の概念を再考”する事態に至った。
“女装武闘家シン”の登場は、魔族討伐史の番外として語られると同時に。
性的多様性の象徴として後世に影響を与えた。
なお、当の本人は「二度とやらねぇ」と断言している。
しかし今日もなお、街角の劇場では“紅扇のシン”を描いた舞台が上演され、
観客席のどこかでは必ずこう囁かれる。
「……男でも、いいよな」
「フーロンの“シン”は、またどこかでお会いしたいものですわ」
貴婦人の微笑みは、どこか“全部お見通し”な大人の余裕がにじんでいた。
—-
リアナ姫の葬儀が終わった後も、アルキード城の空気はまだ冷えていた。
花弁の香りと香の煙が薄く漂う中、ロディは祭壇脇の控室で息をつく。
「……やっと、終わった……」
隣のレオノーレも小さく頷く。
けれど、彼女の指先は静かに震えていた。
誰も口にはしなかったが、“救われなかった姫”という事実は二人の胸に残り続けている。
そんな時だった。
文官の一人が、白封筒を差し出す。
「勇者代理ロディ・アルドレッド殿宛。急ぎではないようですが……」
「俺宛? 珍しい……だいたい兄ちゃん宛なのに」
受け取ると、封筒はやけに分厚かった。
重みがある。中で小袋がコツンと鳴る。
そして紙のざらついた感触――もう一枚、入っている。
「……もう一枚、入っています。手触りから新聞ですね」
レオノーレが指先で封をなぞり、静かに言った。
ロディは慎重に開封する。
中から出てきたのは金貨数枚と、折り畳まれた紙片。
広げると、それは印刷の匂いがまだ残る新聞の一面だった。
【“暴風将ウラヌス”、アルキードにて討滅】
― 勇者代理ロディ・アルドレッド、歴史的勝利 ―
だが、差出人が本当に反応したのはそこではなかった。
記事の下段に――異様に詳しい“装備欄”がある。
「本件において、アルキード旧王都壁面に保管されていた弩砲が使用された模様。
記録によれば発射後の矢は、重力湾曲および暴風干渉を一切受けずに標的へ到達した。
……この観測結果により、“矢は重力に従わぬ”という古来伝説が現実に証明された」
ロディの口から小さく声が漏れる。
「……これ、まさか……」
「アーチャー専門ギルド発行紙、“アーチェリア・ガゼット”ですね」
レオノーレが表紙を見て呟いた。
その声には少しだけ、呆れと誇らしさが混じっていた。
新聞の隅には直筆のメッセージが添えられている。
筆跡は豪快で、矢のように鋭い。
『お前、マジで重力ぶっ壊したな。
弓は銃の下位互換、なんて時代は終わりだ。
弩砲を撃ったお前こそ“アーチャーの名誉会員”だ! by アーチャーズ・ギルド一同』
封筒の底に、金一封。
“報奨金”ではなく“感謝の印”と書かれている。
ロディは苦笑して金貨を数枚手に取る。
「……兄ちゃんが聞いたら絶対言うぞ。“俺の弟が物理壊した”って」
レオノーレは小さく肩を揺らした。
「悪魔討伐で“物理学の進展”を導く……。まさか勇者代理が科学革命の立役者になるとは」
銃は、英雄神話の終焉を告げた道具だった。
選ばれし者でなくとも、誰もが引き金ひとつで“殺意”を形にできる。
技も、血筋も、祈りもいらない。
ただ狙い、撃つだけでいい。
それは人類が手にした、最も平等で、最も冷たい力だった。
――だが。
その絶対のはずの力が、今、ひとつの事実の前に立ち止まる。
重力が狂う世界において弾丸は、軌道を失う。
落ちるべき場所が消えたとき“どこへも届かない金属片”に成り下がる。
対して、矢は風を裂き、意思に従い“当てる”という行為の延長として放たれる。
最初から、重力に従うのでなく、それに縛られていない。
皮肉な話だった。
“誰でも撃てる殺意”の象徴であった銃が。
“世界そのもの”に裏切られたのだ。
そして、その弱点を暴いたのが英雄でも、天才でもない。
ひとりの少年だったという事実がいっそう、この世界を不安定にしていた。
国葬から数日後。
アルキード城の廊下は、まだどこか香の匂いを引きずっていた。
ロディは焼き菓子の皿を持ったまま、呼び止めてきた大臣を見上げる。
「最近な、帝国側の技術長が弩砲を見に来るのだ、ロディよ」
「……はぁ」
「みな口を揃えてこう言う。『なぜ反重力環境下で、あの矢は真っ直ぐ飛んだのか』とな」
ロディはしばらく瞬きをしたあと、手元のクッキーを見た。
「……弩砲だぞ?」
「うむ」
「げに奇妙なことだ、みたいな顔されても」
「実際、奇妙なのだ」
「俺ただレバー引いただけなんですけど……」
大臣は重々しく腕を組み、遠い目をした。
「君の“ただ”が、兵器開発の歴史を変えるかもしれんのだ」
「やめてくださいよ怖いな!なんかもう俺が余計なことした人みたいじゃないですか!」
そこへ、静かな足音がひとつ。
「ケーキでも食べますか?」
レオノーレだった。
白い皿の上には、苺の乗った小さなケーキが二つ。
声はいつも通り淡々としていて。
世界が技術革命の入り口で騒いでいようが、まるで関係がない。
ロディは半泣きみたいな顔で振り向く。
「食べます」
「ではこちらへ」
「いや待って、今なんかすごい話になってるんだけど?」
「貴方は弩砲を解析する人ではなく、弩砲を撃った人です」
「うん」
「役割が違います」
「正論すぎる」
大臣は額を押さえた。
「いやしかしだな、当人の証言も重要で……」
「証言ならできますよ」
ロディは真顔で言った。
「ええと、まずウラヌスがすげぇ笑ってて、次に俺もすげぇ必死で」
「あとレオノーレさんがすげぇ落ち着いてました」
「……それは戦況だな」
「はい」
「技術的知見ではない」
「ですよねぇ」
レオノーレは小さく皿を差し出した。
「苺が落ちますよ」
「そっちのほうが大事だ」
ロディは即答してケーキを受け取る。
たぶん本当に、今の彼にとってはそっちのほうが大事だった。
一方その頃、城の外では。
古びた弩砲の周りを、工房技師たちが取り囲んでいた。
分解図、測定具、魔力計、古文書。
誰かが叫ぶ。
「矢羽根だ!矢羽根の角度に秘密がある!」
「違う、台座の術式だ!」
「いや、千年前の合金が反重力に共鳴したのでは!?」
その頃ロディは、廊下の隅で口いっぱいにケーキを頬張っていた。