アルキード編-GRAVITY FREE - 6/6

――アルキードの空気は重かった。
王宮の礼拝堂には、王家の者だけが許される静謐な沈黙が流れていた。
リアナ姫の遺影は微笑んでいるけれど、その笑顔がかえって参列者の胸を締めつけてくる。

ロディは、祭壇に供えられた花を見つめながら、いまだにどこか現実感がなかった。
あの子の死は、王国の悲劇であると同時に。
自分の手でウラヌスを討ったという事実を何度も突き付けてくる。
(これで良かったのか……? 本当に、これしかなかったのか……)
彼の胸の奥には、誇りと痛みが絡み合って残っている。

王は泣き崩れ、家臣たちも神妙な面持ちで祈りを捧げていた。
レオノーレは祭壇の端で目を伏せ、そっと手を合わせていた。
普段は毅然とした彼女も、この時ばかりは震える指先を隠せない。
静かに、荘厳な音楽だけが流れる中で――。
誰もが「これで一区切りついた」と言い聞かせてはいたけど、実際はどこか、空虚なままだった。

葬儀が終わった後。
王宮の一室、例によって貴族や使節が集まるお茶会タイム――
場は重苦しい空気だったが、話題は意外な方向へと転がり始める。
貴族令嬢セレーネは、ため息交じりにぽつりと呟いた。
「……そういえば、デリン帝国でも――」
その場にいた宰相がすかさず反応。

「帝国でも……?」
「皇女様の婚約者候補だった悪魔が、異国の武闘家に煽られ本性を見せていましたわね」
「なんと……」
セレーネは扇子を口元に当て、いたずらっぽく微笑む。
重苦しい空気のなか、貴族たちは互いの表情を探りながら。
控えめに紅茶と菓子をつまんでいた。
ふとセレーネ嬢が、まるで記憶の糸を手繰るように。
スコーンを摘み、優雅に一息つく。

「――あの日、わたくしはルチア様の婚礼を観ようと
デリン帝国に訪れていまして」
その場にいた数人の貴族たちが「まあ!」と目を丸くする。
あの政変直前の話だ、誰もが噂には聞いていたが、現地体験者は珍しい。
「あの夜のことは忘れたことがありません。それはもう、恐ろしい形相でしたわ」
セレーネの視線は、どこか遠くへ泳ぐ。
思い出すのは、ユピテルの「笑顔」
それが一瞬で悪魔の形相へと変わったあの瞬間だ。
「“悪魔”とはかくも人の皮を被るものなのか、と。
でも、それよりも、あの“舞姫”の姿は……今でも目に焼きついて離れませんの」
彼女は静かにスコーンを口に運び、少し微笑む。

「“シン”と名乗っておりましたわ。フーロンの言葉で星だとか……」
「シン? フーロンの女性、でしたっけ?」
「……ええ。女性としては少し……いえ、殿方としても背が高い御方でした。
それでも、その麗しさは……忘れられません。まるで、炎のような赤いドレスが揺らめいて……」
貴族たちはざわざわと小声でささやき合う。

その時の光景は、どうしても忘れられなかった。
炎のような赤いチャイナドレス、月光のような笑み。
“彼女”は悠々と踊るように悪魔を追い詰め、最後には指一本で沈黙させた。
……そう、“彼女”は女装したガイウスだった。
だが、奇跡的にセレーネはその「女装を解いた瞬間」を見ていない。
「ガイウス、海の向こうで女装してた」という。
致命的黒歴史が公になるのをギリギリ回避できた。

「わたくしも会場の片隅で拝見しておりました。あの舞、ほんとうに見事でしたわ……」
「そうそう、あの“異国の舞姫”――扇で悪魔の弾丸を止めてしまったって噂、本当だったのね」
「ええ……ほんの小一時間の出来事でしたけど、人々の記憶には深く刻まれたと思いますの」
彼女はただ上品に、お茶を啜るだけ。
彼女の口から「星の舞姫=勇者ガイウス」と名指しされることは、この場ではなかった。

まず、女装が似合うかどうかは顔立ちではない。骨格である。
体格のいい美男子が女装した場合どうなるか?
答えは簡単だ。ガタイが完全に男の美女という、絶妙にちぐはぐな産物が誕生する。
それは見る者に混乱と背徳の美を同時に植え付ける奇跡の造形。
正直、プルトに見せた「どこが女だ。筋肉でドレス裂けるぞ」と酷評されるだろう。
だが当時のソラル大陸では、それが“刺さる”人間が異常に多かったのだ。

ユピテルを欺くための潜入作戦。
バルトロメオのプ作戦により、ガイウスは女装する羽目になった。
だが、見た人の八割は即座にツッコんだ。
「いや、これ女装した男だろ」
「肩幅が侍じゃん」
「二の腕でバレるわ」
にもかかわらず――そこから事態は妙な方向へ転がる。

「シン」と名乗るその舞姫は、明らかに男の骨格をしていた。
だが扇子をひらめかせ、紅い裾を翻す姿には確かに艶があった。
背は高く、腕は太く、足首はしっかりしている。
なのに動きはしなやかで、扇子の角度ひとつで貴族たちの視線を奪う。
笑えばハスキーで低く、まるで傷ついた獣のように甘い。

舞踏会での“扇子事件”以降、ソラル各地では不可解な現象が起きた。
「男でもいい……」という新たな宗派が発生。
市井の仕立屋に“男物ドレス”の注文が殺到。
特に青年層に甚大な影響を及ぼし、一部研究者はこれを「女装男子覚醒現象」と呼ぶ。
こうして、ソラル大陸の人口の一割ほどが“性の概念を再考”する事態に至った。

“女装武闘家シン”の登場は、魔族討伐史の番外として語られると同時に。
性的多様性の象徴として後世に影響を与えた。
なお、当の本人は「二度とやらねぇ」と断言している。
しかし今日もなお、街角の劇場では“紅扇のシン”を描いた舞台が上演され、
観客席のどこかでは必ずこう囁かれる。
「……男でも、いいよな」

「フーロンの“シン”は、またどこかでお会いしたいものですわ」
セレーネの微笑みは、どこか“全部お見通し”な大人の余裕がにじんでいた。

—-

リアナ姫の葬儀が終わった後も、アルキード城の空気はまだ冷えていた。
花弁の香りと香の煙が薄く漂う中、ロディは祭壇脇の控室で息をつく。
「……やっと、終わった……」
隣のレオノーレも小さく頷く。
けれど、彼女の指先は静かに震えていた。
誰も口にはしなかったが、“救われなかった姫”という事実は二人の胸に残り続けている。
そんな時だった。
文官の一人が、白封筒を差し出す。

「勇者代理ロディ・アルドレッド殿宛。急ぎではないようですが……」
「俺宛? 珍しい……だいたい兄ちゃん宛なのに」
受け取ると、封筒はやけに分厚かった。
重みがある。中で小袋がコツンと鳴る。
そして紙のざらついた感触――もう一枚、入っている。

「……もう一枚、入っています。手触りから新聞ですね」
レオノーレが指先で封をなぞり、静かに言った。
ロディは慎重に開封する。
中から出てきたのは金貨数枚と、折り畳まれた紙片。
広げると、それは印刷の匂いがまだ残る新聞の一面だった。

【“暴風将ウラヌス”、アルキードにて討滅】
― 勇者代理ロディ・アルドレッド、歴史的勝利 ―

だが、差出人が本当に反応したのはそこではなかった。
記事の下段に――異様に詳しい“装備欄”がある。

「本件において、アルキード旧王都壁面に保管されていた弩砲が使用された模様。
記録によれば発射後の矢は、重力湾曲および暴風干渉を一切受けずに標的へ到達した。
……この観測結果により、“矢は重力に従わぬ”という古来伝説が現実に証明された」
ロディの口から小さく声が漏れる。
「……これ、まさか……」
「アーチャー専門ギルド発行紙、“アーチェリア・ガゼット”ですね」
レオノーレが表紙を見て呟いた。
その声には少しだけ、呆れと誇らしさが混じっていた。

新聞の隅には直筆のメッセージが添えられている。
筆跡は豪快で、矢のように鋭い。

『お前、マジで重力ぶっ壊したな。
弓は銃の下位互換、なんて時代は終わりだ。
弩砲を撃ったお前こそ“アーチャーの名誉会員”だ! by アーチャーズ・ギルド一同』

封筒の底に、金一封。
“報奨金”ではなく“感謝の印”と書かれている。

ロディは苦笑して金貨を数枚手に取る。
「……兄ちゃんが聞いたら絶対言うぞ。“俺の弟が物理壊した”って」
レオノーレは小さく肩を揺らした。
「悪魔討伐で“物理学の進展”を導く……。まさか勇者代理が科学革命の立役者になるとは」

「……いや、俺はただ、あの弩砲を引いただけなんですけどね」
「謙遜を覚えた少年は、時に歴史を変えるものです」
その言葉にロディは少し顔を赤らめ、封筒をそっと鞄にしまった。
窓の外、弩砲が眠る塔の影に夕陽が差し込んでいる。
矢はもう撃たれていない。
だが、その一射がもたらした“波紋”は、確かにこの世界の空を震わせていた。