霧の向こうに、その都はぼんやりと浮かび始めた。
アルキード王国の中心である、王都ラピアだ。
ラピアの霧は、単なる大気現象じゃない。
街全体を包幻想的なミスト。
それは大地から噴き上がる“マナ”が空気中に溶け出したものだ。
つまり、ここに流れる霧は本物の魔力そのもの。
マナが濃すぎるせいで、雨の日も多く、石畳やレンガの壁はいつも露に濡れている。
「アルキード王族が陰湿なのは、ラピアが雨続きだから」
なんてブラックジョークも出回るほど。
この濃密な霧のせいで「本当に遠くが見えない」日がしょっちゅうある。
だから街は自然と“謎”や“秘密”に包まれる雰囲気が強くなり。
昔から“霧の中の怪事件”みたいな都市伝説が絶えない。
ミステリー小説家や探偵稼業が異様に発達したのも。
「ラピアの霧が全てを曖昧にするからだ」と地元民は信じている。
通りの向こう、煙る霧を割るように巨大な時計塔――アルキード大時計がそびえている。
その姿はガイウスが騎士学校時代からずっと変わらない。
「……アルキード大時計。俺が中退した時から変わってねぇな」
「ロクな思い出がないが、この霧と時計だけは嫌いじゃなかった」
車輪の音が石畳に響く。
朝露に濡れた路地、ガス灯の街灯が淡く灯り、黒いコート姿の市民が傘をさして歩いていく。
遠くから、教会の鐘と大時計の低い時報が重なって聞こえる。
王都の建物は石造りの重厚な作りで、古いレンガ壁には蔦が絡まり。
細い路地ごとに紅茶や焼き菓子の甘い匂いがただよう。
霧の向こう、王城はまだ遠い。
けれど、ぼんやりとした窓越しに、街の声だけは鮮明に届いてくる。
「また切り裂きジャックが出たって。今度は子供を連れ去ったって噂よ」
「勇者ごっこしてる子からは絶対、目を離しちゃいけませんよ」
貴族らしき女たちのヒソヒソ声が、馬車の車輪音に混じってすり抜ける。
「一年も保たなかった先代の勇者様、今度はどうかしら?」
「虹の瞳?ふふ、伝説だけは派手ね。持ち逃げされなきゃいいけど」
霧の奥では子供たちの声。
「なあ勇者役やってよ!」
「やだよ、さらわれたらどうすんだよ!」
老人は石畳に座り込み、独りごちる。
「また新しい勇者か……。期待するだけ無駄さ」
鐘の音とともに、誰のものともつかないため息と。
ひとすじの皮肉が、霧の王都を柔らかく包み込む。
これが——今のラピアの声だった。
「王都の空気はどこか冷たいけど、この無駄にデカい時計と。
霧の匂いだけは――帰ってきた実感がするな」
城門に向かうが、衛兵は特に止められることもなく、入城を許された。
ここで止められてたら少し困ったかもしれないのでホッとし進む。
謁見の間へ向かう間もずっと、今の光景が幻かなんかであってほしいと思っていた。
自分より性格がよくて正義感が強いやつは掃いて捨てるほどいるのだから。
そいつらに押し付けてディノスに帰りたいと、だがどうやら幻ではないらしく。
「ここだ……勇者様、くれぐれも失礼のないように」
「わかってる……王様に無礼を働けば打ち首だもんな」
衛視に促されて玉座の間に入る、衛兵が左右を固める先には王座に王が。
そして-その隣には椅子にちょこんと座る女の子。
こぢんまりと収まる姿は愛らしさと気品が感じられた。
「ようこそアルキード王国へ勇者殿、余はアルキード20世」
「アルキード第一王女リアナ・アルキードでございます」
「……ガイウス・アルドレッドです」
努めて事務的に、丁寧に返す。
こうすれば多少はマシに見えるだろうという、彼なりの処世術である。
「よくぞ来てくださった、勇者殿。貴殿に頼みがある」
「なんでしょう?」
「実は我が国は現在魔王軍の侵攻を受けている。
魔族どもを駆逐し奴らの長である魔王を倒すため貴殿に力を貸してほしいのだ」
「まぁ……そんな気はしてましたけどね」
(はっ!?なんで俺こんなに上から目線で喋ってるんだ?)
ぶっちゃけ自分には勇者なんて荷が重すぎると思っているくせにだ。
だが己の心情とは裏腹に口だけは回る。
「でも俺なんかでいいんですかね?もっと他の強い人とか」
「確かにそなたより優れた者はいるじゃろう、だが運命には逆らえん。
もし貴殿が勇者ではなくとも、我らは貴殿を頼るほかないのだよ」
(うっぜぇ……いいように言いやがって)
口では申し訳なさそうに言っているが。
俯いた表情は面倒事を押し付けられたときに、決まって浮かべるしかめっ面だ。
だが勇者様はあっさり場の空気に流され諦める。
自分に自信がないため、こういうときにすぐ諦めてしまうのが彼の癖だった。
「わかりました、私で良ければ」
「頼みます……あら!?勇者様、その瞳は?ご病気とかですか」
「いえ。これは元々こういう目です」
案の定というか、顔を近づけたことで虹の瞳をリアナと国王に覗き込まれる。
この瞳は劣等感の素。正直スキではない、むしろ嫌いだ。
もう少し金を貯めてカラコンでも買おうかなと思っていたりする。
「おぉ、これは……虹瞳(こうどう)と言われるものか!直に見るのは初めてだ」
「こうどう?」
「アルキード1世がこの瞳をされていたとか。私も拝見するのは初めてですが」
「へぇ……勇者は虹の瞳って呼ばれてんのか、はっ!いいご身分だな」
自虐的な言葉を吐き捨てるも、この瞳のおかげで自分が選ばれたことに対する皮肉だ。
だがリアナはその皮肉に気づかず流して続ける。
「では勇者様に装備の支給を」
「はっ!」
初期装備と言うとあれか、ひのきのぼうとか。
そういうみみっちい装備をくれるのかな。
まぁ期待はしてないよと頭の後ろで手を組ながら衛兵を見つめる。
「お納めください勇者殿」
「あっどうも……」
差し出されたのは鞘に収まった剣、それも明らかに立派なやつだった。
ガイウスはこれまでの勇者志望と決定的に違うという判断からか。
てっきり「初期装備」を予想したが、これは予想外であった。
「勇者殿、どうかこの国をお救いください」
「あ……ああ。まぁやれるだけやってみるよ」
ズシリと重みを感じる剣を鞘から抜くと。
鏡のように磨き抜かれた刀身が露わになる。
白銀に光る刃は手入れが行き届いている。
それだけで国側が「本気」なことが伝わってきた。
ここまで期待されて「勇者じゃありませんでした」なんて言った日には。
打首になりかねない、そう思わせる眼力が見つめてくるリアナにはあった。
「では早速、城の中庭へ参りましょう」
「……あぁ」
こうして勇者様の伝説は始まった。
彼が運命に抗いきれるのかはまだ誰にもわからない。
そして、いかにも勇者なんてなりたくないという渋い顔で歩いていくガイウスを。
木の枝に留まった鴉が、正しくは魔族がしばしば用いる。
「生きたカメラ」ともいうべき使い魔がじっと観察していた。
「此度の勇者様はやる気がないうえ聖剣も渡されないときた、いよいよあの国も終わりだな」
水晶玉のような球体の中に映像や音声を記録できる優れもの。
魔力を使って映像を遠隔地に送り込めるので離れた場所の情報も素早く手に入れられる。
魔族の間では広く普及しており、人間側にも似たような技術はあるのだが。
それ故に情報漏洩を防ぐ目的で一般流通はしていない。
そして、今見ているのは先ほどの謁見の様子である。
「しかし勇者は勇者だ、五魔将様に報告せねばな……」
使い魔はあくまで偵察係、鳥や動物に紛れ主である上位魔族へ情報を伝えるのが仕事。
ガイウスが見えなくなったのを見届け、鴉は黒い羽をはためかせ飛び去る。
(それにしても……)
今回の勇者はずいぶんと覇気のない男だと思いながら、城を後にするのだった。
——?????—–
人間界と異なる空の色、地平線まで広がる赤い海、そして赤い海に佇む禍々しくも美しき城。
その城の一室で魔族の男は水晶玉に映る映像を眺めていた。
赤い肌に着物風の衣装、そして角-男はいわゆる「鬼」が持つ特徴が強く出ており。
胡座をかいたまま使い魔の報告へ耳を傾ける。
「勇者が現れただと?」
「はい、マルス様」
「勇者が現れるのは初めてでない。しかし……この男」
「あはは!よっぽど旅立つのがイヤなのね、こんな猫背の勇者ちゃん初めて〜」
マルスに割り込むように大窓から元気良く、少女が会話に割って入ってくる。
活発なアップツインに赤のインナーカラーを入れた姿はクリスマスを連想させる。
「ウラヌス静かにせんか、お前の声は甲高くて角に響く」
「はぁーい、でも勇者ちゃんがやる気ないのって珍しいね」
「確かに……今まで現れた歴代の勇者は皆、我らの王を倒すという使命感があったな」
マルスは映像を見ながら顎に手をあてて考え込む。ガイウスの顔つきは俯いていてよく見えない。
だが赤い髪は水晶越しにもわかるほど目立つので、すぐに見つけられるはずだ。
「ッハッハッハ!アルキード王国も人手不足てことだろうよ!」
マルスの疑問に答えるように、向こうで酒を手酌していた金髪の男がからからと笑い出した。
傍らの刀と頬の黒い雷のような化粧が目を引く。
「まぁいいさ、俺が出ればどんな勇者でも斬れるンだ。さっさと来いよ魔王様のもとへ」
「ユピテル……お前はまた酒など飲んで……」
「だって暇なんだも~ン!マルスちゃン。ユピテルさンこのままじゃ酒浸りで死んじゃうわ」
おどけるように胡座をかいたまま、ユピテルはマルスの膝にしなだれかかる。
「離れろ!酒臭い!」
「あぁーはぁー……俺の舞雷も退屈で泣いちゃうぜ」
純白の鞘に収まった刀を撫でてやりながら、ユピテルは 退屈そうに欠伸を噛み殺す。
「まぁいいさ、今度の勇者はちったぁやるンだろうな?俺が聞きたいのはそこだよ」
「……そうだな、ではウラヌスよ」
「はぁい?」
「お前に人間界の偵察を任せる」
「はぁーい。任せて♪」
深月城の鼓動が共鳴するように大きくなる。
新たなる勇者の気配を、この城そのものが感じ取るように。