アルルカン編-3章・出会いとスラムと - 3/5

朝のスラムに停められた古い路面電車。
その側面は、落書きと伝言でギチギチに埋め尽くされていた。
ガイウスは、ペンキのような大きな文字を見上げて首をかしげる。
「なぁ、これ。なんて書いてあるんだ?」
でかでかと殴り書きされたフランス語。

“Libérez le mari congelé, enfoiré de pédé. ”

昨日も目にしたラクガキだ、どういう意味なのかわからないが目につく。
ガイウスが眉をひそめて見つめていると、サタヌスがにやりと横から訳してみせる。
「冷凍済み旦那を解放しろ、ホモ野郎だとよ」
ガイウスは、訳の内容にしばし固まった。
「旦那を氷の悪魔に殺されたんだな……つーか、ホモ野郎って」
微妙に引き気味、そして気の毒そうな顔でつぶやく。
サタヌスは肩を竦めてから、ニヤッと悪ガキらしく笑った。

「気をつけろよワンコ?お前のガタイは女にも、男にもウケるからな」
ガイウスは真顔で身震いし。
「やめろ……背筋寒い……」
と本気でゾワッとなる。
そんな二人のやりとりを聞きつけて、周囲のスラム民がゲラゲラ笑いながら集まってくる。
「未亡人の愚痴に決まってんだろw」
「まーた冷凍野郎の噂かよ」
「魔王軍にホモ野郎がいて、気に入った男は氷像にしちまうんだとよ!気をつけな」
この街の“噂”も“落書き”も、 生き抜く術の一部であり、ちょっとした娯楽であり。
今日もアルルカンには、笑いと冗談が絶えないのだった。

路面電車の落書きの前、サタヌスが得意げにガイウスを見下ろす。
「アルルカンじゃフランス語が基本だぞ? フランス語読めるか? ブリティッシュ」
ガイウスは即答した。
「読めねぇよ!!!」
サタヌスは「だろうな」と言いたげに鼻で笑い、路面電車の側面を指さした。

「じゃあ今日は特別に、俺がフランス語の読み方を教えてやる。
まずはこの“enfoiré de pédé(アンフォワレ・ド・ペデ)”だ」
ガイウスは渋い顔で首を傾げる。
「……何の呪文だよそれ」
「“クソ野郎”って意味だ。スラムじゃ挨拶代わりだぞ?」
ガイウスは思わずげんなりする。
「そんな下品な言葉しか教えないのかよ!」
サタヌスは悪ガキ丸出しの顔でニヤリ。

「スラムで生き残りたいなら、まず“罵倒語”を覚えることからだ!それに……」
そう言いかけたところで、周囲のモブがさっそく声を張り上げる。
「オーイ、ブリティッシュ勇者!“pédé”の意味分かったかー!?」
「ちゃんと発音しろよ!ペーデー!!」
ガイウスは顔を真っ赤にして。
「だから!やめろって言ってんだろ!!!」
と、全力でツッコむ羽目になった。

スラム掲示板の落書きの前で、ガイウスはもう一度周囲を睨む。
「マジでやめろよ!ブリティッシュ弄り!!」
けれどスラムキッズやサタヌス、そして屋台のおばさんまでが一斉に乗っかってくる。
「紅茶キメてるやつはだめだな!」
「ティーカップ持たせてやれば?似合うぞw」
ガイウスはますます顔を赤らめて、「紅茶なんて飲んでねぇし!」と叫ぶが。
子どもたちの中で「勇者=紅茶党」のイメージが刻まれるのは避けられそうになかった。
サタヌスも楽しそうに。
「アルルカンじゃコーヒー派が生き残るからな、覚えとけブリティッシュ!」
とダメ押ししてくる。
こうしてガイウスは、名実ともに“大型犬系英国人”としてスラムに受け入れられるのであった。

「なぁサターン」
他のスラムキッズに教えてもらった呼び名で、彼に話しかける。
ぴくん、と彼の肩が小さく反応した。
「オーディスて奴、どこにいるんだ?」
「……ついてきな。追いつけたら見せてやる」
ノワール区の朝、サタヌスは振り向きもせず、細いパイプをスイスイ登っていく。
ガイウスはその背を追いかけながら、必死で金属パイプにしがみついた。
「はぁっ、はぁっ……待て!おいサターン、速すぎだろ!」
サタヌスは屋根の上にひょいと上がると、余裕たっぷりの顔で振り返る。
「おいワンコ、ノワール区じゃ屋根に逃げられないヤツは死ぬぞ?
盗賊も、警官も、みんな屋根移動だ。」

パイプの上、サタヌスは余裕の表情でクルリと回る。
「ワンコ、そうじゃねぇ——足の指でパイプ掴め!サルみてぇにな!」
何度言われても、ガイウスはズルッと滑りそうになり。
「だから無理だって!これ細すぎ!」と情けない叫び。
「勇者なら根性見せろ!裸足でいけ!裸足で!」
サタヌスが楽しそうに煽る。

仕方なくガイウスは、コートの裾をまくり上げ。
靴を脱いでパイプの上に素足を乗せた。
「……はぁ、やるしかねぇか」
恐る恐る足の指でパイプをつかみ、バランスを取って進む。
「おお、いけてんじゃん!その調子!」
サタヌスやスラムキッズが屋根から盛大に囃し立てる。
が、ガイウスは泣きそうな顔でぼやく。

「あぁ!足が汚れるッ……!いや、スラムの廃電車で寝てたヤツが言うセリフじゃねぇけど!」
足の裏の感覚がダイレクトに伝わることで。
意外にも体の重心がしっかりパイプに乗り、スルスルと進めるようになってきた。
気付けば、蒸気まみれの朝の屋根の上を。
勇者とスラムガキが裸足で駆け抜けていく。

「……やった、落ちずに行けた!」
思わず小さくガッツポーズ。
サタヌスはニカッと笑って親指を立てた。
「これで“ノワール区パイプ渡り”——免許皆伝だ、ワンコ!」
その瞬間だけは、ガイウスもサタヌスも
“生き残ること”を超えて、ちょっとだけ誇らしく笑っていた。
ガイウスは屋根の上に上がると、朝焼けに染まるスラムの街並みを見下ろして。
少しだけワクワクしたような表情を浮かべていた。

屋根の上。サタヌスが慣れた手つきで双眼鏡を覗き込み、ガイウスもその横で肩を並べていた。
目の前の教会では、オーディス牧師がスラムの子供たちに笑顔で読み書きを教えている。
「見る限りは……よくいる牧師だけどな」
ガイウスは小声で呟く。
サタヌスは鼻で笑いながらも、視線は外さない。

「あぁ、みんな思ってるよ、普通の牧師だってな」
「でも、俺のカンが告げてやがる――アイツの本性は、牧師なんかじゃねぇ」
そのとき、オーディスが子供たちを連れて“開かずの部屋”へと消えていく。
何が行われているか、誰にも分からない。
ガイウスは不安げに眉をひそめた。
「何やってんだ、あの部屋……?」
サタヌスは双眼鏡から目を離し、ぼそりと呟く。
「噂じゃ、部屋に入ったガキは皆“お利口さん”になって出てくる。前はあんなにやかましかった連中までな」
「お利口さん、ね……。それ、ちょっと気持ち悪いな」
ガイウスの声は、少し震えていた。
“見せかけの慈愛”と“裏の顔”。
アルルカンのスラムを牛耳る闇が、静かに忍び寄るのだった。

—-

上層エリア、アルルカン劇場の朝。
リハーサルのために楽屋入りしたヴィヌスは、扉を開けるなり怒号に遭遇した。
「団長ぉ~!そういうのは三日前に言うのが約束でしょ~!」
声が響く。
舞台裏はてんやわんや、主演の子以外はほぼ総入れ替えで。
あちこちから「キャスト表どこ!?」「台本は!?」と叫び声が飛ぶ。
すれ違いざま、団員たちがヒソヒソ話していた。

「きっと勇者様って感じじゃなかったのよ、オーラが地味だったとか……」
「ていうか勇者様が見に来るなら、なんで上層エリアで目撃情報がないの?」
本来なら“勇者”は真っ先に町長やカジノの支配人に挨拶するのが常識。
しかし今回は、誰も「勇者様」と接触した者がいないらしい。
ヴィヌスは呆れ顔で溜息をつく。
「今日もカリヨンでやけ食いするわ……ボロネーゼにワインもつけてね」
女優陣の華やかなざわめきと、勇者をめぐる噂話が入り乱れるアルルカン上層の朝。
下層で泥まみれの勇者が悪戦苦闘する一方。
上層では“勇者”の噂だけが独り歩きし始めていた。

舞台裏では、勇者の噂でもちきりだった。
ヴィヌスは髪を直しながら、団員たちの話に耳をそばだてる。
「ていうか、アルキード王国ってまだ滅んでなかったのね。あのエセ紳士王国」
ヴィヌスが呟くと、すかさず団員が声を上げた。
アルルカン劇場の裏では、勇者の話題が盛り上がる一方で。
アルキード王国そのものへの“フランス流ツッコミ”も容赦なかった。

「だいたい英国紳士ぶってるけど、困るとすぐ帝国頼みよね」
「そうそう、勇者頼みで腹黒い国だって、うちの親も言ってたわ」
「王族の“紅茶会”とかニュースでやってるけど。
ラピアの紅茶会中継、仏頂面だらけでもう名物じゃん」
「似非紳士の国ってやつ。顔はいいけど中身は“打算”よ!」
「でも……ラピアの景色はガチ。あれだけは認めざるを得ない」
「景色だけは本物w」
ヴィヌスも思わず頷いてしまう。
彼女自身、アルキード王国の人間関係や“表の笑顔”には全く信頼を置いていなかったが。
ラピアの美しさだけは、どんな舞台よりも本物だと知っていた。

「私、勇者様っぽいの見た!」
「どういうヒト?男?女?年齢は?」
「イケメン、あとデカい。露出ゼロだったけど絶対あれ、筋肉凄い」
昨夜、偶然勇者を目にした団員の証言。
そして3つの特徴に、女団員たちがざわつき始める。

「よかったわねヴィーちゃん、ユピテルは細くて嫌いって言ってたら、デカ男がきたわよ!」
ヴィヌスは頬をふくらませて、いつもの調子で返す。
「うっさいわ!」
笑い声とヒソヒソ話が舞台裏を満たす。
上層社会に勇者の“断片”だけが漂い。
舞台の主役を奪うかのように、噂だけが独り歩きしていた。
“イケメンでデカい勇者”の噂、上層でも下層でも広まって。
舞台女優陣の期待と好奇心も最高潮!