アルルカン編-3章・出会いとスラムと - 4/5

ノワール区の朝靄がまだ冷たく残る路地裏で、ガイウスは鉄パイプの上をにらみつけていた。
頭上には蜘蛛の巣のように絡まる配管、すぐ下は泥と汚水の混じった下水路。
足を踏み外せば、スラムの悪臭にまみれた沼に真っ逆さまだ。
「……こっから本格的にコンビ活動だな。まずはパイプ渡りを会得しねぇと。」
半ば自分に言い聞かせるように呟いた声に、すぐ横でサタヌスが目を細めた。
普段の不敵な笑みを引っ込め、ほんのわずかに照れたような顔をしながら。

「なぁ、スラムじゃ本気で仲間になりたい相手には“名前の由来”を聞くんだぜ。」
「……へぇ、そうなのか。」
ガイウスが足場を確かめるようにパイプに手をかけながら返すと。
サタヌスは背中を預けるように軽く肩を寄せた。
「俺は、土曜日にボスに拾われたから“サターン”だ。
ガキの頃、ボスに聞いたんだ。『お前に本名はもういらねぇ。今日からサターンだ』ってさ。」
彼の声には、どこか誇らしさと寂しさが入り混じっていた。
ガイウスはその響きを感じ取りながらも、あえて軽く笑みを浮かべる。
「そういうもんか……。俺のは“ガイア”から取ったって。昔の神様の名をもじったらしい。」
「ふつうすぎる。」
即答するサタヌスに、ガイウスは即ツッコミを返した。
「普通で悪かったな!!こっちは本名なんだよ!」
鉄パイプを渡るたびに軋む音が響き、二人の会話がスラムの朝空気に吸い込まれていく。

「じゃあさ、お前、もし月曜日に拾われてたら“ムーン”とか“マンデー”になってたのか?」
ガイウスがしれっとからかう口調で言うと、サタヌスは肩をすくめて淡々と答えた。
「ありえる。ボス、そういうとこ適当だったし。」
「……いや、お前の顔で“ムーン”は無理あるだろ。」
真顔で返すガイウスに、サタヌスはムッと眉を吊り上げる。
「悪かったなオイ!?これでもイケメンって言われてんだぞ、俺!」
「いや、イケメンだけど“ムーン”って顔じゃないって。せめて“マーズ”か“アレス”系だろ?」
ふっと笑うガイウスの横顔に、サタヌスもニヤリと口元を吊り上げた。
「そういうお前も、“ガイア”ってよりは“シェパード”だろ? このしょぼくれ顔。」
「返せ、俺の勇者ブランド……。」
ガイウスのぼやきに、遠くの屋根でスラムキッズの笑い声がこだまする。
二人の間には、皮肉と冗談が混じった空気が流れながらも――どこか自然と。
背中合わせで歩く連帯感が芽生え始めていた。

「ほら、上層エリアの眺めってやつを拝んどけ。勇者の特権だ。」
双眼鏡の先――きらびやかな音の洪水の中、ひときわ落ち着いた窓際席が見えた。
カリヨンの特等席。そこには、白銀の髪と褐色の肌を持つ女が、静かにワインを傾けている。

「金曜女、今日も窓際で飯減らねぇなぁ……あんだけ残して贅沢だよ。」
サタヌスが肩をすくめながらつぶやく。
ガイウスは黙ってその光景を見つめた。
「……けど、顔は全然楽しそうに見えねぇな。あんな高いとこの飯でもさ。」
女はただ、皿の端にナイフを置き、遠くの夜景をぼんやりと見つめていた。
煌めく世界の中で、彼女だけが浮かび上がって見える。
「裕福層でも“あれ”だ。金曜の女――って呼んでる。金曜日の窓際嬢って意味な。」
サタヌスの口調はいつも通り軽いが、その目は観察者のそれだった。
ガイウスはわずかに笑いながらも、視線を外さない。

「勝手に名付けんなよ……。でも、ちょっと気になるな。あの人、なんで一人でいるんだろ。」
「さあな。裕福層の悩みなんか知らねぇけど、ちょっと不思議だよな。
……まあ、今は金曜女の動向より飯だ飯。」
パイプの上に腰を下ろし、サタヌスは袋から乾いたパンを取り出してかじった。
その隣でガイウスも空を仰ぎ、大きく息をついた。
「はぁー……勇者の仕事、地味すぎだろ……。」
上層の灯と下層の闇。2つの世界を隔てるパイプの上で、吐息が重なった。

その頃、裏路地の奥。クロッカは独り、空き瓶を抱えて腰掛けていた。
陽が沈み、冷たい風がスラムの隙間を抜ける。
「おや……いつもサタヌス君の隣に居るのに、一人なんて珍しいですね」
ふいに、後ろから掛けられるやさしい声。
クロッカが振り返ると、そこにはいつも通り清潔な白衣を纏い。
にこやかな笑みを浮かべたオーディス牧師が立っていた。

「え、牧師……」
クロッカは本能的な不安に背中を震わせた。
だが、オーディスの声は変わらず柔らかい。
「ちょうど今日はみんなでお勉強会なのです。貴方も自分の名前を書けるようになりたいでしょう?」
「……やだ、今日は……」
クロッカは小さく首を振ったが、その意思は風の中にかき消される。
「さあ、みんな待っていますよ」
冷たい指先が、まるで慈愛をたたえる母親のように優しく。
しかし有無を言わせぬ強さでクロッカの手を取った。
クロッカは小さく首をすくめて、消え入りそうな声をこぼす。

「あ、いや……サル兄……たすけて……」
誰にも届かない小さな声。
空き瓶だけがカランと音を立てて、路地裏に転がった。

しばらくして、訓練を終えたサタヌスとガイウスが息を切らしながら屋根から降りてきた。
いつものように、スラムの弟分たちがわらわらと寄ってくる。
その中で、ひときわ顔色の悪い男の子がサタヌスに駆け寄った。
「兄貴……クロッカが、クロッカが……教会に連れていかれた!」
一瞬で空気が凍りついた。
サタヌスの顔から血の気が引き、唇を噛みしめる。
「クソが!!クロッカは11歳だぞっ……虐待されてたのから逃げてきて!
逃げた先でまた壊されるってのかよ!」
声が裏返り、怒りと恐怖が混じって喉を締めつける。
ガイウスはうつむき、低い声で呟いた。

「地獄から逃げたところで、地獄が形を変えるだけ……」
その言葉にサタヌスが目を見開く。
「覚えてたのかよ、あの言葉。今更ながら的確過ぎたな……」
二人の間に沈黙が落ちる。
ガイウスは拳を握りしめたまま、サタヌスの背中にそっと手を置いた。
「……取り返そう。今度は俺たちで。」
サタヌスがギリ、と奥歯を噛みしめて頷く。
泥まみれの屋根の上――今度こそ、誰も奪わせないと二人は駆け出した。

スラムの子供たちから情報を得て、サタヌスとガイウスは教会へと駆け込んだ。
内部は静まり返り、灯りの下にクロッカと他のキッズが無表情で並ばされている。
その前に立つのは、いつもの穏やかな微笑みを浮かべたオーディス牧師。
だが、その空気はどこか異質だった。
「おや、どうされました?そんなに慌てて……。ただお勉強会をしていただけですよ?仲良くね」
オーディスは微笑みながら、クロッカの肩に優しく手を置く。
クロッカはまるで魂が抜けたような無表情で、サタヌスを見つめていた。
「クロッカ……っ!おい、お前何した!!」
サタヌスが吠えるように叫び、ガイウスはすぐさま剣を抜く。
二人は一気に距離を詰め、オーディスに斬りかかった。

「くそっ……全然効かねぇ……!斬ったところがすぐ戻りやがる!」
ガイウスの剣がオーディスの体を両断する。
だが、切れ目は“ゼリー”のように瞬時に塞がり、何事もなかったかのように元通りになる。
「どりゃぁぁッ!!……って、またスカかよ!?
こいつ、物理全部吸収しやがる……!」
サタヌスの斧も、オーディスの身体に叩きつけられた瞬間。
何か柔らかな壁に吸い込まれるように消えてしまう。

「無駄ですよ。物理攻撃など……私には、通じませんので。」
オーディスはぬるりと身体の形を変えながら、全く動じる気配を見せない。
そのとき、ガイウスの視線が部屋の隅、古びた感電注意の配線に止まる。
オーディスの目が一瞬、そちらに向いて警戒する。
「……ッ、その、“痺れる”のは……嫌いです。」
その仕草に、ガイウスの表情がピンとひらめく。
「ビリビリが嫌い……?電気が怖いって――」
サタヌスと一瞬だけ目が合う。

「よし!あいつは雷に弱い!サターン!雷魔法使えるか!?」
「使えねぇよ!!!!お前が使えよそこはっ、勇者のくせにライデイン撃てねぇの!?」
「うるせぇ!!俺はドラクエの世界からきたわけじゃないんだぁ!!」
二人はがむしゃらに攻撃を繰り返すが、物理攻撃はすべて無効化される。
逆に、洗脳された子供たちが無表情のまま二人に迫ってくる。

「私の弱点に、気づきましたねッ…捕らえなさい。怪我させても構いませんよ」
子供たちがぞろぞろと手を伸ばし、無感情のまま包囲してくる。
サタヌスもガイウスも、一歩も引かずに歯を食いしばるが状況は絶望的だった。
「ちくしょう……っ!」
「……サターン、撤退だ!」
二人は悔しさに拳を震わせながら、教会を飛び出した。
冷たい夜風の中、遠くで教会の鐘が鳴り響いていた。

教会から命からがら逃げ出したガイウスとサタヌス。
だが背後からは、洗脳されたキッズ軍団が無表情でじわじわ追いかけてくる!
「パイプで行くぞ!!靴脱げ!!」
「お前、俺今日だけで何回靴脱がせんだよ!?3回目だぞ!?」
ガイウスがもたもたしていると。
サタヌスが容赦なくガイウスのブーツをガッと脱がせる。

「ちょ、お前!ブーツがぁ~……!」
「いいから走れワンコ!!」
「ワンコじゃねぇぇぇ!!!」
靴を片手に裸足でパイプを全力疾走する勇者の姿に。
追いすがるキッズも一瞬だけ「裸足で逃げてる…」とフリーズ。
ガイウスは否定しつつも、犬並みの反射神経でパイプを駆け上がる。
教会裏のスチームだらけの配管を、泥だらけの大型犬(勇者)が全力疾走。
追いすがるキッズたちの手から、ギリギリで身をかわす。

屋根に出るやいなや、サタヌスが指差す。
「次はゴミ山ダイブだ!」
ガイウス、絶句。
「ここに飛び込むとか正気かよ……」
サタヌスはニヤリとしながら。
「犬だけに鼻が曲がるってか?」
「やかましいわ!!」
二人まとめてゴミ山へダイブ!
異臭と埃にまみれても、命が惜しいので全力で転がる。
そのまま、路地のマンホールに向かってダッシュ。
サタヌスがマンホールの蓋を引っ張るが、鍵がかかっている!

「最終手段だ!くそ……鍵付きかよ、ハズレ引いたわ」
ガイウス、顔をしかめながら手を当てる。
「……こじ開ける。聖痕で超人になってんのがマジなら」
サタヌスがしみじみと呟く。
「見るからに怪力だもんな……」
ガイウスが渾身の力で蓋を引き剥がし、二人で下水道に滑り込む!
後ろから「兄貴ィィィ!!」「勇者ァァ!!」というキッズの絶叫が響き。
二人はゼエゼエと息を切らせながら暗闇を突っ走る。

「おいサターン、次どこだよ!」
「まずは親分のとこだ!情報集めて、雷使いを探す!」
「……マジで勇者PT、地味すぎじゃねぇか……」
下水道の闇に、情けないぼやきと、ふざけた突っ込みが響き渡った。