アルルカン編-4章・光の洪水 - 1/5

アルルカン、夜の下層――。
水煙とスチームが漂う路地裏。パイプの上でサタヌスが腕を組み、不機嫌そうにガイウスを見やった。
「上層はスリ行くときしか行かねぇんだが、仕方ねぇ」
サタヌスは手早く壁を駆け上がり、屋根の上に飛び乗った。
その背中を追いかけて、ガイウスも地面を蹴る。
「行くぜガイウス、屋根の上から行く」
「また屋根の上からか?」
夜風が二人の服を揺らす。上層エリアへと続く巨大な門を遠目に見下ろしながら。
サタヌスは唇の端をつり上げた。
「門番がいるなら、門そのものを通らなければいい」
躊躇なくパイプの上を走るサタヌス。
その動きは、まるで夜の動物――いや、“サル”そのものだ。

ノワール区の端、屋根の上でサタヌスが振り返る。
「ルミエールに行くには、真ん中の“エトワール”を経由していくんだ。屋根を飛んでいくぜ」
ガイウスは、朝焼けに溶けるような石畳を見下ろしながら問う。
「なぁ、エトワールってどういう意味なんだ? あとルミエールは?」
サタヌスは、いつになく饒舌に鼻を鳴らす。

「ノワールは黒、転じて“闇”。エトワールは“星”、で、ルミエールは“光”だ」
「この街の名付け親、たぶんめちゃくちゃ洒落てんだぜ?」
「闇があるから星が輝く。光が映える」
「……ま、俺らは下の下だけどな」
エトワール区――「星」を冠するこの街の玄関口。
石畳の広場には、冒険者たちが腰掛けて剣や鎧の手入れをしている。
商人が行き交い、露店の呼び声が朝の空気に響き渡る。
スラムとは比べものにならない活気。

最大の特徴は、星モチーフの多さ。
屋根の上、ランタンの飾り、酒場の看板、どこを見ても。
「星形」や「星空」をイメージした装飾がそこかしこにちりばめられている。
夜になれば、広場を囲む店の屋根から“紙星”や“ランタン星”が一斉に灯る。

この街の「闇」「星」「光」——全部が折り重なって。
初めて“アルルカン”が出来上がるのだと、ガイウスはぼんやり理解し始めていた。
下で見送るスラムキッズたちが、口々に叫ぶ。
「いってらっしゃい土曜サル~!」
「兄貴、捕まるなよ~!」
サタヌスが振り返り、怒鳴り返す。
「猿じゃねぇつってんだろぉ!!!」
ガイウスは思わず笑う。そのまま、二人は屋根から屋根へと夜のアルルカンを駆け抜けた。
ネオンの光が二人の影を路地に落とし、遠くでは舞台の幕開けを告げる鐘が鳴っていた。

高い壁を越え、二人はついに“別世界”に足を踏み入れる。
そこは――まさに、異文化の洪水だった。
上層エリア、煌めく劇場街。
馬車とランタン、香水の香り、シルクのドレスに身を包んだ人々のざわめき。
すれ違う人波、まぶしいほどのネオン。人の渦だった。
泥と汗とスラムの空気を纏ったまま、犬猿バディは場違いにも堂々と歩く。

数え切れないほどの明かりと、絶え間ない人の波。
鼻をつく香水と焼き菓子の匂い。耳元で飛び交う、知らない言葉。
ネオンの光が夜空を切り裂き、劇場街はきらびやかな幻のように輝いていた。
ガイウスは、その眩しさに一歩立ち止まった。
思えば――彼はずっと田舎の家で引きこもっていた。
人混みに飲まれた経験など、ほとんどない。
(……人が、多すぎる……!)
目の前をすれ違う誰もが派手な衣装に身を包み。
笑い声や、誰かの叫びや、舞台裏のざわめきが渦巻いている。
自分の存在が、波の中に溶けてしまいそうな感覚。

上層の劇場通りを歩くほどに、ガイウスの顔はどんどん疲労で曇っていった。
群衆のざわめき、ネオンの眩しさ、どこまでも続く人の波。
まるで世界のすべてが自分に押し寄せてくるような、圧倒的な息苦しさ。
サタヌスがわざとらしく肩をすくめて煽る。
「なぁ勇者様、王都行ったんだろ?こういうの慣れてんじゃねぇの?」
ガイウスは心底ぐったりした顔で反論した。
「ラピアはこんなに騒がしくなかった……」
思い返せば、王都ラピアは石畳の街並みに、霧の朝、喧騒もどこか抑えめで。
歩く人々は黙々とマフラーを巻き、紅茶の香りとともに静かに暮らしていた。

「英国紳士の都ってよく言うよなぁ~」
サタヌスはどこか馬鹿にした口調で続ける。
「お貴族様が言ってたぜ、このソラル大陸でラピアほど優雅な都はありませんわ、ってさ」
ソラル(=太陽)の名を持つこの世界で。
ルミエール区は「最も太陽に近い街」を自称している。
建物の装飾も、サインも、太陽と月のモチーフだらけ。
夜を否定するかのように、光に満ちた“洪水都市”だ。

「貴族どもは大げさだからな。
アルルカンで心から洒落てるやつは、この街を設計した建築家だけだぜ」
アルルカンを三層構造にするのは、最初から決まっていた。
でも「彼」はただの三階層で終わらせなかった。
「闇と煌めく星があることで、光は初めて輝く」
そう考え、“ノワール(闇)”の下層、“エトワール(星)”の中層。
そして“ルミエール(光)”の上層が、ひとつの大きな舞台になるよう。
街そのものを“演出”として組み上げたのだ。

下層の闇が深いからこそ、中層に星がまたたき。
そして上層の光が圧倒的な輝きを放つ。
住人たちは「自分こそ太陽に一番近い」と胸を張るが。
本当にこの街で一番洒落ていたのは。
“舞台装置として三層都市を創った”建築家だけなのかもしれない。

上層の石畳を歩いていると、ふいに人混みがざわめき始めた。
カジノの前、煌びやかなネオンとシャンデリアの下。
どこからともなくセレブなご婦人方と劇場スタッフたちが群がってくる。
「まあ、あのコート……見て、王国の紋章よ!」
「アルキード王国のプリンス様がこんな所に!?キャーッ!」
ガイウスは、目を丸くして後ずさった。
人の輪がみるみる縮まり、あっという間に視線の中心へ押し上げられる。

「え、いやちゃいます。俺田舎者っす……勇者になる前、ずっと引きこもってました……」
無意識にヘタレ全開の声が漏れる。
サタヌスは横から小声でつつく。
「お前、その勇者服のせいだろ。脱げよ、目立つから」
「脱げるか!!!恥知らずかお前は!」
わざとらしいお世辞と、好奇の目。

「まあ、ワイルドな一面もお持ちなのね!素敵!」
スタッフまでもが、興奮気味にガイウスの肩に手を添える。
「プリンス様、今夜の舞踏会にぜひ……!」
ガイウスは内心絶叫していた。

(何故、俺はアルキード王国のプリンスって思われてるんだ……!?)
サタヌスが悪びれもなく茶々を入れる。
「観光ガイドにも“アルキード王子が来るといいね!”って載ってんの見たことあるぜ?」
その間にも、「王子様!写真を!」とカメラを向けられ。
サタヌスはちゃっかり「王子の付き人」枠で後ろに収まり。
満面の笑みを浮かべている。
「……地元帰りてぇ……」

人混みのど真ん中、ガイウスはうんざり顔でぼやく。
「この勇者服はな、あのオッサン(国王)が勝手に渡したもんなんだよ!
趣味じゃないの、わかる!?カッコよくなんてないからな!?」
その必死の訴えも、セレブたちの黄色い声や市民の好奇の視線にかき消される。
上層の貴族やセレブたちは、普段、宝石や刺繍、きらびやかな軍服を。
“威厳”の象徴として着飾るのが当たり前だった。
だが、ガイウスの“勇者服”は装飾も階級章もなく、どこまでもシンプル。
その“質実剛健”なデザインは。
――むしろ“本物”を知る者にだけ響く、別格のカッコよさを放っていた。

(なんだこのオーラ……普通のコートなのに、王子より王子……)
貴族たちは思わず息を呑み。
「流行に左右されない、伝説の騎士の姿だわ」
「シンプルすぎて逆に新しい!」
と、カルチャーショックを受けてざわめき始める。
ガイウス自身は「地味すぎて目立たねぇ服」と本気で思っているのだが。
“本物の勇者”の佇まいは、上層社会にとって“革新”そのものだった。
サタヌスはニヤリと悪戯っぽく笑う。
「王子オーラ隠しきれてねぇぞ、やっぱり脱げ」
ガイウスは涙目で吠え返す。

「理不尽だよ!?理不尽だよこの人!!服のせいで人生狂わされてる!!」
背後では市民や上層の子供たちが大はしゃぎ。
完全にお祭り騒ぎ。
「つーかその服、どこの仕立て屋だよ?やたら頑丈そうだし」
「……知らねぇ?“女神の祝福受けた鎧”より、この服のが壊れねぇって話だぞ」
サタヌスは「はぁ?」という顔で首をひねる。
「マジかよ……勇者より服の方が無敵じゃん。
“脱げ”って言っても脱げない理由そこにあったか」
人混みの輪の中、ガイウスは観念したようにぼそっと呟く。

「……だったらせめて、王子服じゃなく“戦闘服”って広めてくれよ……!」
サタヌスは肩をすくめて一言。
「上層の連中には無理だろ、派手なら全部プリンス枠だ」
その瞬間、どこからともなく市民の声が飛ぶ。
「王子様~!プリンスポーズお願い!」
(……こんな勇者像、聞いてねぇよ……)
ガイウスは心の中で絶望の呻きをあげながら。
プリンスポーズとやらを求められ、勇者人生の最大の危機を迎えるのだった。

人混みからどうにか逃れ、サタヌスと共にネオン街をうろつくガイウス。
舞台裏の噂話や酒場のざわめきを聞き流しながら、意を決して声を張り上げた。
「なぁ。ヴィヌスって女いる!?探してるんだよ!」
ちょうど近くを歩いていた上流貴族の女性たちが、ちらりとこちらを見る。
「あら。ヴィヌス?あのアルルカンシアターで、いつも苛めっこを演じている女ですわね」
「婚約破棄される令嬢……昨日も、おとといも、その役でしたわ。最早婚約破棄と言えばあの娘」

「この時間は、カリヨンの窓際で黄昏ているはずよ。
舞台帰りに、あそこでいつもひとりで食事をしているわ。まあ、少し浮いているけれど」
貴族たちは噂話を楽しむように微笑み合い、
ガイウスの方をちらりとも見ずに、また夜の社交界へと消えていった。
ガイウスは「苛めっこ」「婚約破棄」のワードに困惑しつつ。
サタヌスに小声で確認する。

「……カリヨンって、例の高級レストランだよな?」
「だな。下層じゃ“憧れの贅沢”ってやつだ。俺らが入ったら絶対目立つけど。
まあ、行くしかねぇだろ」
覚悟を決め、二人はカリヨンへと足を向ける。
“屈辱のプリン地獄”が再び待っているとも知らず。