アルルカン編-4章・光の洪水 - 3/5

アルルカン上層、夜のネオン街。
きらびやかな劇場の明かりと、カジノの電子音。
まるで夢の中のような雑踏の波。
ガイウスとサタヌスは、人の群れに揉まれながら進んでいた。

不意に、群衆の流れが静かに割れる。
ふと振り返ると、そこにいたのは病的なほど白い肌、銀の髪、闇に映える赤い瞳。
黒の礼装に身を包んだ“耽美”という言葉そのものの美貌。
男性だ、おそらく。そう推察したのは恋人らしき女が寄り添っているからだ。
人混みの流れが止まった一瞬――ガイウスとそれの目が、真正面からぶつかる。
得体の知れない威圧感、背筋を這うような悪寒。
ガイウスは自分でも理由がわからないまま、思わず眉をひそめた。
彼が、静かに唇を動かす。

「……私に何か?」
その声は低く、どこか冷たい。
周囲のざわめきも一瞬遠くなる。
ガイウスは――本来なら絶対口にしない、無防備な言葉を返してしまった。
「いや、なんか……あんた、気に入らない」
虹色の瞳が真っ直ぐ、その紅い瞳を睨み返す。
美しい顔立ちの奥に、どす黒い何かを見た気がした。
ルナは表情ひとつ崩さず、目だけがわずかに揺れる。

「睨まれる筋合いは無い。……不愉快だ」
その隣で、恋人が腕にしがみつく。
「どうしたの?シアターの予約が……」
静かに微笑んだまま、ルナが恋人の手を優雅に取る。
だが次の瞬間、その手元から黒い脈動が全身に駆け巡り。
恋人の体が、ぐにゃり、と常識を逸した形に歪み始めた。
血管が浮き、皮膚が灰色に変質し、眼球が赤く濁り、口が裂け、鋭い牙が現れる。
高級なドレスも、爪で引き裂かれて粉々になる。

「いやッ、いやぁあああ――っ!!」
周囲の貴族や紳士たちが、凍りついたようにその光景を見つめる。
すぐさま誰かが絶叫した。
「ルナ・エクリプス!!アルルカンにも現れるなんてっ!」
「エクソシストを呼んでェ!今すぐ!!」
名が響いた瞬間、ざわめきは一気にパニックに変わる。
誰もが逃げ惑い、ネオンの光が悪夢のように歪む。

ガイウスは、変わり果てた“恋人”を前に、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
「ッ……ルナ……あいつの、名前……!」
心の中でその名を反芻する。
恐怖と怒り――そして、はじめて自分が“本物の敵”と出会ったという確信が。
腹の底から燃え上がるのだった。

魔族に変わり果てた恋人が、周囲の人間に襲いかかろうとした、その時。
ガイウスが真っ先に飛び出して、彼女の腕をがっちりと抑え込んだ。
「やめろ!!誰も殺させたくないんだ!!」
必死に押さえるガイウスの背後から、サタヌスも加勢する。
「邪魔すんじゃねぇ!こいつは!!……さっきまで人だったんだぞ!」
魔族の力に押され、足元が滑りそうになりながらも。
二人は全力で“彼女”を人混みから遠ざけようとする。

周囲で貴族たちが悲鳴を上げ、エクソシスト装束の人物たちが駆けつける。
その中の一人が、驚きと興味深さの入り混じった表情で二人を見つめる。
「魔族に堕ちた人間は、二度と戻らぬというのに……」
彼女――エクソシストの女性は、静かな声で続けた。
「……まだ『人』という言葉を使ってくださるのですね。
そして、本気で助けようとしている……」
“勇者”と呼ばれる存在。
これまで見てきた歴代の誰とも違う。
ただ魔物を斬るのではなく、“人間”を。
たとえどんな姿になっても、見捨てることを選ばない。
ガイウスは必死に、もう一度叫んだ。

「おい!まだ……まだ、間に合うはずだろ!お前は人間だ!」
涙ぐむような、どこか希望を見る瞳で。
勇者たちの“人間らしさ”を見つめていた。

人混みの中、エクソシスト装束の女性。
どこか気品と静謐さをまとった人物が、ゆっくりとガイウスたちに近づく。
「勇者様。彼女は、我々にお任せください――」
リーダー格の男が手早く指示を飛ばし。
手馴れた動きで複数のエクソシストたちが彼女を拘束していく。
決して乱暴ではないが、慣れすぎている動作に、場の緊張がさらに高まる。
サタヌスが怒りと不安の混じった声で問いかける。

「そいつ……殺しちまうのか?」
エクソシストは、静かに首を振る。
「今までであれば、そうしていたと思います」
そして、ガイウスとサタヌスの手の甲に浮かぶ“聖痕”を見つめながら。
わずかに微笑みを浮かべた。
「……しかし、勇者様方の“聖痕”の力が“本物”であるかどうか。
この身で賭けてみたくなりました」
周囲のエクソシストたちも一瞬だけ動きを止め。
勇者たちの選択と覚悟に、ただならぬ眼差しを向ける。

パニックに包まれたネオン街の片隅。
魔族に変わった彼女は、エクソシストたちの手で厳重に隔離されていく。
その目にはまだ人間だった頃の名残があり、涙が一筋、こぼれていた。
エクソシストの女性がガイウスたちに向き直り、静かに会釈する。
「改めて……わたくしは白蓮(バイリェン)、ミヤコとも申します。
ここアルルカンで、祓魔を行う者たちの“まとめ役”を務めております」

サタヌスは一歩引き気味に。
「まとめ? ……あんた、見た目は若いぜ?」と首をかしげる。
白蓮は数珠をそっと手のひらに収め、わずかに微笑んだ。
「……見た目は便利なものです。
フーロンの血は、どうやら“若く見える”効果があるようで」
「俺はガイウス、で、こっちはサタヌス。まあ……助かったよ」と頭を下げた。

「彼女は“処分”ではなく、“人間に戻す”ために保護します」
ガイウスとサタヌスは、エクソシストたちに囲まれ。
銀の注射器を差し出された。
「治療のカギとなる“聖痕”の力――少しだけ血をいただきます」
サタヌスは気まずそうに肩をすくめる。
「大丈夫か?俺スラム暮らしだぞ、衛生観念お察しだぞ」
ガイウスも、手の甲を見つめながらぼやく。
「俺も今日……下水道入ったりしたけど」
白蓮はくすっと小さく微笑む。
「大丈夫です。カギは“聖痕”ですから」
彼女の手が優しくガイウスの手の甲に触れる。
聖痕の紋が淡く光るたび、周囲の空気がほんの少しだけ柔らかくなる。

「魔王が唯一恐れるもの……直ぐに戻せないかもしれませんが」
「諦めません、貴方がたがそうしたように」
ガイウスとサタヌスは、どこか誇らしく、そして責任の重さを感じながら。
静かに頷くのだった。

治療の儀式も落ち着き、夜の風がひんやりと通り抜ける頃。
ガイウスがふと、エクソシストたちに切り出した。
「なぁ……ダークエルフが上層にいるって聞いたんだ、ヴィヌスって女だ。
俺たち、そのヴィヌスに会いたいんだよ」
白蓮が優しい微笑みで答える。
「この時間は……おそらく帰宅中でしょう。アルルには行きましたか?」
サタヌスがキョトンと首をかしげる。
「アルルぅ?」
今度は、壮年のエクソシストが苦笑いしながら加わる。

「知らねぇ奴も多いんだ、所謂ベッドタウンてやつでな。観光客は迷うだけだ。
看板もねぇし、道も紛らわしい。地図描いてやっから入り口は自分らで探しな」
そう言って、男は素早くメモ帳を取り出し。
手慣れた筆致で迷路のような小路や踏切の位置。
「普通は絶対通らない路地」の目印まで描き込んでいく。

「観光客が間違って入らねぇように、わざと看板消してる道も多い。
上層の裏口からじゃ絶対に辿り着けねぇぞ」
サタヌスはその地図を覗き込み、目を丸くする。
エクソシストの壮年男が、指でなぞりながら説明を始めた。

「まずな、ノワール区からカリヨン横の大時計台を左に曲がれ。
そこから“ピエロ通り”に入って、赤い傘屋の前を3回素通りする。
次に、路地裏にある“犬の像”――耳が折れてるやつな――を右。
で、そこから“水車小屋”の煙突が見えたら逆方向に行け。
そうすると五叉路があるが、2番目に細い道へ入る。
途中で“星の看板”が見えるけど無視しろ、無視しないと観光地エリアに戻されるからな。」

「そっから“白い石畳”が出てきたら、右手に“カラスの壁画”がある路地を目印にし。
三歩進んだら二歩下がれ。――そこに“黒猫の落書き”がある。
そっちへ入ると地下通路になっていてな」
「道なりに進むと“クルミ割り人形”の落とし物があるんだ。
それを拾って元の場所に戻ると、なぜか“アルルの入り口”が開いてる。
……まあ、説明されても分かんねぇだろ」
サタヌスは口を開けてポカンとし、ガイウスは頭を抱えた。
「説明されてもわかんねぇよ!!」
予想通りの反応に、エクソシストは苦笑し。
「地元民しか通れねぇ裏道だ、分かったら一人前だぞ」と肩を叩いた。

「……これ、スラムよりややこしくねぇか?」
ガイウスは「サターン、迷うなよ……」と念を押しつつ。
新たな目的地――衛星都市アルルへの道を、脳裏に焼き付けるのだった。

夜のアルルカン上層、街灯の下でエクソシストにもらった手描き地図を握り。
ガイウスとサタヌスがじーっと睨んでいる。
「え。こっちがピエロ通りだよな?」
ガイウスが不安そうに首を傾げる。
「いや、あっちのほうがピエロっぽいぞ? ほら看板に赤い鼻が……」
サタヌスが指差した先には、確かにピエロの顔――と思ったら。
よく見れば「カジノのおっさん」の巨大広告。
「違ぇよ!ぜってぇ違うだろコレ!!」
ガイウスは地図と景色を何度も見比べて頭を抱える。

「で、赤い傘屋って……1回目、2回目、3回目、どっちのが素通り扱いだ?」
「さあ?同じ店が2つあるぞ?こっちは“赤傘屋”、あっちは“赤い傘屋本舗”だ」
「どっちも微妙に違うのやめろや!!」
二人で路地に突っ込んでは引き返し、犬の像を探しては「耳が折れてるやつって右?左?」と大揉め。
「カラスの壁画って、こっちか?いや、カラスっぽいけど、ただの焼き鳥屋の看板……」
「三歩進んだら二歩下がるって、意味わかんねぇよ……。踊るのか?」
「クルミ割り人形の落とし物?落ちてねぇぞ!?……てか、さっきからゴミしか拾えてねぇ!」
最後には二人して、完全に迷子状態。

「……説明されてもわかんねぇよ!!!」
「アルルの住民すげぇな……観光客に厳しすぎだろこの街!!」
夜のベッドタウンの入り口は、相変わらず静かに。
でもちょっとだけ“本当の仲間”を迎える準備をしている気がした。

何度も路地をぐるぐる回り、同じ看板を何度も見直し。
ガイウスとサタヌスはとうとう息も絶え絶え。
「こんだけ迷わせて、割高だったら今度こそプロレス技決めるからな!?」
ガイウスの不満顔に、サタヌスは半笑いで返す。

「お前、引きこもりじゃなかったかよ」
「これでもトレーニングと素振りだけは忘れてなかったんだよ」
ガイウスは確かに「勇者に選ばれる前は引きこもりだった」と言うが。
誰が見ても、その体つきは「どう見ても戦士」のそれだった。
窓の外で一人黙々と素振りし、自室で腕立て伏せ・スクワット・ランニングを欠かさず。
「引きこもり」のはずなのに、肩幅も、脚も戦士級のゴツさ。
サタヌスも思わず呟く。
「……引きこもりの体じゃねぇだろ。スラムのガキより健康そうだぞ?」
ガイウスは半ば照れくさそうに肩をすくめる。
「暇だったからな……。体動かさねぇと落ち着かねぇっていうか……」
「健康的な引きこもり勇者」
それが、後の都市伝説として語られることになる。

「聖痕出る前からフィジカルモンスターじゃねぇか……あ?」
ちょうどそのとき、二人の前の細道が不意にひらけた。
そこに広がっていたのは、上層のネオンと喧騒から一転した、穏やかな住宅街。
静かな川の向こうに、観覧車と尖塔が浮かぶ幻想的な街の灯り。
古びた石畳に、柔らかな明かりが灯る家々。
派手さも、華やかさもなく、だけどどこか懐かしい温かさに満ちていた。
ガイウスは肩の力を抜いて、息をつく。
「……たどりついた……」
サタヌスも、久しぶりの静かな夜に微笑んだ。