アルルカン編-4章・光の洪水 - 4/5

アルルの町は、アルルカン上層の喧騒とはまるで別世界だった。
夜の住宅街は灯りも柔らかく、遠くで川がせせらぎ。
石畳を踏みしめる音だけが静かに響いている。
初めてこの場所を訪れたガイウスとサタヌスは。
あまりの物静かさに気圧され、思わず足音を潜めてしまう。
(……こんな静かな町で、俺たちが大声で誰か探していいんだろうか)
ガイウスは少し気おくれしながらも、勇気を出して住人に声をかける。

「すみません……ヴィヌス・ル・カンシェルという女性を探しているんですが」
そのとき、ふいに背後から凛とした声が響いた。
「私に何の用?」
振り返ると、そこには――劇場の窓越しに“金曜女”として見ていた時とは。
まるで印象の違う、堂々とした空気をまとった女性が立っていた。
白銀の髪、褐色の肌、夜の街灯に浮かぶ強いまなざし。
まさしく親分が言っていた通りの、唯一無二の存在感。
ガイウスは思わず息を呑む。

「すげぇ、ほんとだ……髪は白いのに、肌が黒い」
サタヌスも、どこか素直な声音で感心する。
「確かに。このインパクトにゃどんな宝石もかすんじまうよ」
ヴィヌスは少し微笑み、荷物を持ち直す。
「ちょうどリハーサルが終わったとこなのよ。
勇者様にお見せする劇だとか、団長が張り切ってね」
ガイウスが興味津々で尋ねる。
「どんな劇なんだ?」
ヴィヌスは肩をすくめ、少し皮肉っぽく笑う。
「私の役?――公爵様に溺愛される主人公……の、妹よ」

「貴方も一度は見たことあるでしょ?
――主人公を見下す“意地悪な家族”ってやつ」
静かな街の中、彼女の声はどこか強がりと、ほんの少しだけ寂しさを帯びて響いた。
ヴィヌスは、ふっと溜息をつきながら語る。
「舞台じゃ毎回、妹が主人公の婚約者に横恋慕して。
最後は婚約破棄されるとか、家を追い出されるとか……。
そんな役ばかり。最近じゃ、私が出てくるだけで客が『あ、また妹ポジね』って笑うのよ」
その言葉には、寂しさと悔しさがほんの少しだけ混じっていた。
だがヴィヌスは、すぐに背筋を伸ばして、凛とした目で前を向く。

「――でも、私は諦めてないわ。
脇役でも、悪役でも、本当に“主役”を食うのは、舞台の上で一番綺麗に生きた人間だもの」
彼女は一息つき、わざと哀愁たっぷりの声でおどけてみせる。
「どうせ私は……婚約破棄される妹。
ああ、人間不信のイケメンに溺愛される未来、来ないかしら……」
その様子にサタヌスが呆れた顔で返す。
「お前、毎回そんな役やってよく病まねぇな」
ヴィヌスは間髪入れずツッコミを入れる。
「なにそのメタ発言!?今度はあんたが溺愛役やりなさいよ!」
サタヌスは棒読みで視線を逸らしながら返す。
「……別に、お前のこと嫌いじゃねーけど?」
ガイウスが思わず苦笑して突っ込む。
「いや照れるの下手すぎだろお前!」
静かな夜のアルルの町で、三人の会話がほんのり暖かく、にぎやかに響く。
誰かの“家族”や“仲間”を思い出すような、癒しと始まりの予感が、そこにあった。

ガイウスは、アルルの静かな石畳に立ち止まったまま。
少しだけ声をひそめて切り出した。
「なぁヴィヌス、オーディスって奴が――」
その言葉をさえぎるように、二人の腹がグゥゥゥ……と情けない音を立てた。
昼からずっと歩きっぱなし、カリヨンで親指サイズのプリンしか口にしていない。
サタヌスは腹を押さえ、力なくぼやく。
「……マジで限界だ……」
ヴィヌスは一瞬だけ呆れた顔で二人を見つめ。
「私はさっきハンバーグ食べてきたけど……」と微笑む。
「ま、いいわ男衆。ついてきなさい、アルルで唯一まともに食事できる店に連れてくわ」
サタヌスが疑い深く聞き返す。

「どうせたけぇんだろ?2000ソルとかすんだろ?」
ヴィヌスは肩をすくめ、夜風にさらりと髪を流す。
ヴィヌスは少し笑って肩をすくめる。
「……あんな店、観光客しか行かないよ」
その一言で、ガイウスもサタヌスも一気に親近感がわいた。
煌びやかなネオンの世界の裏で。
本当に“日々の暮らし”を大切にする人たちがいる。
その空気を、自然に感じ取ることができた。
ヴィヌスが案内するまま、三人は住宅街の細い道を歩いていく。
窓の奥からはパンを焼く匂いと、家庭の夜の温もりが溢れていた。

ヴィヌスは、上層のきらびやかなレストランや観光客向けの豪華な料理について。
どこか達観したように語る。
「上層の値段は観光向けよ。今から行く店は違うわ。
ていうか、地元民は上層じゃ滅多に食事しないからね。高いし量は少ないし」
その口ぶりには、“表”と“裏”の境界線を何度も歩いてきた人間だけが持つ。
静かな現実感がにじんでいた。

「観光客は『非日常』を買いに来る。
でも、日常の“ごはん”は、地元の静かな店で、いつも通りの顔ぶれと食べるものよ」
ガイウスは、現実的すぎるその言葉に思わず漏らす。
「……リアル……」
夜風の中、三人は町のオアシス――la pause(ラ・ポーズ)へと歩き出した。
暖かな灯りと、香ばしい匂いが、すぐそこに待っている。

la pause(ラ・ポーズ)は、アルルに住む誰もが“家族”のように集まるオアシスだった。
大きなガラス窓の向こうに、川沿いの町並みと観覧車の明かり。
看板に書かれた「7割引」という控えめな文字。
それがこの街の優しさの証だ。
カウンターには、劇団帰りの学生や制服姿の子どもたち。
アルルカンの上層では見かけないような庶民や役者志望の若者たちが並んでいる。
ヴィヌスはカウンター奥の壁に近づいて。
「ただのレストランじゃないのよ。ここ」と声を落とす。

指先で「Merci à tous, j’ai décroché un poste à Derin-Gal !」
という寄せ書き文字をなぞり、ニヤリと笑う。
「見なさい。ジェーニャ・スワロフスキーのサインよ」
声にちょっとだけ誇らしさが滲む。

サタヌスが一気に食いつく。
「ジェーニャ!?……あのジェーニャかよ!」
ガイウスも感心しきりで「えっ、すげぇの?」
サタヌスは勢いそのままに答える。
「そりゃすげぇよ、ジェーニャが出るってだけでチケット争奪戦だぞ。
昔は地元の劇団でバイトしながら、ここでメシ食ってたって噂だぜ」
ヴィヌスは肩をすくめて微笑む。
「“スター”になる人は、最初はどこにだっているのよ」
ほんの一瞬、三人とも“夢の続き”を信じた子供の頃の気持ちを思い出す。

「ここならプリン以外も食えるわよ、男衆」
ヴィヌスが誇らしげに笑うと、サタヌスが苦笑い。
「やっぱ皆……アレたけぇって思ってるんだな」
ガイウスもメニューをめくりながら頷いた。
「結局どこも、安くて量の多い飯屋が愛されるのさ……」
メニュー表は仏語混じり。
初めて来たときはチンプンカンプンだったが。
今日は三人とも、読み仮名やイラストに頼りながらなんとか注文できる。

「ラタトゥイユってなんだ?」
ガイウスが首をひねると、ヴィヌスが自信たっぷりに答える。
「この時期に一番おいしいやつね、夏野菜の煮込み。トマトとズッキーニが最高なのよ」
サタヌスも、にやりとメニューを指さす。
「じゃ俺このオニオングラタンスープにする、グラタンなのかスープなのか確かめてェ」

ラ・ポーズのカウンター席。
ヴィヌスは舞台帰りの解放感をそのままに。
「今日は自分にご褒美♡」とムース・オ・ショコラのセットを注文した。
甘いムースをひと匙、カフェオレで流し込む。
「舞台帰りは甘いもので一息、これが一番なのよ」
その様子を見て、近くの常連たちがくすくす囁く。
「金曜女の甘党は有名だからね」
「毎週デザートの新作食べてるの、見かけるもの」
ヴィヌスは気にする様子もなく、幸せそうに微笑んでいた。

サタヌスは大ぶりのマグカップを両手で抱え。
熱々のオニオングラタンスープをフーフーしながら飲んでいる。
「こんな贅沢、昔は絶対できなかったな……」
スラム時代は“味より量”だった彼が。
今ではこのスープのコクやとろけるチーズの香ばしさに、心から感動している。
「……二杯目いいっすか」
すぐに店主が新しいマグを笑顔で差し出す。
「遠慮はいらないよ。よく食べる子は好きさ」

ガイウスはラタトゥイユの湯気をじっと見つめていた。
トマト、ズッキーニ、なす……それぞれの素材の味がじんわり染みてくる。
「懐かしいな……ディノスでもトマトいっぱい作ってた」
いつの間にか笑顔になっていて。
パンにたっぷりラタトゥイユをのせて、ゆっくり噛み締める。
カウンター越しに店主が声をかけてくれる。

「今日はにぎやかだね。うちのラタトゥイユ、どうだい?」
ガイウスは少し照れくさそうに、でも素直に答える。
「うん、トマトが故郷の味に近い……ありがとな」
ヴィヌスがすかさずからかう。
「ガイウス、顔が“犬が好物見つけた時”の顔になってるわよ♡」
サタヌスも笑って言う。
「スラム飯しか知らねぇ番長が、スープにハマる日が来るとはな……」
みんなで顔を見合わせ、思わず吹き出す。
温かい料理と、静かな夜と、ぬくもりがテーブルに満ちていた。

ガイウス、サタヌス、ヴィヌスの三人が座り。
店主が奥で“熱々のポンチキ”を揚げている。
「なぁ……もうすぐ揚がるポンチキってなんだ?」
ガイウスが素朴な顔で尋ねる。
ヴィヌスはほんのり誇らしげな微笑みを浮かべて説明する。

「簡単に言えばオーゼのドーナツよ。ドーナツは見たことあるでしょ、あなた達も」
「……あるよ。輪っかのやつだろ?」
ガイウスは遠い目で思い出す。
「雪国のドーナツだろ?吹雪いて出られねぇから、甘味で気紛らすてやつか」
サタヌスはちょいドヤ顔で補足する。
「そう、それ。寒い夜に“家族で丸くなって”食べるのが一番美味しいの」
ヴィヌスは少しだけ胸を張る。
そして、カゴいっぱいに並ぶ丸いポンチキを見て、サタヌスが顔をしかめた。

「……ちょっと待て、これドーナツって言ったけど、輪っかじゃないんだが!?」
「お前、“ドーナツ=輪”って認識なんか!?」
ガイウスが即ツッコミを入れる。
「だって普通ドーナツっつったら輪っかだろ!?これ…丸じゃん!」
ヴィヌスは苦笑しつつも、どこか自信たっぷりに言い返す。

「“穴が開いてない”方が、本物なのよ。オーゼのドーナツはみんな丸いの。
輪にこだわるのは地上の人くらいね。」
「世界は広いな……」
ガイウスはしみじみ呟き。
「いや納得いかねぇ!!ドーナツってなんなんだよ!!」
サタヌスは最後まで首を傾げる。
「いいから食べなさい。どうせ砂糖でベタベタになるんだから」
三人は熱々のポンチキをふーふーと冷まし。
頬張った瞬間、粉砂糖が鼻について、サタヌスの顔が真っ白になる。
ヴィヌスがクスッと笑い、ガイウスもつられて笑顔になる。

「甘ぇな、これ……悪くねぇ」
サタヌスが照れくさそうに呟き。
「うん、なんか、こう……“家族の味”って感じする」
ガイウスも遠くを見つめてそう言った。
ヴィヌスは静かに微笑む。
「……たまには“そういう夜”も悪くないでしょ」
温かいドーナツと、心地よい笑い声が、アルルの静かな夜に溶けていく。
いつの間にか三人の距離も、そっと近づいていた。