アンスロポス連合編-星の家 - 2/5

ニア・アンスロポスの大聖堂に辿り着く頃には、もう日が傾き始めていた。
ガイウスは肩で息をし、ヴィヌスも少し疲れたのか汗だくだ。
2人とも勇者である前に人間だ、超人だって疲労はする。
さしずめ「マラソンを終えたランナー」の様な有様だ。

「ぜーぜー……流石に疲れた。おいメルクリ、教皇様への謁見は任せたぜ」
「私もぉ……ここで休んでる」
「……わかった。そこで休んでいたまえ」
2人を残し、メルクリウスは一足先に大聖堂へと足を踏み入れる。
教皇庁は今日も今日とて忙しない、しかし今日は特に慌ただしいようだ。

「メルクリウス神官!リプカにいらっしゃる筈では?」
「聖女シャルロッテ様の護衛を務めた。教皇猊下に報告を」
「はっ!」
メルクリウスはそう告げると、大聖堂の奥へと進んでいく。
久しぶりの教皇庁、半分は聖女の護衛を終えた事の報告。
もう1つはリプカを蝕む闇ギルドを「審問」にかけたことの報告。
どちらも聖教にとっては喜ばしい内容、しかしメルクリウスの顔は曇っていた。

彼はいち神官、聖教内における地位はさほど高くない。
故に彼が報告すべき相手は教皇本人でなく、代理者である「大神官」となる。
そして問題はその「大神官」であり。
(ヘルメス・フォン・ゾルクォーデ……)
メルクリウスは大神官の私室へと足を運ぶ。
教皇猊下が静養中の今、実質的にこの大聖堂を仕切っているのは。
大神官ヘルメス・フォン・ゾルクォーデである。
同時に彼はメルクリウスの実父であり、同時に最も顔を見たくない相手であった。

「失礼します。大神官様」
「メルクリウス……聖女護衛の任、ご苦労だったな」
ヘルメスはそう労うと、息子に席へ着くように促す。
しかしメルクリウスは座らず立ったままだ、その目は父を直視できないでいる。
「リプカの件ですが……審問の結果『黒』でした」
「……そうか。私がすべきことは?」
「第五師団を現地へ派遣し。残党狩りと違法ポーションの撲滅……いわば『溝さらい』を」
「わかった、手配しよう」
大神官はそう頷くと、メルクリウスに退室するように促す。
しかし彼は動かない。

「どうした?まだ何かあるのか?」
「……ニコルは元気ですか?」
「ああ聡明な子だぞ。いつまでも反抗期が抜けんお前と大違いだ」
「そうですか……では失礼します」
メルクリウスは一礼すると、そのまま退室する。
ニコル-メルクリウスの腹違いの弟にして、ゾルクォーデ家正統な後継者。
兄弟の対面は今まで出会う度それとなく提案してきたが、何れも通った試しがない。
出会ってはならぬのだ、長男が妾の子と言う受け入れがたき真実をあの聡明な少年に知らせぬよう。

「また髪が伸びたな。アンスロポスで長髪は未熟の証と知っているなメルクリウス」
「……お前はどんな気持ちで僕が髪を結っているか、わかりもしないだろう」
「……」
「母さんの葬式に顔すら見せなかったお前と、今更親子面して何を話せというんだ?」
ヘルメスは息子の言葉に何も返さない。
メルクリウスの母-ヘルメスの浮気相手である女魔導士は、不貞行為がバレた夜。
正妻にしてニコルの母であるゾルクォーデ婦人から暴行を受けた。
その傷と産後鬱が重なり、メルクリウスを産んで間もなくこの世を去った。
当然ヘルメスは葬儀になど来なかった、メルクリウスが棺に縋り付き泣き喚いている時ですらだ。
否、そもそもこの世にすらいなかったのかもしれない。

「……私は大神官だ。聖女の慰問も審問も私の仕事だ、お前が口を出すことではない」
「……失礼します」
メルクリウスはそう吐き捨てると、今度こそ部屋を後にする。
残された大神官は一人「やれやれ」とモノクルを直す。
本人たちは認めまいが、その仕草は親子そっくりだった。

—–教皇庁・離宮

教皇庁の裏側にある、表側より少しだけ小さい建物。
そこが離宮-聖女と言う白百合を育てるために建てられた施設である。
その廊下を勇者たちはシャルロッテとの別れを惜しむように並んで歩いていた。

「申し訳ありませんね。こんなところまで護衛していただいて」
「こういう時は『ありがとう』でいいの、聖女様」
「え、でも……」
「『ごめんなさい』が適切じゃない時もあんだよ。なあヴィヌス?」
「ええそうね、別にあんたのこと責めたりしないわよ」
「でも……」
シャルロッテはそう口ごもり、そしてガイウスを見上げる。
不思議な瞳をされている、万華鏡のように目が合う度色が変わる。
その瞳は万物を吸い込む様な、それでいて全てを見透かすような不思議な光を湛えている。

「それに多分アンタと顔合わせるのはこれで終わりなんだ、少しはいいだろ?」
「……そうですね」
「あ、ガイウス」
「あんだよチビ」
「……ドアの前に、デカい女がいる」
「デカい女?あら本当ね、デカいわ」
サタヌスが指差した先には-お腹の前で手を組んで静かに待つメイドの姿があった。
真珠色の髪に片目を隠した髪型が神秘的だが-何よりの特徴は背が高い事である。
170センチは超えている、ヒールも合わせれば180センチに届くのではないだろうか。

荘厳な回廊に、かすかな足音が響く。
その歩調はゆっくり、けれど一点の乱れもない。
音のひとつひとつが、まるで儀式の一部のようだった。

全身を覆う黒と白のメイド服は、どこにも乱れがなく完璧に整っていた。
顔立ちは美しく、冷たいほど整っていた。
身のこなしは騎士のように精確で、だが表情は一切変えず。
ただ礼儀正しく聖女のもとへと歩み寄る。
「お迎えに上がりました、シャルロッテ様。おかえりなさいませ。」
その声は低く、穏やかで、けれど間違いなく“普通の侍女”ではなかった。

エリスは冥王星より外側を回る準惑星。
発見されたのは二〇〇五年。
その存在は、冥王星を“惑星”から引きずり下ろした。
ひとつの星の発見が、世界の定義を壊した。

ゆえにその名は、争いの女神。
不和の象徴、鬩神星。
空に浮かぶだけで、価値観をひっくり返す星。
今その名を持つ女が、聖女の隣に立っている。

「エリス!戻りました」
「えぇお待ちしておりました。シャルロッテ様」
メイドは恭しく一礼すると、鍵を取り出しドアを開ける。
この離宮には聖女-次期教皇候補のために様々な施設が準備されているのだ。
「ありがとうエリス!あっ勇者様、この子がエリスです。私の専属メイドですよ」
「わたくしはエリス。よしなに」
「あっどうも。ヴィヌスよ、よろしくねエリスちゃん」
「サタヌス。よろしくなエリなんとか」
「ガイウス・アルドレッド。勇者だ、よろしく頼むぜ!」
それぞれが挨拶を交わすと、シャルロッテは嬉しそうに手を叩く。
この離宮にエリスと教団関係者以外が来ることは初めてなのだ。

「エリス!彼らは私の友……勇者様たちです!」
「存じております」
「友?」
シャルロッテの言葉に、ヴィヌスは首を傾げる。
それはこの一行にとって非常に奇妙な言葉だった。
友人なんて縁遠い存在なのに-とでも言いたげだ。
しかしサタヌスだけはなんとなくフィーリングで理解した。
要はこの聖女様、式典等以外では外出を許されなかったから友達がいないのだ。
外出出来たとしても隣の長身痩躯のメイドが阻んでいたのだろう。

聖女様には友達がいませんでしたからね、是非とも仲良くしてあげて下さいね。
エリスの眼差しは、そう言いたげだった。

(そりゃあな、こんな人見知りなガキが友達なんて出来る訳ないもんな)
サタヌスはそう納得すると「よろしくね」と微笑みかけた。
それにヴィヌスも倣う様に「よろしく」と屈託のない笑みを浮かべる。
本当に馬鹿らしい話である。

「聖女様。この者たちはどうされるのです?ベッドの用意はできておりませんが」
「この者たちに食事を作ってもらってもいいですか?護衛のお礼と……それと」
共食というものをしてみたいのだ。というシャルロッテの言葉にエリスは頷いた。
「承知いたしました」
エリスは癖なのか、髪をかき上げると背を向け厨房へ消えていった。
何処か子供っぽさがある聖女に対し、大人びていて何処か不思議な雰囲気のメイド。
その2人の背中を見送りながら、ヴィヌスは「変なコンビ」と呟いた。

「エリス、か……」
メルクリウスは一人「エリス」という名に引っ掛かりを抱いたように、目を細めていた。
というより眉間にしわを寄せていた、普段優男然としているだけに中々のコワモテだ。
「メガネ?近視か。眼鏡直せよ」
「違う。いや確かに僕は重度の近視だが……」
メルクリウスはサタヌスに指摘されながら眼鏡を指の腹で押し、位置を直す。
そして改めて「エリス」という名に引っ掛かりを覚えた理由を思い出す。

夜空には時折「凶星」と呼ばれる星が浮かぶ。
そしてその星がくっきり見えるときには決まって凶事が起こる。
国王の崩御や大飢饉、死病の蔓延、そして高名な占い師の事故死。
そのうち自然とその星は「不和」を意味するエリス。
あるいは鬩神星(げきしんせい)と呼ばれるようになった。

鬩神星(げきしんせい)がくっきり見えたその夜。
リプカには大雨が降った。
翌朝、空はどこまでも鉛色で、重い雲が水面に影を落としていた。
洗礼を受ける前の少年-マーキュリーは、泥と水の境界でしゃがみ込んでいた。
裸足はもう感覚がない。
膝下まで泥に沈み、ズボンもローブもびしょ濡れ。
手の甲で何度も目を擦るが、涙じゃない。
ただ冷たい風が、しつこく頬を叩いてくるだけだ。

視線の先には、自分だけの“宝物”たちがあった。
全部、泥水の中で静かに沈んでいく。
彼の指はそれを掬うこともできず、ただ握り拳になっていた。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
「あと三センチ……いや、二センチ水かさが増えていたら、リプカは終わってた」
修道院も、シスターたちも、きっと飲み込まれていた。
人も全部消えていたかもしれない。
ゾッとする現実が、心の奥でじわりと熱を持つ。

シスターたちが集まっている。
誰かが小声で「氾濫しなかったことだけが救いだわ」と呟く。
それを耳で拾いながら、顔を上げることはなかった。
ただ、自分の無力さだけが、じんわり心臓を締め付ける。

星が空にひとつ、やけに鮮やかに瞬いている。
あの星が見える夜は、必ず“何か”が起きるって、大人たちはよく言っていた。
迷信だと思っていた。でも今なら、信じざるを得ない。
失う痛みと、救われる安堵。
その両方を、爪の先まで刻みつけられた朝。
少年は、もう怒らない。泣かない。ただ、全てを見て、覚えておくと決めた。
それが、未来の神官メルクリウスを形作る最初の一撃だった。

そして目の前のメイドは「あの星」と同じ名を持っている。
「まさかな……そんな筈はない」
メルクリウスはそう自分に言い聞かせるように呟くと、再び眼鏡を直した。