アンスロポス連合編-星の家 - 3/5

ヴィヌスたちはエリスの手料理を楽しみにしつつ、食前お茶を楽しんでいた。
しかしサタヌスだけは料理よりも気になることがあるらしく、しきりに辺りを見回す。
「どうしたのよ?」
「なぁ聖女様。エリなんとかって目、悪いのか?」
「…確かに、あんなに前髪伸ばしたら見えるものも見えないわよね」
ヴィヌスは「ねえ?」とエリスに問いかける。
しかし彼女は首を横に振る。

「いいえ、エリスは私より目がいいのです。灯りのない夜道でも平気で歩けるのですよ」
それに、と彼女は付け足す。
「エリスは私より強いのです。この離宮のセキュリティを一人で維持できるほどには」
「……メイドってそんな武闘派だっけ?」
ヴィヌスが首を傾げると、サタヌスが「いや」と口を挟んだ。
戦えるメイドもいるっちゃいるが、それはあくまで主人を守るためだ。

「エリスはメイド兼ボディガードってとこか?」
「まあそんな所です」
「強くて家事も完璧、か……欠点て言えば」
陰気なことくらいかしら、そうヴィヌスが目を向けた厨房ではエリスが。
手が何本もあるんじゃないかと錯覚する程、テキパキと料理している。
その動作に澱みは無く、時折食器の触れ合う音が聞こえるのみだ。
この離宮にはエリスしかメイドがいない。
他の使用人は皆出払っているし、そもそもここは聖女と一部の関係者しか立ち入れない場所だ。

故に彼女は1人でここを回している、食事から洗濯まで全てだ。
しかしエリスは困っている様子が一切ない。それほどまでに優秀と言う事だろう。
一人でメイド10人分-いや、それ以上の仕事をこなしている。
どれもこれも手が凝っているの一言に尽きる出来栄えだ。
焼き加減も火の通り具合も完璧なハムステーキ、付け合わせも野菜だけでよく映える。

「どうぞ勇者様方」
「いただきまーす!」
「……いただきます」
そして食事が始まる、ヴィヌスは早速メインディッシュのハムステーキにフォークを伸ばす。
ナイフで切り分けたそれを口へ運ぶと……思わず笑みが零れる。
「やっぱ貴女すごい上手よ、レストランみたい」
「……光栄です。大神官様より、聖女様のお世話を一任されておりますので」
「……ヘルメスか」
メルクリウスは想起したく無い父の顔が浮かんだのを忘れるように、スープを飲む。
修道院暮らしが長く、肉食に馴染みがうすいので彼の皿には。
ハムステーキでなくニンジンのポタージュスープが盛られている。
手が込んでいる、そして美味い。よく味が染みている。

「……あの、勇者様」
「ん」
「私初めてなんですよ、エリス以外と食事することって」
シャルロッテは今の時間を噛みしめるようにゆっくり、小さい口でパンを食べていく。
その隣でガイウスはもう3皿目だ。
「だから、その……楽しいです!私」
「……そうかよ」
ガイウスはそう素っ気なく答えるが、内心悪い気がしていないのは事実だ。
「俺も楽しいぜ、聖女様」
「私もです」
食事を終えた一行は、食後のティータイムを楽しんでいた。
しかしメルクリウスだけは何処か上の空で、カップの水面をただ見つめているだけだ。
向こうに小さく見える厨房ではエリスが背を向け、冷蔵から丸鶏を取り出していた。
恐らく明日の分の仕込みだろう。

「で、どうするの私達?聖女様の護衛ミッションは完了てとこよ」
「いや、リプカには戻らない」
「はぁ?あっちはまだ残党居るでしょ」
「第五師団に任せよう、彼等と僕は気が合うんだよ。異端児繋がりで」
「お前、浮いてんの?」
「……ふ、まぁね」
メルクリウスは皮肉っぽく笑い、紅茶の湯気で曇った眼鏡を拭くため片手で外す。
初めて眼鏡を掛けていない顔を見た。
見慣れたフレームがないだけでその顔は一気に冷たい印象となる。
眼鏡の有無でこうも顔の印象って変わるのね、とヴィヌスは思った。

「……で、これからどうする?」
「リプカには戻らないが、やる事はある。……聖女殿」
「は、はい?」
突然メルクリウスに呼ばれ、シャルロッテはカップを置いた。
その目は真剣そのもので、思わず背筋が伸びた。
「貴女の『力』についてだ」
エリスは背を向けたまま丸鶏の仕込みを続ける。指の動き1つと止めず。
だが一言一句聞き逃さないと言うように横目で彼等の会話を聞いていた。

「13代目……私から見て先代の聖女様のご意思で、私はこの教皇庁で生まれました」
「先代聖女様の?」
「ええ。これまで聖女と言うのは初代様がそうだったように。
連合で最も優れた白魔術師の女性が選ばれるものでした。
しかし先代様は違いました、彼女は……その……」
「何よ」
「……異端児でした」
-異端児。
それは生まれながらにして魔術を使えない者を指す言葉だ。
そして同時に、教皇庁で白魔術師になる事を夢見て日々研鑽を積む者たちへの侮辱の言葉でもある。
故に異端児は差別の対象であり、迫害されやすいのだ……特に連合内において。

「先代様は魔術の才こそありましたが『黒』でしたから。
当然他の神官からは見下されていたのです。
ですので自分のように才がないものが選ばれないよう……」
厨房のエリスは包丁で骨を断っていた。
だがその手には徐々に、彼女の秘める凶悪さや残虐性をかもし出すような動きが入りだす。
勇者と聖女は気づかない、その向こうでエリスはまるで処刑人のように骨を切っていた。

「私の母となったのは先代様が選ばれた神官です、体外受精だったそうです。
この教皇庁の何処かに私の母がいるかもしれませんが……最早わかりません」
「どおりで清すぎるって思った」
「私が清すぎる?」
「俗っ気がなさすぎると言うか」
ヴィヌスは「ね?」とサタヌスに同意を求める。
しかしサタヌスも同感だった、彼女はあまりにも清すぎるのだ。
まるで聖人のようであり、その実人間味が薄い……そう感じていた。
だがそれも当然か、と彼は思った。
彼女は聖女に選ばれたのでなく、生まれたその日から聖女だったのだ。

「じゃ聖女様、暗殺教団って知ってる?」
「…名前だけは。ヘルメス大神官は彼等をこう言います。
彼等を論破したり説得するなんて危険なマネはしないようにと」
シャルロッテは静かに食器を置き、声のトーンを落とした。

「ヘルメス様が話してくださいました」
その名を出しただけで、勇者たちの表情が一瞬だけ引き締まる。
「わたくしが生まれる前のことです。
神官たちの何人かが、ある目的で――モナクス島へ向かいました。」
一拍置いて、シャルロッテは前を見据えた。
「彼らは、帰ってきました。……生きては。」

「“暗殺教団に栄光あれ”しか、もう言えなくなっていたのです。」
静寂。
「感情を失ったような顔で、ずっと同じ言葉を繰り返していたそうです。
問いかけにも、名前を呼んでも、家族が泣いても……それだけ。」
ヴィヌスが息をのむ音が聞こえた。
「だから、ヘルメス様はおっしゃいました。
“あれは言葉で論破する相手ではない。信仰ごと、精神を壊される”と。」

「ま、まあ重たい話もなんですし食後のデザートにしましょう……ねっ?」
食後の紅茶の香りが、静かに食堂を満たしていた。
笑い声もひと段落し、皿の触れ合う音だけが小さく響く。
そのときエリスが戻ってくる。
銀のトレイの上に、薄く扇状に切られた林檎。
艶やかな果肉が、灯りを受けてやわらかく光る。

「食後のデザートでございます」
ヴィヌスが一切れを摘まみ、目を細めた。
「これ、皮が黄色いわ」
確かに、赤ではない。
蜜を含んだような淡い黄金色。
メルクリウスの指が、カップの縁で止まる。

「……ヘスペリアだね?」
一瞬だけ、エリスの瞳がこちらを向いた。
「はい。赤より甘く、冬にのみ流通する希少種です」
サタヌスが林檎を頬張る。
「へー。知ってんの?」
「聖夜前の定番だからね。ヘスペリアタルトは」
メルクリウスは淡く笑う。
「大丈夫。毒じゃないよ。せいぜい美容に良いと、ご婦人方が取り合う程度さ」
その声音は穏やかだ。
だが、その言葉の裏にあるものを知っているのは、彼だけだった。

“最も美しい者へ”。

黄金の林檎がひとつ、宴席に置かれたことが、どれほどの争いを呼んだか。
エリスは、ただ静かに手を組んで立っている。
おへその前で、ゆるく。
誰も疑わない、誰も争わない。
けれど、聖女の隣に置かれたその林檎は“定義”を試すには十分すぎる象徴だった。
冬にだけ出回る、甘い黄金。

それは確かに、毒ではない。
だが、神話はいつだって林檎そのものより、意味のほうが人を狂わせる。
「……勇者様。急な来客でしたので、ベッドメイクはしておりません。」
表情は一切の起伏を見せず、声には“謝罪”という概念が存在していなかった。
勇者たちの前に進み出ると、彼女は深々と頭を下げた。

「本日は長旅、お疲れ様でした。
お茶と軽食を用意させていただきますので、回復の一助となれば幸いです。」
一瞬の沈黙のあと、彼女は表情を変えずに続けた。
「……なお、教皇庁の客室は、聖教関係者以外の宿泊を許可されておりません。
申し訳ございませんが、夜のうちに出立をお願いいたします。」
「……は?」とサタヌスが言った。
「いやいや、冗談だろ?さっきまで飯食ってたのに?」
エリスはピクリとも動かない。
声音も変えないまま、ただ冷静に言い足した。

「シャルロッテ様の安全を守るうえでも、
聖痕保持者を夜間に滞在させることは極めて不安定と判断されます。
お戻りの際は、事前の許可申請をお願いいたします。」
無慈悲な通告。だが、決して失礼ではない。
ただ、完璧に“追い出すための文章”として仕上がっていた。

「仕方ねぇなー。じゃ宿探すか」
「ニア・アンスロポスって宿代高いそうよ?次は壁薄くない部屋にしてよー」
ガイウスたちの背中が遠ざかる。
四人とも、最後に一度だけ振り返って手を振ったが。
シャルロッテはそれに手を振り返すことができなかった。

「エリスは、ここにいますよ」
エリスは何の前触れもなく――そっと、シャルロッテの肩に手を置く。
一瞬だけ、その言葉があたたかく感じられた。
けれど。
「エイレーネの悲劇をお忘れで?」
静かな問いかけが、空気を張り詰めさせる。
「聖痕を宿す者と深入りしてはいけません……ね?」
優しい手のひらが、シャルロッテの肩から、音もなく離れた。

――リプカ郊外。
白い街並みを外れた先、石畳が途切れ、土が剥き出しになる場所。
そこに、不自然に豪奢な階段が口を開けていた。
地下へ続く、闇ギルド《蛇骨》への入口。
シルヴァがマントを翻し、細い目をすっと細める。

「見えましたわ。あれが蛇骨」
階段の両脇には、金細工を施した燭台。
地下へ続く入口にしては、あまりに飾り立てすぎている。
「あの悪名高きギルドをぶっ潰……ごほん、殲滅するのが使命ですわ」
トゥランが静かに壁面を観察する。
指先で装飾の縁をなぞり、鼻で笑った。

「調度品、だいぶ豪華ですね。豪遊は連合では処罰対象です」
視線は冷たい、帳簿を読むときと同じ目。
「その件もヘルメス様に報告しましょうか」
神の名を出す声音に、温度はない。
ただの“事実処理”。

奥の暗がりで、カチ、という金属音。
ネリアがしゃがみ込んでいる。
手には丸い黒球。導火線が短く揺れる。
「あ~腹減った。ヘスペリアタルト食べたい」
場違いな一言に、シルヴァが振り向きもせず答える。

「あとで一杯食べればよいでしょう?」
青い瞳が地下へ向く。
「気づかれないうちに徹底的に潰しますわよ」
ネリアはにやりと笑い、導火線を指で弾く。
「黄金の林檎は太陽の象徴だっけ?」
爆砕士の目が細まる。

「じゃ、あたしが日輪ってことで」
トゥランが淡々と時計を確認する。
「五秒で制圧、三十秒で制圧完了。理想的ですね」
「理想は燃やすものですわ」
シルヴァが一歩、階段へ足をかける。
地下から、かすかに赤黒い光が揺れた。

「へスペリアが金なら、これは黒林檎だな」
「甘くはないけど、よく弾けるぜ?」
白い国の裏側に、ネリアが火をつける。
黄金の宴が終わった夜。
リプカの地下では、別の“林檎”が爆ぜた。