夕焼けが、聖都ニア・アンスロポスの高い塔を茜に染めていた。
人々が一日の終わりを迎え、家路へと向かう頃。
その影の中に、聖教から見事に“丁重に追い出された四人”の姿があった。
「いや〜、これが現代の勇者待遇ってやつ?薄給・無宿・時々弾圧?」
「うるせぇ。言い得て妙すぎて泣きたくなるだろ」
「まぁまぁ、宿がなけりゃ夜風を楽しめばいいのよ」
「夜風が冷えんだよな……この季節はよ……」
茜の空を背景に、彼らの影が長く伸びていた。
聖都の西の空に、濃いオレンジの陽が沈みかけていた。
勇者たちが荷物を抱えて石畳をトボトボと歩いていたそのとき。
「こんにち……いや、もう夕方ですね。こんばんは、旅のお方」
小柄な少年が、通りの向こうから声をかけてきた。
紺の制服に身を包み、手には革のブリーフケース。
利発そうな水色の瞳に、ややあどけなさの残る整った顔立ち。
サタヌスが振り向いて言う。
「よぉ、チビ。俺たち今しがた宿無しになったばっかなんだわ」
ヴィヌスが楽しそうに口を挟む。
「あなた、塾帰り? こんな時間に偉いわね~」
少年は少し頬を染め、でも背筋を伸ばして答えた。
「ご、ご愁傷さまです……はい。ゾルクォーデ家の跡継ぎとして、帝王学を少し……」
そこで彼の声が途切れる。
視線が、こちらを向いたまま――固まった。
(兄上……?)
少しだけ目を見開いて、彼は荷物を持つ男の顔をもう一度見た。
「……兄上、ですか?」
メルクリウスは、無言だった。
まるで“その問いを待っていた”かのように。
あるいは、“その問いが来るのを拒んでいた”かのように。
「ニコル……」
低く、掠れた声でようやくその名を呼んだ。
少年は黒に近い濃紺のブレザーに、白シャツ、細身のネクタイを締めていた。
肩には革の小さなカバンを掛け、胸ポケットには“ゾルクォーデ家”の校章が輝く。
襟はきちんと整えられ、第一ボタンまできっちり留まっている。
そんな“模範生”的な出で立ちに、ヴィヌスが小さくクスリと笑って言った。
「あら、弟いたのね? 貴方、確かにそっくりだわ――」
メルクリウスに目をやり。
「第1ボタンまできちんと留めてるとことか、特にね?」
メルクリウスは返す言葉もなく、微妙に顔を背けた。
ニコルはきょとんとしたまま、でも真剣な目で兄を見つめていた。
少し考えたように視線を移し、勇者たちの荷物の山をちらりと見た。
「先ほど、お隣の方が“宿がない”とおっしゃっていましたが……」
視線をメルクリウスに戻す。
「……兄上も?」
メルクリは目を伏せたまま、低く言った。
「……よせ。憐憫は罵倒に勝るぞ」
その言葉に、ニコルの肩がぴくりと揺れた。
けれど次に割って入ったのは、ヴィヌスの軽い声だった。
「さっきご飯は食べてきたのよ~? だからお風呂とベッドで満足するから……ね?坊や?」
「坊やじゃないです、ニコル・フォン・ゾルクォーデです!!」
きっちりフルネームで言い返したその声に、ヴィヌスがくすくすと笑いながら首を傾げた。
「やっぱ似てるわ」
メルクリウスが小さく溜息をつく。
彼は基本クールだけど、煽られると乗っちゃう弟のその反応。
それを“昔の自分に似てる”と思ったかどうかは、口に出されることはなかった。
「うち……来ますか?」
ニコルは一歩、メルクリウスに近づいた。
言葉の端には迷いがあったが、瞳は真っすぐだった。
「お風呂、空いてますし……ベッドも、余ってます。
きっと母も……あ、いや、僕が責任持って言いますので!」
メルクリウスは静かに目を伏せる。
その横顔は、まるで過去そのものに背を向けるようだった。
「……やめておけ。
僕は、ゾルクォーデ家の“邪魔者”だった。
わざわざ不快な記憶を呼び戻すような真似を、君の立場でする必要はない」
ニコルの口元がわずかに動いた。
でも、次の瞬間――その瞳が、わずかに潤んで揺れた。
「……僕は……」
小さな声がこぼれる。
「僕は、“ようやく兄に会えた”んです」
沈黙。
夕焼けの冷たい風に吹かれて。
言葉も、立場も全てがどうでもよくなるような、そんな空気だった。
メルクリウスは、ゆっくりと顔を上げる。
弟の目を、見た。
そのまっすぐさに、無垢さに、根負けした。
「……わかったよ。今日だけな。」
一言だけ。
それでも、ニコルはぱっと表情を明るくした。
「ありがとうございます!では、皆さんもぜひ!母に紹介します!」
「えぇ、ありがとう、坊や!」
「だから坊やじゃないです!!」
—
聖都の石畳に、足音が軽やかに響く。
ニコルの案内で、夕焼けのなかを歩く一行。
サタヌスがふとニコルの制服を見て言った。
「なぁ、それ何処の制服だ?カッコいいな。金の縁取りとかイケてるじゃん」
ニコルは得意げに胸を張った。
「“聖ソフィロス学園”のものです。
帝都でも有名な英才教育校でして……最近、珍しいことがあったんです」
「珍しいこと?」
「転校生が来たんです。この学園、基本的に家柄や推薦しか入れないので、本当に珍しくて」
「へぇ〜、それはまたお高いお話ね」
ヴィヌスが笑う。
「男の子と女の子のふたり組で……とても、変わった子たちでした」
ニコルは少しだけ目を細めて思い出すように言う。
「食事の前に、必ずこうして手を合わせるんです」
彼は小さく手を合わせて、口の中で復唱する。
「……あなや、ばんじょうかいまん。」
「――それが、彼らの“祈り”なんだそうです」
その瞬間、背筋を這うような風が吹いた気がした。
歩きながら、自然と話題は家のことに及んでいた。
「……僕と兄上は、母が違います」
ニコルがぽつりと言った。
夕暮れの街角、勇者ズと歩きながら、ニコルは落ち着かない様子でキョロキョロしつつ。
誰にも聞かれたくない話を切り出すみたいに口を寄せる。
「兄上は……長男ですが……その……ゾルクォーデ家の継承権は、僕が持っているんです」
サタヌスが「ん?」と眉をあげる。
「え?家督って普通、長男だろ。王侯貴族でもそうだぞ?」
メルクリウスが めっちゃ気まずそうに眼鏡を直す。
あの“押しつぶした溜め息”みたいな仕草出る。
ヴィヌスは「あ~これは何かあるわね」みたいな顔で口元に笑み。
ニコルはそれを察して、さらに声を絞る。
もう耳打ちと言っていいレベル。
「実は……ヘルメスお父様は、若い頃……浮気をされて……」
サタヌスとヴィヌスが同時に「へぇ~」と悪い顔して身を乗り出す。
ニコル、さらに小声。もはや吐息の音。
「浮気相手との間に……その子が第一子で……兄上なんです」
ヴィヌスが「あらまぁ…」って顔し。
メルクリウスは聞こえてるくせに 聞こえてないふり してる。
それを破ったのは、ガイウスのストレートな一言だった。
「……妾の子?」
「おい!!!」とヴィヌスがツッコミを入れたが。
先に突っ走ったのはサタヌスだった。
「ガイウス!お前最高だな!そうこなくっちゃな!」
「な、メルクリ。俺なんかスラム生まれで親父は魔王軍のクソ軍曹だぜ!!
もう堂々とネタにしてこうぜ!」
「だからってお前――」
「メールクーリウス妾の子〜♪」
サタヌスが即興でメロディに乗せて歌い出す。
「リプカの沼からやって来た〜♪」
メルクリウスの顔がみるみるうちに赤くなった。
「歌うなああああ!!」
「歌ってねぇ!騒いでるだけだ!」
「いや歌ってる!」
「覚えやすいわね……」
「やめろヴィヌスまで乗るな!本当にやめろ!」
周囲の市民がチラチラとこちらを見ていた。
だが当の勇者たちは気にしていない。
むしろ、ここ数日で一番大きな笑い声が夕焼けの道に響いていた。
ゾルクォーデ邸へ向かう途中。
さっきまでの「妾の子ソング」を引きずるように、まだニコルはぽつりと呟いた。
「……兄上。お隣の皆様は、お友達、ですか?」
メルクリウスは表情を動かさずに答える。
「これが“友達”に見えるかい、ニコル」
一方で、まだガイウスは鼻歌で“妾の子〜♪”と口ずさみ。
サタヌスはケラケラ笑い、ヴィヌスは「ハモり練習したいわね」と乗り気だった。
ニコルは、そんな3人を見て。
そして顔を伏せて黙って歩くメルクリウスの横顔を見て、言った。
「……楽しそう、ですので」
メルクリウスの足が、一瞬だけ止まりかけた。
「本当に嫌だったら、兄上は殴って止めていたと思います」
メルクリウスは何も言わなかった。
ただ、わずかに顔を伏せたまま、小さく口元だけが緩んでいた。
ニコルは言った。
「否定しないということは、そうなんですね」
メルクリウスは目を伏せたまま。
ほんのわずかに眉を寄せ、ぽつりとこぼした。
「……うるさいな」
行き交う市民が不思議そうに振り返る中、3人は軽やかに歌いながらステップを踏む。
「今日はニコルの誕生日~♪僕だけ蔵で寝てました~、神の慈悲ってどこだよおい~」
「本当に怒るよ!!?」
メルクリウスがついに青筋を浮かべながら拳を握りしめ、ガイウスがふと興味深そうに尋ねた。
「なぁ、この歌詞いま思いついたのか?」
サタヌスがニコッと笑って平然と言い放つ。
「そうだが?」
ヴィヌスがクスクスと笑いながら肩をすくめた。
「あんた音楽の才能あるんじゃない?パンクロッカーね。」
「馬鹿か!?こんな不名誉な歌で知れ渡ってどうするんだ!」
メルクリウスが本気で怒り、3人が悪ノリで笑いながら歩き続ける。
通りすがりの市民がざわめき始めた。
「なぁ、あれって勇者様たちじゃないか?」
「え、なんで歌ってるの?しかもあの歌詞……」
「妾の子って……どこの貴族の話?」
「いや、ニア・アンスロポスにそんな話あったか?」
ガイウスが振り返り。
「やばいな、思った以上に声響いてるわ。」
サタヌスがケラケラと笑っている。
「頼むからやめてくれ……僕の尊厳が……」
ニコルが少しだけ戸惑いながら、兄に囁いた。
「兄上……妾の子、って……」
「うるさい。」
「……ですが、楽しそうです。」
メルクリウスがギロリと睨むが、ニコルは「楽しそう」と繰り返している。
「ずっと無表情だったけど……今、少しだけ笑ってるように見えます。」
その言葉に、メルクリウスは一瞬だけ息を止めた。
ゾルクォーデ邸が見えてきた頃、歌っていた3人もようやく満足したのか。
「いやぁ、これヒットするぜ!」
「どこがだ!」
「教皇庁が音楽祭でも開けば、一発ね。」
「お前ら、本当にいい加減にしろ!!!」
メルクリウスがついに激昂し、3人が「おっと、逃げるぞ!」と笑いながら走り出した。
ニコルはその光景を見て、初めて見た兄の「笑い怒る顔」に。
ほんの少しだけ安堵していた。
—ゾルクォーデ邸・正門
「……ここがゾルクォーデ邸です。
兄上たちはそのままお待ちください。僕が母上と話を通してきます」
そう言って小走りに邸内へと入っていく少年の背中を見送りながら。
メルクリウスは小さく息を吐いた。
「……堂々とネタにしていこうぜ、か」
あの暑苦しい斧使いの言葉が脳裏に蘇る。
ついでに、例の歌も。
「……ナンセンス。だが――ポジティブな捉え方だ」
その時、遠くで笑い声が響いた。
「俺なんかよォ!この目で村八分見たんだぜ!?弟しか話し相手いなかったもんよ!」
「なに甘いこと言ってんのよ。
私なんて舞台で“悪役しかやらせてもらえない声”って言われてたわよ?」
「逆にそれって才能だぜ!?」
「慰めてるフリして煽ってるでしょ!?」
石畳に、夕焼け色の笑い声が重なって溶けていった。
メルクリウスは、それに背を向けながらも。
口元だけが、そっと緩んでいた。