ゾルクォーデ邸の正門前で、4人が立ち尽くしながら。
ニコルが戻って来るのを待っていた。
ヴィヌスが門の金飾りを見ながら。
「随分と格式ばってるわね……」と呟く。
その隣で、サタヌスが腕を組んで首を傾げていた。
「そういやさっきのお前の弟、フォンって名乗ったな?」
「……」
メルクリウスの眉がピクリと動く。
ガイウスが「おいやめろ」と言わんばかりにサタヌスを肘で突っついたが。
当の本人は気にも留めず、無邪気に続けた。
「なあ。なんでお前にはフォンがねぇの?」
ピクリ。
メルクリウスの肩がわずかに震えた。
ヴィヌスが「やめなさいよ」と、冷や汗をかきながら小声で忠告するが。
サタヌスはキョトンとしたままだ。
「いや、気になっただけだって。
同じ家の奴なのに、なんでお前だけねぇのかなーって。」
「……サタヌス。」
メルクリウスが静かに口を開く。
その声には、微かに怒りが混ざっていた。
メルクリウスがサタヌスに向き直り、静かな口調で答えた。
「サタヌス、フォンはね。王侯や貴族を意味する名だよ。」
「お、おう?」
サタヌスが少し戸惑った声を上げる。
「僕は貴族じゃない。
ゾルクォーデ家に生まれたけれど、妾の子である僕にその称号は与えられない。
そういう意味だ、納得したかい?」
サタヌスが一瞬だけ黙り込む。
少しだけ考え込んだ後、あっさり頷いた。
「おう、分かった。そういうことか。」
「……そう。」
メルクリウスが短く答え、ふと視線を逸らしてしまう。
ガイウスが頭を掻きながら、サタヌスを小突く。
「だから言っただろ、やめとけって……」
ヴィヌスがため息をつく。
「ほんとに無神経なんだから。」
サタヌスは首を傾げながら反論した。
「いや、別に隠すことじゃねぇじゃん?」
「お前、ちょっと黙ってろ……」
ガイウスが呆れた顔で言い放つ。
「別に……隠してない。」
メルクリウスが低い声で呟いた。
「ただ、聞かれたくなかっただけだ。」
その表情が陰りを帯び、ガイウスもヴィヌスも。
何も言えずに立ち尽くしてしまう。
サタヌスがポンと手を叩き「んじゃ、気にしねぇ!」と笑顔を見せた。
「どうせ今は勇者仲間だろ?
フォンがあろうが、なかろうが、関係ねぇって!」
「あっけらかんとしすぎだろ……」
ヴィヌスが小さく苦笑するが、ガイウスはどこか納得したように頷いた。
「まぁ、確かにそうだな。俺たちは仲間だし、肩書きとかどうでもいいだろ。」
「そうそう、オレも軍曹の息子だけど、勇者になっちまえば関係ねぇもんな!」
「いや、お前のケースは違うだろ……」
メルクリウスが少しだけ笑って。
「……そうだね。確かに関係ないか。」
その表情が少しだけ柔らかくなった。
「なら、それでいいじゃない。いちいち気にしてたら疲れるわよ。」
「……まぁ、そうか。」
メルクリウスが小さく息を吐き、ふと門を見上げた。
「ただ、あの家が僕を歓迎するとは思えない。」
「気にすんなって。俺がドーンと入ってやるから!」
「お前が一番まずいんだよ!」
ガイウスが笑いながらも張り切って言うが。
メルクリウスは苦笑しながら「頼りないな」と呟いた。
その時、門が少しだけ開き、ニコルが顔を覗かせた。
「お待たせしました、兄上。皆様。」
「おう、帰ってきたか!」
ガイウスが元気よく声を上げ、メルクリウスは少しだけため息をついた。
「……行こうか。」
「おう!」
ガイウスとサタヌスが先に駆け出し。
ヴィヌスが「相変わらず落ち着きがないわね」と微笑んで。
メルクリウスは一歩だけ遅れて歩き出した。
—–
重厚な扉が静かに開く。
その奥に現れたのは、聖都でも知られる名家の婦人。
ゾルクォーデ夫人。
絹のローブに身を包み、その足元には。
ふわふわと毛並みの整った長毛種の犬が寄り添っていた。
夫人は、その犬を膝に抱き、ゆっくりと撫でている。
「……ニコル。あなたが“兄を連れて来た”というのは本当なの?」
「はい。母上、お願いです。彼らに今夜の宿を――兄上たちは――」
「兄上、ですって?」
撫でていた手が止まり、夫人の目元に冷たい光が差した。
「浮気相手の息子なんて、見たくもありませんわ」
低く、感情を押し殺した声。
メルクリウスは、扉の外でそれを聞いていた。
目を閉じて、何も言わなかった。
「ゾルクォーデ家は聖教の中枢。
わたくしが耐えてきたことを、あなたが知らぬとは言わせません」
犬が夫人の手にすり寄る。
夫人は再び、ゆっくりと毛を撫ではじめた。
「その子を、あなたの“兄”などと呼ばないで」
ニコルは、唇を噛みながら小さくうなずいた。
—
夫人の厳しい声が、応接間の空気を凍らせていた。
その足元で静かに横たわっていた長毛種の犬が、ふと耳をぴくりと動かす。
廊下から足音が近づいてくる。
犬の鼻先がぴくぴくと動いた。
それは、どこか懐かしい匂い-そして、扉が開いた。
メルクリウスがゆっくりと姿を現すと同時に。
犬は立ち上がり、小さく「キャン」と一声鳴いた。
「……?」
その声に反応して、犬が駆け出す。
「おい……?」
メルクリウスがわずかに戸惑う間もなく、犬は彼の足元に到達し。
尻尾を大きく振りながら顔を見上げた。
「……覚えていたのか、君は」
犬はその言葉に反応するように、前足をぺたんと床につけて伏せ。
次の瞬間、懐かしむように彼の足に鼻を擦り寄せた。
メルクリウスの手が、自然とその柔らかい毛並みに触れる。
「この子、知り合い?」
メルクリウスは一瞬だけ目を細め。
犬の耳を軽くくすぐるように撫でながら。
静かに――だが、明確な語気で言った。
「……僕が洗礼を受けた日に、拾ってきた子犬でしたね、夫人」
応接間の奥で座るゾルクォーデ夫人の指が、わずかにカップの縁を強く握った。
沈黙が流れる。
犬は、何も知らないまま尻尾を振り続けている。
メルクリウスは微笑みすら浮かべず、低い声で続けた。
「犬は、律儀で――好きですよ。僕は」
まるで、“人間の誰も僕を覚えていなかったけれど”と。
後に続くはずの言葉を、空気に沈めるように。
応接間に、重たい沈黙が落ちていた。
メルクリウスは、犬を膝に乗せたままの夫人に。
淡々と――けれど言葉を選ぶように口を開いた。
「妾の子のことは、否定致しません。事実ですから」
夫人の目が細くなる。
「ですが……まだ“覚醒”してはいませんが――僕も勇者です」
そう言って、メルクリウスは静かに右手を上げる。
夫人の目が細められる。
次の瞬間――彼の手の甲に、かすかに蒼銀の光が灯った。
まるで、消えかけのランプのように。
強くはなく、けれど確かに“神の印”の輪郭を形作っていた。
色は、冷たく澄んだ青と、光を反射する銀の粒子が混じるような蒼銀の煌めき。
(あれが――聖痕)
夫人の胸の奥に、言葉にならぬ衝撃が走る。
光が点滅し、微かに揺らぎ-やがて消えた。
メルクリウスは微笑みもせず、静かに手を下ろした。
「勇者を無碍に扱えば、ヨアニス神がお怒りになられます。……夫人」
しばらく沈黙が続いた後。
夫人は、ふうとひとつ、息を吐いてつぶやいた。
「……本当に、“あの人”そっくりね。顔も、口の利き方も」
メルクリウスは表情を変えない。
夫人の目が、わずかに揺れる。
「妾の子じゃなければ――愛せたのに」
そう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「……一晩だけよ。朝食は用意致しません。用を済ませれば、早急に立ち去りなさい」
犬が静かにメルクリウスの足元へ戻ってくる。
夫人はその様子を、最後まで見ようとはしなかった。
—
ゾルクォーデ夫人が「一晩だけよ」と言い残し、部屋を出ていった後。
重厚な扉の閉まる音が、まるで“生還の鐘”のように響いた。
次の瞬間-。
「…………はぁああああああああああああ」
勇者カルテットとニコルの五人全員が同時にソファにもたれかかった。
もはやほぼシンクロ。
ソファが「ギシッ」と悲鳴をあげるほどの全身脱力。
ガイウスは天井を見上げてぼやいた。
「……故郷で、あの国王の野郎に謁見したとき並に疲れたぜ」
サタヌスが自分の後頭部をぽりぽりと掻きながら、ため息混じりに言う。
「俺は……スラムで、ボスに“何も盗れなかった”って言って怒鳴られたときみてぇだわ……」
ヴィヌスは表情を消したまま、呟くようにひと言。
「……ミュージカル終わりの楽屋がこんな感じよ。衣装も魂も脱いだ後の、虚脱モードってやつね」
ニコルだけが目をぱちぱちさせていたが。
やがて彼も、すっとソファの背にもたれた。
「母上と話すって……こんなに体力使うんですね……」
「ていうか、メルクリウス。お前すでに大分参ってるようだな。顔に出てるぜ?」
メルクリウスはちょっと困ったように微笑んで。
「僕も言う流れかい?……そうだな、懺悔室の帰り道に似ているな」と静かに言う。
しばらくして-部屋の隅から、ふわふわの影がとことこと歩いてきた。
白くて、少し灰色がかった長毛の犬。
毛並みは絹のようで、耳の先がくるりとカールしている。
小さな肉球の音が、カーペットに吸い込まれていく。
その犬は、まっすぐメルクリウスのもとへ向かうと。
迷いなく彼の足にぴたりと寄り添って、身体を預けた。
メルクリはそれを見下ろし、小さく微笑んだ。
「……変わらないな、君は」
その様子を、ソファに沈んだままの面々が静かに眺めていた。
サタヌスがぽつりと言った。
「なあ、お前もぐったりしてるが……どういう感じだ?」
問いかけられたニコルは、ぼんやりと天井を見つめたまま答える。
「……僕は、テストで七十点を取ってしまったとき……父上に報告した時が、こんな感じでした」
ヴィヌスは肩をすくめ、少しだけ笑ってみせた。
「苦労人なとこも……兄弟ね」
その空気に、ふわふわの犬が「きゅーん」と鳴いた。
静かに、柔らかく-それはまるで、「よく頑張ったね」と言ってくれているかのようだった。
—–
「さて……風呂入る順番は?」
サタヌスがタオルを肩にかけながら問うと、すかさずガイウスが答える。
「ボスからだろ。基本」
「じゃ私ねぇ。ボス、お風呂入りまーす」
ヴィヌスがゆるく片手を上げると、サタヌスとガイウスがほぼシンクロで返事した。
「は~~~い」
完璧な二重唱。
ニコルはポカンと口を開けたまま呟いた。
「……あ、あっさりと」
その隣で、タオルを畳んでいたメルクリウスがため息混じりに言った。
「ニコル。ものはね、女性が強い方が上手くいくんだよ」
「えっ……そういうものですか?」
「うん。異論はあっても反論はできないんだよ」
どこか遠い目をしながらそう言う兄の背に。
ニコルは“これが大人の世界か……”と深く頷いた。
風呂の順番を待つ中、メルクリウスがふと問う。
「そういえば君たち、ずいぶん仲がいいようだけど……いったい何年前から共同生活なんだね?」
ガイウスは、タオルを担ぎながら素っ気なく答えた。
「あ? まだ半年」
「……半年?」
メルクリウスは目を見開いた。
(まさか、聖痕が覚醒したら僕もこの中に混ざるのか?)
頭の中に、騒がしい朝、ノリノリの食卓。
そして自由すぎる入浴タイムがフラッシュバックする。
(それは……それは地獄では?)
「メ~ルクリウス妾の子~♪リプカの沼からやって来た~♪」
ヴィヌスの明るいアルトが、風呂場の反響で増幅されて響き渡った。
「やめろおおおおお!!!」
メルクリが蒼白になって風呂場ののれんを掴む。
「風呂場で歌うな! 奥方に聞こえる!! 聖都で処される!!!」
夫人はソファに座り、お茶静かに口に運びながら呟いた。
「……あそこまで堂々と歌われると、非難もできないわ」
犬が足元で「くぅん」と鳴いた。