アンスロポス連合編-神の国 - 1/6

–深月城
静かな玉座の間に、酒瓶の開封音だけが響いた。
ユピテルが手にするのはオーゼ土産のウォッカ、極めて度数が強く。
無色透明のそれを顔色1つ変えず、頬のひとつ染めず胃に流し込んでいく。
「アンスロポス連合、か……」
ウォッカを三分の一ほどラッパ飲みし。
息と共にその国の名を出した瞬間、場の空気がほんの少しだけ緊張する。

「アイツらの結界、相変わらず硬ぇんだな……まぁいい。昔からあの国に詳しい“アイツ”に任せとけ」
そう言って、ユピテルは残りのウォッカを盃に移す。
その隣では、すっかりいつもの冷静な顔に戻ったカリストが、静かに酒を注いでいた。
その様子を、残りの三人が眺めていた。
「えー、“アイツ”?私たちで一番陰湿で怒るとヤバいのよ? 勇者ちゃん、可哀想w」
ウラヌスがあからさまに面倒そうな顔で肩をすくめる。
「まぁ……あの子、わたくし達の中では最弱ですものね。
怖くなって泣いたりしませんこと?」
ネプトゥヌスがくすくす笑いながら紅茶を啜る。

「単身ではな」
マルスが腕を組み、難しい顔で一言だけ挟む。
「自称・最弱……そう自分で名乗る奴に限って、信用ならぬものよ」
三者三様の反応に、ユピテルはただ酒を飲みながらつぶやく。
「まっ問題ねぇだろ。蛇の道はなンちゃらさ、あいつはとびっきりの“毒ヘビ”だ」
そう言って、またウォッカの盃を呷る。
酒精が喉を焼き、胃の中で燃え上がった。

「……解散していいぜ、俺はこいつを飲むので忙しい」
「ユッピー相変わらずの飲兵衛ねー☆ルナ様から腕っぷしより肝臓強化してもらったら?」
「ふん」
ユピテルが鼻で嗤う。
「ちいせぇことでウジウジ悩んで酒に溺れるより、よっぽどイイだろ」
「ま、それもそうね☆」
ウラヌスは肩をすくめながら、ネプトゥヌスと共に玉座の間をあとにした。
マルスは癖であるツノの先を指で撫でながら。

「私も行くぞ、顔を見てくる」
「お?珍しいねぇ、人の顔覚えねぇくせに」
「気になるのだ。メキア駐屯地を落とし、お前の副官を子供のように泣かせた“人間”がな」
マルスが去り、後に残されたのはユピテルとカリストだけ。
カリストは相変わらず無表情だがよく見ると頬が赤かった。
自分が様子見に来た時には既に勇者たちに打ち負かされ。
宛ら母親に叱られた少年のように泣いていた副官。
今その顔は「いつバレたんだろう」と言わんばかりに青ざめている。
「カリスト」
「は、はいっ!?」
そんなカリストの動揺を気にも留めず。
ユピテルが、ふと思い出したように言った。

「お前、ヴィヌスに惚れたろ?」
「……へ?」
カリストの目が点になる。
「な、ななな何をおっしゃるんですか!?そんなわけ……」
「俺よりよっぽどあの女に執着してるゼ」
「え……?」
時が止まった。
いやむしろ止まったのはカリストの心臓かもしれない。
ユピテルが、酒瓶を逆さにし最後の一滴まで飲み干して言った。

「まァいいさ。ヴィヌスは俺がもらう」
「へ!?え、あ、いや……その……」
「安心しろ、俺は“女”には優しいからよ」
ユピテルは空になった盃へウォッカを注ぎながら笑った。
そしてそのまま立ち上がり、玉座の間を後にする。
取り残されたのは、ヴィヌスに叩かれた痛みを思い出すように頬を押さえたカリストのみ。

車輪の軋む音と、蹄のリズムだけが道に響いていた。
春風がまだ冷たさを残す頃、勇者一行を乗せた馬車は丘を越え。
次なる国の境界へと近づいていた。
御者台から、くぐもった声が聞こえる。

「……あんたら、アンスロポス連合に行くのかい?」
サタヌスが「そーだけど」と返すと、御者は少しだけ振り返った。
「そりゃまた、珍しい旅だな。あの国は今、聖なる力で“魔族”が一切入れねぇのさ」
「ほら、“女神の盾”って聞いたことあるだろ?」
見えない結界が国全土を覆っていてな。
外からは一切入れねぇ。神様が張った聖域みたいなもんさ」
「……まるで、楽園ね」
ヴィヌスがぽつりとつぶやいた言葉に、御者は頷く。
「そう、“エデン”だ。今や、世界中の人間が足を運んでる。
難民も、信者も、病人も……だが門を潜れるのは商人と、あとは——勇者くらいなもんさ」
静かな言葉が、馬車の中に響いた。
「……エデンか」
ヴィヌスは、瞳を細めて空を見上げた。
春風が揺らした髪に、次なる国の気配が流れ込む。
—その国の真実を、まだ誰も知らない。

——

馬車が丘を越えた瞬間だった。
道のど真ん中に、ひときわ目立つ男がぽつんと立っていた。
赤い肌に、ごつい体躯。そして一本も揺らがぬ自信。
あまりにも堂々と立ち尽くしているその姿に、御者の手綱が止まった。

「……おい、あれ……どける気、なくね?」
サタヌスが眉をひそめて呟く。
まるで道が自分のものだとでも言いたげなその立ち姿。
避ける気配どころか、「なぜ私が?」という風情で、風を受けて立っている。
ガイウスが半身乗り出して叫んだ。
「おい!そこ、通るぞ!」
男は動かない。
手をゆっくりと上げて、制するように片手を前へ差し出す。
「止まれ」
その一言。静かな声。だが、重みがあった。

「……なんだコイツ……バカでかいし、めっちゃ仁王立ちだし……」
ヴィヌスが肩をすくめる。
「こっちが避けろって空気出してくるの、逆でしょ普通……」
「名を名乗れ」
ガイウスが再び呼びかけると、ようやく男は口を開いた。
「マルス・フローガ。魔王軍、六将のひとりだ」
「はァ!?なんでここにボスキャラいんだよ!」
サタヌスが半ば叫び、御者が「ひぃっ」と馬の影に隠れる。
「いや、マジで。今、国に入る直前よ?もうちょっと段階踏もうぜ……!」
それでもマルスは、まったく悪びれもせず。
ただ「当然」と言わんばかりに立ち続けていた。
「この道を通るならば、こちらも“見る”義務があるのでな」
馬車が軋む音を立てて止まり、三人が身を乗り出した。

マルスは、仁王立ちのままじっと馬車を見据えると、まったく迷いもなく口を開いた。
「お前が勇者ガイウスだな」
「……えっ?」
ガイウスが少し嬉しそうに、でもどこか身構えて返す。
……しかし、次の瞬間。
マルスはそのまま彼をスルーして、横にいたサタヌスへ向き直った。
「お前のことは聞いている。メキア駐屯地を落とし、カリストを退かせたとか」
「えっ、俺!?いや……って、ちょ、でか……っ!?」
サタヌスが身を引く。見上げる角度がもはや不自然なほど、マルスはデカかった。
ガイウスの身長188ですら、まだ“人間サイズ”だった。
マルスはそれよりさらに1回り大きく、まるで小屋の屋根を見上げて話してる気分だった。

「でッ……でけぇ……!」
呟いたサタヌスの背後で、ガイウスがじっとマルスを見ていた。
完全に無視された。
顔を見て名前まで呼ばれたのに、そのまま通り過ぎられたのだ。
大きな犬が、「待って、今、俺の話じゃなかった!?」と目で訴える時のような。
そんな情けない顔をしていた。

「お、おい俺だよ!?俺がガイウスだよ!?!?」
「……ああ、済まぬ」
マルスは一拍置いて、ようやく振り返る。
「私は人の顔を覚えられぬのだ」
「そっちも十分ヤバいからな!?」
こいつ天然だ。それもかなり。
しかもド級にタチが悪い。

「カリストが珍しく泣き喚いてたからどんな奴か見に来たが……」
マルスの視線が、ガイウスに向けられる。
目は細く、鋭い。
相手を切り裂くのではなく、見透かすような“獣”の眼光だった。
ガイウスも臆せず見返そうとしたが……。
自分より1回り大きい男を、見上げる形になるのは思いのほか慣れていなかった。
ぐっと首を傾け、やや不機嫌そうな眉を寄せて、唇を引き結ぶ。
そんな様子を見て、隣のヴィヌスがぽつりと呟いた。

「みなさい、大型犬の威嚇よ」
「犬種は?」
と、すかさずサタヌスが乗る。
「そうね……ジャーパンシェパードと、マスティフかしら」
「でけぇ……っていうか重そう……」
「でも可愛いでしょ?あの、口の端ちょっと引きつってるとことか」
マルスはそんな会話には全く気付かぬまま、静かに言葉を落とした。
「……お主、随分目が曇っておるな」
「はあ!?」
不機嫌+困惑=さらに大型犬化するガイウス。
「目……って、おい何がだよ!?」
マルスは何も答えず、ただじっと、その“目”を、そして“奥”を見ていた。

「力はあるようだが未熟だ」
「は?」
「まぁいい、精々精進することだ」
そう言って赤肌の鬼・マルスは用が済んだとばかりに肩の衣を靡かせる。
てっきりアンスロポス連合へ入る前に勇者を潰しに来たのだと思っていたのに。

何より引っ掛かったことがある。
-目が曇っておるな。
マルスは確かにそう言った。
「おい、お前!」
「……」
「お前、六将だろ!目が曇ってるって何がだよ!?」
いつもは出さないような感情的な声を出し、ガイウスがマルスに詰め寄る。
「……」
しかしマルスは答えない。
ただその鋭い目で、じっとガイウスを見詰めていた。

「……え?」
「お主は、“目”で判断しすぎだ」
「は?何を言って……」
「……ではな」
そう言って、マルスは去っていった。
後に残されたのは、呆然とする勇者と。
呆けた姿を笑う様に上空で鳴く、鳥の鳴き声だけだった。

「な……なんだったんだ……?」
「……さぁ?そ、それよりもうすぐ関所だぜ」
サタヌスはそう返し、先に荷台へぴょんと乗り込んだ。
そしてヴィヌスが手綱を握る馬車の荷台の縁にぴょんと座ると。
風に乗って運ばれてきた花弁を口で受け、弄び始める。
そんなサタヌスの言葉にガイウスは思考を切り替え「関所か……」と呟いた。

「あーびっくりした、鬼って話には聞いたが本当におっきいのね。リーダーより背高かったわ」
「2メートルはあったな……くそ、俺毎日牛乳飲んでんのに~」
邂逅を時間にすれば3分足らず。
しかし190手前のガイウスよりさらに頭1つ大きな赤肌の鬼。
その存在感は、ガイウスの脳裏に強く刻まれることとなった。

マルスとの邂逅を終えたあと、勇者一行は再び馬車に揺られていた。
道の先には、アンスロポス連合の白い関所門がうっすらと見えはじめている。
静かに風が吹く中、ガイウスは一人、腕を組んで難しい顔をしていた。
「……魔族の言うことなんか……気にすることはない……」
声にならないほど小さく呟き、目を伏せる。
「……あいつが何を見たっていうんだ……“目が曇ってる”……は……」
サタヌスが荷台の隅で寝転びながら目を開けた。

「またブツブツ言ってるよ、リーダー」
「うるせぇ……」
ガイウスは顔をそむける。だがその視線の先には、さっきまでマルスが立っていた場所が見えた。
仁王立ちで、迷いなく言い放った“あの目”が、まだ脳裏に焼きついて離れない。
「……目で判断しすぎ、か……」
ヴィヌスがそっと目線を横に流す。
風に乗ってふわりと揺れる白髪が、沈黙のなかで彼の隣に触れた。
「気にしてるじゃない。可愛いわね、シェパード君」
「やかましい……」

白い関所門が、そびえるように目の前に現れた。
壁には美しい彫刻と神の象徴が刻まれ、門そのものが一種の“神殿”のようにも見える。
門兵たちは白銀の鎧を纏い、無表情に立ちはだかっていた。
その中心、一人の兵が一歩前に出る。
「止まれ。この先は聖域——アンスロポス連合の領土だ。身分を示せ」
ガイウスが前に出て、はっきりと言った。
「……勇者だ。通してくれ」
門兵は一拍置いて返す。
「勇者の証拠を見せてくれ」
ガイウスは小さく舌打ちして一歩前に出た。
その目はどこか不機嫌、だけど確固たる決意を宿している。
「見せりゃいいんだろうが」
そう言って、ガイウスは手をぐっと掲げた。
次の瞬間。
手の甲に、七芒星の紋章が閃光のように浮かび上がる。
青と紫の輝きが交錯し、まるで電子基板が駆動するかのような光が脈動する。

「……っ、聖痕だ……!」
門兵たちがざわめき、膝をつく者もいた。
その間にも、ガイウスはじっとその光を見つめていた。
眉をひそめる彼の表情はどこか言い訳がましく。
「……魔族の言葉なんか、関係ないだろ……」
小さく、誰にも届かない声で、そう呟いた。