ナイフを構えたまま、デクシアはニッコリと笑う。
まるで友達に話しかけるみたいな調子で、軽く頭を傾けた。
月光が屋根瓦に反射し、冷たい夜風が吹き抜ける。
屋根の上、デクシアはナイフを構えたままニッコリと笑う。
その笑顔は無邪気だが、目の奥には狂気が潜んでいる。
「ねぇ、勇者ってさ……」
ナイフを逆手に握り、月光を裂くように振りかざす。
「どこ切り取っても最高の材料になるんだってさ!」
デクシアは、一瞬で間合いを詰め、ナイフを突き出す。
ガイウスは剣を持ち上げ、刃先でナイフを受け流す。
その衝撃で瓦が砕け、粉塵が夜風に舞う。
「おっと、速いな……」
デクシアの動きが速すぎて、軌跡が霞んで見える。
反射的に剣を振り下ろすと、ナイフと火花が散り、音が夜空に響いた。
「だから●●切り取って、プレゼントしようと思うんだ」
「死んでね♪ おっさん。」
表情はそのまま笑顔。
口角だけが吊り上がり、目の奥には殺意の色がにじむ。
デクシアの笑顔は鬼のような殺気に歪み、その手にあるナイフが月光を裂いた。
「親思いだな。……断るぜ」
ガイウスは、眉1つ動かさず答える。
「そこ切られたら、オトコの尊厳死んじまう」
次の瞬間、屋根の上で2つの影がぶつかった。
鉄が鳴る音。足場が崩れる音。
一撃一撃に込められた、“本気の殺意”と“軽口の仮面”。
次の瞬間、デクシアのナイフが目の前に迫っていた。
ガイウスは剣を縦にして受け止めるが、ナイフの軌道が異様に速い。
剣先を弾かれ、右肩を掠めるように切られた。
「くっ……」
血が滲むシャツに、デクシアが舌なめずりをしながら笑う。
「ほらほら~、勇者が血流してる~♪」
「ちょっと遊びすぎたな……」
ガイウスは傷口を抑えながら、ゆっくりと間合いを詰める。
だがデクシアは、嬉々としてナイフを振り回し、 その動きがまるで踊っているように見える。
「ねぇ、もっと切らせてよ~♪ 勇者の血、きっと貴重だよねぇ!」
「そりゃどうも。でもオトコの尊厳には触れるなよ?」
ガイウスが軽口を返すと、デクシアがわざとらしく肩をすくめた。
「そっかぁ、やっぱ勇者って“そこ”はデリケートなんだ?」
「当たり前だ。誰だって痛いとこ突かれりゃ嫌がるもんだ」
「じゃあ、そこ狙っちゃおっかなぁ~?」
デクシアのナイフが再び突き出される。
ガイウスは瞬時に体をひねり、ナイフを剣で弾き飛ばす。
屋根の上の夜風は冷たく、月光だけが二人の影を細く引き伸ばしていた。
互いの呼吸がぶつかる距離で、デクシアが口角を上げる。
「……聞いちゃいたが、強ェな」
血の味を確かめるように、舌で口元をなぞる。
「そりゃそうか。あの“カリスト将軍”ぶっ倒してアンスロポスに来たんだもんなァ!」
挑発とは違う。
純粋な“評価”の声だった。
ガイウスは剣を構え直し、目だけで問い返す。
「俺じゃ敵わないってか?」
デクシアは一瞬、ニヤリと牙を見せた。
「いや?」
短い否定のあと、少年の空気が一変する。
「——こっからは“マスター”の構えで相手してやるよ」
夜がひりついた。
猫のように背を丸め、足を大きく開き、片手のナイフを逆手に。
もう片方の刃は正手で持ち、肩は斜めに落とす。
影が二重になり、気配が沈む。
まるで“生きている影”そのもの。
ガイウスは息を呑んだ。
理由は分からない。
デクシアは完全に“師の型”に入った。
背骨がしなる。
次の瞬間、夜の瓦が砕けるほどの速度で、少年が弾けた。
戦いはここからが本番だった。
「二刀流か……!」
間一髪で剣を横に流し、二本目のナイフをも弾く。
だが、デクシアの動きは止まらない。
狂ったように笑いながら、刃を何度も何度も振り下ろす。
ガイウスは流れるように受け流しつつも、その速さに僅かに押されている。
「勇者ってやっぱ面白いねぇ♪ もっともっと切らせてよ!」
その楽しげな声と裏腹に、ナイフの一撃一撃には確実に殺意が込められている。
ガイウスは深呼吸し、焦りを押し殺す。
「なら……やれるもんならやってみろよ」
一歩踏み込み、剣を下から斬り上げる。
その鋭さにデクシアが一瞬怯んだ。
「へぇぇ……やっぱいいねぇ、勇者ってさ」
デクシアの笑顔がより狂気じみて歪む。
だがその瞳の奥には、ほんの一瞬だけ恐怖の色が浮かんでいた。
激しい衝突が続く中で、デクシアが一瞬後ろへ飛び退いた。
ガキみたいに舌打ちをしながら、彼はポーションを取り出した。
「クソ!切れそう」
ポーションの瓶の蓋を外す音が、夜空の下に響く。
その手から放たれるのは、ただの薬の匂いではない。
“何かが入っている”という、異様な重さを感じさせる。
ガイウスがその瓶を見て、眉をひそめた。
「お、おい?この国のポーションは麻薬入りって……」
デクシアが瓶をひと振り、口に近づけた。
その目は、本当に美味そうに見えるものを口にする瞬間の。
まるで禁断の快楽を味わうような顔だった。
「あぁーーー沁みるわぁ」
まるで恋人に手を伸ばすように、ポーションを流し込む。
その口元が、満足そうに歪んだ。
ガイウスは、息を呑んだ。
「……」
言葉が続かない。
だが、デクシアは楽しげに笑った。
「おっさん、飲む?」
デクシアの目は、まるで遊びの延長線上で話しかけるように軽やかだった。
ガイウスは少し間を置いてから、冷静に言い放った。
「俺は20だ」
その言葉に、デクシアが口元をにっと歪ませる。
まるで彼が“常識に縛られていることを嘲笑うように”。
そして、急に雰囲気が変わる。
デクシアはポーションをしまい、ナイフを構え直した。
その目は一変して、冷徹そのもので、今度は決して容赦しない目をしていた。
「やるならやってみろ、おっさん」
デクシアの動きが明らかに早くなった。
目で追えないレベルの踏み込み。
刃が音を裂いて、屋根瓦が砕ける。
「なあ俺、ちょっと驚いたんだけど!!」
ガイウスは血の付いた剣を拭きながら首を傾げる。
「……なんだよ、今さら」
デクシアはナイフを肩に引っ掛け、興奮気味に続けた。
「勇者様ってさ!
アルキードのお貴族みたいな喋り方すんだな!?
あの“上流階級の発音”だろ!?」
「は? 俺は田舎者だぞ、貴族とか——」
「いやぜってぇ違うわ!!」
デクシア、めちゃくちゃ食い気味。
「任務でアルキード王国行ったときよ!
王様のスピーチ聞いたんだけど、あれと同じだった!!
お前どう見てもお坊っちゃまだよ!!」
ガイウスは刀を落としそうになる。
「違うわぁ!! 俺は普通の人間だ!!」
「どこが!?イントネーションが貴族なんだよ!!」
「お前、敵のくせに聞くとこ細かすぎんだろ!!」
夜の屋根に響くのは、罵倒とも笑いともつかない騒音だった。
剣戟が何度も交差し、火花が散る。
デクシアの動きが速すぎて、ガイウスは受け流すだけで精一杯だ。
だが、その速さに異常さを感じ取ったガイウスが、ふと息を整えた。
「お前……どこまでやる気だ?」
冷静な声に、デクシアがナイフを構えたまま首をかしげる。
「どこまで? そりゃあおっさんが死ぬまで……あっ、ヤバ! キレた!」
デクシアが急に額を押さえ、呼吸が乱れ始めた。
その動きがわずかに鈍り、足元がふらつく。
「チッ……くそ、やっぱ長持ちしねぇか」
ガイウスは、その様子を見て眉をひそめた。
「おい、お前……」
デクシアが懐からポーション瓶を取り出し、蓋をギリギリと開ける。
「はぁ、はぁ……しゃあねぇ、追加するわ」
その瞬間、ガイウスは一歩踏み込んで、デクシアの手を剣の柄で叩きつけた。
ポーションが手を離れ、屋根に落ちる。
そのまま叩き割れ、中の液体がじわりと瓦に染みていく。
「あーー!! もったいねぇ!!」
デクシアが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「せっかく宿屋の子用に取っといたのにぃ!」
「宿屋の子……?」
ガイウスがふと、記憶を辿る。
リプカの宿屋で見た、無表情で震えていた少女—レベッカ。
彼女が、麻薬の影響で魂の抜けたようになっていた。
「……レベッカか」
ガイウスの呟きに、デクシアが小首をかしげる。
「はぁ? そんな名前なん?悪ィ俺、ヤク仲間の名前覚えてねぇんだわ」
その無邪気さに、ガイウスの拳が震えた。
「てめぇ……あの子に何した?」
「んー? 悩んでた様子だったから、優しくしてやっただけだよ」
デクシアは涼しい顔で言い放つ。
「怖がってたからさぁ、“これ飲めば怖くないよ”って渡してやったんだ」
「……お前が? あの子に?」
「そうそう。いやぁ、いい子だったわ。あのままじゃ潰れてたしねぇ」
悪気ゼロのトーンに、ガイウスは唇をかみしめた。
「お前……それ、麻薬入りだろ」
「そりゃあそうよ? だって勇者の相手するのにまともじゃやってられねぇし」
ガイウスが一歩踏み込むと、デクシアが笑いながら後退する。
「てかさ、おっさんも飲む? めっちゃ気持ちいいぜぇ?」
「……ふざけるな!」
ガイウスが怒りを抑えつつ剣を振り上げると、デクシアは無邪気に笑いながら言い放つ。
「何キレてんだよ、おっさん! あの子もおっさんも、同じ仲間だろ?」
「誰が同類だ……!」
剣を振り下ろすと、デクシアが紙一重でかわし、瓦が粉砕された。
その破片が舞う中、デクシアは肩をすくめる。
「つーかさ、そっちが勝手にキレてるだけじゃん?
俺が悪いんじゃなくて、おっさんが面倒見なかったのが悪いんだろ?」
無邪気な笑顔。
だが、ガイウスはその無垢さが何よりも恐ろしく感じた。
「お前……“仲間を増やす”タイプのジャンキーか」
ガイウスが呟くと、デクシアがケラケラと笑った。
「そーだよぉ。だって楽しいほうがいいじゃん♪
俺が楽しくなきゃ、他のやつも楽しくないっしょ?」
「……最低だな」
ガイウスの言葉に、デクシアがニヤリと笑う。
「最低? そっちのほうが楽しいぜ? 真面目に生きるの、ダルすぎるもん」
その言葉に、ガイウスの目が鋭く光った。
「……そっか。じゃあ、ぶっ壊してやるよ。お前のその“楽しさ”をな」
「へぇ、できんの? 楽しみだねぇ♪」
二人の視線が交錯する。
月光の下、狂気と正気が入り混じった戦場。
次の瞬間、ガイウスが剣を突き出し、デクシアが再びナイフを振りかぶる。
そして、その瞬間だった。
ガイウスの手の甲に——光が走った。
「チッ……しょうがねぇな」
青と紫が入り混じる、虹に似た光が、ガイウスの聖痕を浮かび上がらせた。
「おい、クソガキ」
「ここからが本番だ。覚悟しとけ。」
光が夜を裂いた。
デクシアの笑みがピクリと引きつる。
「へぇぇ……っ、やっと本物出てきたぁ……!最高だね、勇者!!」
「潰す!斬る!!持ってくゥ!!」
二人の本気が、ついにぶつかる。
それからどれ程時間が経過したか。
聖痕が輝き、剣を構えるガイウスに、デクシアの動きがピタリと止まった。
一瞬の静止。
そして——異様な、吐息混じりの笑み。
「あぁ……もうダメッ……ごめんおっさん!俺退くわ」
「ほんっと無理、限界、ヤク切れた〜〜!!」
ガイウスが一歩踏み出す。
「待て!!」
だがその瞬間、デクシアは目を細めて、まるで旧友と別れを惜しむように笑った。
「おっさんと二人で酒すんの最高だったぜぇ!!人生最高ぉ!!アッハハハハ!!」
そして—彼の足元に、黒い光が蠢く。
地面に滲むように現れた暗殺教団の紋章が一瞬で膨張し、煙のように彼の体を包んだ。
転移。
音も、気配も残さず、デクシアの姿が消えた。
そこに残されたのは、瓦礫の屋根の上に立つガイウスと。
夜風に吹かれて微かに揺れる空気だけだった。
「……チッ」
ガイウスは剣を下ろし、聖痕の光を握りしめた。
「本当にムカつくタイプだぜ、あの野郎……」
だがどこか、その言葉には焦燥でも、怒りでもなく— ただ、得体の知れない不安が滲んでいた。