アンスロポス連合-冥府の島へ - 1/5

空間は“静かに”白く染まり、アリスの瞳に初めて「恐怖」の色が浮かぶ。

その感覚が、どこかで味わったものに似ていると、ふと脳裏に閃く。
……あれは、幼い頃。
マスターアサシンに手を引かれ、“深月城”の奥座敷に案内された時のこと。
――白い軍服を纏い、女性と見紛うほどの美しさを持つ青年。
鋭い金の目、長い青銀髪。
兵士たちを正座させ、静かに、けれど冷徹に叱責していた。
「理由は聞きません。この場で氷漬けにします」
「か、カリスト様ぁぁ!!それだけは!それだけはあああ!!」
「くどい」
ぱちん、と指を鳴らすだけで、足元から無数の氷の蔦が広がり、
兵士たちはひとり、またひとりと凍りついていく。
その表情に、哀れみも怒りもなかった。
ただ静かな“執行”――冷気が、言葉よりも重く空間を支配していた。

兵士たちが凍りついたあと、深月城の中庭には、雪の降らないはずの沈黙が落ちていた。
白い軍服の青年――カリストは、しばらく動かなかった。
それは哀悼でも後悔でもない。
ただ「処理が終わったあと」の、職業的な間。
その時だった。
視線の端に、小さな気配が引っかかった。
柱の影。
赤い服の、幼い少女。

(……ああ)
半分は、長年の戦場勘。
もう半分は、生まれつきの長男気質。
カリストは、氷の残滓を踏み砕きながら、わざと音を立てて少女のほうを向いた。
跪いて、視線の高さを合わせる。
白い軍服は、まだ死臭と冷気を纏っている。
それでも――声だけは、驚くほど柔らかかった。

「大丈夫だ」
少女――ロリスは、何も答えなかった。
ただ、その金色の瞳で、じっと彼を見つめている。
カリストは、少し困ったように微笑んだ。
「これは、怖いことじゃないよ」
「お兄さんがやったのは、“終わらせる”仕事だ」
言葉を選んでいるようで、実は何も誤魔化していない声音。
彼は、そっと手を差し出す。

「ここは寒いだろう?あっちでお話ししよう」
その仕草は、誰かを“守るため”というより、
すでに壊れたものを、これ以上壊さないための距離感だった。
ロリスは、しばらく迷ったあと、その手を取らなかった。
代わりに、小さく首を傾げて聞いた。

「……みんな、ねてるの?」
カリストは、一瞬だけ目を伏せる。
「そう。とても、深い眠りだ」
嘘ではない。
だが、優しい真実でもない。
それでもロリスは、なぜか安心したように、小さく頷いた。

――この人は、“怖いこと”を、怖いと言わない人だ。
その感覚だけが、氷よりも深く、ロリスの胸に刻まれた。
のちに、神官が怒り、神が裁き、血が凍る呪いを浴びたとき。

アリスの脳裏に蘇ったのは、神の顔でも、聖女の肖像でもない。
死臭のする白い軍服で、膝をついてくれた「お兄さん」だった。
「これは、怖くないよ」
その声と、今、自分を包む冷たさが――あまりにも、よく似ていた。

血が内側からきしみ、冷たさが全身を突き破っていく恐怖を、まざまざと実感する。
(この「氷」は、“神”の力なんかじゃない。
あの白い軍服の、美しい“処刑人”の、絶対的な意思――)
思考が凍りつく、その直前。

アリスの金色の瞳が、ほんの一瞬、懐かしさに揺れる。
「……演目、終了…………♡」
その言葉を最後に、彼女の体は氷の結晶となって砕け、静かに消えた。
夢も現も、祝福も呪いも、ひとつ残らず凍てつかせていった。

白い冷気の中、メルクリウスは膝をつく。
凍った瓦礫に崩れ落ち、肩を震わせる――
氷の結晶となったアリスが静かに消え、膝をつくメルクリウスの肩が震える。

「……やった……殺した……」
「僕は……破門確定だ……!」
そこにサタヌスが、何のためらいもなく言い放つ。
「いや、ガキ殺しただけじゃん」
一瞬、空気が凍りつく。
ヴィヌスが「ちょっと!」と睨む前に。
メルクリウスが――普段の静けさを捨てて、振り返りざま叫ぶ。

「違う!! 違うんだ、サタヌス……」
「彼女は……エル家唯一の生き残りだぞ!?」
「その意味が、この国ではどんなに重いかわかるか?」
「初代聖女の血が……今、僕の手で消えたんだ!!」
声が震え、言葉が切れ切れになる。

「――あの血を絶やすのは、国家の“根っこ”ごと断つってことなんだ……!」
しんと静まる空気。
メルクリウスは肩で息をして、目をそらす。
誰もすぐに返せない“重さ”が、場を支配する。
その時、氷をガリッと踏みしめてリュコス団長が歩み寄る。
ドカッと隣に腰を下ろす。
「……オイ」
「冷気魔法ひとつ撃ったくらいで破門なら、俺もう30回は破門されてるぜ?」
ケタケタと笑い、第五師団の部下たちも「それな」「俺も20回は」とにぎやかに応える。
温かさが、白い戦場にじわりと広がる。

「……団長、それは……」
リュコスは真顔で片目をウィンク。
「お前の“氷”は誰かを救った。あの女を裁くのは教会じゃなく、お前自身だったってだけさ」
「……ま、でもその顔は、30回破門されてもやってける顔だ。な?」

メルクリウスは手で顔を隠しながら、小さく震える声で笑う。
「……団長さんって、ほんと……破天荒だな」
「ふははは~!褒め言葉だぜぇ~?」
静寂が訪れる。
氷の残滓、血と霜の残り香。
メルクリウスは額の銀輪に手を伸ばし――
「……僕は神官失格だ」
「殺すために神の名を借りた……その報いは受けるべきだ」
そう呟きながら輪を外そうとした手を、ガイウスがバシッと掴む。

「は?」
「……それがねぇと、お前って感じしねぇだろ」
口調は軽いが、目だけは真剣。
“理屈じゃない赦し”が、そこにあった。

メルクリウスは少し目を見開き、すぐに苦笑する。
「……君は本当に、軽くて重いね」
そっと輪を元に戻す。
ヴィヌスは呆れ顔で肩をすくめる。
「そんなもの、最初から“正しい神官”だなんて思ってなかったけど?」
「この腹黒糸目が“良い子”だったら怖ぇよ」
メルクリウスは最後に、そっと小さく呟く。
「……ありがとう」
言った途端、照れくさそうに目をそらして――仲間たちと共に、静かな戦場を歩き出す。

静まり返った凍てつく大聖堂。
地下牢から、足音も忍ばせてシャルロッテが恐る恐る現れる。
白い外套に覆われたその姿は、かつての「箱入り聖女」そのものだったが。
どこか迷いと決意が同居した横顔になっていた。
メルクリウスが、静かに立ち上がる。
その顔にも、もはや“ただの神官”の面影はない。
シャルロッテはきょろきょろと辺りを見回し、震える声で問いかける。

「……プルトは?アサシンたちは……どこ、ですか?」
メルクリウスはほんの一瞬だけ、目を伏せ――しっかり前を向いて答える。
「……もう、誰も居ません」
「真のエル家の血も――ここで絶えました」
その言葉の重みが、礼拝堂の白い静寂に響く。
シャルロッテは、砕けた氷と霜に覆われた聖堂を見渡し。
何が起きたか、全てを理解する。
そっと目を伏せ、膝をつく。

「初代シャルロッテ様……ここまでお導き頂き、ありがとうございます」
指を組み、深く祈る横顔には、もはや“箱入り娘”の影はなかった。
「これからは、私たちの足で歩きます」
自分の意思で歩き、自分の言葉で祈り、“未来”を切り開く。
その覚悟が、はっきりとそこにあった。
メルクリウスは静かに頷き。
“祈り”の意味が、ここでようやく新しく生まれ変わったことを実感する。