アンスロポス連合-教皇庁、突入 - 3/5

転移の光が、ゆっくりと剥がれ落ちる。
最初に目に入ったのは一本の旗だった。
黒地は裂け、煤け、それでも倒れずに立つ布。
赤い狼の横顔が剣を噛み、風を睨むように翻っている。
第五師団-無垢の牙。

「お、約束通り戻ってきたな!」
軽口と一緒に現れたのは、リュコスだった。
「てっきりよ、リプカで腰抜かして戻ってこねぇかと思ったぜ」
その言い方は“生きて帰ると信じていた奴”にしかしない冗談だ。
メルクリウスはローブの裾を払うように一歩前へ出る。
表情はいつもの穏やかさ——だが、逃げ場を失った覚悟が滲んでいる。

「僕はそこまで臆病者じゃないよ」
「……改めて紹介しよう、ガイウス君」
彼は旗の方へ、視線を向けた。
「彼らが第五師団、無垢の牙だ」
風が強くなり、旗が大きくはためく。
布の裂け目から、戦場の空が覗いた。

灰色の朝、砕けた石畳に靄が残る聖都の広場。
焼け跡の向こうで、まだ赤い狼の旗が風を裂いている。
サタヌスはその前で、仰ぎ見るように立っていた。
リュコスが一歩、歩み寄る。黒焦げの外套を翻しながら。

「おいマーク、また渋い顔してんじゃねーの」
声をかけたその響きには、親しみと悪戯っぽさ、そして長い歴史の温度が混ざる。
「お前の頭痛の種だった蛇骨は、きっちり潰してきたからな。礼の一つも言ってくれや」
リュコスは腕を組み、余裕しゃくしゃくと肩を揺らす。

メルクリウスは振り向きもせず、ローブの裾を整えたまま応じる。
「……団長さん。その言い方だと、どこまでやったかが僕の想像の範囲内になる」
「で、どの辺まで“やった”のか、聞いてもいいかい?」
すかさずネリアが割り込んでくる。顔を真っ赤にし、腕まくりで元気MAX。
「えーとね、団員はとりあえず全員ムショ行き! ギルドハウスも派手に燃やしたよ!」
「それだけじゃないよ、蛇骨と一度でも取引した商人ギルドも締め上げてきたから! どお?褒めて褒めて!」
無垢の牙は、他のどの騎士団とも違う。
徹底的に「再起の芽を摘む」こと。
どんな泣き落としや裏取引が来ようと「一切情をかけない」こと。
それだけが絶対ルールだ。

第一師団の“優等生”たちにこれをやれと言ったって、絶対に無理だ。
彼らは良心と教義に従って動く。
弱者や泣き落としの前では、どうしても剣を収めてしまう。
だが、それはこの国の裏側――腐った根っこには一切効かない“甘さ”だった。

サタヌスが遠慮なく口を挟む。
「えげつね~!でも確かに、パラディンじゃそこまで踏み込めねーわ」
シルヴァが一歩前に出て、厳しい目で言い切る。
「“正義”に綺麗な形なんて求めません。必要なのは、徹底的な断絶ですわ」
「第一師団の皆様には、絶対に任せられない仕事――それが、わたくしたちの役目です」

そこには躊躇も、戸惑いもなかった。
無垢の牙――“聖騎士”の皮をかぶった、最も現実主義で最も非情な実行部隊。

――だが、その手が本当に救おうとしているのは、
未来のどこかにいる“まだ名もなき被害者”だけなのかもしれない。

リュコスはにやりと笑って、メルクリウスの肩を軽く叩く。
「こいつとはなあ、小坊主の頃から一緒だったからよ。裏路地でなにやらかしたって、全部バレてたんだよな」
メルクリウスも、静かに肩をすくめるだけ。

「そういう意味じゃ、今も昔も変わらない。君の尻拭いが僕の仕事みたいなもんだ」
「いやいや、俺のほうが何度マークに命拾いさせてもらったか、数え切れねーぞ?」
「嘘は良くないよ団長。大袈裟なこと言うのは、昔から癖だろ」
朝の光が、旗の狼紋章を赤く染め上げる。
無垢の牙の面々は、そこでしばしだけ笑い合った――
それがこの世界で一番「戦友」らしい絆の、何気ない始まりだった。

不良神官メルクリウス。
左遷された第五師団。
そして、世界を壊してなお歩く勇者たち。
旗が再び風を切る、それは歓迎ではない。
「ここから先は覚悟しろ」という、静かな宣言だった。
——無垢の牙は、今日も前線に立つ。

鎧も外套も統一感はない。
だが——全員の足元は、同じ戦場の土を踏んでいる。
「おい勇者ども!!」
真っ先に声を張り上げたのはリュコスだった。
片手を腰に当て、もう片方で親指を後ろに向ける。
「イカれた仲間を紹介するぜ!!」
即座に、隣から低い声。

「……マジでイカれてるから困るんだ」
メルクリウスが、ため息交じりに小声で補足する。
「自己申告じゃなくて事実なのが一番タチ悪い」
ガイウスは内心で頷いた。
この時点でもう嫌な予感しかしない。
最初に一歩前に出たのは、銀髪の女騎士だった。

「わたくしはシルヴァ」
優雅に一礼。
しかしその笑みは、どこか鋭い。
「元は第一師団におりましたが……」
少しだけ肩をすくめる。
「殿方の顎を打ち抜いてしまい、こちらに左遷されましたの」
「顎打ち抜いた!?」
ガイウスの素のツッコミが飛ぶ。
「ええ♪」
悪びれもせず。
「骨は意外と脆いですわ」

その隣で、眼鏡の中年男性が静かに手を挙げる。
「わたしはトゥラン」
淡々とした声。
「左遷理由は……」
一瞬、間。
「……心当たりがありすぎますね」
「胡散臭すぎるわ……」
ヴィヌスが即座に距離を取る。

次の瞬間。
「私ネリア~!!」
元気いっぱいの声と同時に、導火線に火のついた爆弾が掲げられた。
「爆破できる場所はどこ!?」
「ここ!?それともあっち!?」
「ちょっと待て!!」
サタヌスが慌てて前に出る。
「こいつ、初対面で爆破しようとしてくるぞ!?」
「味方だよな!?なぁ!?」
「たぶんね~♪」
全然安心できない返事だった。

最後に。
一人だけ、何も言わずに立っている人物がいた。
フードを被り、視線を伏せたまま。
しばらくして、その人物が小さな板を取り出し、文字を書く。
《ノアです》
それだけ。

ガイウスは一拍置いて、真顔で言った。
「……すげぇ。喋らないやつが一番まともに見える」
第五師団・無垢の牙。
規律も、品位も、常識も全部どこかに落としてきている。
だが誰一人として、戦場から逃げた目はしていなかった。
メルクリウスが小さく息を吐く。

「……これが僕の“居場所”さ。安心したかい?」
ガイウスは、ゆっくりと頷いた。
安心はしない。
だが——背中は預けられる。
それだけで、十分だった。
第五師団。集結。
聖地が戦場になった世界で、
いちばん信用できるのは——イカれた仲間たちだった。

「勇者様方が通れるよう、アサシンの皆様は——」
シルヴァは剣を肩に担いだまま、にこやかに言いかけて、
「……ぶちのめ……」
一瞬、咳払い。
「もとい。“お掃除”したつもりですが」
その視線は、すでに崩れかけた回廊の奥を見据えている。

「流石に暗殺教団ですわね。まだ気配が残っています」
「数手に分かれたほうが、よろしいかと」
「ん~、じゃ俺は——」
サタヌスが軽く首を回し、進路を選ぼうとした、その瞬間。
「……ん?」
「……え?」
同時に、ネリアが足を止めた。
二人は、まるで何かに引っ張られたみたいに。
互いの顔をまじまじと見つめる。
その瞳の奥に刻まれているもの——まったく同じ、同心円状の模様。
サタヌスが指差す。

「目が……グルグル?」
ネリアも、自分の目を指して。
「え、そっちも!?」
一拍。
サタヌスの顔が、ぱっと輝く。
「まさかお前と俺——」
ネリアも同時に、声を張り上げる。
「同族~~~~~!!?」
完全シンクロ。
次の瞬間、二人は勢いよく肘をぶつけ合った。

「わかるわ~!!」
「爆発ってテンション上がるよな!?」
「わかる!!」
「理屈より勢いだよな!?」
言葉もなく、すでに“分かり合っている”目。
——こうして、聖都いち危険なコンビが誕生した。

「おい」
ガイウスが、呆然としたまま口を開く。
「出会って……まだ一分も経ってないぞ」
リュコスは、豪快に笑った。
「いいじゃねぇか!!」
「友情ってのはよ、時間じゃねぇんだぜ!」
「危険度の話をしてるんですけど……」
メルクリウスが額を押さえる。
その横で、ヴィヌスが小さく溜息。

「……最悪の組み合わせが生まれたわね」
一方サタヌスとネリアは、もう作戦会議に入っていた。
「なぁ、正面ドカンしてから左右ドカンは?」
「いいね!じゃあ最後に一緒にドカンね!」
分かり合いが早すぎる。

戦場は広がり、暗殺者は潜み、聖都は未だ血を流している。
——だがこの瞬間、誰よりも楽しそうなのはこの二人だった。
友情は、時に戦況を変える。
そして時に——被害を倍にする。

「では私は」
トゥランが、きっちりと背筋を伸ばして一歩前に出た。
「神官様と同行させていただいても、よろしいですか?」
メルクリウスは一瞬きょとんとしてから、眼鏡の奥で目を細める。
「いいよ」
軽く肩をすくめて。
「インテリ属性つながり、ってやつかな?」
トゥランは否定も肯定もせず。
「それもありますが——」
一拍置いて。
「貴方との雑談、面白そうですから」

「……理由が不純で助かるな」
メルクリウスは小さく笑った。
「じゃあ行こうか、頭を使う係同士で」
その横で。
「なぁガイ!!」
サタヌスがガイウスの背中をバンッと叩く。
「お前、血の気多いだろ!?」
「そのシルヴァってねーちゃんと組め!!」
「勝手に決めるんじゃない!!」
ガイウスが即座に噛みつく。

「じゃああんたはどうするんだよ!?」
答えるより先に、シルヴァが一歩近づいた。
目を細めて、値踏みするようにガイウスを見る。
「わたくし。血の気が多い殿方って——」
にっこり。

「キライじゃありませんわ」
「……っ」
ガイウスが一瞬、言葉に詰まる。
サタヌスはそれを見て、満足げに親指を立てた。
「ほらな!!凶暴同士、相性いいって!!」
「それ褒めてねぇからな!?」
と言い返しつつも、ガイウスは剣を握り直す。
——妙に、しっくり来ている自分がいるのが腹立たしい。

「私は……」
ヴィヌスが周囲を見回し、最後にノアの前で足を止めた。
「この無口な子、ね?」
ノアは何も言わない。
だが、少しだけ背筋を正し、静かに——こくりと頷く。
「……まぁ、いいわ」
ヴィヌスは肩をすくめる。
「よろしくね」
ノアは懐から板を取り出すこともなく、もう一度小さく頷いた。
その様子は、言葉はなくとも忠実で少し距離感のある——黒柴のようで。
「……なんか癒やし枠だな」
サタヌスがぼそっと言う。
こうして隊は分かれた。

頭脳と理屈の組。
凶暴と凶暴の組。
爆弾と狂気の組。
沈黙と女王様の組。

第五師団・無垢の牙と勇者ズ。
統率はバラバラ。
だが目的は一つ。
——この聖都を、生きて抜ける。
分かれた背中を見送りながら、リュコスが低く笑った。

「いい配置だ」
「イカれてるが——悪くねぇ」
戦場は待っている。
それぞれの“相性”が、血と火花を散らす時間が、すぐそこまで来ていた。