「ガイウス君!」
メルクリウスが声を上げた瞬間、ガイウスはテーブルに倒れ込んだ。
「おい、しっかりして!」
彼の肩を揺さぶる。けれど――反応はない。
呼吸は穏やか。まるで“安らかすぎる眠り”。
すぐ隣で、サタヌスが笑っていた。
「……はは、なんだ……このカフェ、あったけぇな……」
ぐらり、と首が揺れる。
「サタヌス!」
応答なし。
テーブルに額を落とし、短く寝息を立て始める。
「……ッ、ちょっと待て……」
メルクリウスの呼吸が荒くなる。
すでに目の前がぼやけ始めていた。
それでも――彼は見逃さなかった。
ヴィヌスの、赤紫がかった瞳。
すでにピントが合っていない。
「……ヴィヌス!」
返事はなかった、けれど抓った。
意識を保たせるために。反応を確認するために。
「ッ……いたい……」
小さく、苦しげにそう言って、ヴィヌスは力なく肩を揺らす。
「この眠気は……異常だ」
背筋に走る、悪寒。
直観で理解した、いま寝たら終わる。
これは、“ただの眠り”じゃない。
「だから……魔王軍コラボカフェなんて……地雷だったの、よ……」
その言葉を最後に――彼女もまた、静かに意識を落とした。
メルクリウスはひとり、座ったまま震える指先を見つめる。
「……僕も、寝かせようとしているのか……」
テーブルの上、最後に残った水を見下ろし――
ゆっくりと、立ち上がった。
仲間たちが次々と沈黙し、店内はどこまでも静かだった。
唯一意識を保つメルクリウスが、ふらつく足取りで椅子から立ち上がった瞬間――
「……神官様って、早く寝るんだよね?」
カウンターの奥、アリスがにこにこ笑顔で声をかけてきた。
「夜更かしはダメだぞ♡」
その言葉に、メルクリウスは足を止める。
目を細め、口元をわずかに歪めて――静かに答えた。
「……何か盛ったね?」
その言葉に、アリスの笑みが少しだけ深まった。
「や〜ん、ばれちゃった?」
「いや、根拠はない。ただ、そう思ってしまったんだ」
アリスは手にしていた紅茶ポットをそっと戻しながら、
ひとつウィンクをしてこう言った。
「実はねー、アリス、推理小説とか好きなの♡」
「……は?」
「だからね、この人が犯人かもって、読みながらメモしちゃう癖があるの」
「でも、だいたい途中で気付いちゃって……つまんなくなるの♡
最後まで読むの、ほんと苦手なんだぁ〜」
その声は軽い。
まるでお喋り好きの女の子の、他愛ない雑談のように聞こえる。
けれど――その瞳は、明らかに一人の“読者”として、“解いてきた顔”をしていた。
メルクリウスはその視線を正面から受け止める。
そして、メルクリの直感もまた、答えていた。
“こいつがこの空間の“犯人”だ”
二人の間に、声もなく、決定的な火花が散った。
アリスの言葉を聞きながら、メルクリウスは笑った。
眠気に滲む世界の中で、口元だけがはっきりと動く。
「……奇遇だね」
ふっと銀輪に指をかけ、支えるように額を押さえる。
「僕も好きだよ。“誰が勇者を殺したか”――そんなくだらないゲーム、
推理用ノートまで作るぐらい、好きだった」
アリスの指先が、テーブルクロスを弾く。
その音は、まるで小さな拍手のようだった。
メルクリウスは席に手をつき、体を支えながら、
眠気に負けぬよう、自らの腕を爪で抓った。
ビリリ、と痛みが走る。
だが、それでも意識は滲んでいく。
(……冷静になれ。目を閉じるな。考えろ。)
頭の中で、チェックリストを組み立てる。
――睡魔。
――胃部の違和感。
――手足の微かな痺れ。
――意識の沈み込み。
それは、経口摂取による作用だ。
呼吸器からではない。空気ではない。
体の内部から効いている。
(となれば――食事か、飲み物か)
そこで、ふと視線を落とす。
食べかけの皿。
冷めかけたジェノベーゼの隙間から、小さなものが覗いていた。
――錠剤。
銀色に光る、その破片。
「…………ああ、なるほど」
メルクリウスは静かに目を伏せた。
「薬を……混ぜたんだね」
アリスは、ただ微笑んでいた。
何も言わない。
けれど、返答はもう――この世界そのものだった。
「すごいすご〜い♪」
アリスがぱちぱちと拍手をしながら、
カウンター越しに笑顔を送ってくる。
「神官さんすごいね〜、大学どこ出たの?」
その口ぶりは、まるでカフェのバイトが客に冗談を投げかけているようだった。
メルクリウスは、額の銀輪に指を当てながら答える。
「……僕は、ずっと修道院暮らしだ。“大学”なんて、行ったこともないよ」
「写経と、聖典と、誰もいない部屋。それが僕の“学歴”だ」
「すご♡」
アリスは手を頬にあてて目を細める。
「天才ってやつ? こわ〜い」
その言葉には、半分の皮肉と半分の賞賛が同居していた。
そして、アリスはひとつ身を乗り出して“もうひと刺し”を入れてくる。
「でもぉ……なんで、他の人は気づいてないんだろうねぇ?」
その一言に――
メルクリウスの呼吸が、一瞬止まった。
(ッ……そうだ。おかしい……)
視線をゆっくり巡らせる。
食事中に、仲間3人がいきなり眠りに落ちた。
それなのに――周囲の客たちは、まるで何もなかったかのように微笑み、
紅茶を飲み、話し、皿をつついている。
(誰も、声すらかけない……!)
変装でもない。仮面でもない。
演技にしては完成度が高すぎる。
「くっ……」
再び波のような眠気が襲う。
頭が重くなり、首がゆっくりと下がる。
メルクリウスはそれを堪えるように――肘をついて、額を押さえた。
視界が揺れる。
アリスの声が、遠くなる。
「もうさ、早く寝たら〜? 顔色わるいよ?」
その声音は優しい。
子供にお昼寝を勧めるような口調だった。
だが、メルクリウスは――まだ、抗っていた。
椅子の背もたれに寄りかかり、視界がぐらつく中で、
震える手を、ゆっくりとテーブルへと伸ばす。
目の前の、食べかけの皿。
冷えたソースの中に沈んでいた、銀色の欠片。
指でつまみ上げる。
かすれた視界に、それはうっすらと映った。
丸い、うすい青。
夜更かししていた修道士たちが使っていた薬。
確か――彼らはこう呼んでいた。
「ヒュプノス」
錠剤の端に、掠れた印字。
「……ヒュプノ……ス……」
つぶやいた瞬間、指の力が抜けた。
ぽとり、と床に落ちる錠剤。
その音が、やけに遠く響く。
メルクリウスの身体が、ゆっくりと椅子に沈み――額の銀輪が、カタンと机に当たった。
それは、まるで精密な時計の針が、止まる音だった。
カフェの空間に、静けさが降りる。
アリスは、笑っていた。
ただ、いつも通りに、にこにこと。
「……おやすみなさい、神官さま♡」
甘い声が、夜に溶けていった。
静寂が戻ったカフェ。
四人の勇者たちは、まるで人形のように動かず、
眠りの中へ深く沈んでいた。
アリスは手を拭きながら、軽く声を上げる。
「デ〜クシー♡」
返事はすぐだった。
厨房の奥から、軽い足音とともにデクシアが現れる。
「終わった、アリス?」
「うん。寝た。全員おやすみなさい〜って感じ」
アリスが振り返りながら、カフェの天井に目をやる。
「じゃあ、幻灯機。消していいよ♪」
「おっけー」
デクシアが厨房の一角にある制御盤に指を伸ばす。
カフェの照明がわずかに瞬いた。
次の瞬間、そこにいたはずの他の客たちが――
パッと、光の粒になって霧散した。
店員も、背景も。
まるで最初から“勇者専用の劇場”であったかのように、無人になった。
アリスがくるりと回って、倒れたガイウスのそばへ歩み寄る。
「さ、じゃあ運……おっ、重っ!?」
ガイウス、ほぼ190。
しかも筋肉の塊である。
「なにこの勇者、冗談でしょ!?」
「だから言ったじゃん、デカ男って。
こういうとき、絶対俺が担ぐ羽目になるのわかってた」
デクシアが苦笑しながらしゃがみ込む。
「……ねぇ、アリス、俺に任せて」
「はいはい、お願い。腰やるから」
慎重にガイウスを担ぎ上げ、奥の扉へと運び始めるデクシア。
「――次は誰?」
「ん〜、サータかな。軽そうだし」
「油断すると急に暴れるタイプね。ちゃんと眠っててくれるといいけど」
アサシンたちは、笑顔のまま“獲物”をひとり、またひとりと奥へと運んでいく。
店の奥――そこは、ただの倉庫ではなかった。
ガイウスの搬送を終えたデクシアが、汗を拭きながら戻ってくる。
「マジで骨折れるかと思った……あれ絶対中身詰まってるわ、筋肉密度エグい」
アリスはその背を見ながら、くるりと回るように腰に手を当ててにっこり。
「やっぱ男子ってさぁ、力あるほうが推せる♡」
「そういう基準なの!?」
「うん。守ってくれそうな人って魅力じゃん?
あと、重い人運べる男子は実用性高い♡」
「実用性って言うなよ……」
そう言いながら、デクシアは次の“獲物”へと視線を移す。
その横で、アリスがぴょんとしゃがみこんだ。
「じゃ〜、アリスちゃんはこのいちばんちっちゃい子……」
サタヌスをちょいっと持ち上げて、表情がぱっと明るくなる。
「え〜、かる〜い♡」
抱え上げながら、その露出したお腹を見て、首をかしげる。
「っていうかこの腹筋……ボディペイント?」
「いや、あれ多分ガチ筋。地味に鍛えてるタイプ」
「えっ、意外。かわいーのに鍛えてるの……すき♡」
そのまま、アリスはひょいとサタヌスを背負って店の奥へ。
「じゃ、二人目〜♪」
「おいそのテンションで次ヴィヌス運ぶなよ。絶対ブチ切れるぞ」
「わかってるよぉ、でもあの人寝顔はかわいいね〜。写真撮ろ♡」
「やめろぉおおお!」
笑いながら、“眠る勇者たち”はひとりずつ、闇の奥へと運ばれていった――
店内に残るは、あとふたり。
ヴィヌス・ル・カンシェル。
メルクリウス・ゾルクォーデ。
眠るふたりを見下ろしながら、アリスが言った。
「神官様は倉庫行きね。あと3人は……休憩スペースでいいや」
「了解。……倉庫って言い方、なんか物騒だけど」
「だって始末用だもん、スペース必要でしょ♡」
さらっと恐ろしいことを言いながら、アリスはしゃがみ込む。
「ねぇ神官様ってさ、お姫様抱っこしたくならない?」
すやすや眠るメルクリウスの顔を覗き込みながら、無邪気な笑顔で言い放つ。
「顔いいじゃん♡」
デクシアが即座に反応した。
「やーめーてー!!」
「え?」
「俺の前で他の男にそういうことしないで!?」
全力で彼氏面。
アリスはくるりと向き直り、今度はデクシアが担ごうとしていたヴィヌスの方を見る。
「じゃあ、デクシーもさぁ――」
「うん?」
「その人担ぎながら、“おっぱい当たってる……”って顔すんのやめなさい」
「してないって!!?」
完全に図星。
しかもアリスが言った瞬間、彼の視線がバチバチにヴィヌスの胸に刺さっていた。
「アリス一筋だし……!俺そういうのじゃないし……!」
「そういうのじゃないのにガン見♡」
「してないもん!!!(涙目)」
とはいえ、搬送作業は進んでいく。
アリスはメルクリウスの下に腕を通し、まるで壊れ物のようにそっと抱え上げた。
「……ねぇ神官様、意識戻るとこ見てみたかったなぁ」
その声は、少しだけ本音が混ざっていた。
それでも――彼は、“処分用の倉庫”へと運ばれていく。
そしてヴィヌスもまた、アサシンの手によって
何も知らないまま“安らかな眠り”のまま、
暗い空間へと運ばれていった。