アンスロポス連合-血とファンタズム - 3/4

教皇庁の回廊は、幻惑的な光で満ちていた。
だが、リュコスの足取りはぶれない。
山盛りのクッキー、リボン付きのプレゼントボックス、愛らしいぬいぐるみ。
ゆめかわ全開な光景が道を埋め尽くしている。

リュコスは眉ひとつ動かさず、手袋越しにぬいぐるみをつかむ。
ぬめり。硬さ。重さ。
即座に「何に偽装されているか」推測し、横のノアに記録させる。
「……法則性があるみてぇだな、ノア。記録しとけ」
リュコスの声は冷静そのもの。
ノアは無言で頷き、革表紙のノートを開く。
走り書きで記された、“幻”の実体――
「おぞましいもの」ほど“かわいく”見える。

リュコスはぬいぐるみを投げ捨て、
「……人の本能ってのは面白いな。見たくないもんほど、脳が都合よく偽る」
その様子に、後ろのガイウスは思わず感嘆のため息を漏らす。
「……かっけぇ……」
ガイウスがノアのノートを覗き込むと、法則性がびっしりと並んでいた。
「ノア、見せてくれ。法則性ってやつを」
ノアは、表情を変えず静かにノートを差し出す。
ガイウスはページをめくり、見た目と実体のギャップにぞっとする。

アイシングクッキーの山 …【断裂した指/掌】
ふわふわうさぎのぬいぐるみ …【乳児の遺体(損壊)】
ピンクのリボン付きプレゼント箱 …【切断頭部】
キャンディブーケ …【内臓塊(腸管・肝臓等)】
ガラスドーム入りマカロン …【義眼・歯牙】
虹色タルト …【血溜まり・臓器】
白いバースデーケーキ …【骨(バラバラ)】
ティーカップ&ティーポット …【遺体の一部(脳組織/切断耳)】
大きな花束(造花) …【手首多数/腕の山】
音の鳴るオルゴール …【破壊された心臓】

リュコスは勇者ズの前で、あえて幻のど真ん中に歩み出た。
リボン付きの可愛いプレゼントボックスを前にしゃがみ込むと、
一瞬ためらう素振りもなく、その蓋を手で押し開ける。
「見な、勇者。五感は幻じゃ騙せねぇ」
“ずぼっ”――。
本来ならありえない、粘ついた生々しい音が回廊に響く。
リュコスはプレゼント箱に手を突っ込むと。
何か重たいものをぐっと掴み、そのまま引き抜いた。

手袋の表面にはべったりと血がこびりつく。
匂い、湿り気、重さ――すべてが“本物”を証明していた。
リュコスは汚れた手袋をガイウスに見せつけるようにかざし。
唇の端をわずかに吊り上げた。
「ちょっと触るだけで、俺のカン全部が“嘘つけ”って言ってきやがるぜ」
その目は、どこまでも現実を射抜く“本職の眼”。
幻の中でも、真実だけは決して逃さない。

ヴィヌスは幻惑空間の“ゆめかわ”地獄を見て、平然と微笑んだ。
「悪趣味すぎてもはや好き♡」
白い手袋をくるくると回しながら、
「ねぇ、あの白い子――誰の入れ知恵かしら?」
「フェイ魔法なんて、普通は使えないでしょ」
隣でトゥランが、眼鏡を押し上げつつ解説スイッチを入れる。

「きっと邪痕由来ですね。あの手の“夢と現実を混ぜる魔法”は、基本的に人間じゃ扱えません」
「それと、もう一つ……マスターアサシンの教育でしょう。魔王軍六将は――」
やや声を落として。
「価値観や美意識が、一般人とはまるで違う。歪んでいると聞きますから」
ヴィヌスはクスリと笑って頷いた。
「確かに。普通の魔法使いが見たら卒倒するレベルね。あの悪趣味さ、嫌いじゃないわ」

「あら団長、この先は幻が薄れているようですわよ?」
シルヴァが指さした先で、世界が唐突に“切れて”いた。
先ほどまで回廊を満たしていた、甘ったるい光と蝶の舞はそこにはない。
まるで舞台装置を乱暴に引き剥がしたかのように。
露出したのは――血と死臭にまみれた、本来の教皇庁だった。
床に残る血痕、柱に擦り付けられた肉片、鼻を突く腐臭。
だが奇妙なことに、中庭へと通じる一本の道だけが、不自然なほど“綺麗に解除”されている。
ガイウスが、はっと顔を上げる。

「……サータだ!!ココ通ったんだ」
声に、確信があった。
足取り、残された痕、そして――“悪ガキ特有の、一直線な突破痕”。
リュコスは小さく鼻を鳴らす。
「あの元気な悪ガキを追いかけてェ気持ちは、否定しねぇ」
だが次の瞬間、その表情から軽さが消えた。

「……だが、奴さん来たようだぜ」
ゆっくりと、視線を前方へ投げる。
「まずは――迎え撃ってやりな」
その先、血塗れの回廊の奥から“何か”が現れた。
足音は軽く、揃っている。
明らかに訓練された動き――アサシンたち。
だが幻の残滓のせいか、彼らの姿は歪んで見えた。

刃も殺気も、勇者ズの目にはパステルカラーのきぐるみにしか見えない。
丸い頭。大きな手。妙に愛嬌のあるフォルム。
ヴィヌスが一瞬、ぽかんとする。
「……え、なに?ゆるキャラ?」
次の瞬間。
“きぐるみ”の腹部から、現実の刃が滑り出た。
リュコスの声が、低く響く。

「見るな、信じるな――五感で測れ」
幻と現実の境界で、第五師団は迷わない。
血の匂い。足音の重さ。空気の張り。
それらは、まだ嘘をついていなかった。
戦闘が、始まる。

リーダー格と思しき“パンダのきぐるみ”は、明らかに動きが違った。
丸い外見に反して、踏み込みは鋭く、間合いの取り方は老獪。
ガイウスの剣をいなし、同時にシルヴァの突きを外す。
二人を同時に相手取ってなお、余裕がある。
一歩引いて息を整えるその仕草は――どう見ても、素人の暗殺者ではない。
「……ふぅ」
着ぐるみの奥から、低く渋い声が漏れる。

「シルヴァ、か?」
「第一師団から消えたと思ったら……第五送りにされたか」
ゆるいパンダの口元から出たとは思えない、冷えた声。
その瞬間、シルヴァの空気が変わった。
笑みが消える。
背筋が伸び、目つきが一気に研ぎ澄まされる。

「……あなた」
声が、震えていない。
「騎士ともあろうものが!アサシンに堕ちましたの!?」
怒りだ。
失望ではない。軽蔑でもない。
裏切られたという、純粋な怒り。

「え?」
ガイウスが目を見開く。
「知り合い!?」
「ええ」
シルヴァは、視線を逸らさず答える。
「第一師団の時に――」
パンダは鼻で笑った。

「“堕ちた”?違うな」
「選んだんだ。綺麗事を振りかざす場所より、よほど正直でな」
その言葉が、火に油を注ぐ。
「正直……ですって?」
シルヴァの声が、低くなる。

「命を奪うために、姿を偽り、信仰を踏みにじり」
「それを“正直”と呼ぶのなら――」
剣先が、わずかに下がる。
次の瞬間のために。
「あなたは、もう騎士ではありませんわ」
ガイウスが、ごくりと息を呑む。
これまで見てきたシルヴァのどんな戦闘よりも、感情が前に出ている。
パンダは、肩をすくめた。

「相変わらずだな。真っ直ぐで――だから折れる」
リュコスの低い声が、戦場を割る。
「私語は終わりか?第五師団の前で、昔話は命取りだぜ」
空気が張り詰める。
これは、ただの迎撃戦じゃない。
過去と現在がぶつかる、裏切り騎士の処刑戦だ。
次の一撃で“騎士だった頃の名”が、完全に消える。

「勇者さま!」
シルヴァの声が、鋭く戦場を切る。
「あのパンダ……いいえ、騎士の動きを止めてください」
「ああ!」
ガイウスは歯を食いしばる。
「止めたいが……あいつ、速い! くそっ……!」
踏み込み、回避、間合い。
相手は完全に“人殺しの距離”を知っている。
ガイウスの剣は、わずかに届かない。
――その瞬間。

シルヴァはふとガイウスの肩口に視線を落とした。
翻るマント。重さ。布の流れ。
(……これだ)
一瞬の閃き。
シルヴァはガイウスに近づき、耳元で短く囁く。
「――任せて」
次の瞬間。

「シルヴァ・トルメンタ!」
パンダが叫ぶ。
「マスターアサシンの贄となれ!!」
刃が閃き、銀の騎士の首は――落ちなかった。
剣は、途中で止められた。
絡みついたのは、鋼ではない。
ただの布――ガイウスのマント。

だが、その布は“ただの布”ではなかった。
重量を乗せ、流れを殺し、刃を包み込むように締め上げる。
「なっ……!?」
パンダの声が、初めて揺れる。
「あなたは――」
シルヴァが、一歩踏み込む。
「“贄”にする相手を、間違えましたのよ」
次の瞬間。
銀の籠手に包まれた拳が、パンダの顎を貫いた。
鈍く、乾いた音。
着ぐるみの頭部が不自然に跳ね、“騎士だったもの”が宙を舞う。

――シュールで、あまりにも決定的な光景。

本来なら“裏切り者の元騎士”に、鉄拳制裁――
なのに幻覚世界は、モフモフのパステルきぐるみが空中で半回転。
本当は血飛沫舞うシリアス粛正。
でも見えるものは「女騎士、パンダを殴る」
誰がこの現場を正しく説明できるだろう?

ガイウスは一瞬、呆然とし、次いで息を吐いた。
「……マント、こんな使い方あったのか……」
シルヴァは拳を引き、静かに言う。
「勇者さま。装備は使い方次第ですわ」
倒れ伏したパンダを見下ろす。
第五師団の戦場に、一つの“過去”が、完全に終わった。

ガイウスは、戦いの興奮が冷めやらぬまま、マントの端をそっと指でつまんだ。
「なぁ、シルヴァ」
シルヴァが振り返る。
「はい?」
「さっきの、マントで剣を止めるってやつ――」
少し照れたように目をそらしながら。
「……時間あるときに教えてほしい」と指先でマントをつんつん。

その仕草はまるで大型犬が甘えるみたいな無邪気さで。
シルヴァは思わず口元をほころばせた。
「もちろん、お教えしますわ」
にっこりとした笑顔で軽く会釈を返す。

「その前に――まずは教皇庁の“大掃除”を終わらせましょうね」
ガイウスは「……あ、そうだった!」と照れ笑い。
二人は息を合わせ、再び幻と現実が交差する“聖域の修羅場”へ歩み出す。