アンスロポス連合-超重力 - 1/5

重々しい甲冑の足音が、石造りの回廊に響き渡った。
シャルロッテが振り返ると、そこには白銀の鎧に身を包んだ数人の騎士たちが並び立っていた。

「聖女シャルロッテ・エル・ロスガルス」
先頭の騎士が朗々とした声で名を呼ぶ。
「女神の盾の禁域に不正に侵入した疑いにより、貴殿を異端審問のため拘束する」
「――えっ」
シャルロッテがわずかに息を呑んだ。
「ま、待ってください! 私は、そんなつもりでは……っ」
ヴィヌスが一歩前に出る。
「正気? この子は命を救おうとしたのよ」
騎士は答えない。命令でしか動かぬ者たちの、冷たい沈黙。

「誰にも……誰にも言っていないのに……」
シャルロッテが、足元を見つめたまま呟いた。
「ええ。だからこそ、あなたは“良い子”でしたよ、聖女様」
静かに響く声。優美な所作と共に、柱の陰から現れたのは――エリス。
メイドの制服を纏い、完璧な微笑を浮かべていたその顔。
「どうして……あなたが……」
「お人形さんには、何も知らずにいて欲しいのです」
エリスは微笑んだまま、一歩ずつ歩を進める。
「クス、クス、クス……くふっ……ふはっ……ひひっ……あっはは、あっはははっ」
笑い声は、上品に始まり、やがて狂気を孕んだ歪なものへと変わっていった。

「まさか……」
ヴィヌスが呟く。
「そうだな」
メルクリウスが一歩前に出て、エリスを真っすぐ見据えた。
「ただのメイドが“不和の神”なんて名乗るわけがない……!」
その言葉に、エリス――いや、何者かは満足げに目を細めた。

「……阿那、八娃灌娩」
静かに祈りの句が唱えられた瞬間、彼女の髪がふわりと揺れ、
その一房が、見る見るうちに縮れて黒く染まっていく。
ドレスのようなメイド服が歪みに満ちた魔将の装束へと変化し、
胸元には脈打つ“核”が露わに輝いていた。
「我が名は、魔王軍六将――」
そして、血のように紅い瞳で一同を見下ろし、名乗った。
「影鬼将軍、プルト・スキア也!!」
「っ……!」
ガイウスが一歩前に踏み出すや否や、剣を抜いた。目は、その胸の“核”を正確に捉えていた。

「――来いッ!」
聖痕が淡く輝き、魔を拒む気配が一瞬場を満たす。
だが、プルトは一歩も動かず、むしろ楽しげに手を広げた。
「おぉっとぉ、やめてくださいよ、勇者さん」
くすりと笑って、わざとらしくあたりを指す。
「ここは教皇庁。見回してごらんなさい」
そこには、貴族の装束を纏った枢機卿や騎士たちが、誰一人動かずに立ち尽くしていた。
「見回せば、全員――由緒正しき、貴族のご令息ご令嬢」
プルトは、にこやかに言った。
「そんな中で剣を抜けば……あなた、断頭台ですよ?」
その瞬間、周囲の者たちが一斉に騒ぎ出す。

「勇者が……刃を……!?」
「恐れ多いことだ、神の座の下で……!」
完全に、包囲されていた。
だがその中で、ただ一人だけ。
白い法衣に身を包んだ男――大神官ヘルメスだけが、無言のままその場を睨んでいた。
その目には、わずかな怒りと、迷いがあった。
(あいつだけ……洗脳されていない?)
メルクリウスの中に、鋭い直感が走った。

「連行しなさい」
プルトの指示に、騎士たちが動く。
「聖女シャルロッテ・エル・ロスガルスは、異端審問へ」
「勇者一行は、拘束。――特別な“処遇”を持って」
拘留区画へ連行される直前。
騎士たちが包囲する中、ガイウスが苛立ちを隠さず睨む。

「お前……髪、どうなってんだ」
ついさっきまで、床に届きそうなほど長かった金髪。
今は肩にかかる程度の黒いウルフカット。
ヴィヌスも小さく目を細める。
「急に“縮んだ”わよね?」
プルトはくすくす笑った。

「えぇ、よく言われるんですよねぇ」
首を傾げ、わざとらしく指先で自分の髪をつまむ。
「私、夜魔の血が入っていまして」
「夜魔?」
プルトは楽しそうに続ける。

「夜魔は“影を纏う種族”。
肉体の輪郭や髪の長さ程度、可変域のうちですよ?」
指を鳴らす。
その瞬間、黒髪がふわりと揺れ、一房だけ伸びる。
そして、すぐに元に戻る。
「ですから髪を操作するのは得意なんですよ?」
ガイウスが呆れ顔で吐き捨てる。

「そんな便利スキル、聞いてねぇぞ」
プルトは笑う。
「聞かれなかったので」
ヴィヌスが肩をすくめる。
「つまり、メイドのロングも演出ってこと?」
「長い髪は“無害”に見えるんですよ」
その言葉に、シャルロッテが息を呑む。
“お人形さんには何も知らずにいて欲しい”
あの台詞が重なる。

「影は、伸びも縮みもするものですから」
その言葉は、髪の話なのか。
それとも――立場の話なのか。
騎士が腕を掴む。
「連行しろ」
プルトは最後に一度だけ振り返る。

「ちなみに、髪を刃にすることだってできますよ?」
一瞬、髪が刃のように尖る幻が見えた。
そして彼女は、静かに歩き出した。
教皇庁の白い大理石の床を、重い鎧の足音が叩き鳴らす。
ガイウスは歯を食いしばり、ヴィヌスは静かに怒りを噛み殺し。
メルクリウスは状況の観測に徹していた。
そんな中、まったく違うことを考えている男がいた。

騎士に両腕をがっちり拘束されたまま。
サタヌスは先ほどまでエリスだった女――つまりプルトを凝視していた。
「……マジかよ」
小さく呟いた声に、ガイウスが半眼で振り返る。
「何がだよ」
「おっぱいねぇじゃん」
「は??」
サタヌス、衝撃の続き。

「騙されたッ……胸パッドでも入れてたのかな!?
だってあのメイド服、結構あったろ!?絶対詐欺だろ!!」
「今それ考える!?!?」
「この国で一番状況読めないの、あんたよ……」
プルトは怒らない。睨まない。
サタヌスのほうに一切目もくれず、ただ影を靡かせて歩き出した。
その無関心さは、むしろ残酷で。
けれどほんの一瞬だけ、口元がわずかに緩んだようにも見えた。

勇者たちは、聖堂奥の拘留区画――。
かつて“聖なる者”が通されることなどなかった場所へと連行された。
石造りの壁、冷たい床。鎖に繋がれた状態で座らされ。
見下ろすようにして囲むのは、白装束を纏った審問官たち。

「この者たちは、神の加護により聖痕を得た者……そのように我々は信じていた」
「だが、実際に起きたのは、禁域への侵入、魔族との接触……」
「それは“祝福”ではなく、“兆し”なのでは?」
「魔の兆し、あるいは“神を騙る異物”……」
そんな言葉が、幾人もの口からささやかれる。
メルクリウスは黙って手を見下ろしていた。

祈りの際に裂けた指先が、今まさに、目に見える速度で塞がっていく。
その光景に、一人の審問官が顔をしかめて後ずさった。
だが、事態はさらに異様な形で明らかになる。
「動くな」
審問官の一人が短剣を取り出し、試すようにしてメルクリウスの前腕を浅く切った。
赤い線が皮膚に走り、血がにじむ。
だがその傷は、まるで逆再生の映像を見るかのように、切れ目が“巻き戻る”ように塞がっていった。

「……ッ」
その場にいた数人の審問官が、明らかに息を呑んだ。
「――逆再生……だと……?」
「これは……本当に、人間か……?」
「ついてないね」
メルクリウスは、静かに、皮肉のように呟いた。

「聖痕が目覚めた直後に、怪物扱いか……」
その目は相変わらず細められていたが。
わずかに揺れたまぶたの奥には、怒りにも似たものが宿っていた。
隣のサタヌスが、鼻を鳴らした。
「笑えるぜ。誰が命張って、あいつらの盾になったと思ってんだ」
「冷たい床の上で、話し合いだなんて滑稽ね」
ヴィヌスが脚を組んだまま、優雅に肩をすくめる。
「見た目が良いからって“魔性”呼ばわりは光栄だけど」
「……こんなもんかよ、“人間”のやることってのは」
ガイウスが、歯を食いしばったまま、ひと言だけ呟いた。
その言葉が、誰の心にも、重く沈んでいった。

張りつめた空気の中で、場違いなくらい軽い声が落ちた。
「ねぇメルクリウス。前から思ってたんだけどさ」
ガイウスとサタヌスが同時にそちらを見る。
この状況で“雑談”を始める人間は、彼女くらいだった。

「犯人ってさ。なんで正体がバレた途端、急におしゃべりになるの?」
一瞬、沈黙。
だがメルクリウスは眉一つ動かさず、静かに答えた。
「二つ理由がある」
彼は壁に背を預けたまま、視線だけを前方に向ける。
まるで、すでにそこにいない誰かを見ているかのように。
「ひとつは単純だ。計画が“すべて成功した”と、本人が認識しているからだ」
「あー……ドヤ顔タイム」
「そう。長時間張り詰めていた神経が一気に緩み、興奮が表に出る。
語ることで、自分の勝利を“確定”させたい心理だ」
彼は一拍置き、低く続ける。

「だが、本命はもうひとつ」
ヴィヌスが、少しだけ真面目な顔になる。
「あれは自白ではない。配置確認だ」
「……配置?」
「誰が、どこで、どう動くか。
焦る者、怒る者、黙る者。
語りながら、周囲の反応を観測している」
彼の指先が、床を軽く叩く。

「要するに――“時間つぶし”を装った、最終チェックだ」
「うわ……性格悪っ」
「悪いからこそ、最後まで抜かりがない」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
その沈黙の中で、ヴィヌスがふっと息を吐く。

「……ねぇ、それ知ってて聞いてたでしょ?」
「もちろんだ」
淡々とした答え。
だが、その瞳だけは鋭く、すでに次の一手を追っていた。
「相手が饒舌になるときほど、こちらは“喋らせておく”べきだ」
「……怖ぇな、お前」
「推理小説は、犯人が喋り始めたところからが本番だからね」

その頃、聖堂の最上階に位置する、薄暗い回廊の奥。
シャルロッテはひとり、重厚な扉の内側に閉じ込められていた。
「……私の、せいです」
誰も近づかぬ静寂の中、石造りの床に膝をついたまま、
彼女は両手で顔を覆っていた。
「私が……聖女権限を使って、あの部屋に入ったから……」
その声は、もう“聖女”ではなかった。 ただの、責任を背負いきれない、ひとりの少女。
静かに扉が開き、柔らかくも低い声が響く。

「責めることはない」
現れたのは、白く整った法衣を纏う男――大神官ヘルメスだった。
「……あの女を、教皇庁に入れてしまったのは私です」 「最初に気づくべきだった。あの“笑み”の裏にあるものに」
シャルロッテは手を下ろし、ゆっくりと彼を見上げた。

「……どうして……来てくださったのですか」
「君に、伝えておかねばならないと思ってね」
そう言ってヘルメスは彼女の前に膝を折り、同じ高さに目線を合わせた。
「責任の重さに押しつぶされそうな者に、誰かが寄り添ってやる必要がある。
その“誰か”が、私であっても構わないと、今は思える」
シャルロッテの瞳が、わずかに揺れる。

「……でも……私は……」
「今は待ちましょう」
ヘルメスの言葉に、どこかメルクリウスを思わせる。
わずかに皮肉を含んだ声音が混じっていた。
彼はさりげなくモノクルを指で押し直しながら、彼女は問いかける。
「……何を、待つのですか」
彼は目を伏せ、ひと呼吸置いてから言った。

「――時が動くことを」