一方その頃、勇者たちは審問を終え、教皇庁の地下牢に閉じ込められていた。
石と鉄に囲まれた薄暗い空間。
冷気と湿気が染み込んだ空気の中、どこからか、審問官たちの声が漏れ聞こえてきた。
「やはり奴らは……エイレーネの再来だ」
「我らが神の名のもと、あの悪夢を繰り返してはならぬ」
「聖女の審問を終え次第、処刑せよ」
まるで、そこに“人”がいるとは思っていない声音だった。
「……ヤダ、本格的に魔女扱いってやつ?」
ヴィヌスが鉄格子の向こうを見ながら、薄く笑った。
「火あぶりにはならなかっただけマシかもね。いや、これからかしら?」
「冗談になってねぇ」
サタヌスが寝転んだまま、ぼそりと呟いた。
「ほんと、救ってもらった報酬がこれだもんな」
ガイウスが天井を睨んだまま、拳を握りしめていた。
「気にすることはないさ。どうせすぐに“時”は動く」
メルクリウスが笑うでもなく、ただ静かに呟いた。
その言葉だけが、牢の中にわずかな熱を残した。
—
同時刻、教皇庁・聖女の私室。
清潔に整えられた寝台の上。
純白のシーツと花刺繍の枕の中央に。
まるでそこが自分の玉座であるかのように、彼女は座っていた。
プルト・スキア。
魔王軍六将、影鬼将軍。
仰向けに近い姿勢でベッドに腰をかけ、足を優雅に組むその姿は。
もはや“世話人”などではなく、完全に“この部屋の主”だった。
指先でシーツの端をなぞる。
「ふふ……悪くない寝心地ですね、シャル様」
天井を見上げる瞳は、ゆっくりと微笑んでいる。
(最初、貴女への感情は“無”でした)
(ただの偶像。ただの名前。滑稽な人形)
(でも仕えているうちに、少しずつ……壊したくなった)
プルトは立ち上がり、部屋の鏡台へと歩く。
鏡の前に座り、自分の髪をゆるく梳かしながら、 その笑みは、微かに熱を帯びていく。
「エレボス様。これが愛ですかね」
鏡を撫でる手が、そっと震えた。
「ふわぁ……メイドごっこも、ようやく終わり……」
小さな欠伸を漏らしながら、プルトはベッドへと戻る。
聖女のために整えられた寝台の中央に。
何の遠慮もなく腰を下ろし、 裾を気にするそぶりもなく、ふにゃりと足を抱えて横になる。
「魔界の門へは……近づかせ……ない……」
「勇者の旅は、ここで終わり……」
そう言って、ふわりとシーツに頬を預ける仕草は。
どこか少女のようで―― だが、その声の奥には、冷たい終焉の意志が滲んでいた。
—–
一方その頃、勇者たちは教皇庁地下の牢に囚われていた。
石と鉄に囲まれた冷たい空間。
足元の湿った床と、外の騒めきが、彼らの“人間”としての扱いを物語っていた。
だが、その場の空気は思いのほか静かだった。
「なあ、処刑ってどうされるって思う?」
サタヌスが天井を見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「勇者らしく火炙りでしょ。ジャンヌ・ダルクだってそうしたわ」
ヴィヌスが髪を撫でながら、飄々と答える。
「いや、ギロチンだろ。見せしめ的に、広場でドーンと」
ガイウスは腕を組んで座り込みながら答えた。
「いいなあ! 俺は磔がいい」
サタヌスが目を輝かせる。
「……自分たちがなるって思わなきゃ、笑えるんだけどなぁ」
メルクリウスの乾いた声に、場がわずかに沈黙に包まれる。
そんな彼らのやり取りを断ち切るように、鉄格子の外から重い足音が響いた。
現れたのは、一人の看守。 手に松明を掲げ、にやついた顔で近づいてきた。
「へぇ……誰かと思えば……ヘルメス大神官の黒歴史、マーキュリーじゃねぇか」
その言葉に、牢の中の空気が一瞬凍る。
メルクリウスはゆっくりと顔を上げ、眼鏡を指で押し直した。
「よく覚えてるね。十五までは、そう名乗っていたよ」
声は平坦だったが、その内に潜むものは……明らかに静かな怒りだった。
「おまえの顔、大神官にそっくりだもんな。あいつの浮気相手のガキって噂、ほんとだったか」
看守は面白そうに笑った。
「ずいぶん立派になったな、“マーキュリー”」
「……その呼び名、気に入ってる人しか使わないんだけどな」
「そうかい“妾腹のマーキュリー君”」
看守は皮肉を込めてにやりと笑い、さらに追い打ちをかけるように言い捨てた。
「でもまあ、処刑されれば母親のところには行けるかもな。案外、親孝行ってやつだ」
その瞬間、メルクリウスの指先がわずかに震えた。 彼は何も言わず、鉄格子に手をかける。
ぎり、と鉄を握りしめる音が響く。
「おーこわ。あんまりおちょくると、ほんとに鉄格子曲げそうだからな。見張りに戻るわ」
そう言い残して、看守は鼻歌交じりに去っていった。
……残された空気は、ひどく冷たかった。
まるでそこにいる者たちが、“人間ではない”と言われたような。
いや、もはやそう扱われることに慣れさせられようとしているかのような、そんな静けさだった。
メルクリの笑みはなかった。ただ、その瞳の奥だけが、じわじわと何かを燃やしていた。
冷たい石壁が湿気を帯び、かすかな滴り音が耳に響く。
勇者ズは鉄格子の中に閉じ込められ、身動きが取れない。
ガイウスは壁にもたれかかり、天井を見上げて溜息をついた。
「……やられたな。」
重い口調で呟くと、隣で腕を組んでいるヴィヌスが眉をひそめた。
「まさか……教皇庁自体が敵に回るなんてね。」
メルクリウスが、足を組み替えながら冷静に言う。
「理屈では理解しているが……これほど完璧に陥れられるとは。」
「俺たち……これからどうなるんだ?」
サタヌスが不安げに呟く。
「わからん。だが、このままってわけにはいかねぇ。」ガイウスが拳を握りしめ。
ふと、ガイウスがぽつりと言った。
「……エイレーネも、こうだったのかもしれねぇな。」
「……どういうこと?」ヴィヌスが問い返す。
「人を、信じられなくなったんだよ……。
今の俺たちみたいにさ。」
その言葉に、全員が一瞬息を飲む。
メルクリウスが淡々と続ける。
「エイレーネ……人々を救うために戦い続けた勇者が、
やがて信仰そのものを疑い、絶望して堕ちた――」
エイレーネの心情を想像した。
正義が消える瞬間-光が失われる瞬間を。
ガイウスが小さく苦笑する。
「……わかる気がするよ。
“正義のために戦う”とか言ってたくせに、
その正義があっさり裏切るなんてな。」
「私達も、同じ道を歩んでいるってこと?」
ヴィヌスが険しい顔で呟く。
サタヌスが鉄格子を蹴りながら苛立ちをぶつける。
「ちっ、ふざけんな……!
俺たち、何のために戦ってきたんだよ……!」
メルクリウスが静かに首を振る。
「それが、エイレーネにとっての絶望だったのだろう。」
ヴィヌスがふと顔を上げ、ぼそりと呟いた。
「違いがあるとしたら……仲間がいなかったことかしら。
今の私達のように。」
ガイウスが不意に笑った。
「そうだな……一人だったんだ、あの人は。」
「誰も信じられず、誰も頼れず……」
メルクリウスが言葉を続ける。
「それで、最後には一人で戦って、一人で堕ちた。」
「じゃあさ……俺たちは、違うのか?」
「……違うかもしれないな。」
ガイウスが笑う。
「だって、こうして愚痴り合えてるじゃねぇか。」
「……確かに。」
ヴィヌスが小さく笑う。
「俺たちには、仲間がいる。
お互いバカだって言い合って、それでも生き延びようとしてる。
それが、エイレーネにはなかったんだ……」
メルクリウスが冷静に分析する。
「孤独は、人を狂わせる。
だが、仲間がいれば――それが、どれほど救いになるか。」
「たしかに……一人じゃ、心折れちまうな。」
ガイウスが頷いた。
「じゃあ、私達は違うって証明してやりましょう。」
ガイウスが少しだけ笑ってうなずく。
「そうだな……あの勇者が守れなかった“絆”ってやつを、俺たちで守ろうぜ。」
サタヌスが拳を握りしめて叫ぶ。
「くそっ……負けてたまるかよ!
あんなマスターアサシンに、絶対負けてたまるか!」
メルクリウスが小さく笑みを浮かべる。
「そうだ、ここで腐るにはまだ早すぎる。」
「エイレーネが間違ってたなら、俺たちが正すしかねぇ。
俺たちの正義が間違いじゃないって、証明してやろう。」
ヴィヌスが力強く頷いた。
「ええ、絶対にね。」
牢屋の中でも、彼らの心に再び火が灯る。
「一人じゃない」という気持ちが、絶望を打ち破るための原動力となる。
ガイウスが、ふっと息を吐いた。
「……じゃあ、後のピースは一つだな」
誰もすぐには反応しない。
言葉の続きを、全員がもう分かっているからだ。
ガイウスは視線を上げ、メルクリウスを見る。
「メルクリ。なんで――初代聖女は、勇者に殺されたんだ?」
沈黙、だがそれは迷いの沈黙ではなかった。
メルクリウスは一瞬だけ目を伏せ、そして静かに口を開く。
「……きっと、初代聖女様はエイレーネを嫌っていなかったよ。最期まで」
その声には、断定があった。
推測ではなく、構造から導かれた結論の響き。
「初代聖女様は“元・勇者”だ。
正面から戦って殺される可能性は、限りなく低い。だから――」
彼は言葉を切る。
「不意打ちでなければ、ありえない」
ヴィヌスが、思い出すように肩をすくめる。
「そういえば……前にシャルと、初代聖女の家に行ったとき言ってたわね」
軽い口調だが、冗談ではない。
「“悪い男に引っ掛かるタイプ”って」
その瞬間、サタヌスが低く息を吸った。
「……見えてきたな」
誰も続きを促さない。
言わなくても、同じ映像を思い描いている。
信頼していた相手。
自分を守る存在だと、疑わなかった相手。
背中を預けてもいいと、思っていた誰か。
そして――その「背中を向けた瞬間」。
メルクリウスは、最後にこう付け加えた。
「エイレーネは、殺そうとして剣を振るったわけじゃない。
“止めなければならない”と思っただけだ」
正義と正義が、同じ場所に立ってしまった結果。
ヴィヌスが、静かに呟く。
「……勇者が、聖女を殺したんじゃない」
「世界が、二人を同じ場所に立たせたのね」
サタヌスは黙ったまま、卓上に視線を落とす。
そこには、見えないジグソーパズルがあるかのようだった。
ばらばらだったピースは、もうほとんど埋まっている。
残っているのは、中心の一枚だけ。
それをはめ込めば――この世界の歪みが、完成してしまう。
誰も、祝福の言葉は口にしなかった。
だが全員が理解していた。
ジグソーパズルのピースは、静かに嵌まり始める。
エイレーネは――もともと繊細で、孤独で、“悪い男”に惹かれやすい女の子だった。
勇者として戦っていた時は、いつも初代聖女が「その男はやめなさい」と庇ってくれた。
でも、勇者と聖女、それぞれの地位が、二人をどんどん遠ざけていく。
やがてエイレーネは、遥か異国。
メキアの砂漠から流れ着いたエレボスという男と――「出会ってしまった」。
エレボスは、悪辣な男だった。
けれど、不思議なことに“本気でエイレーネを愛していた”。
ふたりは、気づけば男女の仲になっていた。
そしてある日、エイレーネは「女神の盾」建造計画の噂を耳にする。
建造に“初代聖女”が関わっていると知った時――彼女の心は一気に暴走する。
「彼女を殺さなければ、エレボスが殺されてしまう」
そう思い込んで、彼女は――最も愛し、最も信じていた“初代聖女”に刃を向けてしまった。
それが、全ての終わりだった。
エイレーネは“希望”の象徴であったはずの聖女を――
世界で一番守りたかった人を、自分の手で殺してしまった。
バラバラだったパズルは、静かに“悲劇”という名の絵を描き始める。
勇者も聖女も、ただ“人間”でしかなかったという真実を。
「勇者が聖女を殺す」
という世界最大の裏切りは“ありふれた恋と孤独”から始まった――
これは謎解きの終わりではない。
裁きが始まる場所だ。
-そして「時が動く」のは、目前に迫っていた。