教皇庁の長い回廊を抜けた先、崩れかけた石壁が道を塞いでいる。
廊下には不自然な静寂が広がり、ほんの少しの足音さえも反響して耳に刺さった。
ガイウスは警戒しながら先頭を進み、後ろに続くシャルロッテへと声をかける。
「教皇庁ってのは、もうちょっと賑やかなもんだと思ってたが……ここ、ホントに無人か?」
「わからない……」
シャルロッテは不安げに答えた。
「普段なら神官たちが祈りを捧げているはずなのに……」
メルクリウスが冷静に状況を整理する。
「おそらく、敵がすでに教皇庁内に潜入している可能性が高い」
「それじゃ、どこに潜んでるかわかんねぇってことかよ。まいったな。」
ガイウスが肩をすくめた。
ヴィヌスが、何かを考え込むように唇に指を当てる。
「……安全な場所なんて、今の教皇庁には存在しないわね。
けれど、シャルロッテを護衛しないわけにはいかない。」
その言葉に、シャルロッテがゆっくりと顔を上げた。
「……教皇庁地下には、聖女しか入ってはいけない区域があります。」
「地下……?」
サタヌスが怪訝そうに眉をひそめた。
「ええ。幼き日の私は、よくそこで一人聖典を読んでいました。」
「まるでラプンツェルだな」
ガイウスが軽口を叩く。
「髪も伸びたようだしね」
ヴィヌスが、シャルロッテのツインシニヨンを指さしながら微笑んだ。
「そんな場所があったのか……」
メルクリウスが感心するように呟く。
「教皇庁が危険地帯と化した今、唯一“敵が入れない”可能性があるとすれば、その地下区域だ。」
「でもさ、その部屋って本当に安全なのか?」
サタヌスが疑わしげに尋ねる。
「安全であるかどうかは、わかりません。」
シャルロッテがためらいがちに答える。
「けれど……少なくとも、エリスは近づけないと思います。」
「だったら行くしかねぇだろ。」
ガイウスが即答した。
「このままウロウロしてても埒があかねぇし、敵に囲まれたらどうしようもねぇ。」
「その判断、賛成ね。」
ヴィヌスが頷く。
「どのみち、教皇庁の安全を確保しない限り、私たちには居場所がないわ。」
メルクリウスが小さく笑みを浮かべた。
「聖女を守るために“聖女専用区域”を目指す……合理的だ。」
「ふーん、ただのお祈り部屋じゃねぇんだな。」
サタヌスが軽く息を吐きながら斧を背負い直す。
シャルロッテは微かに笑みを浮かべた。
「私が幼い頃から何度も足を運んだ場所です。きっと……守られているはずです。」
「じゃあ決まりだな。」
ガイウスが勢いよく手を叩き、先頭に立つ。
「さっさとその地下ってやつに案内してくれ!」
「ええ……皆さん、どうかついてきてください。」
勇者ズがそれぞれ武器を握りしめ、シャルロッテを囲むようにして進み出す。
廊下の奥から、不気味な風の音が響き、シャルロッテは一瞬だけ足を止めた。
ヴィヌスが優しく声をかける。
「怖がらないで。私たちがいるわ。」
「……はい。」
シャルロッテは小さく頷き、少しだけ強く歩き出した。
不安と希望が交差する教皇庁の中、地下封印倉庫へ向かう勇者たちの背中には、どこか決意が宿っていた。
守るべき存在がいる限り、立ち止まるわけにはいかない。
そして、シャルロッテの足取りも少しずつ力強くなっていくのだった。
教皇庁・地下封印倉庫。
厚い石扉の前に、シャルロッテは一人立った。
その背後では、他の勇者たちが息を呑んで見守っている。門の上部には古代文字でこう記されていた。
『この扉の先、聖女以外の立ち入りを禁ず』
戸惑う神官たちが何か言おうとしたが、彼女は一歩前に出て、静かに言った。
「私が、聖女です」
その言葉に、誰も反論はできなかった。
鍵が渡され、封印が解除される。石扉は重々しく開かれ、冷たい空気が流れ出す。
内部は静かだった。祭壇の上に一冊の古びた手記。
シャルロッテは手袋を外し、ゆっくりとそれを開いた。
「……シャルロッテ・エル・ロスガルス」
「シャルロッテって、本名だったのね」
ヴィヌスが小さく呟いた。
「聖女は、襲名制です。就任前の名を持つ方もいらっしゃいますが……」
彼女は一度ページから目を離し、静かに言った。
「私と初代様だけです。生まれ持っての“シャルロッテ”は」
そして唾をのみ、改めて本を開いた。
「……読みますね」
その瞬間、空気がわずかに震えた。何かが揺らぎ、世界の中心に一本の線が引かれたかのようだった。
――その直前まで、勇者たちはやる気のない様子だった。
「初代聖女様って言ってもな……どうせお祈りしてただけの女だろ?」と、ガイウスが軽口を叩いていた。
「お経の朗読会か、勘弁してくれよ……」
サタヌスも斧を肩にのせたまま気怠そうに言った。
「記録を見るだけだろ。まあ、念のため付き合うが……」
メルクリウスは関心の薄い声で呟いた。
だが、手記が開かれた瞬間、空気が変わった。
『この手記を開いた者へ』
声が響いた。少女の声ではない。
低く、凛とした、静かなる威厳を持つ女性の声。
だが誰の口も動いていなかった。
シャルロッテの唇が動いている。けれど、その響きは明らかに別人のものだった。
『我が名は、シャルロッテ・エル・ロスガルス。神に選ばれし者にして、かの島に立った“ただの人間”』
『女神の盾とは、守りにあらず。選別の光にして、異界を焼き尽くす鉄槌なり』
『その日、私は祈った。無知ゆえに、無垢ゆえに。だが、それでも殺したのだ』
『それでも――私は、赦すと叫んだ』
ページをめくるたびに、声が濃くなっていく。
シャルロッテの姿はそのままなのに、そこに立っているのは“聖女”だった。
『勇者とは、剣を振るう者ではない。聖女とは、祈る者ではない。』
『選び、背負い、赦す者であれ』
『この名を継ぐあなたへ。どうか、私の祈りがあなたの背に届きますように』
語りが終わった瞬間、空気の揺らぎは消えた。
再び彼女はただの“今代のシャルロッテ”に戻っていた。
けれどその手は確かに、重みを抱えていた。
沈黙が落ちる。
ガイウスがぼそりと呟く。
「……本物だな、あれ」
サタヌスは目を伏せ、斧を肩から下ろしていた。
「……悪かったな、さっきのは取り消す」
メルクリウスだけが変わらぬ顔で立っていたが、その眼差しは、わずかに揺れていた。
「初代聖女様って……今の形骸化した“聖女”と、別格だったんだな」
ガイウスがぽつりと漏らす。
誰も、言葉をかけなかった。
その沈黙の中、シャルロッテがふと顔を上げた。
壁に掛けられた初代シャルロッテの肖像画を見上げ、眉をひそめる。
「……額縁が、傾いています。縁起でもありません」
彼女は自然な手つきで額縁を持ち上げ、まっすぐに直す。カチ、と小さな音が鳴った。
誰も気づかぬうちに、礼拝堂の壁面に、ごく細い光のラインが走った。
そのとき、ガイウスが壁際の甲冑に目を留めた。
「……あれ、一体だけ手ぶらじゃねえか。サボりかよ」
冗談めかしながら歩み寄ると、ちょうどその前にサタヌスが立っていた。
「どいてくれ」
「ん、あ? わったった……」
サタヌスがわずかに下がった拍子、背中が背後の柱にぶつかる。
直後、小さくカチリと何かが外れるような音がした。
ガイウスは気にも留めず、甲冑の足元を見回す。
「……持たせてやるもんくらい、どっかに落ちてねえか……あった」
手近な台座に飾られていた装飾剣を取り上げ、甲冑の右手にそっと握らせる。
その瞬間、甲冑の胸元の宝石が赤く点滅し、ゴウン……と低く重たい音が礼拝堂全体に響いた。
壁の一角が、ノイズのように揺れ、淡く光を帯び始める。
「……これ、開けたらめっちゃ怒られるやつだろ」
ガイウスが半ば呆れたように言う。
「……ねぇ、さっきの偶然ってことにして?」
ヴィヌスは肩をすくめて笑ったが、どこか目が笑っていなかった。
「……君たち、子供かい?」
メルクリウスはため息をつきながら、いたずらっ子を見るような目を向ける。
—–
静まり返った教皇庁の奥、玉座に虚ろな目で座る教皇。
その前でプルトは一人、水晶を手にして様子をうかがっている。
水晶の中には、勇者ズとシャルロッテが礼拝堂の前でドタバタしている光景が映し出されている。
プルトの赤い瞳がわずかに光り、五人を獲物の如く捉える。
「ふぅん……地下に入ること自体は想定済みでしたが……」
水晶の中では、ガイウスとサタヌスが「お前のせいだ!」と責任の押し付け合いをしている。
シャルロッテが「私が悪かったのですか?」と焦っている姿も映っている。
「……まさか、こんな理由で礼拝堂が開くとは……」
その背後で、メルクリウスが呆れ顔で「子供か?」とため息をつく。
同感だ、というにプルトもゆっくりと首を横に動かした。
その背後では彼女の「傀儡」と化した教皇が、うわ言を呟き続けていた。
「ふふ、でも……無様な勇者たちが勝手に暴れてくれるなら、それも好都合」
「最奥の“あれ”にたどり着けたとしても、きっと……自滅してくれるでしょう。」
水晶の中で、サタヌスが甲冑の兜をガンと蹴り飛ばし。
ガイウスが「バカ、余計なことすんな!」と叫んでいる。
その様子を見て、プルト微かに眉をひそめる。
「せいぜい、足掻くがいいわ。」
冷たく微笑んで、プルトは癖である髪をかき上げた。