石の奥から現れたのは、まるで別世界だった。
滑らかな黒い床。天井から吊るされた無数の細い光。
壁面を覆うのは聖堂の装飾でも宗教画でもなく、青白い光を放つ巨大なモニター群だった。。
「うわ……なんだよ、ここ。……SF映画じゃん……」
サタヌスが一歩下がる。
「……あら? いつ私たちロケットに乗ったの? まるで宇宙ステーションよ」
ヴィヌスは冗談めかして言いながらも、瞳の奥に警戒の色を宿していた。
「こんな設備、教皇庁にあるはずがない」
メルクリウスが呟く。
ヴィヌスがふと振り返る。
「聖女様、ここ……入ったことはあるかしら?」
シャルロッテは驚いたように瞬きをし、それから静かに首を横に振った。
「……ありません。ただ、ニア・アンスロポスで式典として祈っただけですので……」
その答えに、一同の間に一層の緊張が走った。
“聖女すら知らない場所”。それは、信仰の中枢に隠された何かの証明だった。
ラベルには“異界因子陽性”“照準固定済”といった文字列が次々と浮かんでは消えていく。
「……なんか、ずいぶん物騒な言葉が並んでるな」
ガイウスが呟いた。
「“殲滅対象”? “焼却信号”?……おいおい、これほんとに……」
彼らが見ているその空間は、もはや“聖なる守り”とは程遠いものだった。
それは、殺すための祈りの器。
女神の盾――その真実の姿は、神の奇跡ではなく。
あまりにも精密に設計された“兵器”そのものだった。
「……っは……はぁ……っ」
不意に、サタヌスが息を詰まらせたような音を漏らし、膝をついた。
その呼吸は浅く、喉からはかすれた吐息が漏れる。
「サータ?」
「どうしたの? ここに魔王軍はいないでしょ」
ヴィヌスが眉をひそめた。
「彼はスラム育ちでとても体が頑丈なんだろう?」
メルクリウスが皮肉交じりに言うが、表情はすぐに変わる。
サタヌスは額から汗を滲ませ、口を押さえながら震えていた。
サタヌスの手が震えていた。
その場にしゃがみこみ、額から大粒の汗を垂らしながら、荒く息を吐く。
叫びも、悪態も、口から出てこない。ただ、震えながらうつむいたまま、彼は小さく呟いた。
空調も、外気も関係ない“閉ざされた空間”のはずなのに。
彼の全身は明らかに凍えるような震えを見せていた。
「……なあ、ここ、寒いな……変だよな……」
ぽつりと漏れた言葉に、一同の背筋が凍った。
スラムで暮らしていた彼が“寒さ”を口にする。
それは、単なる体調不良では済まされない“異常”だった。
「……俺、だめかも……」
サタヌスは呻くように呟き、意識を手放すように倒れ込んだ。
「サタヌス!」
サタヌスが倒れ込み、異界因子が検知された瞬間、操作盤が青く光る。
優雅な声が響き、シャルロッテがハッと顔を上げる。
「やはり……この装置は“兵器”なんだ。
祈りの力を利用して、異界を滅ぼすために作られた……!」
「祈りが兵器って……そんなの、悪趣味にも程があるわ。」
ガイウスが駆け寄ろうとするが、その瞬間――彼の足元に光が走った。
魔法でも、祈りでもない、“装置”の脈動。
淡い光がサタヌスの身体を淡く照らすと同時に、彼の肌に痣が浮かび上がった。
「……っ、これは……!?」
メルクリウスはサタヌスの肩を支え、深く頭を垂れた。
普段の皮肉交じりの口調はそこにはなく、ただただ真剣な祈りが響き渡る。
銀色の輪が薄く光り、そのまま両手を強く組み合わせた。
「……開け、聖なる門よ……浄めの光よ、汝に与えられし祝福を今ここに……」
「天上の御方(みかた)、我ら神徒の加護を求む……」
「人の形を取り、人の言葉を話しながら、魔にも聖にも染まれぬ者に……安らぎを……
一瞬、光が集まる。しかし、それはすぐにかき消えた。
メルクリウスは顔を上げ、焦りを隠せないまま再び両手を組む。
サタヌスの息が乱れ、冷たい汗がこぼれ落ちる。
祈りの光は――サタヌスには届かなかった。
「なぜ……なぜ応えてくれない……っ」
(僕の祈りが足りないのか……? いや、そんなはずはない……)
(神よ、それでも君は“聖”を名乗るのか……)
メルクリウスはふと、幼少期を思い出した。
冷たい目で自分を見下ろしていた父ヘルメス。
「祈りは義務だ。感情に流されるな」と言われ続けた日々。
けれど、今の自分には、祈りの中にどうしようもない感情が溢れていた。
「この者の命、炎に似て、風に脆く。だが、灯りを得れば、夜を越える灯火となる」
(……お願いだ……サタヌス……生きてくれ……)
「僕が“奇跡”を呼ぶ!!」
力強く宣言し、額に手を当てる。銀輪がさらに強く輝き、冷たい空間に暖かい光が広がる。
だが――サタヌスの体は反応せず、かすかな呼吸だけが続く。
血の気の失せた顔で、サタヌスは呻き声を漏らし、かすれた声を絞り出した。
「……ボス……寒い……」
その一言に、メルクリウスの胸が締め付けられる。
「サータ、しっかりしろ! 死ぬなよ、バカ野郎!」
いつも強気なガイウスが、震える声で叫んでいる。
「ねぇ、メルクリ……なんとかならないの?」
ヴィヌスは普段の冷静さが崩れ、不安を隠せないまま問いかける。
「神様……お願い……」
シャルロッテは涙を浮かべながら、必死に祈る。
その時、メルクリウスの銀輪から薄く光が漏れ、サタヌスの体を包む。
冷たい空気がわずかに温もりを帯び、サタヌスの息が少しだけ整う。
「……生きてる……!」
ガイウスが叫び、ヴィヌスも安堵の息を吐く。
だが―サタヌスの体がびくりと跳ね、激しくえずき始めた。
苦しげに喉を押さえ、胃の奥から無理やり引きずり出すように嘔吐する。
真っ白な床に、暗赤色の液体が飛び散る。
「……嘘だろ……」
ガイウスが呆然と呟き、シャルロッテは凍りついた。
メルクリウスは、祈りを続けながらも、冷たい現実に打ちのめされていた。
「癒しではない……これは、拒絶反応……!」
「……神に拒まれたのね。半魔という、その存在を……」
ヴィヌスが眉を寄せ、冷ややかな声で分析する。
「……僕の祈りが、届かない……」
その一言に、場が静まり返る。
冷たいサイバー空間の中で、メルクリウスの震える声が、静かに反響していた。
「……これは……癒しじゃない。拒絶反応だ……!」
その声に、シャルロッテが反射的に駆け寄る。
「サタヌスさん、サタヌスさん……ッ」
彼女の手が、サタヌスに触れようとした瞬間――光が弾けた。
淡い光。優しいはずの祝福の光。
けれどそれは、聖女の加護を纏った手を拒むように、サタヌスの周囲に結界のように走った。
シャルロッテは、ほんの一歩だけ後退した。
「…………」
彼女は、手を見た。
誰よりも多く祈ってきた手。
誰かを救うために掲げてきた、聖女の象徴。
けれど今、それは――仲間に触れることすら、拒絶された。
「……私が……“守るために”展開したもので……この人が……」
喉が、音を立てて震える。
「こんなおぞましいものを……希望と思って……展開したの、ですか……」
彼女の指が震えながらコンソールへと伸びる。
シャルロッテは操作盤にしがみつくようにしながら、青ざめた顔で呟いた。
「どうして……どうしてこんなことに……?」
「神様……これが、神の意志なのですか……?」
ガイウスがシャルロッテの肩をポンと叩いた。
「おい、シャルロッテ。気にすんな、悪いのはこの機械だろ?」
「でも……この声は……初代様の声なんです……!」
「……っ!」
ガイウスが口を噤んだ。
メルクリウスが沈痛な表情で説明を始める。
「……おそらく、初代聖女の声を録音して “祈りの力”として利用したのだろう。」
「利用……?」
シャルロッテが震える声で問いかける。
「人々が信じやすいように、“女神の声”として作り替えた。
その結果が、この異界殲滅砲だ。」
「そんな……そんなの……!」
シャルロッテは崩れるようにその場に座り込む。
「私は……私は……ずっと信じてきたのに……
祈れば、きっと誰かを救えるって……!」
「でも……私が信じてきた“祈り”は……人を殺すための力だったんですか……?」
画面には見たことのない記号と光。読めない文字列、意味不明の数値、点滅する照準表示。
それでも、止めなければ。
自分のせいで苦しんでいる仲間がいる。
止めなければ。
「……お願い……止まってよ……止まって……」
涙がこぼれ落ちた。
ボタンを押すたびに鳴る無機質なエラー音が、彼女の悲痛な声を打ち消していく。
「私が……私がやったんです……止まってよ……っ」
その時だった。
「――どきなさい!!」
鋭く、強く、命令のように響く声。
シャルロッテの肩を掴んで押しのけるように前に出たのは、ヴィヌスだった。
その手がコンソールに触れた瞬間、彼女の聖痕が輝き、認証音が空間に響いた。
「聖痕、認証完了。アクセス権限、更新されました」
機械音声が響き、コンソールがわずかに応答を始めた。
「君……わかるのかい?」
メルクリウスが驚き混じりに問いかける。
「……さっきよりはね」
ヴィヌスは目を細め、表示された数値の羅列を睨みながら手を滑らせた。
「これは? インテリ神官」
「……これは、おそらく……エネルギー調整だと、思う」
メルクリウスが答えたが、わずかに歯切れが悪かった。
ヴィヌスは小さく息を吐く。
「――半端に知識があるって、こういう時ほんと厄介ね」
画面に並ぶ記号や図形を指先でなぞりながら、彼女はふとあるアイコンに目を留めた。
「ねえ、この髑髏マークはなに?」
「……多分、自爆するやつだよ」
メルクリウスが一拍置いて即答する。
「おいおいおいおい」
ガイウスが割り込んでくる。
「何で“守りの装置”に自爆機能がついてんだよ」
「それがサガ(性)というやつだよ。抑圧された知識欲は、破壊衝動へ転じるものさ」
メルクリウスがどこか遠い目で呟いた。
「詩的に言ってる場合じゃねえからな」
ガイウスが肩をすくめる。
無数のモニターが青白い光を放ち、警告音が断続的に鳴り続ける。
空気が張り詰める中、倒れたサタヌスを囲むように。
勇者たちは神経を研ぎ澄ませていた。