氷の棘が道を塞ぎ、銀髪の男が近づくにつれ、空気が一気に凍りつく。
サタヌスが身を乗り出して叫ぶ。
「氷の悪魔か!?流石オーゼだな、軍人の地縛霊が彷徨ってるなんてよ!」
あまりに失礼な第一印象に、ヴィヌスが即ツッコミを入れる。
「よく考えたらわかるでしょ!アイツ、魔王軍よ!地縛霊なわけないでしょ!」
男は何も言わず、軍帽のツバを下げていた手をゆっくりと持ち上げた。
薄く微笑むその表情に、氷のような冷淡さと気品が同居している。
「私は魔王軍――六将。カリスト・クリュオスと申します」
帽子を静かに脱ぎ、丁寧に胸の前で掲げてみせる。
雪明かりに照らされたその顔は、まさに“魔王軍一のイケメン”と噂されるほどの端正さ――けれど、どこか人間味の薄い美しさだった。
「お見知り置きを」
金色の瞳が、じっとパーティを見つめている。
微笑は張り付いたままだが、その奥に潜む冷たさに、誰も軽口を叩けなくなった。
凛とした美しさを纏いながら、カリストは指先で長い銀髪をくるくるといじっていた。
その仕草はどこか無防備で、優しい微笑みが雪の夜に溶けていく。
「――ユピテル様に命じられ、待ち伏せをさせて頂きました」
声は静かで澄んでいる。
金色の瞳は、油断なくパーティを見回す。
「ヴィヌス以外は殺してもいい、と仰っていましたが……」
そう言いながら、カリストは妙に距離が近い。
一歩、また一歩と、ガイウスへ滲み寄る。
(……ユピテル様も素敵だが、この体格も悪くない――)
内心そんなことを考えているのが、どこか表情に滲む。
普段の無表情から、微かに頬が色づくような、妙なときめきが宿っている。
「ガイウスさん。今からでも遅くありません。お仲間の皆様……外していただけませんか?」
声は驚くほど柔らかく、目線まで乙女。
完全に“好きな男子にだけ見せる特別なお願い”の仕草。
その生々しいまでの距離感に、雪原の静寂がさらに濃くなる。
ガイウスは一歩下がり、警戒心を全開にして睨み返す。
だが、なぜか押し負けそうな空気を漂わせ――
「断る」
珍しく、即答。短い言葉で突っぱねた。
沈黙。その隙間を埋めるように、サタヌスが半眼になり、低い声を響かせる。
「もうホモ通り越して女なんだよなぁ」
雪の静けさと、妙に生々しい気配が漂う――
この異様な間合いに、ガイウスもヴィヌスも思わず息を呑むしかなかった。
カリストは笑みを浮かべ、まっすぐにガイウスを見つめていた。
静まり返った雪原、凍りつく空気。なのに彼の視線だけは、妙に熱を帯びている。
「こういう静かな場所って……心が落ち着くんです」
声はやけに色っぽく、距離もどんどん詰まってくる。
雪の冷たさと相反して、じわじわと“危険な何か”が迫る気配。
その瞬間、ヴィヌスがスッとガイウスの前に割って入る。
「ほら氷野郎、ガイウス乗る気じゃないみたいよ?
“抱かれたい”って顔、出すぎ」
ヴィヌスの挑発にも、カリストは一瞬も視線をガイウスから逸らさず――口だけで返す。
「貴女と話す口は持っていません」
目はまったくガイウスから外さない。
その一途さは、もはや執着の域。
ヴィヌスはニヤッと片眉を上げる。
「殺すなって命じられたヤツに塩対応って、普通逆だからね♡」
サタヌスはやや距離を取って、ぼそりと呟いた。
「ガイウス、お前今“肉食系女子の三角関係”に巻き込まれてるぞ。逃げとけ」
ガイウスは雪の中、じわじわ冷や汗をかいていた。
「……なんで、俺だけこんな目に……」
静かな夜、誰も雪の冷たさを感じていなかった――
空気だけが、どんどん生々しく、修羅場の予感で熱を帯びていくのだった。
雪原に張り詰めた静寂。冷たい風が頬を切るなか。
カリストは微笑を絶やさず、じりじりと距離を詰めてくる。
その顔は誰が見ても美形。
けれど、その微笑みの奥にあるものを知った瞬間、背筋がぞわっとした。
ガイウスは自分でも分かるほど警戒心を剥き出しにしていた。
今、目の前にいるこの男は――
踏み込んだら最後、絶対に戻れない何かだ。
「乗らねぇぞ。アルルカンでどっかの夫婦引き裂いたらしいな」
わざと抑えた声で詰め寄るが、カリストはただ完璧な美形の顔で首を傾げる。
その仕草がやけに滑らかで、人間離れしている。
「……記憶にありません。なんと?」
この一言だけで、ぞっとするほど温度のない“やり過ごし”が伝わってくる。
美形が一番怖い瞬間である。
「“旦那を解放しろホモ野郎”って、フランス語で書かれてたぞ。お前の仕業だろ」
じと目で問い詰めるガイウス。
一瞬、カリストの顔が微かに凍りついた。
しかし次の瞬間には、またあの綺麗な笑みが戻っている。
「まったく、スラムというのは……悪趣味な噂が好きですね」
「私は“旦那”など持った覚えはありませんよ?」
その言葉の裏側に、氷のような底冷えする空気が漂う。“覚えてない”――
その一言こそが、この男の本質だ。
サタヌスが後ろで、ひそひそと呟く。
「“覚えてない”って言い方が一番怖ぇんだよ……リアルに……」
ガイウスは、ああこれ絶対に触れちゃいけない奴だ、と心底理解する。
背筋に、冷たい汗がじわじわ伝う。
「やっぱ“マジ”だったんじゃねぇか……!」
疑いから確信へ。逃げ場がどんどん消えていく感覚。
カリストはそれを察してか、さらに一歩、何の音も立てずに距離を詰めてきた。
そして、ガイウスの耳元まで、ふわりと吐息がかかる距離にまで寄ってくる。
「ご安心ください。あなたには“特別な興味”しかありませんから」
その声が妙に甘く、けれど底知れない寒さを孕んでいる。
金色の瞳が、まるで逃げ場のない冷気の檻のように、ガイウスを捉えて離さない。
――これ、ダメだ。
直感が脳を叩き、ガイウスは全力で距離を取ろうとした。
「やめろ、近寄るなァァ!!」
情けない叫びが雪原に響く。
だが、どれだけ離れてもカリストの視線だけは、爪先まで凍らせるように追いかけてくる。
その瞬間、ガイウスは心底思った――
「ここで“乗った”ら、俺は絶対に帰ってこられねぇ……!」と。
ガイウスはじりじりと距離を取ろうとしながら、無意識に腰の剣に手を添えていた。
それを見て、カリストはわざとらしく両手を胸の前に上げ、驚いたふりをする。
「うわぁ、勇者って本当に血の気が多いんですね? 私、まだ抜刀すらしていないのに……」
その顔は笑っているが、どこか芝居がかっている。
こちらの神経を試すような、そんな眼差しだった。
「ただ興味があるだけなんです」
「たった三人で砂漠の駐屯地を壊滅させた貴方がたへの、興味が」
ふと、カリストの金色の瞳が僅かに細まる。
「もっと具体的には……魔力が」
その瞬間、ガイウスの脳裏に、アルルカンの酒場で聞いた“ブラックな雑談”がよぎった。
――魔王軍には、お気に入りを氷像にしてコレクションする氷使いがいる。
生きたまま凍らせるって噂だ。
“旦那を冷凍された”だの、“ホモ野郎”だの――全部、目の前のこいつの仕業じゃねぇか。
ガイウスは瞬時に決断した。
ここで正面からやり合ったら、下手をすれば自分が「コレクション入り」だ。
――なら、巻き込むしかない。
ガイウスはぐっとサタヌスの肩を掴むと、腹を括った表情で叫んだ。
「許せ!サタヌス」
状況が動いたのは、一瞬だった。
雪原にガイウスの叫びが響くやいなや、サタヌスが前に突き出される。
同時に、あれほど優雅だったカリストの動きが一変する。
雪を蹴る音とともに、目にも止まらぬ速さで飛びかかってきた。
「はぁ!?」
サタヌスの絶叫と、カリストの僅かな困惑が交錯する。
2人とも、事態が予想外の展開を迎えたことを理解した瞬間だった。
次の瞬間、唇と唇が、雪の冷たさよりも衝撃的に重なる。
「――――ッ!!?」
沈黙。時が止まったような一瞬。
サタヌスの瞳がぐるんと宙を彷徨い、カリストですら「えっ?」という顔になる。
パーティ全員、思考停止。
やがてサタヌスが、信じられないものを見る目でカリストを見た。
「お、おれの……ファ、ファーストキスが……あああああ!!?」
絶叫が雪原に響き渡る。
カリストはというと、指先でそっと唇をなぞり。
驚いたように、でもどこか納得したように呟く。
「案外……柔らかいですね」
その発言がさらにサタヌスを地獄へ叩き落とした。
「殺すぞテメェ!!」
ヴィヌスはため息混じりに肩をすくめ、ふっと笑った。
「不幸すぎて最早笑えるわ……ファーストキスが魔王軍六将とか」
サタヌスは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「言うな!言うなァ!!」
そのまま、消毒するかのように両手で雪をかき集め、顔を思いっきり突っ込んだ。
「うおおおお、冷てぇぇぇぇ!!!」
そんな騒動を横目に、カリストは一歩だけパーティを見つめた。
先ほどまでの熱っぽさは消え、表情もすっかり冷めきっている。
「……興が醒めてしまいました。直ぐ凍らせるのは味気無い」
「貴方がたが何故ティータを倒せたのか、見極めさせて頂きますよ」
そう言い残すと、カリストは雪に溶けるようにふっと姿を消した。
同時に、街道を塞いでいた氷の棘も嘘のように消えていく。
しん、と静まった夜。ヴィヌスが、ふっと皮肉げに呟いた。
「あの舐め腐った態度まで……ユピテルそっくりね。顔は120点、中身マイナス100点♡」
ガイウスは、サタヌスが雪まみれでうめいているのを見下ろしながら、深いため息をついた。
「……マジで、雪国ってロクなことが起きねぇな……」