オーゼ編-北へ - 4/5

「ようこそ、ノル・ユールへ」
馬車がコダの森を抜けると、そこは一面銀世界だった。
森から続く針葉樹林と氷山に囲まれ、街は雪化粧を纏っていた。
まるで絵本の中に入ったような光景にサタヌスは目を輝かせていた。
「ガイウスみろよ!全部真っ白だぜ」
「お前、母親に捨てられたから雪の日嫌いって言ってなかったか」
「あぁそりゃメキアの戦いで吹っ切ったわ!白いから嫌い、とかもうねぇって」
「そうか、ならいい」
ティータとの戦いでサタヌスの考え方が成長している。
恐らくこれからは彼の成長を見守ることになるのだろう。
ガイウスは馬車から降りる前にそんなことを考えた。
-その傍らでヴィヌスも雪化粧が施された街を見回していた。

「懐かしい。あのアーチ私が引っ越した時もあったのよ」
「どうだ?帰郷は」
「変わってないなって気持ちと、ちょっと寂しい気持ちね」
ヴィヌスは一歩、アーチの下に踏み入った。
風も、音も、一瞬止んだように感じた。
街の入り口を示す石造りの門。幼い頃には見上げるだけで首が痛くなった、雪に覆われたアーチ。
今は——その下に立つと、まるで記憶が再生されるようだった。

――キィ、と古びた門の軋む音が、頭の中に響く。

「ヴィヌスー!おっきい雪玉あったー!」
「まって! ポンチョ、脱げる脱げる!」
足元をばたばたと走る小さな影。
頭でっかちのポンチョに包まれ、転びそうな足取りで駆けていく少女——自分自身。
雪国の子どもらしく、何重にも重ね着された身体は丸く、息を吐くたびに湯気がふわりと上がる。
指先は赤く、頬は火照っていて、笑い声だけがひときわ高かった。

「いいもん。見つけてくれんの、ジャックだけだもん」
誰かの声にそう言い返して、ポンチョの影が振り返る。
真っ白な世界の中で、その小さな少女の肌だけが、やけに温かい色をしていた。
幼いヴィヌスは、くるりと回ってアーチの下から街へと駆けていく。

雪が舞う。
まるで、記憶が吹き返したかのように。
今のヴィヌスは、同じ場所に立ったまま、そっと目を伏せた。

「……ただいま」
その言葉は、雪に吸い込まれて消えた。
けれど、街は確かに応えたように、微かにざわめいた。
門の先、遠巻きにこちらを見ていた数人の大人たちが、顔を見合わせる。
長年の雪かきで節くれだった手を目元にかざして、じっとこちらを見つめ——

「色の濃い子で、ジャックとよく遊んでた……あの子だ……!」
「帰ってきたんだな……勇者様になって……!」
笑い声、泣き声、ざわめきが混ざり合い、冷たい空気に湯気のように立ちのぼる。
誰かが薪をくべる音がして、焚き火の匂いが鼻をくすぐった。
そんな中で、少し離れた場所。
重い毛皮のコートを羽織ったガイウスが、帽子をずらして空を見上げた。

「……こいつぁ、面白くなってきやがった」
横で腕を組んでいたサタヌスが小さく笑う。
「歓迎ムードとはな……悪くない」
ヴィヌスは少しだけ微笑んで、フードを下ろす。
幼い頃と同じ銀の髪が、雪の光を受けて静かに揺れた。

「リーダー、先行ってて。私寄り道してくるわ」
「ああ、ここで合流な?」
ヴィヌスはありがとうと微笑んで消えていく。
ガイウスはただ黙って小さくなる背中を見送った。

焚き火の輪を抜けて、ヴィヌスはひとり街の奥へと歩いた。
風は弱く、雪は音もなく降り続けている。
迷うことなく足が向いたのは、かつての自宅。
石の壁に囲まれたドーナツ状の通路、その一角にある木の扉の前で足を止める。

──そこに、灯りがあった。

中から、鍋の湯気と笑い声が漏れていた。
しばらく見つめていたそのとき、扉が開いた。
「……あら?」
現れたのは、若い母親だった。ヴィヌスを見て一瞬戸惑い、すぐに笑顔を浮かべる。
「ごめんなさい、どなたかしら? 知り合いの方……?」
「いいえ。……昔、この家に住んでいたの。ちょっと、懐かしくなって」
「まあ……」
女性はヴィヌスの銀髪を見て、ふと息を呑んだが、言葉にはせずに「寒いでしょう」と笑った。

そのとき、家の奥から、ひょこっと小さな顔がのぞいた。
「ママー、ジャックが呼んでるー!」
「……ちょっと、またジャックと? あの子、最近ずっと外で遊んでて……雪焼けしちゃって……」
ヴィヌスはゆっくりとしゃがんで、女の子と目を合わせた。
白い肌に赤いほっぺ、もこもこのポンチョ。
それでもなぜか、すぐに気づいた。

──この子は、ジャックと“仲良くなりすぎてる”。
まるで、あのときの自分のように。
「……名前、つけてる?」
「うん、スニョーカ!」
「……スニョーカ、可愛い名前ね」
ヴィヌスは微笑んだ。けれど、その笑みの奥に、ほんの少しだけ、寂しさが混じった。

「……春が来ても、ちゃんとさよならできるといいわね」
母親はその言葉に、少し驚いたような顔をしたが、何も言わなかった。
ヴィヌスは立ち上がって、扉の前から離れる。
雪の中に残った自分の足跡の隣に、新しい、小さな足跡が並んでいた。
過ぎた季節は戻らない。
けれど——雪の中で、何かは確かに繰り返されていくのだ。

ヴィヌスが通りの奥へと姿を消したあと、広場に残された二人の男。
しんしんと降る雪のなか、サタヌスは首をすくめながら文句をこぼす。
「なんでヴィヌス行かせた? 俺、方向音痴だぞ。初めて来る街だぞ?」
「……ガキじゃねぇんだから少しは自分で歩け」
ガイウスは呆れたように言い放った。
「20年ぶりだぞ。行きたいとこもあるだろ、ガキ」
「ガキ言うなって言ってんだろが!!」
瞬間、白いものがガイウスの視界を覆った。
音もなく飛んできた雪玉が顔面に直撃する。

「……おい。てめぇ……」
「はっはー、1点先取な!!」
サタヌスが笑いながら逃げ出す。
ガイウスはゆっくりと顔についた雪を払った。
そして、無言で雪をすくうと、見事な弧を描いて投げ返す。
「うおっ、上手っ……てか冷たっ! マジでやんの!?」
「やるからには殺るぞ、”勇者様”」
「この寒空に何してんだよお前ぇえええ!!」

——気づけば、広場は二人の雪合戦場と化していた。
勇者ふたり、雪まみれ。
さっきまでの幻想的な帰郷ムードはどこへやら。
遠巻きに見ていた子どもたちの一人が、ポツリと呟いた。
「……こいつら、子どもか?」
その声に、たまたま通りがかった老人がこう付け加える。
「……子どもだな」
街の空気に、雪と一緒に笑い声が降り積もっていった。

「うわっぷ……冷たっ!」
顔面に雪玉を食らったガイウスが、むすっとした顔で雪を払う。
「やるじゃねぇか、チビ」
「チビ言うな!リーチ違いすぎんだよ!お前背ぇ高すぎなんだよ!!」
事実、サタヌスの投げる雪玉は、ガイウスの腹にも届かない。
振りかぶったって、スッ……と空振り。
そんな姿にガイウスがふっと鼻で笑ったのが、完全に火に油だった。
「くそっ……ッ!!」
雪を両手で掴み、思いっきり投げる——も、やっぱり届かない。
ギリッとサタヌスのこめかみに青筋が立つ。
そのときだった。

「お兄さん、苦戦してるなー!」
「よっしゃ、手ぇ貸すか!」
雪の向こうから、小さな足音。
地元の子どもたちが、にやりと笑いながら走ってくる。
「隊長! 援軍来たぞ!」
「左右から挟み撃ちだべ!」
「いいぞ、やれ! やっちまえちびっこ軍団!」
サタヌスの指揮のもと、小柄な戦士たちが次々と雪玉を投げ込む。
その手際たるやプロ。毎朝の雪かきが伊達ではない。

「ちょ、なんでそっち側が戦力増えてんの……?」
ガイウスが軽く眉を上げるが、楽しげに雪を払うだけだった。
「投降する気は?」
「あるか、バカ!」
結果、勇者と雪国のちびっこ連合軍は、気づけば白銀の中で入り乱れていた。
サタヌスはコートの中に雪を突っ込まれ、子どもたちはゲラゲラ笑い、
その様子を見た通りすがりの爺さんが、ぼそりと呟く。

「……子どもだな」
誰が勇者かなんて、もう誰にもわからない。
けれど、それでいい。
雪国に、静かであったかい日が、またひとつ積もっていった。

「隊長!右から雪玉きたー!」
「おう、任せろ!」
「そこ! ガイウスの足元空いてるぞー!」
「言うな!聞こえるだろ!」
広場はもう、立派な戦場だった。
雪玉が飛び交い、ちびっこたちが笑い、勇者二人がその中心で泥仕合。
顔も服も髪も真っ白、どちらが敵か味方かもわからない。
その光景を、少し離れた通路の陰から見つめるひとりの女。
ヴィヌスは、はぁ……と雪混じりのため息を吐いた。

「……何してんのよ、ほんとに」
手には、昔住んでいた家の残り香。
でも今ここにあるのは、全力で雪合戦に興じるデカい子ども二人と、歓声と笑い声。
そのど真ん中で、ガイウスがふと気づいた。
「……あ」
その瞬間、彼の肩に雪玉が命中した。
「うおっ……いてっ! ちょ、お前今それどこから投げ——」
視線をたどると、そこにいたのはヴィヌス。
腕を組み、冷えた目で見下ろしている。

「お、おかえり……」
「ただいま。……で? お兄ちゃんたちは何してたのかな?」
その口調に、チビたちが「ママに怒られてる!」と笑いながら騒ぎ出す。
サタヌスはそっとガイウスの影に隠れた。
ガイウスはなぜかちょっと得意げに「これでも勝ったんだぞ」とか言おうとしてやめた。
ヴィヌスはもう一度、深いため息をついてから、ふっと微笑んだ。
こういう冬も、悪くない。

雪国の風は、都会の冬なんか比べものにならないほど、肌を刺す。
「男衆、オーゼの寒さはあんたたちの想像してるのと次元違うわよ」
「冬服買いなさい、指なくなりたくないならね」
そのセリフがガチの地元民の圧すぎて、ガイウスもサタヌスも一瞬固まった。

「……え? 指が、なくなる?寒さで……?」
サタヌスが半笑いで聞き返すと、ヴィヌスは即答。
「凍傷ってやつよ、ぼろっといくのよ。油断してたら本当に帰れなくなるわよ」
二人、頭の中で自分の指が“ぼろっ”と落ちる絵面を想像してしまった。
「…ガイウス、へそ隠すのはオレ的に恥ずかしいが着替えよう」
「逆だろ普通」
即、店内ダッシュ。
フード付きの分厚いコート、裏ボアの手袋、二重三重のマフラー、ファー付きブーツまで、
店員のおばちゃんのアドバイスもあって、全身ガッチガチに武装される勇者ズ。

ガイウスは黒と緑のダウンコートに身を包み。
サタヌスも慣れないマフラーを巻きながら「へそ隠すのは…ちょっと…」と小声でブツブツ。
ヴィヌスはそれを遠巻きに見て、口元にニヤリ。

「これでようやく、オーゼの“外歩ける”くらいにはなったわね。油断したら即、指なくなるけど」
完全防備の勇者ズ、そのビジュはまるで冬山探検隊。
だがサタヌスの“へそ出しNG”が一番恥ずかしそうだった。
「…サタヌス、案外ファッション気にするタイプだよな」
「ガイウス、黙れ……指なくなる方がマシだ!」
ふたりして、お互いのモコモコ姿に半笑い。
勇者ズの“イメチェン”完了、これぞ雪国適応のリアルだ。