—虎龍(フーロン)皇国—-
フーロンの街並みは、実際に訪れてみれば面食らうほど落ち着いた佇まいが多い。
だが、この首都「覇道(パーダオ)」だけは別だ。
皇の膝元ゆえ、通りは年中春節のように華やぎ。
赤提灯と金の飾りが途 切れることなく並ぶ。
軒先では虎や龍の意匠が雨粒を弾き、濡れた石畳に揺れる灯りを映す。
子供の魔族たちが路地で爆竹を鳴らし、白い煙をくゆらせて笑い合っているが。
誰一人として咎める者はいない。
雨音と爆竹の弾ける音が混ざり、街全体がひとつの環境音楽のように鳴り響いていた。
雨の午後は、いつもより赤が鮮やかだった。
市場通りの片隅、赤提灯の下で色とりどりの香辛料が並ぶ屋台。
その人混みの中で、ひときわ目立たぬ小柄な影が一人、唐辛子の山にじっと向き合っていた。
ハオ・ランフェイ。
フーロンの民の中でも、ひときわ背が低い。
もともと小柄な人々が多いこの国でさえ、彼女は「チビ」と呼ばれる。
だがその分、動きは素早く、気配も軽い。
まるで子狐が人間の町に紛れ込んでいるかのようだ。
白と淡いピンクの服装は、この国で主流の赤や黒、金の色彩とはどこか異なり。
桃の花を思わせる可憐な色合いだった。
袖にたっぷりと巻いたピンクのスカーフ。
ひらりと揺れる短いスカートの縁にも、桃色のラインが走る。
彼女の黒髪はサイドでまとめられ、ピンクの花飾りが耳元に咲いている。
額の中央には、妖しくも愛らしいピンクの結晶。
その瞳は大きく、どこか飄々とした無垢さと、大人びた諦観が同居していた。
小さな手で唐辛子をひとつひとつつまみ、光に透かしては丁寧に吟味していく。
指先の動きは、何百回と繰り返した職人のそれだ。
時折、通りがかる商人や子供たちが「あ、ハオ姐だ」と軽く声をかけ。
彼女は「ニイハオ〜」と柔らかい声で応じる。
香辛料の香りと雨上がりの湿気に包まれながら。
ハオの周囲には不思議な和やかさと、どこか浮世離れした静けさが漂っていた。
その姿は、まるでこの国に咲いた一輪の桃花。
異国の空気を纏いながらも、誰よりもここに根を下ろしている。
そんな不思議な存在感だった。
市場通りには唐辛子の山、赤提灯の下には色とりどりの香辛料。
ハオ・ランフェイは、袋を片手に唐辛子を吟味していた。
「おっ、ハオ。今日は何グラムだい?」
屋台のトカゲ店主が、顔なじみの笑みで声をかけてくる。
「こないだの“火龍唐辛子”が美味かったヨ。また同じのある?」
ハオは額のピンクの結晶をきらりと光らせ、軽やかに尋ねる。
「おうよ、今朝の入荷分だ。……そういや、聞いたか?“勇者”が出たらしいぜ」
「今回はずいぶんペース早いな?」
「そうネ〜、前は年に1回くらいだったヨネ? 流行り病みたいなものネ、勇者は」
ハオは鼻歌混じりで袋詰め。
トカゲ店主は声をひそめて笑った。
「アハハ、こっちじゃ“疫病神”扱いさ。
アルキード王国がこれで最後だって言ってるが……あの英国様は嘘吐きだからな」
「嘘でも本当でも、腹は減るヨ。……そうだ、その小粒のやつも包んでほしいネ」
「おう、それは小粒だが辛さは格別だぜ!」
「ありがと。ピリ辛でいこう、人生もネ」
赤提灯の下、唐辛子の山を眺めていたハオが、ふとひときわ鮮やかな一本を手に取る。
「今年は発色がいいネ」
ハオは唐辛子を光にかざして、目を細めた。
今年のフーロンの夏は、例年以上に暑かった。
連日35度を超す日が続き、人間も魔族もすっかり参っていたが、
この暑さが、どうやら火龍唐辛子には最高の環境だったらしい。
唐辛子の表皮は、まるで漆を塗ったような赤。
先端がくるりと巻き、まさしく“龍の爪”のような鋭さを帯びている。
その色は炒飯や肉料理に混ぜれば、一皿をぐっと華やかに見せてくれる。
辛さは控えめで、どちらかといえば“彩り”が主役の唐辛子だ。
「今年は暑かったからな」
屋台のトカゲ店主が、どっしりとした声で笑う。
「唐辛子は暑ければ暑いほどうまくなる。火龍唐辛子は、暑さの中でしか真っ赤にならねぇんだ」
ハオはうんうんと頷きながら、手のひらで唐辛子を転がす。
「うちの炒飯、コレ入れるとお客が喜ぶヨ。赤がきれいだと、みんな元気になるネ」
トカゲ屋は、少し得意そうに胸を張った。
「そりゃそうさ。料理の色が鮮やかなら、腹の減り方も違ってくる。
この“龍の爪”は見た目も大事だが、ほのかに甘みもある。子供にも人気なんだぜ」
ハオは小さく微笑んで、唐辛子を袋に詰める。
「おかげで今夜はお店も忙しくなるネ。ありがと、トカゲ兄サン」
「いつでも寄ってけよ、ハオ姐」
炎天下の市場に、火龍唐辛子の赤が一層まぶしく映えていた。
—–
その夜、王宮は静けさと緊張に包まれていた。
玉座の間に佇むその人物を、誰もが一目で“只者ではない”と悟るだろう。
天狐皇――今代の「皇」にしてフーロンを統べし男。
漆黒の衣に金糸の龍を纏い、その佇まいは王者にして武人。
長く艶やかな黒髪は、闇よりも深く滑らかに背に流れている。
しなやかにして鋼のような体つき。
一見すればまだ若い青年のような顔立ちだが、その瞳の奥には。
悠久の時を生きた獣の静謐と、歴戦の王者にしか纏えぬ冷たさが宿っていた。
眼差しは冷ややかに細く、黄金色の虹彩が、光の加減で妖しく輝く。
薄く整った唇、どこか中性的で儚げな造作。
それは見た者をひと時で魅了し、同時に凍てつかせる。
黒と深紅の重なる和装は、細部に至るまで計算された意匠。
その裾を這うように刺繍された金の龍は、天狐皇自身の権威と魔力の象徴だ。
長い外套の裾が床を滑るたび、静寂の空間にだけ、さらりと衣擦れの音が響く。
腰には漆黒の鞘に納められた一本の剣。
その手が柄に添えられれば、たとえ千の敵を前にしても一歩も引かぬだろうという。
ゆるぎなき自信が、細い指先の動きひとつにまで宿っている。
年齢はまるで読めない。
若々しい面差しの中に、どこか遠い過去の孤独と。
数多の修羅場を潜った者の気配が潜んでいた。
その姿は、王であり、獣であり、人ならざる“天狐”。
見る者すべてを畏れさせ、魅了せずにはいられない、不遜なまでの美と威光だった。
「……皇帝陛下、先日より王宮に出入りしていた女“玉藻”について、調査がまとまりました。」
側近の報告に、天狐皇は玉座の上でわずかに振り向く。
「ほう?」
「奴は魔王軍のスパイ。姿形こそ美しいものの、正体は――」
「……つまらぬ女だったな。」
天狐皇は冷淡に、しかし揺るぎない声音で言い放つ。
「余が少し正体を見抜いてやっただけで、激昂しおった。
自分の本性を隠しておきたいのか、追及を嫌ったのか、どちらでも構わぬが——」
側近が下手に余計な一言を足すと、一瞬で天狐皇の瞳が鋭くなり、刀の柄に手がかかった。
「それで? そんな話を伝えるためだけに余の前に現れたのか?」
「——つまらんな。下がれ。」
側近はビビって平伏し、即座に退室。
天狐皇は再び無表情に戻り「悟る気などない獣に、誰が心など奪われるか。——俗物が」
と、独りごちた。