デスクを開けては閉め、閉めては首を振る。
その繰り返しに、フロアの空気がじわじわと重くなっていた。
サボりの痕跡、笑えるメモ、時代錯誤のゲーム機。
人間臭い残骸ばかりが積み上がり、「父の痕」はなかなか見つからない。
そのときだイザナギが、少し離れた場所で立ち止まった。
視線は、埃をかぶった一つのデスクの端。
金属製のプレートが、斜めに傾いたまま固定されている。
「……おい」
声が低い。
全員の注意が一瞬で集まる。
「おい!?これがイズミ博士のデスクじゃないか!」
ティアが即座に食い気味で返す。
「根拠は!?」
イザナギはプレートに指をかけ、指先で埃を払った。
文字は薄れ、ところどころ欠けている。
それでも、光の角度を変えると——。
「ここ……ホムンクルス研究責任者って、読める」
その一言で、空気が凍った。
メーデンがゆっくりと近づく。
足音が、やけに大きく響く。
彼女はイザナギの指先の先を見つめ、かすれた文字を、何度もなぞるように目で追った。
「……ここだ」
声が、震えていない。
それが逆に、彼女の内側の動揺を物語っていた。
「ここで……ホムンクルス計画が、考えられた……?」
机の上には、整理された書類の跡。
ペン立ても、メモも、すべて“仕事用”だけが残っている。
サボりの痕跡が一切ない。
それが、このデスクの異常さだった。
レイスが静かに口を開く。
「……なるほどな。だから退社した。あるいは、させられた」
ユピテルは一歩引いた場所から、楽しそうに眺めている。
「へぇ……“命を作る”研究の責任者。そりゃ天国みてぇな職場だったろうさ」
だが、メーデンはもう笑えなかった。
父が、ここに座っていた。
この机で、誰かの“生まれ方”を設計していた。
そして——その先に何があったのか。
デスクは何も語らない。
だが沈黙そのものが、答えの入口になっていた。
ここが始点。
イズミ・リイチロウが“去る決断”をした場所。
そして、ホムンクルス計画という名の業が、最初に形を持った机。
物語は、もう後戻りできない深さに足を踏み入れていた。
ティアは慎重に埃を払った机の上、手帳らしきファイルをそっと開いた。
ページはまだ色褪せておらず、書き込まれた文字も判別できる。
彼女はゆっくりと読み上げるように、そして“説明する者”として、事実を口にした。
「保存状態……良好。ここに残された研究記録によると――」
ティアは真面目な声で続ける。
「元々ホムンクルスは、地球温暖化の深刻化による」
「“人間のみでの屋外活動”が困難となった際に備えた」
「“異常環境”に適応するデミヒューマンだった。」
「髪の毛型の超極細マナケーブルを内部循環させ」
「高温、極寒、酸性大気、放射線、低酸素に適応したフォームへ自在に変化する」
読み進めるうち、ティアの指が、ページの隅に手書きの注釈を見つける。
彼女は、わずかに口調を崩しながら――。
だが、どこか現実を達観するような声色で付け加えた。
「注釈……『実のところ私は、SDGsによる地球温暖化阻止は不可能だと考えている」
「発展途上国の化石燃料供給が停止出来ない以上、希望的観測でしかない』」
机上の記録には、まるで未来の自分たちへ警鐘を鳴らすように。
冷徹な“科学者の現実”が、そのまま書き残されていた。
メーデンはその言葉を聞き。
“自分がなぜ造られ、なぜこの世界で生きているのか”
初めて、現実の温度で理解し始めていた。
イズミ博士のデスク周辺を探っていると、レイスが静かに口を開いた。
声のトーンは低く、だが笑っている。
「さて問題は……イズミ博士ほどの天才を、ゼルノバが“ただで退社させる”わけねぇってことだ」
メーデンの顔から一気に血の気が引く。
冷や汗がつっと落ち、指先が震える。
レイスは机に置かれた古い端末を操作しながら続ける。
「能力も実績も最高峰。ホムンクルス計画の責任者」
「そんな人材を“辞めます”でハイどうぞ、なんて甘すぎる」
「……じゃ、なんで博士は穏やかに退社できたのか……ん?」
画面の端に、妙に明るいフォルダがひっそりと残っている。
《社内ハピネスプログラム・結婚報告ログ》
ティアが眉をひそめながらタップした瞬間――画面に名前が浮かぶ。
「アサギリ・マリナ……?
“イズミ リイチロウと社内恋愛”……って、おい!?」
イザナギも画面を覗き込んで固まる。
「ちょ、待て待て!!
“リイチロウ博士、マリナ研究員と社内結婚”!!?」
メーデンの思考が止まる音が聞こえた。
「社内結婚ログいらないからああああああああ!!!」
悲鳴がビルの天井に跳ね返った。
ロコはなぜか拍手している。
「えっ、なにそれめでたいにゃ?」
ティアは額を押さえる。
「違う、そういう話じゃない……!!」
レイスは肩を震わせながら笑っている。
「理由は単純。“愛で退社”ってことだなァ」
「ゼルノバの規定なら、家族を理由に辞める場合は引き止めできねぇ」
ユピテルはあまりにも無責任な笑顔で付け加えた。
「愛って便利だよなぁ~~。地獄企業から合法で逃げられるんだもん♡」
メーデンはその場にへたり込む。
「……私の両親……こんなログ……残すなよぉ……!!」
しかし、事実はもう書類の中にあった。
イズミ博士は、“研究者として”ではなく。
“家族を持つ人間として”ゼルノバを去った。
そして、その事実は――ここから先の物語の核心に、静かに繋がっていく。
イズミ博士のデスク周辺。
書類とホコリの匂いの中で、メーデンは父の記録を追いながら、顔色がどんどん死んでいった。
「ルーツ知れてもエモくねぇ!!
むしろ親父がやらかしすぎてドン引きです!!」
「社内恋愛報告書」「社内結婚承認」「婚姻届受理」の三連コンボ。
まるでゼルノバ社という地獄の結婚相談所の黒歴史を凝縮したような光景だった。
しかも、どの書類にも――研究実績と並んで。
「人格評価:極めて安定」「勤務態度:模範的」「将来性:極めて高い」の文字。
ティアが呆れた声を吐く。
「マッドサイエンティストなのに……評価が全部優秀……? 本当に狂気の世界ね」
レイスは紙束をめくりながら肩をすくめた。
「会社としては“宝物”だったんだろうよ。そりゃ手放したくなかったろうなァ」
その“宝物”が、社内恋愛を理由にスッと退社したと知り。
メーデンのブチギレゲージが天を突いた。
「父さん何やってたんですかァァァ!!!!
ホムンクルスで倫理攻めしてたかと思ったら、普通に職場結婚てどういう感情!?
なんでそんなリア充じみた退社理由なんですか!!意味がわかんない!!」
ロコがポケットから肉球サンド(しかも本社謹製)を取り出し、満面の笑みで叫ぶ。
「肉球サンドでお祝いだ!!」
「縁起が良いにゃ!結婚といえば肉球だにゃ!」
レイスはしれっとソースを追加してくる。
「ゼルエッセンもつけとけ」
さっき社員食堂からこっそり盗んできたのが丸わかり。
メーデンは両手を振り回して絶叫した。
「いらんわ!!!!」
メーデンが両手で顔を覆う中、ティアは机に残された書類を一瞥。
真剣な目でPTを見回す。
「……博士の“退社理由”の謎はわかった。
愛か倫理か知らないけど、ここで彼は一度区切りをつけた。
でも――本当の問題は、“その後にゼルノバが何をしたか”よ」
ティアの視線は、廊下の奥にそびえる特別フロアへの通路へ向く。
「……次はいよいよ最上階よ。覚悟して」
空気が一瞬、キリッと引き締まる。
ここまで来たら、もう進むしかない。
ロコは肉球サンドを頬張りながらピース。
レイスはゼルエッセンを口にくわえて片眉を上げ。
メーデンは「ぜってー親父の真似だけはしないからな……」と小声で呟く。
ティアの声だけが真っ直ぐ廊下に響く。
――地獄の最上階、いよいよ突入だ。