昼下がりのスパイス横丁。
サタヌスは例によってチャイ片手に、屋台の椅子でダレていた。
周囲の観光客たちは、誰も彼もカラフルな寺院や豪奢な王宮、名物の市場に夢中だ。
だが、サタヌスの表情はどこか退屈そうだった。
「おい、アンタ」
背後から現地のオッサン――歯抜けで日焼けした顔が、にやりと笑う。
「……観光は飽きたか?」
「別に。騒がしい場所はもういい」
「だろうなぁ。アンタみたいな顔した奴は、みんな“裏”を知りたがる」
オッサンはスパイス袋をひとつ手に取ると、ヒソヒソ声で続けた。
「だったら、ベイネット家ってのはどうだ?この街一の曰く付き。“処刑人の名家”さ」
「……は?」
「昔の当主は、それはそれはヤバい奴だったって噂だ。観光地よりはよっぽど面白ぇぞ」
スラムの路地裏で、朗朗と語り始める。
「処刑人の名家さ。この街じゃ知らぬ者はいねぇ――だが、今はもう跡形もねぇんだとよ」
“最後の当主”と呼ばれた青年、ユリウス。
カリヤ人なのに色白で、夜でも浮かぶような白い肌。
真っ黒な髪に、獣じみた金色の目。
女も男も惚れる美男子だったが、あの瞳だけは人間じゃなかった。
昔の話だが、実母アマンダは彼を「天使」と呼んで溺愛していたそうだ。
だがアイツの倫理観は、そもそも生まれつき壊れてた。
両親が甘やかせば甘やかすほど。
ユリウスの“狂気”は隠れるどころか、どんどん純度を増していった。
「見たことあるか?ギロチン台の上で、あれだけ楽しそうに笑う処刑人――」
「アイツが首を落とすとき、誰も痛がらなかった」
「恐れる暇もなく一撃で終わる。だから“最も慈悲深い”なんて皮肉も言われてたさ」
処刑人ユリウスは、恐怖と優しさの両極端を体現していた。
首を落とす腕は神がかり、心は悪魔。
街の連中は「アイツは神か悪魔か」とヒソヒソ噂した。
そのくせ妙に“陽気”な喋り方も有名で、
「なンだよ、お前の首は落とし甲斐があるなァ」とか。
処刑の現場で冗談まで飛ばしてたという。
市場の喧騒を離れ、サンデラの北端――
門を出る前、道端に廃館がひっそりと佇んでいた。
「ベイネット邸」と彫られた黒い表札。
古びた煉瓦と重々しい門扉、その奥に広がる広大な屋敷跡。
かつての栄華の名残すらも、今は陰に沈んで見えた。
道端で掃き掃除をしていた老人が、ふとサタヌスに目を留める。
「観光かい? ここは皇族お墨付きの『処刑人の家』さ」
「昔は王族すら頭の上がらなかったが」
「坊ちゃまが家督を継いでからは雲行きが怪しくなった」
老人の語り口はどこか遠い。
「坊ちゃまは……昔から、よう目が綺麗で、何考えてるのか、わからんお子でした」
「ユリウス坊ちゃま――母親のアマンダ様には、ことさら溺愛されておりました。
でも16になって家督を継いだ時、こう言ったのです。
『バルコニー越しはもう飽きた。目の前で“見たい”』と」
淡々と語る老人の目の奥で、何かが疼いている。
「……隠していた悪行を皇族に密告し。
ご両親は――目の前で車裂きにされたそうです。
けれど坊ちゃまは……泣きも叫びもせず、手を叩いて大笑いしていたとか」
サタヌスはしばらく言葉を失った。
かすかな冷気が、廃館の奥から滲み出している気がした。
誰も住んでいないはずの屋敷。
なのに、窓辺には誰かが覗いているような錯覚。
「なぁ、ユリウスってやつも……もう死んだのか?」
老人はほこりまみれの箒を止めて、少しだけ声を落とす。
「はい、民衆革命の余波で――反逆罪として一家皆殺しです」
「坊ちゃまも、最後はギロチン刑に処せられまして。今は……誰も」
処刑人が処刑されて終わるなんて、まるで輪廻の冗談みたいだ。
「坊ちゃまは、不思議な方でなぁ」
「処刑台に立った時ですら泣きも怖がりもしなかった」
老人の指先が、過去をなぞるように虚空で刃の曲線をなぞった。
サタヌスは無言でチャイの残りを一気に飲み干した。
喉の奥に、ほのかな鉄の味が残る。
廃館を見上げれば、黄昏の空が瓦の隙間から覗いていた。
「……ユリウスってやつ、どんな顔して死んだんだ?」
「坊ちゃまか?笑ってたよ。まるで、自分が死ぬのを楽しんでるみたいにね」
老人の声は穏やかで、どこか夢の話でもしているようだった。
サタヌスは、ふと笑った。
「……なんとなくそう予感してたが、人間のころから思考回路が人間じゃねぇな、そいつ」
目を細め、鼻で笑う。
「転生した神様とか言われても驚かんぞ。……いや、むしろ納得だわ」
夕暮れの風が吹き抜ける。
どこか遠くで雷鳴が、乾いた音を立てて響いた。
――この街で、まだ“彼”の祈りが続いている気がした。
「でさ……何年前の話だよ、それ?」
「んー……数百年だったかな」
あまりにもさらっと放り投げられたその言葉に、サタヌスは盛大にむせそうになった。
「ハァ!!?お前!その言い方はせいぜい十年前とか、最近っぽいノリだろ!?」
老人は箒を止めて、気の抜けた笑みを浮かべる。
「そうかい?長く生きてると、どうも体感時間が変わっちまってねぇ」
まるで昨日のことのように、さらっと口にするその声。
サタヌスは一拍置いて、本気で混乱した。
「お前、何歳だよ……」
「さぁな。ベイネットの坊ちゃまも、あんたみたいな顔でこの廃館を見上げてたよ」
「まるで“今もいる”みたいだろ?」
廃墟の奥、誰もいないはずの窓辺に、何かの視線を感じた気がして。
サタヌスは慌てて目をそらす。
けれど、彼の胸の奥に、わずかにひっかかるものがあった。
「処刑人」。
サタヌス自身――あの大戦の最中で“何者か”と血まみれで斬り結んだ。
けれどその仇敵が、かつてこの街の名家であり。
この廃館の主人だったことに、彼が気付くことはなかった。
歴史の歯車は、名もなき旅人の足元を軋ませて、ただ回り続けていた。
彼の名は、かつて「ユピテル・ケラヴノス」ではなかった。
スーツに身を包み、ギロチン台の前で異様に楽しげに笑う青年。
裁判所の屋上――処刑を待つその瞬間、彼は群衆に向かって両腕を大きく広げる。
――何も恐れていない。いや、むしろ全てを愉しんでいるような顔だった。
「なァ、見てるか?ここが“首が落ちる場所”だよ。最高じゃね?」
彼は、幼い頃から人の死や恐怖、血の色を“美しい”と思っていた。
その価値観は、誰にも理解されなかった。けど、彼は隠そうともしなかった。
処刑場の石畳。夜風。鉄臭い匂い。
彼の世界は、生きている実感が欲しいだけの空虚な群衆とは、はじめからズレていた。
傍目には“陽気な悪ノリ”に見えるその表情の裏に、確かに本物の“気”があった。
彼の金色の瞳が、夕闇の中できらりと光る。
首を落とすギロチンの刃――それすら、彼にとっては“芸術品”でしかない。
人々は「悪魔」と呼んだ。
だが彼自身は、その通りだと微笑んでいた。
死刑宣告を受けても、最後まで一切の後悔も戸惑いもなかった。
「自分は、何かを斬るために生きている」
その純粋すぎる信念だけが、彼を雷神へと押し上げた。
サンデラの夜、雷が鳴るたび誰かが言う。
「あの悪魔の笑い声がまた響いてる」と。
処刑の名家を潰し尽くしたベイネット家最後の“首切り神”
今も都市伝説みたいに語り継がれてる。
「全部終わる気がする――」
さっき市場で聞いた女たちの声が、不意に蘇る。
「勇者も、魔王も、こうして最後には皆……」
自分の歩いてきた道も、腐った血に繋がっている気がしてならなかった。
サタヌスは軽く頭を振り、足を早める。
背中に、廃館の影がしつこく纏わりついてくる気がした。