タタリ編-輪廻の街 - 4/5

山を仰ぎながら歩く一行。
澄んだ空気と、遠く雪を頂いたシャンドラ連峰(チョルム・パナ)が一際大きく見える。

ルッツが、少しワクワクしながら言った。
「やっぱ仙人ってことはさ…山に登ったりするの?」
ハオはチャイのカップをくるくる回しながら、にっと笑う。
「近いネ。昔、まだワタシが妖狐で――欲望に負けそうになってた頃。
寛寧――あ、マルスのこと――が『チョルム・パナに登ってみろ』って教えてくれたヨ」

ガイウスが目を丸くする。
「マルスが…あの山を勧めたのか?てことは、アイツ自身も登ったってこと?」
バルトロメオは苦笑して、肩をすくめる。
「……してそうだよね、あいつ。“山に籠もって修行”とか、普通にやってそうだもんな。」

ハオが大きく頷く。
「うん、マルスは“人と違う自分”に悩んでた時、よく山に籠もってた。仙人修行でもあり、鬼の力を抑えるためでもあったんダヨ」
「だからワタシも、『神の山』で“自分の内なる魔性”を鎮める方法、見つけたノヨ」
「なるほどね……山の神様に会うって、なんかカッコいい!」
ガイウスはしみじみと連峰を見上げた。
マルスもハオも、それぞれのやり方で“自分の闇”と向き合ってきた――
自分も、今の旅がその答えに近づけるのだろうか。
そんなことを思いながら、一行は次の街へと足を進めていった。
ガイウスは少し困ったように眉を寄せた。

「そういえば…チョルム・パナって何だ? お前と話すと聞きなれないワードばっか出てくるよな」
ハオは肩をすくめて、焚き火越しに茶目っ気たっぷりに微笑む。
「大地の母神って意味ダネ~。あんさんの“ガイア”と同じだヨ」
ガイウスは焚き火の火をぼんやり見つめながら呟く。
「俺と、同じ由来の山……」
少しの沈黙。
焚き火の火が、夜風に揺れた。

――大地母神。
その名を持つ山は、今も静かに、
そして厳かに、下界を見下ろしている。
ガイウスもまた、自分の中に眠る“根源”と、山の頂をどこか重ねて見上げていた。

その時、ルッツが足を止める。
「あれ……なんか、焦げ臭くない?」
一行が顔を見合わせる。
進むほど、空気の奥に――刺すような煙の匂い、そして焦げた土壁と、血の混じった湿気。
「これ……ただ事じゃねぇな」
ガイウスは険しい声でそう言い、真っ先に駆け出した。

マカリ村は、夜の帳が下りる前だというのに静まり返っていた。
道端には家々の半壊した残骸、灰色の雪が舞う。
焦げた土壁と、地面に刻まれた奇妙な亀裂――
村人たちは家々の陰に隠れ、怯えたまま誰も外に出てこない。
焼け残った屋根からは、かすかにすすり泣くような声が漏れる。

血と土が混じり合った斑点。
何より村全体を覆う“重い空気”
それは生き物のように、一行の胸を圧迫した。

ようやく、村の片隅から老人が現れる。
「た、助けてくれ……あの“呪い”が、また戻ってくるんじゃないかと……」
ガイウスは身をかがめて声をかける。
「何があった? 誰か、怪我人は……」
老人は首を振り、泣きそうな顔でうわ言のように言う。
「……“祟り”だよ……黒い山羊の化け物が、村を……」
「魔王軍残党も、村ごと……呑まれた」
「勇者を名乗るあの者が……いや、“あれ”は……」
老人の目には、恐怖しかなかった。
焚き火の小さな明かりに、泣きじゃくる女がうずくまっている。
バルトロメオがそっと水を差し出し、ガイウスが低い声で呼びかける。

「落ち着いて……ひとつずつでいい。ここで何があった?」
女は怯えきった顔でぽつぽつと語り始める。
「夕方、村に“勇者”を名乗る少年が現れました」
「最初は、皆で歓迎しようとしたんです」
「けど……あの子の、目を見た瞬間、誰も声をかけられなくなって……」
ガイウスは静かに問い返す。
「その少年、どんな姿だった?」
女は目を強く閉じ、思い出すように答える。

「黒い髪で、肌は……他の子よりずっと黒かった」
「あの土地の子じゃないって、すぐわかるくらい」
「でも……何より……目が、とても不気味だったの」
彼女の声は震えていた。
「赤い目で……渦を巻いて、ゆっくり回ってて……底がない井戸みたいで……」
ルッツが無言でガイウスを見る。
彼の表情には「やっぱり」という諦めと、抑えきれない心配が滲んでいる。
女はさらに小さく呟いた。

「それから……その子の影から“得体の知れないもの”が出てきて」
「魔王軍残党を……全部、呑み込んだの……」
「全部、全部、見えなくなって……それで……」
声がかすれる。バルトロメオがそっと女の肩を抱いた。
ガイウスは立ち上がり、山の闇を見つめながら呟く。
「……勇者を名乗る少年、か」
それ自体は珍しいことじゃない。
だが、魔王軍残党を一人で潰せる“勇者”で“少年”――

(……アイツしかいない)
心のどこかでそう確信しながらも、
「次に会った時、この目で確かめるしかない」と覚悟するガイウス。
夜の村に、冷たい風が吹き抜けた。

廃墟と化した村に冷たい夜風が吹き抜ける。
村人の話を聞き終えたその時、ルッツが一歩前に出て真っ直ぐに女へ尋ねた。
「ねぇ、その子はどっちに行ったの?」
女は怯えた顔で震えながらも答える。
「フーロンのほうへ……山の道を、独りで……」
ルッツはすぐにガイウスを振り返り、

「じゃ、キズ野郎!フーロン行こうよ!あたし、追いかけたい!」
だがガイウスは首を振る。
「いや、帝都に行く」
バルトロメオが思わず語気を荒げた。
「なんで!? 君が知ってるかもしれないやつなんだろ?」
空気がピンと張り詰める。
そのまなざしの交錯を、ハオが横目で静かに見つめていた。
やがて、ハオはガイウスの瞳をじっと見据え、そして目を伏せる。
「……そうだネ。今のあの子は、近づいちゃいけない状態みたいヨ」
ハオはわずかに微笑んでルッツを宥めるように言う。

「ハオたちが“マカリ村”のこと、ちゃんとサンデラに伝えるから。少しだけ、我慢してネ」
そう言いながら、ハオは近くに転がる魔王軍兵士の死体へと歩み寄る。
帯から色褪せたお札を取り出し、指先で印を切る。
「ちょっとお仕事してもらうヨ。……キョンシーってやつネ」
死体の額にお札をペタリと貼ると、死人の体がピクリと跳ねた。
ルッツは驚き、バルトロメオは本気でたじろぐ。

ルッツは思わず後ずさる。
「し、死体が動いてる……!? ハオ、大丈夫なの!?」
その声にハオは涼しい顔で答える。
「これはキョンシー、フーロンでは定番の使い魔だヨ」
「大丈夫だヨ。ちゃんと制御できればいい子だから」
ルッツは半信半疑で、キョンシーの動きから目が離せない。
死体――元魔王軍兵士は、まだベレー帽をかぶりミリタリーな服装のまま。
だが両手を前に突き出した姿は、まごうことなき“中華ゾンビ”そのものだった。

バルトロメオが苦笑しつつ呟く。
「……これは夢じゃないよな?」
ハオはお札を額に押しつけ、呪文を唱える。
「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)。サンデラ王族に伝えて、マカリ村が襲撃を受けた。大至急支援を求む!」
キョンシーとなった兵士は、ぎこちない動きで夜道へ跳ねていく。
途中で道標に手を引っかけたりしながらも、着実にサンデラの方向へ進んでいく。
ハオはポンと手を打ち、にっこり。

「これでオッケー。あとは王族側の対応次第ダネ~」
ルッツは最後まで納得いかない顔で、
「本当に“大丈夫”なんだよね……?」とまだ心配そうだった。
ハオは「もちろん」とウィンクして見せた。
その手には、次の“非常用お札”がもう用意されているのだった。

ガイウスは村の出口で振り返り、短く言い切った。
「……よし、お前たち。もう少し我慢しろ。俺たちは帝都へ行く」
バルトロメオは肩を竦めながらも、柔らかく微笑む。
「王族次第だから確実に届くかわからないけど、やれることは全部やったよ」
ルッツはしっかりと村人に向き直り、
「とにかく!自暴自棄になるのはダメ、必ず助けは来るからね!」
と強く、明るい声を残した。

四人は静かに村を後にした。
灰色の雪が舞い降りる村の空気は、どこまでも重たかったが、
それでも背を向けて歩き出すその姿には、確かな決意があった。
しばらく無言で歩く中、ふとガイウスがハオに声をかける。

「なぁ……急々如律令って、どういう意味なんだ?」
ハオは手元の札をちらと見せて、にやりと笑う。
「“急急に律令の如く行え”――まぁ、簡単に言えば“超特急でお願い”って意味ダネ」
ガイウスは納得したように頷き、少しだけ表情を和らげた。

「なるほど。……妙に響きがいいな。今度、何か頼む時に使ってみるか」
バルトロメオが「ガイウスが言ったら呪文みたいだよね」と冗談めかし、
ルッツは「だったら、急ぎの時はあたしも真似しよ!」と元気に笑った。
空にはまだ、雪混じりの風。
でも、彼らの歩みは止まらない。
帝都を目指し、勇者パーティは闇の中を進んでいく――。

勇者PTが去った村の夜。
寒さに縮こまっていた村の子供たちは、四人の背中をぼんやりと見送っていた。
そのとき、一人の小さな男の子が「あっ」と小さく声を上げる。
「どうしたの?」
隣の少女が振り返ると、男の子は不安そうに呟いた。

子供は、思い出をたぐるように言葉を継ぐ。
「あのお兄ちゃんと同じ……すごく怖い目したお姉さん、見たことあるんだ」
「ぐるぐるした、赤い目のお姉さん……片目を、かくしてた……」
言葉が終わらぬうちに、地平線の向こうから、騎士団の灯りが近づいてくる。
サンデラ王族が派遣した騎士たちだ。
その甲冑が月明かりに鈍く光り、村に一筋の希望が差し込んだ。

「凍えていないか? まずは村の状況に詳しいものから話を聞かせてもらおう」
指揮官が穏やかに呼びかける。
村人たちは、次々と自分の見たことを話し始めた。
だが誰もが、心のどこかで引っかかっていた。
あの「ぐるぐるした、赤い目」。
もしかして、あれは――何かの証なのではないか、と。

夜の底で、村人たちのささやきは静かに広がっていった。
「もしかして、あの渦巻きの目は……神の呪いか、何か特別な証なのかもしれない……」
灯りの向こうで、まだ村の夜は終わらない。
「渦巻きの目」を巡る小さな噂が、ここからじわじわと世界へ広がっていくのだった。

夜の焚き火がパチパチと静かに弾ける。
山の冷たい空気が、肌をじんわり刺してくる。
不意にハオが手を合わせて、真面目な顔をした。

「……あの山には、お世話になったヨ」
その言葉には、軽いノリを封印した“本物の修行者”としての重みがあった。
普段はふざけてるくせに、こういう時だけはやけに大人びる。ハオは小さな手をきちんと合わせ、どこか遠くを見るように目を閉じる。

「言い忘れてたけど――」
「チョルム・パナは、どんなに過酷でも、一人で登らないといけないのヨ」
「神様の領域にお邪魔させてもらってるだけって、忘れちゃダメ」
山の空気が一瞬、ぴんと張りつめる。
誰もが何かを感じて、黙り込んだ。
しばらくして、ルッツが渋い顔でボソッと吐き出す。

「エピソード聞いてるだけで、無理なんだけど……」
「てか、ホアリンで店番してるシャオさ。仙人になりたいって言ってるけど――本当に登れるの?あの子、大丈夫?」
どこか心配そうな声。普段“キズ野郎”とか呼んでるくせに、こういう時はめっちゃ優しい。

ハオはゆっくりと、目を開いて微笑む。
合掌したままの手を解かず、まるで自分自身にも言い聞かせるように。

「シャオヘイは、強い子だから大丈夫だヨ」
「……うん。ちゃんと、帰ってくる。あの山の神様も、きっと見ててくれるヨ」
焚き火の火がゆらりと揺れて、みんなの影を長く引き延ばした。
神様の領域――その言葉が、なんだか現実味を帯びて胸に残った。