タタリ編-闇の帝都、再会 - 2/2

灰雪の舞う帝都の広場で、血刃と斧が何度もぶつかっていた。
甲高い金属音が、死んだ街にだけやけに響く。
砕けた石畳の上をサタヌスが滑るように下がり、頬についた血を親指で拭ってから、へらっと笑った。
「っはは……あぁヤベェ」
肩で息をしながら、やけに楽しそうな声だった。
目の前ではプルトが黒い刃を指のあいだで弄び、片目だけ細めてこちらを見ている。
笑ってはいるが、あれは獲物を前にした顔だ。静かで、冷たくて、底が見えない。

「お前とやりあうの、楽しすぎてさ……」
サタヌスはそう言って、こめかみを指でとんとん叩いた。
その仕草だけは妙に軽い。酒の勢いで秘密を漏らす不良みたいな、妙に気安いノリだった。
「……アイツ出てきそう」
プルトがぴく、と眉を動かす。

「アイツ?」
問い返す声は落ち着いていたが、ほんの少しだけ色が変わった。
サタヌスの戦い方は荒っぽいだけで済む相手ではないことを、よく知っている。
だからこそ、その“アイツ”という曖昧すぎる一言が、逆に嫌だった。
「アイツって誰です?」
サタヌスはにやっと笑った。
笑った、のだが、その瞬間だけ妙に目が据わっていた。
楽しそうなのに、顔の奥だけ別の暗さが沈んでいる。
そこだけ、笑いの温度がなかった。

「見たいか?」
広場を風が抜ける。
灰と雪が二人の間をよぎる。サタヌスの外套の裾が揺れ、足元の影がわずかに濃くなった気がした。
プルトは答えない。
答えないまま、観察するようにじっと見ている。

「まぁ、見る気なくても出てくるけどな!!」
言い切った瞬間。空気が、ぐにゃりと歪んだ。
それは魔力の高まりなんて綺麗なものじゃなかった。
空間そのものが、熱に炙られた蝋みたいに柔らかく崩れた。
視界の端が波打ち、耳鳴りの奥で、誰かが湿った喉を鳴らすような音がする。
石畳の隙間からじわりと赤黒い染みが広がって。
血だまりみたいに見えたそれが、次の瞬間には指の形になっていた。

子供の手だった。
いや、手と呼ぶにはあまりに小さすぎて、細すぎて、皮膚の質感すら曖昧で。
水の底で腐りかけたものが、かろうじて指の形だけ保っているみたいな、見るほどに脳が拒む形をしていた。
それが一本、二本ではない。
石畳のあちこちから、赤黒い“何か”がぬるり、ぬるりと這い出してくる。
爪も関節も曖昧な手が地面を掻き、ありえない角度で折れ曲がり。
まるで生まれる前に捨てられた何かが帰る場所を探すみたいに蠢いていた。
プルトの笑みが、消えた。

「……え」
それは戦闘中に漏れる声じゃなかった。
純粋な、理解不能への反応だった。
サタヌスだけが、場違いなくらい気軽な調子で振り返る。
「来い! タタリィ!!」
呼び方が完全に犬を呼ぶ声だった。
散歩帰りの愛犬でも呼ぶみたいな、妙に陽気で、親しげで、無遠慮な声。
だが返ってきたものは、そんな軽さを一切許さない。

「ア゛ァァァ……ア……ゥゥゥゥ……」
黒ではない。赤でもない。
血と煤と腐った胎水を無理やり混ぜたみたいな、名づけるのをためらう色だった。
その中心で、手の群れが折り重なる。這いずる。絡みつく。
何かを求めるみたいに開いては閉じる。
その奥に“顔らしきもの”があると気づいた瞬間、気づかなければよかったと本能が叫んだ。
目も鼻も口も崩れているのに、確かにこちらを見ていた。

「……何、それ」
サタヌスは楽しそうに笑っている。
戦いの熱に酔って、つい自分の一番ダメな部分まで。
引っ張り出してしまった子供みたいに、変な高揚が顔に出ていた。

「だから言ったろ。アイツだよ」
「アイツでわかるわけないでしょう」
プルトの返しは冷静なようでいて、声の芯がわずかにぶれていた。
タタリの手が、さらに一本、さらに一本と増える。
呻き声も増す。泣いているようでもあり、笑っているようでもあり。
腹の底から逆流する怨みだけが形になって漏れているようでもあった。
サタヌスの肩越しにそびえるそれは。
召喚獣というより、心の底に沈めていた呪いがそのまま起き上がった姿に近い。
プルトはじっとそれを見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。

「……綺麗」
サタヌスの笑顔が止まる。
「は?」
一歩、無意識に前へ出る。戦闘でも威嚇でもない。
ただ――惹かれる、みたいに。
「勇者の癖に……これまで見てきたどんな闇よりも……綺麗」
心底うっとりした声だった。

「は?」
振り返って怪訝な顔をすると、プルトは頬を染めて笑っていた。
ゆっくり、赤黒い血刃に手を添えて。
「欲しい……その闇、私に頂戴」
背筋が凍るほどの、甘く危険な声。
サタヌスの喉がひきつる。

「いやいやいや!?なに言ってんだお前!?」
プルトの歩みはゆっくり。
舞台女優のように滑らかで、死人のように冷たい。

「その闇……やっぱり欲しい……」
「私にその身ごと頂戴……貴方の全部……」
血刃を構え、片目だけでじっとサタヌスを見据える。
その目は“恋”に落ちていた。
ただし破滅に恋をするタイプのやつ。

「私は貴方が好きなんですよ」
「“間違い”の証明みたいな存在……いいじゃないですか」
「貴方の闇、やっぱり……私にちょうだい?」
あの“指ウネウネ”で誘惑するように近づく。

「やべぇ!!マジで貞操奪われる流れだこれ!!!」
「おい!?宗教的な意味じゃなくてホントの意味で来てるぞこいつ!!!?」
プルトの頬は赤く染まり、呼吸は荒く。
その足元ではタタリの触手が赤黒い胎動を繰り返す。
勇者の“呪い”とアサシンの“愛情”が混ざり合い、広場は完全にカオス。

「誰か助けろおおおお!!ガイウスううう!!!」
「逃げないでください……愛してますから……」
帝都の雪は静かに降り続けるのに、二人の世界だけは地獄みたいに熱かった。

路地裏から吹き抜ける風が、ひどく生暖かかった。
プルトの黒い血刃とサタヌスのタタリが噛み合って、空気そのものが“呻いて”揺れている。
サタヌスは必死に逃げようとするが。
プルトの腕が後ろから絡みつくみたいに伸びてきて、一瞬で体勢ごとひっくり返された。

「逃げていい!?逃げていいよな!?なぁ!!?」
「だめです」
地面に押し倒され、プルトの黒髪がサタヌスの顔にふわりとかかる。
距離ゼロ、いやマジでゼロ。
「そういう体勢じゃん!?そういう体勢じゃん!!」
「なんでちょっとテンション上がってんだよ俺はァァ!!」
タタリの触手が“主の情緒”に釣られ、後ろで意味不明に暴れまわる。
そこへ――路地裏の向こうから、新勇者PTが駆け込んできた。

「こっちから音がした!プルトはここにっ……ッ!?」
「なんか闇属性同士が貴族街で取っ組み合ってんだけどぉ!?!?!?」
「いや怖ッ!? 何あのオーラ!!」
プルトの背から立ち上る黒霧と、サタヌスの背後からうねる赤黒いタタリ。
両方が混ざると、もはや“映してはいけないレベル”の色になる。
ガイウスは目を凝らして、そして凍りついた。

「待て!? プルトの隣にいるの……あいつは……!!」
サタヌス、全力で振り向く。
「ガイウスぅぅぅ!助けてぇぇぇぇぇ!!!」
「マジで俺、今日で終わる!!貞操的な意味で!!」
タタリが完全に“防衛本能”で暴れはじめ、触手が路地に穴を開ける。

「いやいやいや、あそこに突っ込めとか無理なんだが!?絶対うつるだろ!?」
バルトロメオは震える声で、でもなぜか役者のような口調でささやく。
「おいおいおい……カメラ止めちゃいけないヤツじゃないか……??」
「僕、絶対“目撃者”としてインタビュー受ける枠じゃん!?嫌なんだけどぉぉ!!!」
影が揺れるたびに、タタリと黒血刃の影が路地を染める。
この世のカップル喧嘩の中で、間違いなく“最悪の画”が撮れている。

バルトロメオは一歩下がったまま、引きつった笑みで額の汗をぬぐった。
目の前の光景があまりにも現実味を欠いていて、逆に視線が外せない。
逃げたいのに、舞台の幕が上がった瞬間の役者みたいに、最悪の見世物から目を逸らせなかった。
「いやこれ、どう見ても助けに入るタイミングじゃなくない……?」
「どの角度から見ても事故現場なんだけど」
ルッツが即座に怒鳴る。
「事故現場だから助けるんだろーが!!」

「でも種類があるでしょ!?
足滑らせたとか、荷車に轢かれたとか、そういう事故じゃないじゃん!
“闇属性同士が貴族街で絡み合ってる”って、どういう分類なのこれ!?」
ハオは相変わらず真顔で、胸の前で手を合わせていた。
その横顔は妙に落ち着いていて、逆に不気味だった。
「供養が先かもネ」
「やめろって言ってんだろ!!」
ルッツの叫びと同時に、タタリの触手が路地の壁へ叩きつけられる。
生ぬるい風が吹き抜けるたび、何かの泣き声みたいなものが耳にまとわりつく。
プルトはサタヌスを押し倒したまま、ゆっくりと振り向く。

「……おや」
その声は妙に穏やかだった。
穏やかすぎて、逆にぞっとする。
「お仲間が迎えに来てくれたんですね」
サタヌスは地面に押さえつけられたまま、必死で片手を伸ばした。
助けを求めるというより、沈みゆく船から最後に伸びる手みたいな必死さだった。

「迎えじゃねぇ!!救助!!これは完全に救助案件!!」
「ガイウスーー!!見てねぇで何とかしろ!!マジで距離が近い!!色々近い!!」
ガイウスは凍りついた顔のまま、一歩も前に出られずにいた。

再会のはずだった。
もっとこう、あるだろう。言葉とか、驚きとか、怒りとか。そういう順序が。
なのに現実は、元仲間が貴族街の路地で。
半分ホラー映画みたいなものに押し倒され、貞操の危機を訴えている。

「……再会って普通こうならねぇだろ……」
「俺に言うな!!俺だって予定表にねぇよこんなの!!」
プルトはくすりと笑う。
その笑い方が妙に上品で、今の絵面との噛み合わなさが最悪だった。

「でも、運命かもしれませんよ?」
「どこがだよ!!」
「こんなに美しく再会したんですから」
「してねぇよ!!再会の定義が腐ってんだろお前!!」
その瞬間、タタリがぐわりと膨れ上がる。
主の情緒に引っ張られたのか、触手が一斉に逆立ち、路地全体を覆うように広がった。
赤黒い手の群れが石畳を這い、壁を掻き、屋根の縁から垂れ下がる。
呻き声が何重にも重なり、まるで路地そのものが産声みたいなものを上げ始めたようだった。
バルトロメオが一歩下がる。二歩下がる。三歩下がる。

「ねぇこれさ」
珍しく声が裏返っていた。
「助けるとか以前に、ここ一帯ごと立入禁止にしたほうがよくない?」
「その看板立ててる間にサタヌス終わるだろ!!」
ルッツは怒鳴りながらも、視線だけはせわしなく周囲を走らせていた。
突っ込むにしても触手が邪魔だ。
プルトの間合いも深い。
下手に入れば巻き込まれる。それが分かるから、余計に苛立つ。

「クソ……何かないのか、こう、こういう時の対処法!」
ガイウスが反射で返す。
「俺が知るか!!旧勇者PT時代にもこんなイベントねぇよ!!」
「イベントって言うな!!」
ハオがぼそりと呟く。
「昔、山奥の廟で似たようなのが……」
「なんであるんだよ!!」
「そのときは聖水ぶっかけたらだいたい何とかなったネ」
空気が、ぴたりと止まる。
サタヌスの顔が青ざめた、本気で青ざめた。

「待て」
ガイウスが嫌な予感に眉をひそめる。
「……おい待て、今それ言うな」
ルッツはすでに腰のポーチに手を入れていた。
口元が、ぞくっとするくらい楽しそうに吊り上がっている。

「なるほど?」
「やめろ!!その“なるほど”はろくでもねぇ時のなるほどだ!!」
プルトはサタヌスの上に馬乗りのまま、ゆっくり首を傾げた。
挑発するように、けれどどこか本気で不思議そうに。