タタリ編-魔王の繭 - 3/5

そこは、確かに帝都デリン・ガルだった。
見上げればいつも通りの石灰岩の塔。淡い青灰の空。整然と並んだ石畳の道。赤い花を吊るした窓辺、等間隔の街灯。全てが——“昔、あった通り”の姿をしていた。
……だが、整いすぎていた。

すれ違う人々は皆、にこやかで、微笑みを浮かべている。表情に乱れはなく、まばたきのタイミングまで妙に揃っているように見えた。何より風が吹かない。
花も、旗も、髪の毛一本すら揺れない。
まるで止まった映像の中を、彼らだけが動いているようだった。
「デリン・ガルは潔癖な都市。てのは、住んでいた僕が一番知ってる……けど」
バルトロメオが立ち止まり、かつての“我が街”を見渡す。
その目はいつになく冷ややかだ。金の瞳が街をすっと撫で、歪みを炙り出す。

「僕視点でも“おかしい”ね、このステップは」
踊り子特有の比喩。足運び、つまり「振る舞い」そのものが“揃いすぎている”という皮肉だ。
人々は誰もが同じテンポで歩き、同じ速度で頷き、同じような声で笑っている。まるで脚本に従って動いているかのような──機械のような秩序。

「どっかの劇団かよ……気持ちわりぃ……」
ガイウスが唸るように言い捨てた。手は剣の柄にかかっているが、相手が“敵”かどうかの判断すらつかない。
「“整いすぎてる”って、不安になるものネ」
ハオがぽつりと呟く。口調は穏やかだが、目だけが爛々と鋭い。

「ガイウス……あれ、見て」
ルッツが声を潜め、指さした先には──
広場で遊ぶ子供たち。
「俺、勇者! バカ勇者!」
「じゃあ僕、魔王サマだー!」
「うおー、くっそー……ッ、死んだァ~!」
「死んだ! 勇者死んだ~!」
広場では子供たちが「勇者殺しごっこ」に興じていた。
──だが、何かがおかしい。

遊んでいる子供たちの全員が、一糸乱れず同じ動きをしている。
まばたきのタイミングがぴたりと揃い、
誰かが笑うと、全員が“同じ音程”で笑い出す。

ガイウスたちが少しでも動くと、
子供たちが一斉にビクリと振り向いた。
その速度は人間離れしていて、
まるで映像を“コマ送りで逆再生”したかのような、ギクシャクとした不気味さ。
そして、最前列の子が機械的に口を開く。

「あれ?お兄さん誰ェ?」
その声も、“RPGのNPCが喋るセリフ”みたいに、
棒読みで、模範的すぎて無機質な響きだった。

バルトロメオは目を細めて呟く。
「……こいつら、人間じゃない。魔族……それも“つくられた”やつだ」
ルッツは思わず後ずさる。
「気味悪……ガイウス、離れよう……」
だが、ガイウスはスッ……と作り物の笑顔を浮かべた。
「冒険者だよ、楽しそうだねー。お兄さん混ざっていい?」

一瞬の静寂。
(……こいつサイコパスか?)
(失礼だよ!傾向はあるけど!)
だがガイウスの笑顔は崩れず、
逆に子供たちの表情も少しだけ“ズレ”を見せた。

「だめだよー。魔王さまごっこは子供だけでやりなさいってユピテルさまがいってるの」
その声もまた、同じトーン、同じ言葉尻。まるで録音したものを同時再生しているかのような異様な“揃い”だった。
ガイウスは愛想よく笑顔を崩さず。
「そっかー。ここは馬車通るから、あっちで遊びなさい。ほら」と指を差す。

「うん!お兄さんありがとう〜」
子供たちは全員、まったく同じ動作でうなずき、同じ足取りで去っていく。
その背中を見送りながら、ガイウスの笑顔はスッと消える。
一瞬で温度のない真顔。
「……おかしい。ユピテルが生きてる……?」
言葉の端に、微かな警戒と、違和感を押し殺せない不安がにじむ。

バルトロメオがささやく。
「“情報”が、現実とはズレてる……この世界、やっぱり偽物だ」
ルッツも震え声で呟く。
「ここ全部、魔王軍の“ごっこ遊び”みたい……」
ガイウスは周囲の空気を鋭く見渡す。
もう、誰一人“普通の人間”には見えなかった。
——現実の“すぐ隣”に、作り物の地獄が拡がっている。

「……俺ら、今、どこ歩いてんだ?」
ガイウスの言葉に、誰も答えられなかった。
帝都の中心部。白亜の建造物が曇天の下で鈍く光っていた。

《栄光記念博物館》──そう銘打たれた施設の扉が、沈黙のまま彼らを迎え入れる。
中に足を踏み入れた瞬間、肌がざらつくような感覚に包まれた。温度は妙に低く、空気がまるで“濾過”されているように無菌だった。
展示室の床は磨き上げられ、壁際には絢爛な魔族の甲冑や旗、儀仗が整然と並ぶ。

「……なんか、俺らの“戦い”が全部、悪い冗談だったみてぇだな」
ガイウスが呟いたその声が、展示室の広さに吸い込まれていく。
パネルには、こう記されていた。

『正義なき人類と、我らが勝利の歴史』
西暦18XX年、人類軍、最後の要塞デリン・ ガル陥落
勇者エイレーネ、ギロチン台にて処刑される
魔王ルナ・エクリプス、完全復活
勇者ガイウス・アルドレッド、戦死確認
魔族の安寧千年計画、稼働開始

「……は?」
ルッツが唖然とした顔で立ち尽くす。
彼の視線の先には、一枚の巨大なタペストリーがあった。そこには、青い髪の少女が泣きながら処刑台に立たされる姿が織り込まれていた。周囲では魔族たちが歓喜に沸き、赤い花が降っている。
「この青い女の子は……? 誰……めっちゃ哀しそう」
ルッツの声が震える。
ガイウスが、その目に信じられないものを見るように近づいた。

「エイレーネだ…! アンスロポス連合にいた時、写真で見た……」
彼女はあんな目に遭っていない。歴史に名を刻んだ英雄だ。
ギロチンなんかで死んだはずがない。
「違う…エイレーネは……そんな記録、どこにも……!」
息を荒げたガイウスの背後から、声がした。
「お客様。申し訳ありませんが──お連れの方々、魔族ではないように見受けられますが?」
白スーツの学芸員の声に、空気が凍った。

ガイウスの背に冷たい汗が伝う。
このままでは危険だ──しかし逃げ出せば確定だ。
そう判断したガイウスは、脳が真っ白になったまま勝手に口を動かした。
「……ああ、ごめん、彼ら演者なんだよ」

ガイウスは昔から、
他人の仕草や感情を“異様なほど”よく見ていた。
少年時代、サヴァン症候群の傾向があった彼は、
ほんの一瞬の表情や言葉尻すら見逃さず、
「どういう嘘をつけばいいか」――
大人たちが、ちょっとズルく立ち回るコツを、自然と学んでいった。

それは生き延びるための知恵だった。
「みんなが望む勇者」を演じる時、
民衆の前で見せていた「完璧な笑顔」も、
全部“表情筋の動きを分析し、真似てみせた”ものだった。

本物と偽物の境界線を、
彼は「生きるため」に、
嘘と本音を見分けるために、
子供の頃から行き来していた。

――その技術は、今や“命をかけた場面”でこそ本領を発揮する。

「このエイレーネのタペストリー、最高だよな。俺なんか初見で泣いたよ。“彼女の犠牲があったから今の平和がある”って脚本にね」
(嘘つくの上手すぎだろコイツ…!)
(顔色変えずに…まるで真実みたいに話してる…)
(声が……震えてない…!)
博物館の静寂。
タペストリーの前でガイウスはニコニコと饒舌に語っていた。
白スーツの学芸員も、なんとなく流されている。
だが、その手応えに違和感を覚えた瞬間――

学芸員がわずかに目を逸らした隙に、
ガイウスの笑顔がピクリとも動かないまま、
目だけがギョロッ!と横へ――仲間たちを一瞥する。
ルッツは背筋に冷たいものが走った。

(目の動きこえぇよ!!)
バルトロメオはその意図を即座に読み取った。
(やばい、これは「乗れ」の合図だ……!ここで即興劇やらなきゃ全員アウト!!)
ほんの数秒。
ガイウスは再びにこやかな顔に戻り、学芸員に愛想よく微笑みかける。
だが「演じる勇者」の裏に潜む“本能の蛇”、
仲間だけには伝わる冷たい視線だった。

「うん、僕は“処刑官カノン”の役作りでね、実際に断頭台に立ったんだ。なかなか迫真だったと思うよ」
にっこりと微笑みながら、バルトロメオは脈絡もなく自らの“配役”を語り始めた。
「私の配役は“歪んだ聖堂の残骸”ネ。人類を見捨てた神の化身、みたいな…深イイ話ヨ」
ハオも合わせるように、意味ありげだが意味のない設定を捏造する。
もはや何の物語なのかすら不明だが、演者が“本気”で話せば全ては真実になる。

ルッツも、ガイウスに頭を小突かれつつ渋々乗る。
「……私の配役、“焔灰の小枝”なんだってさ」
「まじでなんなのその名前……エイレーネの前で灰になった勇者の生まれ変わり?とか?」
がっつり棒読みだが、なぜかリアルに聞こえるあたり、ルッツの声にこもった“憎悪と虚無”が逆に効いている。
学芸員は、目を細めながらも頷いた。

「なるほど、再現劇ですか……。最近は若い方々も、この地の歴史に強い興味を示されるようで」
「そそそ。俺たち、“希望のなかった時代に、灯を見出す”のがテーマの劇団なんで。深いぞ~?」
適当に言ったはずのフレーズだが、妙に感動的に響くのが悔しい。
「貴重なお話をありがとうございました。演者の皆様、どうぞごゆっくり……」
──が、目が笑っていない。
バルトロメオがひそかに囁く。

「……学芸員、外に誰か呼んだ。おそらく“捕獲用”の誰か」
「どうやら劇団ごっこじゃ逃げきれなさそうネ」
ガイウスがにやりと笑う。
「じゃ、最後の“演出”いってみようか。逃走劇・第一幕、開演だ!」
「オッケェー!」
ハオが懐から何かを叩きつけた瞬間、視界が──白煙で満たされた。

――博物館からの逃走は、呆気ないほどスムーズだった。
催涙ガスの残滓が街に溶ける頃、4人は建物の裏手へと転がり出た。
警報も、怒号もない。ただの静寂。それが何より恐ろしかった。

誰も追ってこない。
誰も騒いでいない。
それなのに、街の気配が死んでいる。
そんな“整いすぎた帝都”の空を、4人は見上げた。

曇天。だが、ただの雲ではなかった。
「……勇者は演説するってマジなのね」
無言の沈黙を破ったのは、ルッツだった。
皮肉でも、照れでも、ましてや称賛でもない。本気で混乱している声音だった。

「なによ、あれ。あんた……“どこからどこまで”嘘なの?」
問いに、ガイウスはきっぱりと答える。
「百パーセント」
即答だった。
まるでそれが誇るべき武勇伝であるかのような顔で。

「……ッハ!息を吐くような嘘、僕じゃなきゃ蹴り飛ばしてるね☆」
バルトロメオは呆れつつも笑っていた。
だが、笑いはすぐに消える。空気が、重すぎた。
「それにしてもこの空……ただ曇ってるだけじゃナイヨ」
ハオの視線は空を貫いていた。
見えていない“何か”を、見ようとするかのように。

「もっと不気味ナ……“何かが遮ってる”ヨウナ……」
天井のような圧迫感。
海底のような沈黙。
息をするだけで、胸の内側に水が滲むような空気。

「この空、俺……知らねぇぞ」
ガイウスがぽつりと漏らす。
「どんな国でも、どんな戦場でも、ここまで異様な空は見たことねぇ」
それは勇者が、空に対して初めて口にした“恐怖”だった。