カツーン……カツーン……
帝都の石畳に、乾いた靴音が響く。
ガイウスたちが身を潜める裏路地に、その音は異様に大きく伝わってきた。
ルッツは小声で囁く。
「ねぇ、あんたの足音するんだけど」
ガイウスは一瞬きょとんとする。
「……俺、足音だけでわかんの?」
バルトロメオが苦笑しながら言葉を継ぐ。
「君は気づいてないようだが、かなり特徴的だよ?君の足音」
「ブーツに加えて、君は背が高いから歩幅も大きい。
だから、こういう石畳を歩くと――」
カツーン、カツーン、と一定のリズムで音が返ってくる。
「すぐに“ガイウスだ”ってわかる。本人は無自覚でもね」
ガイウスは思わず苦笑した。
「……そこまでバレバレなのかよ、俺」
カツーン……カツーン……
帝都の真昼、石畳に高く乾いた音が響く。
ハオが低い声でつぶやいた。
「うん。あんさんの足音だネ……」
ルッツも思わず身を縮める。
ガイウスが戸惑いを隠せずに言う。
「……俺、一歩も歩いてないのに?」
空気が凍る。
バルトロメオが、咄嗟に声を潜める。
「ッ……路地裏に隠れよう!」
全員が息をひそめ、影の中へ身を滑らせた。
その背後でも足音だけが、まるで誰かを探すように、乾いたリズムを刻んでいた。
石壁の隙間に張りつきながら、全員が見てしまった。
あまりにも見覚えがありすぎる姿を。
歩いてくる男は、赤いシャギーヘアを靡かせ、
背筋を伸ばし、石畳を踏んでいた。
どこかが決定的に違う。
目が、笑っていない。
足音が、不自然に乾いている。
空気が、凍りついている。
「……っっ、あれ……俺じゃねぇよな……?」
小声でつぶやいたガイウスの額に、冷たい汗が一滴落ちる。
広すぎる街路。
石畳に、ひとりの男が立っていた。
赤髪、シャギーに切り揃えられた後ろ髪が風に揺れている。
首を上げて、空を見ていた。
誰もが知っている。ガイウス・アルドレッドだ。
だが、あまりにも致命的な“違和感”があった。
「変ネ。博物館では、“勇者ガイウス・アルドレッドは戦死した”とあった筈ヨ?」
「……ガワだけ再利用、てやつ」
ルッツの声はやけに冷静だった。
嘲るように、だがどこか怯えを含んでいる。
その瞬間だった。
道の中央に立っていた“それ”が、ギョロッ!と――目だけ横に向けた。
微動だにせず、首すら動かず、目玉だけが、異様な速さで――4人の方を見た。
瞳孔が、縦に裂けていた。
「……あれ」
ガイウスが声を漏らす。
「魔族だ……あの目、瞳孔が裂けてる……」
背筋に氷柱を突き立てられたような感覚が、追放パーティー全員を貫いた。
何かが始まる。
世界が終わる。
その“合図”のような目線だった。
咄嗟に路地に逃げ込んだ4人。
瓦礫とゴミ袋に囲まれた死角で、息を潜める。
だが──聞こえる。
ゆっくりと、だが迷いなく、彼らの隠れる路地の前に向かってくる。
カツーン、カツーン――足音が止む。
首はほとんど動かさず“目だけ”がギョロリと4人の隠れ場所を射抜いていた。
その動きは、獲物を逃さぬ肉食獣そのものだった。
「……隠れても、無駄だよ」
声だけは、驚くほどやさしい。
本物ガイウスの明るい響きのまま――
けれど、その瞳孔は獲物しか見ていない“蛇”のそれだった。
路地裏に潜んだ四人の前に、そいつは覗き込んできた。
ガイウス≠は、まるで怖がっている猫でもあやすように。
柔らかい声を落とした。
「怖くないよ? ほら、ほら。ねぇ、出ておいで?」
指先を丸めて、チョイチョイと手招きする。
声だけは優しい。
本物のガイウスが子どもをあやす時みたいな温度。
…けど、目だけが笑ってない。
縦に裂けた瞳孔が、闇の奥でぎらりと揺れている。
バルトロメオが震える声で囁く。
「ちょ……ねぇガイウス。これ、僕たち……
猫あつめされてない……?」
ルッツも歯をガチガチ鳴らしながら小声で答える。
「猫じゃねぇし……いや、でも動きが完全に猫扱い……ッ」
ガイウスは息を殺しながら、そっと横を見る。
さっきまで気付かなかった壁の陰――
そこに、別の“真実”が刻まれていた。
美術館で見たあの綺麗すぎる筆跡ではない。
もっと荒い。震えている。
人間が、必死に、恐怖に追われながら書いた文字。
どれも、助けを求める悲鳴と、死を悟った告白。
LET ME OUT
HELP ME
ОН ЗДЕСЬ(=“奴がいる”)
PLEASE PLEASE PLEASE
血のような赤インクの跡もある。
擦れて読み取れないものも多い。
(……ここ、誰かが“逃げ場にしていた”場所だ)
ガイウスの背筋が氷で殴られたみたいに強張る。
視線を前に戻すと――
ガイウス≠の顔が、すぐそこ。
猫をあやす笑顔のまま、じわ…っと距離を詰めていた。
「ねぇ……君たち。ほんとに、いい匂いがするんだ。
ちょっとだけでいいから……出ておいで?」
ガイウスは即座に仲間に囁く。
声は小さいが、有無を言わせない迫力。
「ダメだ。絶対に行くな。」
バルトロメオもルッツも、息を呑む。
その言葉の“重さ”が一瞬で空気を変えた。
ガイウス≠は優しい笑顔のまま。
指先だけがぞわりと伸びて。
猫をあやす動き。でも――
人間を“食おう”としている動き。
四人は動けないまま、
路地裏の影が凍りつくように沈黙した。
この世界は映画だ。
でも、悲鳴だけは本物だった。
“ガイウス≠”はその場に留まらない。
ゆっくり、匂いを嗅ぐように路地奥へと距離を詰めてくる。
「……隠れてるつもり?そんないい匂いして」
バルトロメオは苦々しい顔で息を呑み、
「クッ…匂いか……くそ、キツめの香水でもつけときゃ良かった…!」
と、焦りと恐怖が混じったギャグで場を和らげようとする。
だが、路地の先には逃げ場はない――
緊張と不安が、張り詰めた空気をさらに冷たくしていく。
ガイウス≠がじりじりと距離を詰めてくる――
その時、ハオが静かにポーチから小瓶を取り出した。
「唐辛子ならアルヨ」
ルッツが小声でツッコむ。
「あ、それ……辛さが足りない時いつもかけてるやつじゃん」
バルトロメオも眉をひそめる。
「……まさか、それを武器にするの?」
ハオはいつもの調子で、平然と頷く。
「薬味だけど、目つぶしにはなるネ」
赤黒い粉末が瓶の中で微かに揺れる。
「催涙ガスじゃんそれ」
ルッツが真顔でツッコむ。
「……使う?」
「使おう!!!」
その瞬間、路地の前に立ち塞がっていた“何か”が、
急に笑った。
笑顔だが、まるで腹を空かせた獣が“獲物を待つ”時の表情だった。
「偉いでしょ、俺。待ってるんだよ……我慢してんの」
──ギリリッ……!
骨が軋むような、嫌な音が空気を裂いた。
“それ”は、目の前で自分の指を噛んでいる。
乾いた唇から、じわりと赤い舌がのぞく。
小さなカチカチ、ガリガリという音。
今にも皮膚を食いちぎってしまいそうな、
尋常ではない“飢え”が、そこにあった。
「もう、ダメかも……うまそうな匂いすぎて……」
息を吸い込む音まで、濃密に響く。
空気ごと4人の匂いを吸い込み、
ゆっくりと、ゆっくりと“待つこと”すら快楽のように身悶えている。
「投げて!!!!!!」
ハオが瓶を路地の出口に向かって叩きつけた。
──ボンッ! 赤い霧が広がり、強烈な刺激臭が街路を包む。
「ッ、うわっ……!? あ、痛い……痛いぃ……!!」
“それ”が叫ぶ。
魔族の喉にも、唐辛子は効いた。
「……効いた!」
「逃げるよ!今!!」
唐辛子粉から即席で生成した催涙ガスが、
曇天の路地を赤く染めていく。
赤い霧が広がり、魔族の声が歪んでいく。
それを見届けた4人は、一気に路地裏から飛び出す。
「効いてる!今だ、逃げ──!」
「ガイウス死ね!!」
「えっ!?」
不意にルッツが叫んだ。後ろも振り向かず、怒りの声だけ置いていく。
「……俺じゃねえええ!!!」
追いかけながら怒鳴るガイウス(21歳/一応勇者)。
完全にとばっちりだ。
バルトロメオは吹き出しそうになりながらも走りながら言う。
「ルッちゃん、理不尽にもほどがあるよッ☆
「知らねーよ!!怖かったんだよ!!」
「いや、俺が一番怖かったわ!顔ソックリだぞあれ!」
ハオが軽やかに跳躍しながら言った。
「匂いフェチの変態に食われるとか、冗談でもゴメンナサイネ」
逃げながらも、恐怖とツッコミと理不尽が混ざりあった空気の中で、
曇天の帝都を4人は駆け抜ける。
路上に立っていた「彼」は、目元を抑えて悶絶する。
地を叩き、背を反らせ、喉の奥から嗚咽を漏らす。
「目がッ……目が……い、いだぁ……いぃぃ……!」
4人はその隙に一斉に走り出す。
反射的に、脳が叫ぶ。逃げろ。見てはいけない。
「……ねぇ、キズ野郎」
「あれ、絶対ガチで食う気だよね……」
ガイウス、鼻を押さえながら叫ぶ。
「俺じゃねぇえええええッ!!」
—
ガイウス≠は路地の石畳に這いつくばり、
真っ赤な舌をゆっくりと這わせる。
火傷のようにただれた指先を舐め上げながら、
どこか夢見るような笑みを浮かべていた。
「ハァ、ハァァ……アハ、あはは……ああ……でも嬉しいな、だって……」
「本物の“俺”に、会えたんだもんなァ……?」
その目には、狂気と憧憬が入り混じっていた。
飢えきった獣のような息遣いと、
ずっと「何か」を探してきた孤独な子供のような眼差し。
知っている――自分が“本物”ではないことを。
この体は、とある勇者の死体をベースに。
「魔族の工房」で生み出された“人造悪魔”。
だからこそ、彼は渇望していた。
自分の“オリジナル”は、どんな人間だったのか。
どんな声で、どんな言葉を、どんな仲間たちと笑い合い。
そして、どうやって“終わり”を迎えたのか。
“本物”に会いたい。
その渇望は、飢えと憧れが渾然となって、
獣じみた舌先となり、
石畳を這い、指先を血で染める。
「……なぁ、教えてくれよ、“俺”。
どうやったら、お前みたいになれるんだ……?」
その声は、歪んだ祈りに近かった。