タタリ編-魔王の繭 - 5/5

冷たい雨も、ぬかるむ地面も、
すべてが“夢の中”のように――止まる。
その時だった。
空から、降ってきたかのように声が響く。

「これが──私の夢見た世界だ」
「貴様と、連れ共がそれを壊したのだ」
静寂を切り裂く、淡々とした中性的な声。
だがその響きの奥に宿るのは、紛れもない激しい怒りだった。

ルナ。
名乗りなど不要だった。
その存在は、音と空気のすべてに“君臨者”として刻まれていた。
「ガイウス。どう責任を取るのだ? 土下座しろ」
「しねぇよ!!!」
ガイウスが即座に叫び返す。
その声は雨に弾かれ、空に跳ね返る。
だが、何も終わっていなかった。
これは幻。
幻のはずなのに、息づき、世界を覆い尽くしていた。
ルッツは乱れた呼吸を整え、まじまじと虚空を睨む。

「さっきの声……魔王ってやつ?」
「めっちゃ“魔王かくあるべき”って感じだわ」
バルトロメオも青ざめながら、それでも冷静さを崩さず答える。
「イメージ通りの魔王像だね……」
「だからこそ怖い。彼が──この惨劇を、“理想郷”と呼んだことが」
一瞬だけ、空気が凍りつく。

理想郷。
それは誰かの救いでもあり、
別の誰かにとっては、永遠に終わらない悪夢でもある。
ガイウスは小さく舌打ちし、
「……やべぇの出てきたな」と、仲間にだけ聞こえる声で呟いた。

その言葉に、誰もが黙った。
止まった世界で、静かに戦いの始まりが告げられていた。

追放勇者PTが異様な路地裏を全力疾走している。
街の空気は不気味に静まり返り、どこか「映像の中」に閉じ込められたようだ。

ルッツは息を荒げ、
「ていうかさぁ!この世界何!?あのまな板女が見せてるんだよね!?」

ガイウスは汗を拭いながらも、歯を食いしばる。
「……っ、此処はやつが見せてる“映画”だ…!綻びがあるハズ……」
だが頭の中はツッコミと危機感でぐちゃぐちゃだ。

バルトロメオは真顔でフォロー。
「ルッツ、まな板女は失礼だよ。せめて“平らな子”って言い換えないと」

屋根の上からプルトがマジギレ声で叫ぶ。
「どこが“平らな子”ですって!?貴様らこの映画館ごと滅ぼしますよ???」
ハオが飄々と、
「火に油ヨ、炒飯作れるネ♡」
勇者たちはそれどころじゃなく、
「でもさ、どこよ!?どこぶっ壊せば私たち逃げられるの!?」

ガイウスはとうとう聖剣の鞘を額に当てて、必死に祈りだした。
「……エクスカリバーッ……頼む……教えてくれ……!」
ルッツは素でツッコミ。
「何そのポーズ」
「エクスカリバーも困ってるよ!?」
だがその背後――
「ズル……ズル……」と粘つくような異音が迫ってきた。

路地裏の闇から、赤髪の影が現れる。
手に握られているのは……異様に大きな包丁。
ガイウス≠、その狂気じみた姿でにじり寄ってくる。

「……見つけたぁ……」
「ダメだろ?逃げちゃ。ほら、レストラン行こう?」
その声はやさしさを装っているのに、
明らかに“食材”を待っている捕食者のそれだった。
ルッツが声を上ずらせて呟く。
「やべぇガチで喰う気だコイツ……」
バルトロメオは真っ青になりながら、
「“包丁”で迎えに来てるの、もうギャグじゃなくてホラーだよ……」
ハオも怯えた声で叫ぶ。
「あんさーん!まずいヨ!見えた?見えた!?あの赤いの!!」

その瞬間――
映画の空間に【赤い切れ目】が浮かび上がる。

ガイウスの手の中、聖剣の鞘が微かに震える。
空間の“編集線”が、稲妻のように眼前に走る。

誰のものでもない声が、
――いや、“唯一無二の聖剣”が、頭の中に直接響いた。

「綻びが見えた」
「ガイウス、今貴様の頭に直接叩き込む」
「此処を、斬れ。」

雷鳴のような衝撃がガイウスの脳裏を貫く。
白く、鋭く、世界を断ち切る【編集線】。
それは“この世界”が、どこかで“つなぎ直されている”証。

──“不自然に切れている世界”。
──“存在してはならないカット”。

ガイウスは息を呑む。

「……これが、“綻び”……!」
ガイウスの瞳に、稲妻のような光が走る。
次の瞬間、彼は石畳を蹴って駆け出した。

「うおおおおおおおッ!!!」
追放勇者PTの3人も、訳が分からないまま全力で後を追う。

「何処行ってるか分かんねぇけど続けー!!」
「わ、分かんないけど希望に突撃するヨ!」
「カットされるよりカットしよう、ってね☆」
背後から、ガイウス≠の悲鳴がこだまする。

「ま、待って!!待ってってば……ッ」
「久しぶりに4人揃ったんだよ……!」
「解散して以来なんだよッ!!!」
“本物の記憶”を持たない男が、偽物だけに許された喉を裂くような哀願を響かせる。
霧のような曇天の下、旅の始まりと終わりを象徴する大きな門が、裂けていた。
まるで現実にひび割れた、夢と嘘の境界。

ハオが指をさす。
「フーロン側につづく門ネー」
ガイウスは懐かしそうに微笑む。
「……懐かしいな」
「ユピテルぶっ倒したあと、ここで言ったんだ。
『この先は化け物の相手ばっかだ、ここからは俺一人で行く』って」

ルッツは鼻で笑う。
「泣いてたよね、あの時」
「“俺一人で行く”って背中向けながら、めっちゃ鼻すすってたじゃん」
ガイウスは顔を赤らめて振り返る。
「うるせぇ!!」
けれど、誰もが知っている。
それが“ほんとうの旅”だったと。

「……だから、ここで終わらせる」
「断ち切る。この嘘っぱちの“映画”を」
帝都の端にそびえるその石壁の前――
まるで編集ミスが現実に漏れたみたいな、“白い一本線”が走っていた。
世界の継ぎ目。
嘘と真実の境界。

ガイウスは、そこへ向けて静かに聖剣を構えた。
だが――背後から、もう一つの“自分”が声を絞り出す。
「行かないでッ……お願い……」
ガイウスは振り返らない。
けれど、偽物のガイウス≠は続ける。
悲鳴にも近い、ひしゃげた声で。

「お前達を捕まえられないと、俺……」
「ヴィヌスとも……サタヌスとも……メルクリウスとも、仲直りできない……」
「お願い……“俺”と話してよ……!」
その願いは弱々しい。
けど、根っこにあるのは“食らいつく獣の執着”だった。
本物の生活、絆、後悔、笑顔――
そういうものに“自分は触れられない”のを知っている声。

ようやくガイウスは振り向いた。
だがその目には、一片の情けもない。
「魔族らしい発想だな」
ただそれだけ。
呆れるほど淡々とした声で、
絶望を切り捨てるみたいに続けた。

「……言葉で和解できないとこが、じつに魔族だ」
ガイウスが白い編集線へ踏み出す、その瞬間だった。
背後で、布ずれの音がした。
ガイウス≠が――本物のガイウスのマントを掴んでいた。

それは、勇者ガイウスの象徴。
旅路の証。
仲間たちと歩いた“本物の時間”そのもの。
偽物の指先は震え、
嗚咽のような呼吸が漏れる。

「……あ、ああ……やっと……触れた……」
ガイウス≠の目は涙で濡れていた。
“飢え”と“渇望”と“嫉妬”が混ざった、どうしようもない涙。

「本物の“俺”だ……」
「やっと……やっと……触れた……」
掴めたのは、マントだけだった。
ガイウス本人の体温、旅の重さ。
仲間の声、世界の記憶。
全部、そこにはなかった。

“布だけ”。
“ただの布切れ”。

偽物は必死にしがみつこうとするが、ガイウスは一切振り向かない。

「……離せ」
その一言は、雷よりも冷たかった。
ガイウス≠の指は、力なくほどけた。
布が滑り落ちるみたいに、
本物は偽物の手から遠ざかる。

そして――エクスカリバーが継ぎ目を斬り裂き、
世界が崩れはじめる。
「ま、待って……!まだ……!」
黒い炎が広がる中、彼の手には、
くしゃりと握られたマントの糸くずだけが残った。

世界全体が、じわじわと色を失い始めていた。
石畳も、塔も、空も、何もかもが――
まるで古いフィルムのように、静かにモノクロへと落ちていく。

広場では、冒頭で「勇者ごっこ」「処刑ごっこ」に興じていた子供たちが、
最後まで「死んだァ~!」「ギロチン!」と機械的に叫びながら、
だんだん輪郭が崩れ、
声だけがノイズ混じりにバグっていく。
「しんだぁ……しんだぁぁ……ぎ、ぎぎぎ……」
ひとつ、またひとつ、映像ノイズのように砂の粒子となって消えていった。

街の通行人たちも、整然とした笑顔のまま、
誰ひとりとして何も変わらないまま、
淡々と足音も残さず、背景の一部として薄れていった。
だが、その中でひとりだけ。
色を失わず、世界に取り残される影があった。

ガイウス≠。
彼の髪だけが、赤。
マントを掴む指先だけが、現実を求めて震えている。

その横顔には涙がつーっと伝っていた。
泣き顔。けど、どこか――
「本物と話せた」
「本物に触れた」
そんな子どものような無邪気さが混ざっている。

手のひらに残ったのは。
本物のガイウスのマントから千切れた“布切れ”。
彼はそれを、宝物みたいにそっと握りしめる。
「……あったかい……これが、“本物”……なんだな……」
声はもう、誰にも届かない。
世界の境界が白く割れ、編集線のようなヒビが走り。
ガイウス≠の身体も輪郭からノイズ化し始める。
でも最後の最後まで、その瞳だけはガイウスを見ていた。

空間にただ白いひび割れと、舞い上がる“フィルムの灰”だけが残る。
白い編集線は切断され、
魔族のつくった“嘘の世界”は、静かに――消えた。

――映画、強制終了。

闇の結界が、パキパキと音を立てて崩れていく。
世界の裏側のような闇がひび割れ、その裂け目から焦げた臭いが吹き出す。
映像が剥がれ落ちるみたいに、景色は“現実”へと戻った。
――帝都・デリン=ガル。
どす黒い雲の下、荒れた広場の中央に、4人の影がゆっくりと降り立つ。

そこに、黒衣のアサシンが立っていた。
プルトは拍手しながら、氷のような笑みを浮かべている。

「……ああ、ガイウス」
「お前は最悪の観客です」
「映画上映中に暴れた上に、フィルムを燃やすなんて」
「出禁ですよ? 貴方」
こめかみをトントンと叩きながら言うその顔には、
悔しさ、怒り……そして、ほんの少しの“焦り”が滲んでいた。

ルッツは即座に噛みつくように叫ぶ。
「うるせぇこの炒飯」
唐突な一言に、プルトの口元がビクリと跳ねる。
もはや「まな板」でもなく、「平らな子」でもなく。
ついに“炒飯”へと煽りネームが進化していた。

プルトはしばし沈黙し――
絞り出すように低い声で言う。

「……あの御方が蘇れば、貴様らなど塵芥」
「すぐに、悔いることになりますよ……」
黒い霧をまとって、音もなく姿を消した。
その小さくなる影を見送りながら、
ルッツは肩をすくめてぼそっと呟く。

「……ギャグ要員だったのに、最後ちょっとカッコよかったなアイツ」
ガイウスは真顔のまま言い捨てる。
「油断すんな。あれ本気でやばいタイプだ」
4人の間に、ほんの一瞬だけ風が吹いた。
現実に戻ったはずなのに、映画の終わりのような余韻を残して。
――帝都決戦の幕は、静かに上がり始めていた。