—夜・デリン・ガル帝城
(……もうこんな時間)
ルチアは燭台に火を灯しながら、すっかり暗くなった窓の外を見る。
いつもならばとっくに湯浴みを終え床に就く時刻だが、明日は義父である皇帝陛下に謁見する。
できる限り身綺麗にしておきたいと、湯浴みの前に日課である日記を書くことにしたのだった。
(……最近は『勇者』の話題で持ちきりね)
ルチアはペンを滑らせる手を止めて考える、ここ最近帝都では『勇者』の話で持ちきりだ。
魔王討伐から1年が経ち、人々は平和ボケしてきている。
そのせいか『勇者』を再び呼び戻そうなどと言い出す輩も出始めていた。
(『勇者』は魔王を倒した後、消息を絶った。でも……)
「ルチア」
「あ、ユピテル」
「これから入浴かい?俺もなンだよ」
すっかりルチアのフィアンセが板についたユピテル。
彼は髪を洗ってやろうと言うようにタオル片手に部屋へ入ってくる。
こうしてルチアが湯浴みをする日は必ず風呂の準備を整えて、浴室前で待っているのだ。
「いつもごめんね。わたしを一人にするのは危ないって宰相達が」
「いいンだ。それに2人きりの時間が増える、俺は歓迎してるよ」
「もう、ユピテルったら……」
ルチアはほんのり頬を赤らめると彼と一緒に浴室へ向かう。
その途中、ふと思い出したように口を開いた。
「……そういえば、今日は勇者の噂で持ちきりだったわ。みんな『勇者』がまた現れるって信じてるみたい」
「ハッ、くだらねぇな」
ユピテルは鼻で笑うと吐き捨てるように言う。そしてそのまま続けるように話を続けた。
「魔王を倒したからなんだ?パーティーを凱旋中に解散して失踪。
リーダーに至っちゃは国外追放され消息不明。
俺は今『勇者』の野郎が何処に居るかわかンねぇ」
浴室にはユピテルが入れたのか、いつもと少し違う湯気が立ちこめていた。
今日はラベンダー?紫系の入浴剤のようだ。
「だが、俺は必ず『勇者』をこの手で殺す」
ルチアはユピテルのその言葉に背筋が凍るような感覚を覚えた。
(怖い……)
しかし同時にその殺意が自分に向けられていないことに安堵もするのだった。
「ルチア、湯加減はどう?」
「うん、ちょうど良い」
ルチアは湯船から上がるとそのまま浴槽の縁に座る。
するとユピテルがタオルに石鹸をつけ泡立て始める。
「ルチアはまだ幼いからね、君と婚約したら俺が次期皇帝になる」
「うん。ユピテルならなれる」
「ルチアは俺が皇帝になったら嬉しい?」
「もちろんよ!だって、わたし……」
ルチアが何かを言いかけると、それを遮りユピテルが彼女の身体を抱き寄せ唇を奪う。
そしてそのまま舌を絡ませて深い口付けをする。
(……我等が「王」よ)
唾液を通し囁きかける声は酷く暗く、狂気を孕んでいた。
ユピテルはルチアを見ているようで見ていない。
魔王の転生体であるこの幼い少女を如何にして手中に収めるかしか考えていなかった。
(必ずや貴方様を目覚めさせます、だから今はゆっくりお休みください)
「ん……ユピテル、どうしたの?」
「いや、ルチアがあまりにも可愛いからさ」
「もう!恥ずかしいからやめてよ!」
「はは、ごめん、ごめん。じゃあそろそろ出ようか」
ユピテルはそう言ってルチアをお姫様抱っこすると浴室を出たのだった。
—翌朝・帝都市街地—-
バルトロメオの案内した裏路地の宿屋で一泊済ませ、3人は肩を並べ帝都を歩いていた。
道行く人々の表情は明るく、六将屈指のゲス野郎と名高きユピテルが潜んでいるとは思えない。
(だが……確実にこの街には居るはずだ、それに……)
帝国に同じく六将である、ネプトゥヌスが潜伏しているという情報もある。
警戒しておくに越したことはない、そう思いつつも3人で街を出歩く。
さすが皇帝のお膝元、ゴミ1つ落ちておらず気品がある。何より。
「うぅ……さぶ……この都寒くない?」
「寒いよ、デリン・ガルは雪の都だからね」
「うげぇ~マジかよ~……」
こんな反応をしてしまうのは無理もない。
デリンクォーラ帝国は国土が広いぶん、土地によって気候差がかなりある。
帝都デリン・ガル周辺は冬になれば一面銀世界となるのだ。
故郷アルキード王国は温暖な気候だったのも拍車をかけ、体感温度はずっと低く感じる。
「おっ酒場発見!情報収集も兼ねてちょっと寄って行こうぜ」
「賛成、暖まりましょ」
「はぁ……そうだねぇ、このままじゃカゼひいちゃうよ」
酒場に入るとそこは熱気に包まれていた、 ひとまず体を温めるため酒を注文。
そして酒を待つ間ぐるりを観察する……よく見ると腕章をつけている。
ガントレットが見えたり、騎士のようである。しかも若い騎士だ。
「まいったな、騎士団だ。僕おとなしくしてるから聞き込み頼むよ」
「バル、おまえのほうが聞き出せないか?」
「騎士抜けて踊り子やってる時点でわかるだろ?あんまり仲が良くないんだ」
「そうか、じゃ俺が聞いてやるよ」
仕方がないので、ガイウスが近くにいた騎士へ声をかける。
「なあ。なんかやけに明るい顔してるが良いニュースでもあったのかい?」
「そりゃもちろん、ルチア様がユピテル殿下ともうじき婚礼されるからさ」
「ルチア様ってどんな人なの?」
「ふーむ、一言で言えば儚い美少女って感じだなぁ。
普段は物静かなんだが、たまに見せる笑顔が最高なんだ」
ルチア・アンブロジア。
現皇帝デリン・アンブロジアの愛娘の名である。
ユピテルはプライドが高いから高貴な身分の女に近づくのは納得いく。
が、騎士が見せてくれた写真で驚く。
確かに美少女だがまだ頬は丸っこくあどけない表情。
童女といっても差し支えないほど幼い容姿をしている。
(まだこんな小さいのか!?ロリコンじゃねぇか!!!)
ガイウスが心の中で大絶叫する中、ルッツは騎士に尋ねていた。
「で、その婚礼はいつよ」
「舞踏会でお披露目したあとにな。
特別に庶民の参加も許される、ただし必ず仮装することになっているぜ」
上機嫌になった男は去っていく、すると入れ違いにバルトロメオが来た。
「何かわかったかい?」
「今夜。舞踏会があるんだって!仮装すれば庶民でも参加できるって」
「よし!作戦会議するから宿に戻ろう!」
こうして三人は酒場を後にするのだった。
酒場の扉をくぐり、ガイウスは一歩路地に出たところで、頭を抱えた。
(あいつが、ルチアに、あんなことを)
想像した瞬間、胃の奥がぐっと痛んだ。
慌てて口を押さえる。
「やめろ……あの子。まだ転生して1年にも満たないんだぞ……!」
ガイウスの呻きに、隣でルッツが首を傾げる。
「は?もう幼女通り越して赤ちゃんじゃん!それを魔王にしようとしてるの、あの男!? キモッ!!」
バルトロメオも呆れたように肩をすくめた。
「まぁ、“幼い子を王座に据えて傀儡化”っていうのは、宰相あるあるだけど……。
赤ちゃんを魔王様って呼ぶのは、もはや忠義を通り越して滑稽だね」
3人の間に、負の共感が走る。
「ユピテルって奴、キモすぎない!?」
「無理……あれは絶対ムリ……」
「帝国史上最年少魔王様だよ?新記録だよ?」
飲みのテンションのまま、不穏な気配とキモさだけで妙な団結力が生まれていた。
バルトロメオが小さく肩を竦めて、皮肉を吐く。
「まさか勇者様と“ユピテルのロリコン疑惑”で意気投合するとは思わなかったよ……」
3人の間に、不可思議な団結の空気が生まれていた。
――この男だけは、絶対に“幼女魔王”に手を出させてはならない。
——デリン・ガル帝城・皇帝の私室—-
「ユピテル。話がずいぶん急だな?ルチアと明日にでも婚礼をしたいとは」
「ええ陛下、彼女も私を好いていますし何よりルチア皇女は皇族として少し頼りないでしょう?」
皇帝の私室。そこではユピテルが現皇帝-デリン・アンブロジアの前で跪いていた。
話の内容は、帝国で執り行うルチアの婚礼についてである。
皇帝はユピテルの話を信じ込んでいるようで、ユピテルからすれば笑いを堪えるので精一杯だった。
(可哀想なおっさんだ、今からお前を待っているのは地獄そのものだというのに……)
内心嘲笑いながらもユピテルはあくまで笑顔でいた。そしていよいよ本題に入る。
「それとですね陛下……実は言わねばならないことがありまして……」
「なんだ?」
「ルチア皇女との婚礼を期に、私に皇位を譲っていただきたいと思いまして」
怪しい笑みを浮かべながらユピテルは近づき、皇帝に見せるように胸元をずらし黄色い核を見せる。
トパーズのように妖しく煌めくその輝きは心を奪うよう、実際皇帝の目はどこか虚ろになっていた。
「そうか……ルチアを妃に、皇位を」
皇帝は操り人形のようにユピテルの言葉を返していた。
しばらくユピテルの望む言葉を紡ぐように唇を動かしていた彼だったが。
「ん?」というように目を右上あたりに動かす。
「しかしユピテル。ルチアはまだ幼女じゃぞ?おぬしロリコンか?」
「俺はロリコンじゃねぇ!……いえ失礼、ルチア様は皇帝に据えるには幼く未熟です。
彼女が正統な皇になるまで私が帝国を守護しましょう」
「なるほど、そういうことなら仕方がないな……よかろうユピテルよ。おぬしに皇位を譲るぞ」
あっさりと皇帝は承諾した。
どうやら彼にもユピテルの催眠術が効いているようだ。
(フヒヒッ!チョロいぜこのおっさん……!)
「ありがとうございます陛下。では急ぎ準備に取りかかりたいので退出させていただきますね」
そう言って部屋を後にしたユピテルの顔は、それはそれは歪で邪悪な笑みを浮かべていた。