デリン帝国編-断罪者ガイウス - 3/6

クードスの街を抜け、帝都デリン・ガルへ――。
そこには皇女ルチアが待ち受けている。
いや、待っているのはそれだけではない。
ユピテル。あの雷神が潜んでいる可能性も高い。
ただ、地図を眺めるだけでも気が遠くなるほどの距離があった。
人の足で行けば半月。いくら勇者と呼ばれた超人が馬車より速く駆けようと。
たどり着く頃には疲労困憊、ユピテルを探すどころではなくなる。

「用心棒請け負いまーす!報酬はご飯代だけでOK!」
ルッツが通りかかるキャラバンに向かって声を張り上げる。
頬をふくらませ、必死にアピールするその姿は。
勇ましいというよりどこか小動物めいていた。
気が強く負けん気の強い少女だが、根っこは甘えん坊。
だからこそ「食べ物」という報酬に真っ先に釣られる。

「どんな盗賊も撃退してみせます!デリン・ガル行きの皆様、僕たちを雇いませんかー!」
続いてバルトロメオが軽やかに声を響かせた。
金髪を太陽にきらめかせ、軽薄そうな笑みを浮かべながらも。
通行人の視線を掴むその声には妙な説得力があった。
元ダンサー。人を惹きつけることにかけては、場数も経験も桁違いだ。
――対して。

「…………」
ガイウスは腕を組んで黙り込み、二人の様子を眺めていた。
顔の真ん中に走る傷が陽光に照らされ。
どんなに口を閉ざしていても“狂犬”の仇名が先に立つ。
かつては「勇者様」と呼ばれた青年。
その面影は傷痕と荒んだ眼差しに覆われ、もはや信じる者は少ない。
それでも、彼はこの道を進むしかないと知っていた。
過去を背負いながら、仲間を連れて。

「……なぁ」
ガイウスは隣を歩くバルトロメオに声を落とした。
「なんでキャラバンの連中は、わざわざ用心棒を雇うんだ? 武器ぐらいは積んでるだろ」
彼の問いは純粋な疑問でもあり。
同時に“自分たちに価値があるのか”を測ろうとする探りでもあった。
バルトロメオは金の髪を揺らしながら、飄々と笑みを返す。

「三方良しって言葉があるのさ。商人の世界じゃ有名なんだ」
「三方……?」
「まず一つ。盗賊に襲われても、用心棒がいれば品物を奪われる確率がぐっと減る」
バルトは人差し指を立て、軽やかに続ける。
「二つ目。用心棒はキャラバンに乗せてもらうことで、大幅に移動時間を短縮できる。
ほら、ガイウス。君だって徒歩で帝都まで行く気はなかったろ?」
「……まぁな」
図星を突かれ、ガイウスは視線を逸らした。

「そして三つ目」
バルトロメオの笑みが少し鋭くなる。
「業者からの信頼だ。
“あのキャラバンに頼めば、必ず品物が届く”って噂が立つ。これは何より大事だよ」
一拍置いて、彼は指を三本立てた手をひらひらと振り下ろした。
「な? ちょっと金を出すだけで三方良しだ」
ルッツが感心したように口を挟む。
「へぇ……ただの軽口じゃなくて、ちゃんと考えてるんだ」
ガイウスは腕を組み、ふっと鼻で笑った。
(軽薄な男に見えて、根はしたたか。……面倒見の良さも芝居だけじゃないらしい)

ガイウスが首を動かした方に、帝都行きと思われるキャラバンが見えた。
自分も頼んでみようと小さく頷き、近づく。
「……乗せてくれ。実力はある」
ガイウスが低く告げると、キャラバンの親方はしげしげと彼ら三人を見やった。
煤にまみれた手を顎に当て、しばし黙考。
「ふむ……真ん中の傷の兄さんは威圧感も実力もありそうで文句なしだ」
その言葉にガイウスは口をつぐむ。顔の傷は、誉め言葉と同時に烙印でもある。

「だが……」
親方の視線は、金髪のダンサーとハーフエルフの少女へ移った。
「ダンサーにエルフ……冒険者というより、旅芸人の一座じゃねぇか。これが悩みどころでな」
苦笑混じりの声に、バルトロメオは肩を竦めてみせ、ルッツはむっと頬を膨らませる。
その時、荷馬車の隙間からひょこりと顔を出した一人の娘がいた。
まだ年若い、旅装の少女
「……あっ」
彼女の瞳が、ガイウスの顔に釘付けになる。
「……あの人、雑誌で見たことある!」
声は驚きと興奮に震えていた。
それは英雄を目にした時の、憧れと確信に満ちた響き。

ガイウスの胸に、不意に過去の栄光がちらりと甦る。
しかし同時に、顔の中央を走る傷痕がその記憶を打ち砕いた。

娘の声が震える。
「……本物だ!」
彼女は荷馬車から飛び降りるように駆け寄ってきた。
「その軍服みたいな勇者服も、肩にかかるマントも……写真で見たものと同じ!
本当に、勇者ガイウス様なんですね!」
瞳は涙で輝き、憧れがついに現実になったことを喜んでいた。
ずっと紙の上でしか会えなかった英雄が、今ここに立っている――。
「……」
ガイウスは無言で視線を逸らした。胸の奥がひりつく。
娘は歓喜のまま、さらに近寄り……ふと息を呑む。

「……あ……」
その瞳がとらえたのは、鼻筋を斜めに走る大きな赤い傷跡だった。
かつて人々の誇りと希望を背負った勇者の顔に刻まれた、決して消えない痛みの痕。
娘は手を胸に当て、小さく震える声で言った。
「……勇者様……そんな、大怪我を……」
ガイウスは一瞬だけ、彼女と目を合わせ――すぐに逸らした。
――顔を両手で覆い、絶叫する自分の姿が、炎に照らされて浮かび上がる。
マルスの炎に焼かれたあの瞬間。
表情は、今も誰にも見せられない。

ガイウスは、かすかな笑みを作って続けた。
「でも大丈夫だ。……もう痛みは引いた」
娘の瞳には、英雄への憧れと同じくらい、深い心配の色が浮かんでいた。
ガイウスの心に、ひどくちくりと刺さる視線だった。
親方は元勇者と知って、大きく頷いた。
「ほう……元勇者様か。そりゃ魔王軍残党だろうと安心だ。よし! 乗りな」
その一言に、三人は胸を撫で下ろした。
キャラバンに加われる安堵。移動の心配を減らせた安心感。

ガイウスはふと、街角に並ぶカボチャの飾りに目を留めた。
収穫祭を前にクードスの街は、オレンジと黒の彩りでハロウィンめいている。
夕暮れの光に照らされた窓硝子に、自分の顔が映った。
鼻の赤い傷が、陰影を強めて浮かび上がる。

その時、隣でルッツがぽつりと呟いた。
「そういやさ。こういう、顔におっきい傷あるモンスター……いたよね?」
ガイウスが怪訝に眉をひそめるより早く、バルトロメオが軽やかに応じた。
「あぁ、ヴィクターさんちの息子くんだね♪」
妙に含みのある呼び方だった。だが原作を知らない者には意味が分からない。
ガイウスは首をかしげたまま、沈黙する。
ルッツは呆れ顔で肩をすくめた。
「……キズ野郎、ピンときてないじゃない。フランケンシュタインって言わなきゃ」
ガイウスの顔色がみるみる変わる。

「おおィイ!?」
夕暮れの街に、勇者を怪物と呼ぶ声が響いた。
「フランケンシュタインはもう少しブサイクだろ!」
ガイウスの抗弁は、あまりにも何気なく、そして妙に必死だった。
その裏には――自分が「まだイケメン枠」であるという、かすかな自負が滲んでいる。

ルッツはジト目で彼を見上げ、にやりと口角を上げた。
「何言ってんの。フランケンシュタインモチーフって、美少女でもアリなのよ?」
そう言って懐から取り出したのは一枚のパンフレット。
「ほら見て。いまアルルカンで上演してる劇、フランケンシュタインが題材なんだって」
ルッツが差し出したパンフレットを、バルトロメオが覗き込む。
描かれていたのは――ウェディングドレス姿でブーケを抱え、前髪で目を隠した儚げな少女。

「おぉー!」
バルトロメオの声が一段高くなる。
「人造花嫁のプロポーズじゃないか、これは面白いよ」
彼は楽しげにページをめくりながら続ける。
「名物悪役――ヴィヌスが無期限休業になってさ。
いつものテンプレが使えなくなったから、苦し紛れにネタを捻り出して作ったらしい」

クードスを出たキャラバンは、乾いた街道をごとごと揺れながら帝都へ向かっていた。
積み荷の木箱が軋み、馬の蹄がリズムを刻む。
揺れに合わせて車輪が跳ねるたび、三人の座る荷台にも小さな震動が走る。
ガイウスは膝の上のパンフレットに目を落としながらぼそりと言った。

「……このフランての、やっぱ花嫁なのか?」
隣のバルトロメオが即座に反応した。
声のトーンが半オクターブ上がる。
“スイッチが入った”のがわかる。
「そうそう!そこがいいんだよガイウスくん!!
アルルカンシアターってさ、だいたい冒頭20分に一番力入れるんだけど、
あそこでバッチリ“花嫁フラン”の全情報が書き込まれるんだよ!」
「そんな序盤から全部?」
ルッツはパンの袋を抱えたまま首をかしげる。

「序盤つまらないと客って飽きるもんね?」
「そう、それ!」
バルトロメオは親指を立てた。
「観客が“彼女って何者なんだろう”って興味を持つ前に、
まず“彼女を好きになる準備”をさせるんだよ。
この劇団は、その導線が絶妙なの!」
ガイウスはページをめくり、フランの絵を眺めた。
その姿はどこか儚く、恐ろしく、生者と死者の境界に立つように静かだ。

「花嫁って、こんなに……物悲しいもんなのか?」
「物悲しいでしょ!!!」
バルトロメオは膝を叩いて立ち上がりかけ、馬車がガタッと揺れて尻もちをついた。
「メアリー・ドールは、“およめさんになりたい”って夢を抱いて亡くなった少女なんだよ?
博士はその夢を叶えたかった。でも……叶え方を間違えた。」
ルッツは目を丸くする。
「え、叶えた……んだ?」
バルトロメオは頷き、声を落とした。
俳優がステージ上で“真相”を告げるような静かな抑揚で。

「メアリーは蘇った。フランという人造花嫁として。
だけどその抱擁一つで、人間の骨を折る怪物だったんだ。」
馬車の揺れが一瞬止まったかと思うほど、空気が変わる。
「……怪物、か。」
ガイウスの声に低いざらつきが滲む。
「そう。でもね、そこが大事なの」
バルトロメオは拳を握りながら続ける。

「フラン本人は“怪物になった”なんて知らないの。
ただ大好きなお父さんに抱きしめてほしくて、
ただ“およめさんになりたい”って夢を追ってるだけ。」
「なのに壊し続けちゃう……ってこと?」
ルッツの声はいつもより静かだった。

「そう。博士は娘の夢を叶えるつもりが、
“花嫁衣裳を着たまま世界を壊していく”怪物を作ってしまった。」
バルトロメオはパンフレットを胸に抱え、吐息を漏らした。
「そして博士自身は、娘に怯えて逃げたんだよ。フランは置き去りのまま。」
馬車の外では、カラスが一羽、街道沿いの枯木に止まった。
黒い影が風に揺れ、荷台の三人の上に落ちる。
ガイウスはしばらく黙っていたが、ぽつりと言う。

「……そりゃ客、泣くだろ。」
「泣く!冒頭20分で観客の心バキバキに砕くからね!」
バルトロメオは目を輝かせる。
「でもそれがすごいんだよ。
フランは“怪物として恐ろしい”んじゃなくて、
“夢だけが残った少女の形”として恐ろしいんだ。」
ルッツは自分の足元を見ながら呟いた。

「……なんか、あたしちょっとフランのこと好きになってきた。」
「あぁ、観客全員そうなる。」
バルトロメオは大きく頷いた。
「フランはさ、怖いのに可愛い。
可愛いのに壊す。
壊すのに、本人はただ恋をしてる。
こういうキャラ作れる脚本家、マジで天才なんだよ。」
ガイウスはパンフレットを閉じ、空を見た。

「……なるほどな。
こいつは、ただの花嫁じゃねぇわけだ。」
「そう、“完成しなかった夢が歩いてる”んだよ。」
馬車は再び揺れながら、帝都へ向けて進む。
荷台の中で、小さな劇場の幕はまだ下りそうになかった。