トウキョウ物語-中野/新大久保/渋谷編 - 4/5

渋谷-吸血鬼ではないが、血は大好き

新人ハンター(昼組)は、依頼の取り込みで遅くなり。
終電のないホームを早足で歩いていた。
街の灯は落ちているのに、誰かの足音だけがついてくる。
「……え?」
振り返ると、そこに“人”がいた。
異様な赤。夜の色よりも濃く、視線を逸らせない赤。
古びたポスターにはかすれた英語――「HELLO」。
その前で、赤髪の男が静かに立っていた。

彼がこちらに気づいた瞬間、蛍光灯の光が一瞬だけチカリと明滅する。
ゆっくりと顔が上がり、声が落ちる。
「なァにィ?」
その声は低く、笑いを含んでいた。
「うわあああああああ!!吸血鬼いぃぃ!!!」
悲鳴が駅の闇に吸い込まれる。
当のレイスは、苦笑にも似た表情で小さくため息をついた。

「……またかよ」
吸血鬼と間違えられるのは、もう数百回目だ。
そして、そのリアクションを見るたびに思う。
“俺は本当に、人間の形をしてるのか?”

ネオンの明かりが、彼の眼を朱に染めた。
笑っても、誰も近づかない。笑わなくても、誰も逃げない。
「……あ〜そうか、夜の渋谷。久しぶりだな」

煙のように軽く呟く声が、廃駅の天井に反響して消えていった。
渋谷駅を出ると、赤い夕焼けが街を焼いていた。
空も、看板も、信号も、まるで一つの血管の中を流れているような赤。
そして、その中にいた。
もう一人の“誤解される”存在。
「あれぇ、レイスさんじゃないですか」
振り返れば、黒髪に赤い眼。
肩を出したアシンメトリーのシャツが闇を切り取る。
その白すぎる肌は、ネオンに照らされてほのかに青い。

「……あんた。ローブ脱いでるの初めて見た」
「たまには脱ぎますよ? あれは戦闘服ですから」
プルトは微笑みながらも、目の奥が冷えている。
レイスは懐かしそうに息を吐いた。
青白い肌。赤い目。黒の服、通りすがる誰もが思う。
――あれは“吸血鬼”だ。
だが、彼らは血を吸わない。血を流す方だ。
それでも「見た目」だけがすべてを語ってしまう街では。
誰もそんな真実を求めてはいなかった。

通りすがりの声。
「ヴァンパイア同士の夜会だ」
「血を吸い合うんだろ」
「映えるなぁ……投稿しとこ」
シャッター音。スマホの光。
二人は気にも留めず、壊れた看板の下で立ち止まる。

「人間って、勝手に物語を作るの得意ですよね」
プルトの声が、街の雑踏に紛れて消える。
「……まぁ、勝手に怖がってくれる分には楽でいい」
レイスはそう言いながら、タバコの火をひとつ灯した。
その火が、ほんの一瞬、プルトの赤い瞳に映り込んだ。
街が血のように流れていく。誰もが物語を作る。
だが二人だけは、“その外側”を歩いていた。

赤い霧が、街の明かりを曇らせていた。
看板の光はすでに壊れ、ただの“血の残響”として漂っている。
人がいなくなっても、音だけは生きていた。
プルトがふと足を止めて、低く呟く。
「……夜が赤いですね」
レイスは煙を吐きながら笑う。
「昔はこういうライトを“恋人の夜”って呼んだらしいぜ」
プルトの瞳が少し細くなる。
「じゃあ今は、“人間の残照”ですね」
彼らの足音だけが、崩れたビルの谷間に響いていた。
レイスの煙草が赤く光り、その火がプルトの瞳にゆらりと映る。

二人の影は絡み合い、まるで一つの生き物のように長く伸びていった。
沈黙を破るように、レイスがぼそりと訊いた。
「……お前、吸ってんのか?」
プルトは唇の端を上げる。
「血? いえ。サプリですよ、あれ」
「人間の体温を利用して活性化するんです。つまり……」
「温かいうちに、いただくのが理想」
「やっぱ吸ってんじゃねぇか」
「むしろユピテルさんの方が常飲してると思いますよ?」
「“体温ぐらいが一番美味しい”とか言ってましたし」
レイスは天を仰ぐ。

「アイツもう吸血鬼名乗っていいだろ」
プルトは小さく笑って、髪の下から赤い瞳を覗かせた。
「雷で焼いてから吸うそうです」
「調理するな」
ふたりの声が夜風に溶けていく。
笑いなのか、ため息なのか、区別がつかないまま。
渋谷の街が沈黙を取り戻す。
血のように赤い灯が、ふたりの影をまた一つに重ねた。

二人が立ち止まった先に、赤いネオンが滲んでいた。
「BLOOD CAFE – for Vampires only」
壊れた街灯が雨粒を散らし、光が血管のように舗道を走る。
足元の水たまりが赤く染まり、反射した光は血よりも濃い。

その瞬間、看板の一部がチカチカと明滅した。
“BLOO”が一瞬消え、
残ったのは──“D CAFE”。

レイスが煙草をくわえ直しながら呟く。
「……センスあるな」
店の中は静かだった。
深紅の照明がワイングラスを宝石のように照らす。
テーブルクロスは黒のベルベット。
壁一面には古い絵画。そのどれもが、血の色で描かれていた。

奥にはグランドピアノ。
奏でられる旋律は、まるで“血色の音”そのもの。
滴るような音の余韻が、客たちの心拍に重なっていた。
ウェイターが二人の前に立つ。
完璧な姿勢、冷たい笑顔。
「ご来店ありがとうございます。
本日は“満月期限定メニュー”もございますが──」
レイスが問いを挟む。
「ここ、人間の客も来るの?」

ウェイターは一瞬も目を逸らさず、淡々と答えた。
「はい。夜勤のお客様や夜型の悪魔ハンターの皆様にもおすすめです」
「人間のお客様には……人間以外の血液でご提供させていただいております」
プルトの唇がかすかに歪んだ。
“何が人間以外なのか”なんて、聞くまでもない。

レイスは煙を吐きながら目を細める。
「ふぅん……ブラッドソーセージってあるもんな」
プルトは微笑まないまま。
「人間は本当に便利ですね」
「食べても喋ってもバレないからな」
短い会話のあと、ふたりの笑いが重なった。
吸血鬼の店に、吸血鬼じゃない連中が立っている。
それだけで、この街の矛盾が全部詰まっていた。

奥の席では、肌の白すぎるマダムが笑っていた。
ワイングラスの中身は暗く濁った赤。
金の指輪には乾いた血がこびりついているが、誰も何も言わない。
隣の席の燕尾服の老紳士が、丁寧にナプキンで口元を拭い。
まるでワインの品評をするように語った。
「君も味わうといい。AB型は、複雑で――少し哀しい味がする」
ピアノが一音、高く響いた。
その音が、グラスの中の液体をわずかに震わせた。
プルトはその震えをじっと見つめる。

レイスはその横顔を見ながら、静かに煙を吐いた。
「……こういう夜を“文明”って呼ぶんだろうな」
外の雨が、ネオンをまた一段と赤く染めた。

ウェイターは深く一礼した。
「お決まりの際はお呼びください」
赤いライトの中、その声がまるで祈りのように響く。
去っていく背中は黒い影のようで、後ろに“血の香り”だけがゆっくりと残った。
レイスはメニューを手に取り、表紙に書かれた金文字を指でなぞった。
「……意外と優雅だな」
プルトはメニューを開きながら小さく笑う。
「吸血鬼は夜の貴族って言いますからね」

《Blood Café メニュー》
(※すべて血液由来の食材を使用しております。人間の方は体調に合わせてご注文ください)

1. ブラッドソーセージグリル
一番ダイレクトに血の味が楽しめる当店人気No.1。
炭火でじっくり焼き上げ、香ばしさの中に濃厚な“鉄の甘み”が広がる。
人間向けにはオークやボア(ブタ系魔物)の血を使用。
精がつくとの評判で、夜勤明けや魔族の方に大好評。

2. サングイン・パスタ(A型トマトソース)
真紅のソースが夜に映える、当店自慢の一皿。
トマトベースにA型血漿を加え、ほどよい酸味とミネラル感を演出。
血液は完全に低温殺菌済み。人間にも安心安全。

3. O型ボロネーゼ・デュエル
“味で喧嘩するパスタ”。
鉄分強めのO型血液をベースに、肉の旨味とニンニクでガツンと仕上げる。
魔族向けに辛味を強めた「HELL LEVEL」もご用意。

4. ブラッド・ラテ(Rhマイナス)
深煎り豆とRh−血清をブレンドした、夜のための一杯。
ミルクの代わりに血液をフォーム化し、まろやかな舌触り。
カフェインとヘモグロビンのダブル刺激で目が冴えすぎ注意。
一部地域では“天使の逆輸入飲料”と呼ばれることも。

5. プラズマ・ティー(蒸留血清ハーブブレンド)
見た目は完全に紅茶、でも中身は再生医療レベル。
微量の血清ハーブを抽出し、身体にやさしいリラクゼーションドリンク。
女性に人気で、「鉄分補給と精神安定を同時に」がキャッチコピー。
副作用として夢に知らない人が出てくる場合があります。

6. 血のミルフィーユ(限定デザート)
サクサクの生地に血液クリームを幾層にも重ねた罪深い甘味。
上層にはB型血糖を使用し、やや自己主張強めの風味。
口に入れるとすぐ体温と馴染み、ほんのり温かい。
「初恋の味」と評されることが多いが、誰の初恋かは不明。

7. ノンヒューマン・プレート(吸血鬼以外限定)
ケルベロスのレバー、サーペントの血ソース、グールミートパテの贅沢盛り。
吸血鬼が食べると胃がやられるため、他種族専用メニュー。
蛇人族や夜魔族のお客様に好評。

8. 期間限定:「ブラッド・モヒート」
血清ミントと魔界ライムを使用したアルコールカクテル。
氷が解けるにつれ血が浮かぶ演出が人気。
「見た目が怖いけど味は爽やか」とSNSで話題。

レイスは煙草を置き、少しだけ楽しそうに顔を上げた。
「お前、決まった?」
プルトは視線を落としたままメニューを閉じる。
「丁度さっき」
「どれだ?」
「……“血のミルフィーユ”」
「甘党かよ」
「初恋の味、らしいので」
その瞬間だけ、彼女の口元に赤いネオンが映り。
まるで本当に血を吸った後のように妖しく光った。

サングイン・パスタを巻き取りながら、レイスは向かいのプルトをちらりと見た。
――彼女は血が嫌いだと聞いていた。
その父、教祖エレボスもまた“血を拒んだ魔族”として知られる。
だが目の前の娘は違う、ミルフィーユを静かに口へ運び。
“気に入った”とでも言うように、ほのかに目を細めていた。

赤いネオンが、彼女の瞳に映る。
ガラスの中でゆらめく血色が、まるで心拍のように揺れていた。
プルトはワイングラスを指先でなぞる。
その仕草は、まるで昔の夜会を再現しているかのように優雅だった。