銀座のアーケード街。
看板の文字は半分以上が朽ち、ネオンもチカチカと不安定に点滅している。
なのにどこか、高級感の残滓だけが街を満たしていた。
サタヌスはショーウィンドウのガラスに映る自分を見ながら、
どこか未練がましく呟いた。
「……メロンって、ほんとにきゅうりなのかよ」
プルトにそう吹き込まれたのは数時間前のこと。
甘くて高級な果物――だと思っていたメロンが、
実は“瓜の仲間”で、構造的にはほぼきゅうりだという残酷な真実。
サタヌスはそれを受け入れられず、銀座の街に逃げるように歩いていた。
その隣で、レイスが煙草をくわえたままふと足を止めた。
その目が遠くを見つめている。
「見ること自体に価値があるって言えば……パンダだよな」
マカが、ほんの少し目を細める。
「……パンダですね」
サタヌスは眉をひそめた。
「パンダ? それ……かわいいのか?」
レイスは肩をすくめるようにして、
「白黒のクマ。竹食って寝てるだけだ」
「……面白いかソレ? 猿見るほうが楽しいぞ、動くし!」
レイスが煙草をくわえて、天井の崩れた穴から空を見上げる。
「……何が価値あったんだろうな」
「昔、上野で行列作って見てた人たち、みんな何が楽しかったんだろうって思う」
マカは乾いた目で、かつてのぬいぐるみ棚を眺めていた。
「……楽しくなかったです」
「白い尻を見て、行列に並んで、それで終わりでした」
「“思い出”にはなったんですけど……別に、また行きたいとも思いませんでした」
サタヌスはその会話を聞きながら、ガラクタの中から壊れたパンダストラップを見つける。
そして、視線の先。
崩れかけたビルの壁に、かつての看板が見えた。
「PANDA EXPRESS」
そのロゴは既に塗料が剥げ、皮肉なほどに廃墟と化していた。
「パンダを見るだけでいい」という文化が存在した街。
見ること・並ぶこと・インスタ映えすることに価値を置いた世界の残骸。
レイスがぽつりと呟く。
「……目に見える価値って、崩れるときは一瞬なんだな」
「“美味いかどうか”って、たぶんその後なんだ」
サタヌスは手のひらでくるくる回しながら、正直な声を上げた。
「俺、猿見てる方が楽しいわ。あいつら喧嘩すんのも面白いし、動きも派手だしさ」
「パンダって……白黒で、動き鈍いし、寝てるだけだろ?」
レイスは苦笑いを浮かべ、
「結局“見るためだけの価値”なんて、あっという間に消えるもんだな」と呟いた。
彼らは“使えないもの・食えないもの・役に立たないもの”には冷たい。
でもその分「本当に残るものは、思い出でもブランドでもなく、“今生きて役立つもの”」
という、終末世界らしい正直さがそこにはある。
三人の“半魔感覚”が、銀座の廃墟の中で、静かに鳴り響くのだった。
銀座の瓦礫の隙間から、風がビルの谷間を吹き抜ける。
赤茶けた道路に、ひときわ白い紙切れが舞い落ちた。
【上野動物園・閉園のお知らせ】
そこには、かつて笑顔だったキャラクターパンダの顔と
“ありがとう”の言葉が、ひどく色褪せて印刷されていた。
レイスはそれを足元に拾い、ぽつりと呟く。
「クマは確か……人間が減って緑化が進んだから、“森に帰った”って話だったな」
「ティアが言ってた。かつて“アーバンベア”と呼ばれた都市のクマたちは、
大災害によって逆に救われたんだってさ」
彼は煙草に火をつけながら、曇った空を見上げた。
「でも……それでも、山を降りてくるクマがいるなら」
「それはもう、“魔物”だろうな」
「だからライカンは――クマを狩る」
不意にマカが問いかけた。
「……上野のパンダも、“自然”に帰ったんでしょうか?」
サタヌスがすかさず反応する。
「は? 竹主食だろ? あんな生命力ヤベぇ植物、どこにでも生えてんじゃん」
「絶滅なんてするわけねぇって!」
だが、その声のすぐ後ろから、スッと一言。
「自然には、帰りましたね」
そう言ったのは、プルトだった。
上野動物園の閉園チラシを見ながら、淡々と。
サタヌスは、一拍置いて、目を潤ませた。
「……また絶滅した話!? 俺のメロンといい、パンダもかよぉ!!」
完全に涙声。
その様子を見て、プルトは目元だけで笑った。
「また泣きましたね。ふふ……愉快、愉快」
感情が追いつかないサタヌスと、それを飄々と観察するプルト。
そしてレイスは煙草をくわえたまま、紙片を風に流して呟いた。
「……竹は残って、主がいなくなる。そういう時代かもな」
かつて“見ること自体に価値がある”とされたパンダ。
その文化の死にすら、彼らはもう慣れてしまっていた。
風が止まった銀座。
ビルの影で、プルトは紙包みを開き、湯気を立てる肉まんを口に運んでいた。
「……それ、何まん?」
サタヌスが眉をひそめて尋ねる。
「ミュータントタケノコ入り肉まん、です」
「そんなん食うなよ!? 名前からしてやべぇだろ!!」
「いいえ、竹の芽は非常に生命力が強い。むしろ人間よりも適応しています」
プルトは淡々と答える。
その横でレイスが煙を吐き、看板に描かれた黒白の丸いシルエット――パンダのロゴを眺めていた。
「なぁ……実際、パンダって今も生きてんのか?」
プルトはその質問に、湯気越しの冷ややかな声で答えた。
「いいえ。生きていません」
「毛皮コレクターや剥製マニアが“環境汚染で衰弱死する前に”と。
全個体を“楽にした”んです」
サタヌスが、ポロッと肉まんを落とした。
「……“楽にした”って、それ……」
「えぇ。絶滅ではありません。淘汰です。」
プルトの目は相変わらず穏やかで、
その口元には、微かに冷たい微笑が浮かぶ。
「適応出来ない生き物が滅ぶのは、自然の摂理です」
「お前、それ言いながら飯食ってんのが一番怖ぇよ……」
レイスが肩をすくめて煙を吐く。
「竹の生命力がパンダにあればっ……!」
サタヌスが涙目で叫ぶ。
「むちゃ言うな」
レイスの返しが乾いた銀座の空に吸い込まれていった。
プルトは湯気の残る包み紙を見つめながら、
静かに笑って一言だけ呟く。
「……けれど、竹は今でも生きています」
廃ビルを改装したオークション会場。
外から見ればただの瓦礫の塊だが、中には富裕層と怪商たちがひしめいている。
「腐った文明の残り香」――
そんな場所に、サタヌスたちは冷やかし半分で向かっていた。
道中、瓦礫の隙間に“かつての上野動物園”のポスターが見えた。
褪せたパンダの親子が笑っている。
サタヌスが、それを指差して言った。
「なぁ、上野動物園ってどうなったん?」
プルトは何も言わない。
代わりに、レイスが煙草をくわえたまま答えた。
「居心地いいぞ、あそこ」
「ミュータントとか、獣化病の進行した奴らが集まってる」
「……人間界に馴染めない奴らの、避難所みたいなもんだ」
「マジで? 動物園が難民キャンプになってんのか」
レイスは苦く笑う。
「皮肉な話だよな。檻の中に閉じ込められてた連中が、今じゃ檻の外で生きてる」
マカが、淡々と付け加えた。
「……むしろ、パンダがいた頃より優しいです」
「は?」
「スープ、くれました。寒いから飲んでいけって」
プルトが横で小さく笑った。
「優しさの定義も、時代で変わるものですね」
「まぁな。昔の“動物愛護”より、今の方がよっぽど生きてる」
「お前らの倫理観、マジで壊れてんな」
「……でも、ちょっと泣けるじゃねぇか」
「泣くな。涙はオークションで売れねぇぞ」
ビルの角を曲がると、光が漏れていた。
「GINZA GRAND AUCTION」――と刻まれた看板。
電力は不安定、だが煌びやかな照明が空間を演出している。
中では、異世界の骨董、魔具、そして“人間時代の遺物”が競りにかけられていた。
サタヌスが息を呑む。
「なぁ、プル公……アレ、見ろよ。メロンパフェの模型……!?」
「本物のメロンより高価ですよ。皮肉ですね」
静かに笑う冥王、メロンを探す悪魔。
スープをくれたミュータント。
銀座の夜は、今日も少しだけ、優しかった。