ドリーミア編-終わる悪夢 - 2/3

異形と化したドリーミアが、深淵の眩暈とともに軋んだ。

ぼろぼろのサーカステント。
その裂け目から、レイスが煙草を咥えて歩み出る。
視線の先には、狂乱のパレードを背に立つ一人の影――。
「お前に、何がわかる」
レイスがぼそりと呟く。
灰色の煙が歪んだ空間に溶けていく。

「ふふふっ♪ わかりますとも」
メフィストは満面の笑みを浮かべ、すうっと距離を詰める。
そして、耳元に唇を寄せて囁いた。
「壊れないから壊したい。手に入らないから求めたくない」
「そうやって世界を、夢を、全部否定して生きてきたんでしょう?」
レイスは笑った。短く、嘲るように。

「笑わせんなよ。ぶっ壊すのが趣味ってだけだ」
「違います」
指を鳴らす音が、空気を裂く。
歪んだ観覧車が、逆さに回りだした。
「貴方は……孤独で、どうしようもなく飢えてるんです。
誰かに理解されたい。でも、されたら負けた気がする。
だから誰も信用しない。誰にも縋らない。
そうでしょう? レイス様」
沈黙が落ちる。
煙草の火だけが、揺らめく狂気を照らす。
「……だったらどうする」
メフィストはぱあっと目を輝かせ、喜々として手を叩いた。

「やっぱり仲間見つけちゃったっ♪」
レイスは鼻で笑った。
「勝手に決めんな。クソマジシャンが」
「まぁまぁ、照れなくていいんですよ♪」
メフィストはウキウキとした様子で肩に手を置く。
「どうです? 一緒に世界を壊して遊びませんか?」
その言葉に、レイスの目が僅かに鋭くなる。

「……悪ぃが、そっち側には行かねぇよ」
「ふふ、そう言うと思ってました。
でも私は、待ってますよ?」
どこまでも無邪気で、どこまでも残酷な笑顔で。
パレードの異形が再び咆哮を上げ、空間に悲鳴のような歪みが走る。
レイスは視線をそらし、地面を睨むように言った。
「マジで虚無だな、これ」

崩壊は加速していた。
逆さに回転する観覧車が、悲鳴のように軋んで崩れる。
空を駆けるジェットコースターは、宙を舞い、虹の残骸となって散った。
メリーゴーランドは、もはや原形を留めぬ影と化し。
その馬たちは影法師となって溶けていく。

その瞬間――破れたサーカステントの中から、二人が姿を現す。
灰色の煙を纏い、血塗れで微笑むレイスと、
飄々と帽子を弄ぶメフィストフェレス。
その前に、静かに立ち塞がる少女がいた。
光を反射し、虹のように揺らめく“構造色”の髪をなびかせた――メーデン。

「……っ!」
メフィストの目が歓喜で輝く。
「ああ、素晴らしい! イズミ博士が言われていた通りの色!
ついに、手に入る時が来たのですね♪」
「……てめぇ、まだ懲りてねぇのか」
レイスが煙草を潰しながら、鋭く睨む。

「あぁ……壊れない光が、こうして手に入るなんて……あぁ、感動的です♪」
陶酔したように両手を広げ、夢見るようにメフィストは語る。
その姿は“演者”というより、もはや“信仰者”だった。
メーデンは、一歩前に出た。

「ねぇ、貴方」
「ん? なんでしょう?」
その問いかけに、メーデンは真っ直ぐメフィストを見つめる。
「メフィストフェレスって、“光を愛さない者”って意味、でしょ?」
その瞬間、メフィストの笑顔が――ほんの一瞬、凍りついた。
「ふふふ……ファウスト博士は、改めて素晴らしいネーミングセンスだったと思いますよ」
メフィストは珍しく、“困ったような笑み”を浮かべた。
いつもの“演技”のような笑顔ではない。
どこか、痛みを孕んだ、“正体”の顔だった。

「私を的確に示しすぎている」
レイスが、肩越しに言う。
「……図星ってやつか」
「“光を愛さない者”……それが私です」
メフィストが、ただ静かに認めた。
だからこそ、“光”を求めた。
それは愛ではなく、執着でもなく、ただ――飢え。
メーデンは、その“空虚”を見抜いていた。
だからこそ、言い放つ。

「貴方のものにはならない」
そして、続ける。
「私は、ここを壊す。永遠じゃなく、終わりが来る夢にする」
遊園地の空が、深淵の闇に飲まれていく。
でも、その中で揺れる“構造色”だけが、唯一、輝いていた。
「……あぁ、やっぱり“光”って、面倒ですねぇ……」
メフィストが肩をすくめ、珍しく本音の混じった声音で呟く。
無邪気な仮面を外したような声。
壊すことも、壊されることもない者の、諦めにも似た“告白”。

「私も、貴方も、結局“壊れない”んです。だから、“光”は眩しすぎる」
儚げに笑い、首を傾げる。
その笑みは、どこか“希望を知っている者”の未練のようでもあった。
「やっぱり、ファウスト博士のネーミングは完璧ですねぇ」
レイスは目を細め、くぐもった笑みを浮かべながら煙草をふかす。
その目は、もうとっくに“虚無”の向こうを見ていた。

「結局、お前も“特等席”で眺めてるだけってわけか」
「だって、私にはどうしようもないんですもの」
まるで壊れた人形のような声音。
全てを諦めた者が、それでも笑おうとする声音。
「……でも、私は立ち止まらない」
メーデンが口を開いた瞬間、風が光を撫でた。
虹のように、希望のように、絶望のように――髪が揺れる。

「夢じゃなく、現実を見るために」
その言葉は、ドリーミア全体に響き渡った。
崩れかけた観覧車が軋み、崩れたメリーゴーランドが最後の旋回をやめる。
光が集まり、メーデンの髪がいよいよ強く、鮮やかに輝く。

「あぁ、いいですねぇ♪“光”は壊れないからこそ、愛されるんですね」
メフィストの表情には、恐怖も嫉妬も――どこか“憧憬”すら含まれていた。
レイスが、最後の煙を吐き捨てた。
「なら、その壊れない幻想ごと、ぶっ壊してやる」
メフィストが笑い声を上げる。
いつもの甘く狂った声ではない――本気の、演者としてのそれだ。
「さぁ、夢の終わりを見せていただきましょう」
夢は終わる。
幻想は破れる。
けれど――それは始まりでもある。
今、最後の演目が、幕を上げる。

崩壊する観覧車の鉄骨が軋む音と、逆巻く風。
破裂する照明、溶ける地面、血のような光。
ドリーミアはもう、遊園地の体を成していなかった。
そこに残ったのは“夢”の成れの果て――悪夢だ。

「……あぁんっ……もう」
ぐしゃ、と湿った音を立てて、メフィストが脇腹から何かを抜き取る。
赤く濡れたそれは、ティアが撃ち込んだ銀の弾丸。
さっきまでの戯けた笑みは消え失せ、代わりに渋い顔で眉をひそめていた。
「万全なら……こんな弾丸、指でつまめるのに……!」
脇腹に血を滲ませながら、それでも笑う。
それでも倒れない。
壊れない。

レイスもまた、額に汗を浮かべていた。
髪は乱れ、唇が乾き、息が荒い。
だが、拳を握る指はまだ震えていない。
「壊れねぇのは結構だが……いい加減、限界見せろよ」
「おや? 心配していただいて……?」
「うるせぇ……“虚無”にも限界はあるんだよ……!」
言葉と共に地面を蹴る。
レイスが疾風のごとく走り抜け、メフィストの懐に拳を叩き込もうとする。
メフィストはその拳をかわすが、動きに明らかな鈍りが見える。

「……フフ、流石に……魂、三つ目くらいから疲れますねぇ……!」
メーデンが後方から叫ぶ。
「やっぱり……メフィスト、魂食べて動いてる……!」
「えぇ、えぇ♪ 今この身体は、“継ぎ接ぎ”なんです。
……でもね、それでもレイス様だけは倒したくてっ……!」
笑う――その目は明らかに焦燥と熱狂を宿していた。
演者の顔だ。
死に場所を見つけた、舞台の中心に立つ者の顔。

「だからもっと、踊ってください!!レイス様ぁぁあああッ!!!」
レイスは、スッと煙草を取り出した。
着火しない。ただ咥えて、ひとこと。
「俺の舞台で、勝手に幕引くなよ」
拳が光を帯びる。
破壊の魔力、“外”の風がまた吹く。
――幕が、下りるまで。

メーデンの目がぎゅっと細められる。
崩壊したドリーミアの中、光がまだ彼女に宿っていた。
指先から編まれるように、光の糸が浮かび上がる。

「私が……やらなきゃ……!」
その言葉に、レイスがすっと前に手を出す。
「待て」
短く、それでも真剣な声。
「……あいつは“闇”ですらねぇ。“深淵”の穢れだ」
「え……?」
「血を浴びたらただじゃ済まねぇ。
お前の中の“人間”が、ひと噛みで壊れるぞ」
確かに、メフィストから流れる赤は“血”であって、“血”ではなかった。
腐食の気配、毒のような波動が風に乗って肌を刺す。

「だから……足止めだけでいい」
「――決めるのは、俺だ」
メーデンはわずかに目を見開いたあと、強く頷いた。
「……はいっ!」
伸びる“光”の糸。
それはまるで意思を持つように動き、メフィストの足元に絡みつく。
「えっ……これは……!? なにか、懐かしい……感触……っ」
光の縄は空中で瞬きながら、手足、胴、首元へと絡みついていく。
メフィストの動きが封じられ、ついに――停止する。

「こ、こんな演出、聞いてないですよ……!」
「悪ぃな」
レイスが懐から煙草を捨て、拳を握る。
「これは“ヒーローショー”じゃねぇ。“現実”だ」
拳に力が宿る。雷鳴のような唸りを上げて――
「これが、壊れない夢の――落とし前だッ!!」
その一撃がメフィストの顔面を正面から貫く。
骨が軋む音。世界が震える衝撃。
メフィストの身体が後方へ吹っ飛び、光の縄ごと深淵の闇に突き刺さる。

一瞬の沈黙。
そして、夜の遊園地に、ただ静かに風が吹いた。