ドリーミア編-踊る悪夢 - 2/3

「ねぇ、メーデンちゃん」
「貴女のご両親と、私は――約束しましたよ」
風の音が止まったように思えた。
ライトアップの光が、ほんの少しだけ赤みを増した気がする。
「……え?」
眉をひそめた彼女の視線の先で、メフィストはゆるやかに首を傾ける。
「貴女の命を繋ぎ止める代わりに――」
「16の誕生日に、魂を貰うと」
言葉が、急激に重たくなる。
空気が引き裂かれるような沈黙が広がった。

「……そんな……嘘、でしょ……?」
「おいおい、何の話だよ!? 魂って……!」
「……16の誕生日……魂を貰う……冗談じゃないだろうな」
メフィストは時計を巻く手を止めず、語り出す。
「イズミ夫妻の乗っていた飛行機は、不幸にもハイジャックされてしまいまして」
「軍事利用を目論んだ勢力による制圧、といった方が正しいでしょうか」
「でもまぁ、正直――私にはどうでもいいことなんですけど」
レイスが、ふいにメーデンに視線を向ける。
その瞳に、揺らぎはなかった。ただ淡々と――事実だけを確かめるように。

「嬢ちゃんって……コールドスリープしてたよな?」
メーデンは、目を見開いた。
一瞬、口を開きかけたが、喉の奥で言葉が詰まり――声にならなかった。
「ッ……」
その間に、メフィストがゆるやかに懐中時計を取り出す。
金属の光が、ライトアップされた夢の夜景に照らされ、鈍くきらめく。
メフィストは静かに、その蓋を開いた。
中の針は、ぴたりと――7:13を指したまま、止まっていた。

「光のお嬢様」
彼はゆっくりと、笑みを浮かべる。
まるでこれから最高のマジックを披露する直前のマジシャンのように。
「その飛行機――“どこ”に墜ちたと思います?」
光が、止まった。
音が、止まった。
風も虫の声も、遠くの観覧車の軋む音も――何もかも。

時計の針だけが、そこにある。
7時13分。時の墓標。
メーデンの足元が、ほんのわずかに揺らいだ気がした。

夜のドリーミア、最奥のイルミネーションステージ。
メフィストの懐中時計は7時13分で止まったまま、静かに音を刻んでいた。
その異様な沈黙の中で、彼はふと、ぽつりと呟く。
「私……“ファウスト”って人に、名前をつけて貰ったんです」
誰も、すぐに反応できなかった。
言葉の意味が、音としてではなく“重力”として場に落ちたからだ。

「とても愉快な御方でしたよ」
「知識を欲しがり、魂を差し出して、最後は天を仰いだ」
「けれど……魂は奪い損ねた」
彼は笑う。
とても楽しそうに、しかしその瞳は空のように赤く、底なしに黒かった。
「だから、今度こそ─逃がしはしないんです」
懐中時計の針を、指でコツリと叩いた。
懐中時計を構えるメフィストは微笑んでいた。
いつもと変わらぬ笑み。
けれど、その目だけは、違っていた。

メーデンは初めて、正面からメフィストの瞳を見た。
赤かった。確かに“赤”だった。
でもその色には――言語の枠が存在しなかった。
ティアが、微かに眉を寄せて呟いた。
「……やはりそうか」
「何が?」
「“赤”に見えてるだけで、脳がそう処理してるだけなんだよ」
レイスが静かに言葉を繋ぐ。

「本当は、“視認してはいけない色”なんだ……」
その瞳は、収束していく螺旋だった。
赤いというより、“赤という概念を模した何か”。
それ以上に―“赤であって赤ではない”
「おやぁ……お気づきになっちゃいましたか?」
「あれを“魔族の目”とは……呼べない」
「正体不明の高次生命体、あるいは……“この世界の外側”の住人だ」
「どおりで気持ち悪ィと思ったぜ」
メフィストは、舞台の中央で笑っていた。

「ほら、素敵でしょう?」
「“713”という飛行機が、こうして“永遠”に続く夢に変わったんです♪」
ティアが低く、静かに言った。
「墜落して死ぬはずだった者たちが……夢の中で生き続けている……か」

「イズミ夫妻は私に願ったんです。“娘を守って欲しい”と」
「だから私は、守っただけなんですよぉ?」
「……その結果がこれか」
「でもねぇ?」
突然、声のトーンが落ちる。
シルクハットの影の下で、笑みだけが鋭く歪む。

「願いを叶えたのは私ですけど――選んだのは“人間”なんですよ」
「……何が言いたい」
「ほら♪壊したいのは“貴方たち”でしょう?」
「私はただ、願いを守っているだけですもの♡」
冷たい夜風が、観覧車の光をかすかに揺らした。
この瞬間、メフィストが“加害者”ではないという論理の悪魔として君臨した。

メフィストの声が、園内に響き渡った。
「メーデン・パラケルス!!」
「今こそ――誓約を果たす時だ!!」
観覧車のライトが赤く染まり、メリーゴーランドは高速回転を始め。
パレードカーが狂ったように走り出す。
赤いネオンが爆ぜるように明滅し、夢の夜が地獄の照明に切り替わる。
レイスは即座に判断した。
「抱くぞ」
「え? きゃ――!?」
メーデンを抱え上げ、一気に駆け出す。
その背後でメフィストが走る。走る。笑いながら、飛ぶように。

「逃げないでくださいよぉ〜〜〜〜〜〜!!」
まるで遊園地のマスコット。
だけどその“笑顔”は明らかに殺意の形をしていた。
通路がひび割れる。ネオンが破裂する。
「ティア!ロコ!こっちだ!!」
「了解、後方確認……接近中、超高速!」
「ちょ、あいつ足速すぎだろぉおおお!!!」
メーデンはレイスの腕の中で、震えながらも声を搾り出す。

「レイスさん……あの人……」
「ああ、今の“あいつ”が本性だ」
「悪魔はな、律儀すぎんだよ。契約したら、死んでも逃がしやしねぇ」
「ならばどうする? 叩き潰すか?」
「……いや、踏み倒す」
「はぁ!?」とロコが叫ぶ。
「踏み倒すって、そんな簡単に言うなよ!」

「だから逃げてんだろ」
ネオンが砕け、パレードカーが爆音で交差する。
今、ドリーミアは夢ではない。
生きるためのステージだ。
メーデンがレイスの腕の中で目を閉じた、その瞬間。
突如として、記憶のノイズが走る。
それはまるで、脳裏に直接流れ込んでくる“ブラックボックス”の再生映像だった。

シートベルトの警告音。
燃えるような警告灯。
そして─母の声が震えていた。
「いい? 絶対ここから出ちゃだめよ……」
「大丈夫、パパもママも、すぐ戻ってくるから……」
でも、わかっていた。
幼いながらにも、確信していた。
きっともう、会えない。

なぜなら窓の外には、燃え上がるエンジンが見えていたから。
乗客の誰もが泣いていた。
大人も、子供も。
機内はまるで“夢の終わり”を迎えるような、絶望の沈黙に包まれていた。
その中で─自分の正面、ひとりの女の子が不安そうに覗き込んできた。

顔ははっきり覚えていない。
でも、小さな声は焼きついている。
「ねぇ……これ、ゆめ……?」
答えられなかった。
ただ、言葉が出なかった。
その間にも、両親は“誰か”と交信を続けていた。

“7時13分”
あの日、時が止まり。
“夢”に逃げ込んだ少女と“夢”に残されたもうひとりの少女。
ドリーミアの始まりだった。

「足はえぇな、アイツ……昼間は手ぇ抜いてやがったか」
メーデンを片腕に抱え、通路を疾走するレイスは苦い声で呟いた。
普段なら、とっくに振り切れていた。
だが、今は違う―背中を預けて走る仲間たち。
腕の中には震える少女。
「俺ひとりじゃねぇ」
その実感が、何よりも足を鈍らせる。

「クソが……!」
ふと横目に飛び込んできたのは、古びた水道管。
レイスは一瞬だけ微笑んだ。
「……弁償はしねぇからな」
そう呟くや否や、脚が閃光のように走る――!

ローキックが水道管をぶち抜いた。
次の瞬間、床一面に水がぶちまけられる!
「あれっ……? 水、あぁっ!?」
異様な動きで疾走していたはずのメフィストが、滑った!
コテンと派手に転倒する。
「いた〜い……」
と、わざとらしく痛がるその姿に誰も騙されない。

レイスが即座に叫ぶ。
「今だ、行け!!」
ティアとロコが咄嗟にメーデンを受け取り、全員が非常階段へと走り出す。
だが─その“転倒した悪魔”の目が、明らかに変わっていた。
赤い、赤すぎる、もはや“光”すら呑み込むほどの紅。
「逃さない……」
それは“ウザ絡み”のメフィストとは明らかに別物。
人ではなく、悪魔ですらなく――何か得体の知れぬ“契約そのもの”のような声。
直後――唯一の出入り口である非常用ゲートが、背後から自動で閉まる。

ドリーミアの意思か、契約の縛りか。
いずれにせよ彼女たちは“逃げ場を失った”のだ。
「ヤベェレイス! 逃げられねぇって、ここ袋小路だぞ!?」
「だから言ったろ、踏み倒すって。ほら、サーカステントだ」
「そこに誘い込むか。……命がけの賭けだな」
「派手な演出があれば、こっちのもんだ。あいつは“夢”に縛られてる」
言うなり、レイスはテントの開口部へとメーデンを抱えながら突っ込んだ。
サーカスの中は無人。
だが照明は煌々と灯り、操り人形のようなピエロたちが天井から吊るされている。

「……ここは俺に任せとけ」
ティアが直感的に意図を察し、ロコとメーデンを抱えて裏口を探す。
「……任せろ、か。定番の死亡フラグだな」
「オイ、戻るぞレイス! お前死ぬぞ!?」
レイスはにやりと笑った。すでに視線の先には、ひときわ大きなサーカステント。
その入り口が、舞台の幕のように風に揺れている。

「大丈夫だ。俺は――もう“死に慣れてる”」
ぽつりと、信じられないような言葉を吐いた。
「一回死んでチャラにできるなら、死亡フラグなんざ軽いもんよ」
背後でティアとロコが一瞬、言葉を失う。
最早死に慣れている。
冗談にしては淡々としていて、冗談にしてはリアルすぎる。
だがレイスはそれ以上何も言わず、ただサーカステントへと足を踏み入れた。
まるで――すでに何度もそこから生還してきた者のように。

「……なあティア」
「……ああ。たまに思うんだ、あいつの“無敵感”は……経験から来てるんじゃないかってな」
「え……レイスさん、死んだことが……?」
ティアは黙って首を振った。
だがそれは「違う」という否定ではなく。
「語ることすらできない」という、答えの重みの証明だった。