その日の夜、眠り込んでいたガイウスだったが目が冴えて起きてしまった。
青白い月の中、その瞳は差し込む光と同じ水色に輝く。
「……起きちまった」
ガイウスの瞳が「水色」になることは、滅多にない。
それは彼が深い哀しみに沈んだときにだけ見られる色だ。
普段の彼は、陽気で、軽口を叩き、誰よりも笑う。
だがその笑顔の裏には、何層もの色を隠している。
怒りは紅、誇りは金、混迷は紫。
そして――哀しみだけが、透きとおる水のように澄んでしまう。
本人は気づかないようによそっている。
けれどその瞳の奥では、澄んだ色がすべてを語っていた。
シェンタオで再会したマルスの眼差し。
かつての静かな炎は影を潜め、焦燥と歪んだ理想に濁っていた。
その事実を、誰よりも痛く感じ取っていたのは他ならぬガイウス自身だ。
――いまの自分では、あの炎を止められない。
その無力感が、彼の瞳を水の色に染めていた。
誰もがその瞳を美しいと言った。
だが、それは彼が一番見られたくない色だった
階段を降りるとちょうど交代に来た宿番の夜魔が気付いたように声を上げる。
「お客さん、電話。ガイウスって人呼んでるて」
「……こんな深夜に?誰だよ全く」
宿番に急かされ、ガイウスは受話器を取る。
「はい」
『あ、もしもし?僕だよ』
「……誰だよ」
いきなり馴れ馴れしく喋りかけられ、思わずそう返すと電話の向こうで笑う声がした。
『メルクリウスだよ、忘れた?』
「!」
その一言に、一気に眠気が覚めた。
メルクリウス-忘れるわけがない名前だ。
一年前共に魔王軍と戦い、そして瓦解した仲間の一人である。
「お前……」
『パーティー解散して以来だね、なかなか連絡出来なくて悪かった』
「いや、別に気にしてねぇよ。しかしメルクリウスか」
『うん……ガイウス君、会いたいんだけど時間ある』
「俺に?」
ガイウスは訝しげに尋ねるが、メルクリウスは神妙な声で続ける。
『サタヌスもヴィヌスも会いたいそうだよ?また四人で旅しよう、雲隠れした六将もすぐ見つけられる』
「……」
『それに今の仲間たち、君とレベルが釣り合っていないんだろ?』
「!」
メルクリウスは、ガイウスが今仲間と旅をしていることを知らない。
だがその口調からして全て見透かされているような、そんな気がした。
『君、大龍祭で何かするつもりだね?でも……今の仲間たちじゃ無理だ』
「!お前……」
『だから僕やサタヌスたちと一緒にやろうよ、六将討伐を』
違う。何がそうか分からないが-違う!
今受話器越しに話しかけて来る声はメルクリウスじゃない。
いや確かにあの腹黒メガネの声だが、こんな深夜までアイツは起きていないし。
新しい仲間が出来たと知っても「僕達より弱い」なんて言わない。
「お前本当にメルクリウスか?」
『ふふふ……メルクリウスだよ?どうしたんだい』
「違う。あいつ早く寝るからこんな時間まで起きてない、お前は誰だ?」
ガイウスの一言に、メルクリウスは押し黙る。そしてしばらく沈黙が続いた後-。
『どうしてそんな雑魚なんかとつるんでるんですか?』
数秒後聞こえたのは先ほどのメルクリウスと同じと思えないほど低く、そして冷淡な声だった。
『あんなへなちょこどもとつるんで何が出来るんですか』
-この声、聞き覚えがある!
「プルト!!そうだな……アサシンなら声真似も出来るか」
『お前が陛下を討ち魔王軍という組織は消滅した。
しかし私は感謝していますよ、あの組織嫌いでしたから』
「勝手なこと言いやがる」
『まぁいい、お前はもう必要ない。直に大陸を炎が包む、シェンタオの比でない炎だ。
そうなればお前でも収束は出来ない』
「っ……!」
『せいぜい仲間ごっこ、楽しまれてください』
小さく、息を漏らすような笑い声の後電話は切れた。
「……そりゃ生きてるよな、あの陰湿女が野垂れ死ぬわけない」
プルトはアサシンの長という顔が強く、魔王軍への愛着はさほどでなかった。
しかしそれはあくまで『組織』への愛着であり、『個人』にはある。
大方ユピテルを殺されてしまった恨み節を言いに来たという魂胆だろう。
「俺への当てつけか。相変わらずの性悪女だな」
「お客さん、誰からだった?」
「知り合いだよ。元気そうだったぜ」
ガイウスは電話番の夜魔にそう答えると、そのまま部屋に戻ったのだった。
——
フーロン首都「パーダオ」
深紅の城に、それを龍のように取り巻く鮮やかな建物たち。
この国の統治者である皇(すめらぎ)が住まう城では兵士の訓練が行われていたのだが。
突然現れた人物によって中断されることになる。
その人物とは黒髪に切れ長の目をした美青年で、彼を見るや兵士は一斉に敬礼する。
「こ、これは皇(すめらぎ)様!」
「楽にせよ、訓練を続けてくれ」
「はっ!」
兵士が去ると同時に青年が歩き出すと、兵士たちは慌てて整列し再び訓練を始めた。
青年はその様子を一瞥すると城の中に入っていく。
しばらく廊下を歩き、とある部屋の前で立ち止まると。
そのドアをノックした。中から返事が聞こえた。
「はい」
「マルス、入ってよいか」
「ええ、どうぞ」
ドアを開けるとマルスが座っていた椅子から立ち上がる。
マルスの方が1回り程背が高いので、目線を合わせるよう猫背気味に歩いてくる。
「近々、アルキード王国に攻めこむと言う話はどうなりましたか?」
「ああ、順調に進んでおる。他ならぬお前の進言であるからな……ただ」
「なんでしょう?」
「麒麟が現れたと聞く」
「麒麟が!?」
-麒麟。
このフーロンでもっとも神聖なものと言われる霊獣である。
大変徳高きものとされ滅多にお目にかかれるものではない。
しかしその存在を知らぬ者はこの国にはおらず、皆敬っている。
その麒麟が姿を現すときは英雄が訪れる時と言われており、民衆はみな歓喜しているという。
「麒麟は神の御意志が姿を変えたもの。この祝賀の空気を壊したくはない」
(聞いておらんぞ……アルキードを侵略させる計画だったというのにぃ……!)
内心焦るマルスだったが、表面上はあくまで冷静だ。
だが頭の中では焦りまくっていた、何せ麒麟は神の化身。
六将とは言え魔族ごときがどうにかできる存在ではないからだ。
だが意地がある、そう簡単に計画を諦めるわけにはいかないのだ。
幸い今は好機、ならばやることは決まっている。
「麒麟は救国の英雄の到来に現れるのですよね?ならば尚更にございます!」
「ふむ。申してみよ、アルキードは小国、滅ぼさねばならぬ理由を」
「えぇ、アルキード王国は勇者信仰のメッカ、しかし私は知っております。
勇者など名ばかりのクズ揃い。そのくせ実力は鳴り物入りという厄介者なのです」
「……続けろ」
「溜まった借金を返済しないどころか、戦乱のドサクサで踏み倒す(※事実)
デリンクォーラでは王子(ユピテル)に斬りかかり狼藉騒動を起こす(※半分事実)
魔王軍相手だと「戦功扱いになる」と思っている節があり(※事実)
「領収書?燃えた」などと意味不明な供述(※悪びれなし)
……たしかに彼らは魔王を討ちました、しかしそれ以上にあの国は問題がありすぎます」
「……それで?」
「そのような者達が『世界を救う』なんて戯言抜かして旅立っても、世界は救われませんよね?
ですから考えたんですよ……あんな腐った国は滅ぼしてしまうべきだと!どう思われますか?」
天狐皇は思案する時の癖である、顎を擦りながらマルスを見つめる。
その目でマルスは手ごたえがあったと感じ取った。
彼は表情の変化に乏しい、代わりにその目で感情をよく表す。
そして、彼は今-迷っている。もう一押しだ。
「それにアルキード王国にはあの災厄と言われる『虹瞳』が現れたとか」
「虹……確かによくないな」
「ええ。このフーロンにおいて虹は凶事の証、これは天の怒りに違いありません」
「……」
虹は吉兆と言われることが多いが、このフーロン皇国では意味合いが異なる。
この国では虹は大蛇と見做され、人の世を乱すものとされている。
そして虹の瞳を持つ者は、その身に神を宿すと言われているのだ。
「あの国は救ってはなりません、滅ぼし、新たな国を建国するのです!それこそが天の意志!」
「……ふむ。マルスよ、今すぐはやめておこう。
民は来る大龍祭に沸いておる、 今攻めれば国は大いに乱れるであろう」
「ええ。僭越ながらこの私も大龍祭を心待ちにしております。
武闘演舞には国中の戦士が集います、その時が好機でございましょう」
「よし。余も楽しみにしておるぞ?」
「……はい」
天狐皇はそう言い残すと部屋を出ていった。
その背中をマルスはじっと見つめ、上手く行ったぞと笑みを浮かべた。
炎が見える。その炎はアルキード王国を包み-やがては大陸を呑み込むだろう。
大龍祭は民衆が楽しむ最大のイベント、その日こそ決行の日だ。
「……私は歴史に名を刻むのだ。勇者を殺した唯一の男として」
そう独り言を呟くと、マルスはまた机に向かう。
二人が立ち去ったあと、其処を小高い丘から獣が見下ろしていた。
馬と龍を合わせたような不思議な獣-麒麟は哀しそうに目を伏せた。