メキア編-星の子 - 2/5

砂漠の夕焼けは、どこか血のような赤だった。
太陽は低く、砂の地面さえも染め上げるほどの深い色。
風が静かに吹くたび、砂粒が空を泳いでいる。
「ほんっと……こんなとこ住む神経、理解できないわ」
ヴィヌスがブーツのつま先で砂を払いながら、ぶつぶつと呟いた。
「またか……」
「先生、本日の文句テーマは?」
サタヌスが振り返らずに、ニヤニヤとした口調で返す。
ヴィヌスは無言で砂を蹴りながら、ブーツに砂が入ったのか舌打ちする。
「さっきは寒いって言ってたのに、今は砂が目に入るのよ!」
「風のせいじゃんそれ」
「風が吹く設計が悪いの、この世界が!」
「……わがままな姫様だな」
ガイウスが呆れたように言い、サタヌスは吹き出した。
三人はそんな会話を交わしながら、赤い砂の中を進んでいく。
空には鳥の影すらなく、地平線だけがひたすら遠い。
それでも、どこか穏やかだった。
悲劇がまだ“笑い声の隙間”に忍び寄っていることに、誰も気づいていないかのように。

オアシスの影が地平線に見えてきて。
陽が西へ傾き、世界に夜の帳が降り出した頃だった。
「なに……あれは……?」
ヴィヌスが息を飲む。
そこにいたのは、人間のようで人間でない、異様なフォルムの”兵士”たちだった。
四肢は異様に長く、背骨が曲がり、まるで4つん這いで動くために作り変えられた人間のようだ。
皮膚はまだ人間のそれを残しているが、ところどころに黒い鱗やヒビ割れた角質が浮いている。
その口元からは、泡混じりの白濁したヨダレがボタボタと垂れていた。
狂犬病患者のような眼光が、勇者たちをロックオンする。

「……ケモノ、じゃない。人間よ、これ……」
次の瞬間、強化兵の一体が異常な速度で突っ込んできた。
地を4つ足で駆け、まるで砂漠を泳ぐサソリのような動き。
しかも、目の前で急停止して唸ったかと思えば、自分の肩の肉を噛み千切って見せた。
「——ッ!!」
ヴィヌスが一瞬たじろぐ。
強化兵は、痛みという概念を持っていない。
それはまさに、”自分という存在”を捨ててしまった兵士。
サタヌスの背に、氷のような冷たい何かが走った。

一体が、砂を這いながらこちらへ近づいてくる。
背を丸め、指先で地面をかき、唸り声のような音を漏らして─。
それはもう、人間の歩き方じゃなかった。
だけど、その目にだけは。
自分と、まったく同じ同心円が刻まれていた。
「……うそ、だろ」
サタヌスの声が、かすれた。
それは、かつて人間だったものの、終点だ。

(こいつ……俺と同じ──)
サタヌスの思考が、ぐらりと傾いた。
目の前にいる強化兵の瞳。
そこに映る同心円が、まるで鏡のようにこちらを見返してくる。
心臓が、ドクンと跳ねる。
手のひらが汗ばみ、足が砂をとらえ損ねる。
呼吸の音が耳に響き、何も聞こえなくなる。

「──サタヌス!!」
頬に衝撃が走った。
瞬間、視界が揺れて、強化兵の姿が引いた。
見ると、ガイウスが目の前にいた。
左手で剣を構えたまま、右の拳をこちらに向けている。

「……動け。死ぬぞ」
声は低く、静かだった。でも確かに、そこにあった。
サタヌスは一度、深く息を吸って──。
「……わりぃ」
その一言だけ残して、足を前に出した。

「ねぇリーダー」
「……ああ」
「思ったより数、多いわ」
ヴィヌスが言う通り、四方を強化兵の群れに囲まれた。
さてどうする?と何処か冷静に周囲を見回していた、そのとき—。
突然、隊列の奥からゆっくりと歩いてくる人影があった。
背筋を伸ばし、真新しい赤ベレー帽 を被った悪魔の男。
強化兵たちとは明らかに違う、ただならぬ気配 を纏っている。
男は前に出ると、 ぴしっと片手を額に添えて敬礼した。

「お初にお目にかかりますぅ!メキア駐屯地・軍曹、ティータでありますぅ!!」
そのわざとらしい軍人口調に、ヴィヌスが思わず眉をひそめた。
「……なにその変なテンション、なんかムカつくわ」
ガイウスも剣を構えながら低く唸る。

サタヌスはティータを真っ直ぐ睨みつけて言い放つ。
「おい、てめぇがティータ軍曹か?」
「新入りっぽいのが、昼の砂漠で暑さで死んでたぜた」
ティータは片眉を上げ、鼻で笑う。
「あぁ? 俺のせいって言いたいのか?」
「ここはなぁ、下手すりゃ火山より暑いんだよ。適応できないやつはあぁなる」
「昼に砂漠を歩くやつなんかいねぇ。あんなもん、死にに行くようなもんだ」
砂漠の真昼、影は短く、空気そのものが歪む。
地面からの照り返しは容赦なく、皮膚を焼くような熱がまとわりつく。
勇者ズでさえも、あの環境を歩くのは命懸けだった。
ティータは葉巻を噛みながら、赤い砂の上で一歩前に出る。

「それにしても、勇者サマは偉そうにしてるわりに、ずいぶんと人間的じゃねぇか」
「弱者の死に同情するあたり、あの副総帥と違ってまだ“甘ぇ”な」
サタヌスの目が鋭く光る。
「……てめぇ、ユピテルの部下か」
「正解。ま、可愛がられてんのか、利用されてんのかは知らねぇけどな」
ティータは肩をすくめ、煙を吐いた。
その表情は不敵で、だがどこか影があった。
砂漠の熱気のせいか、それとも過去の記憶のせいか、誰にもわからなかった。

「色黒のガキってのはお前か、副総帥から名指しで呼ばれたぜ」
「っ……!」
「光栄だな? お前を倒せばようやく、俺も出世できんじゃねかな~~~」
サタヌスの拳がわずかに震えた。
ティータの言葉も態度もふざけている。
でも、その奥にある 狂気の気配だけは、冗談じゃ済まされないものだった。
ティータはへらへらとした笑みを浮かべたまま、片手を口に当てる仕草で上品ぶって見せる。

ヴィヌスもイラついたように矢を番えた。
「……こいつ、わざと煽ってるわね」
「おやおや〜? ヒリついてますねぇ? じゃあ……そろそろ、始めちゃいますかぁ?」
ティータは ぴしっと軍隊式の号令ポーズを取った。

「強化兵ども!! 目の前の勇者サマたちに、メキア式のご挨拶をぉ!!」
強化兵たちが、地面を這うように低く、唸るような声で吠えた。
その瞬間—ティータの顔が、 にたりと歪む。
「……あー、やっぱやってらんねぇわ。礼儀正しいのも性に合わねぇ……」
口調が、一変する。
声が低く、重くなり、吐き捨てるように。
「——行け、ケダモノども!!勇者もろともメキアの砂になりやがれぇ!!」
その咆哮と同時に、強化兵たちが咆えながら突進してくる。
サタヌスの目の前に、ヨダレを垂らした異形の兵士が跳びかかる。

「ちっ、始まりやがったか!」
「来るわよ、こいつら、普通の兵じゃない……!!」
ティータはその様子を後ろで見ながら、 楽しそうに笑っていた。
「さぁさぁ勇者サマぁ、俺の可愛い実験作たちで……どこまで耐えられるかなぁ?」
強化兵の群れの中、剣戟が響く。

「魔王軍ってユピテルもだけど、一発芸やらなきゃ死ぬの?」
ティータは愉快そうに肩をすくめる。
「へぇ、副総帥に会われたか」
「副総帥に出会って生きてる手当たり、今までの勇者と違うなお前ら?」

ティータは真っ赤な砂漠の岩の上で、足を開いて仁王立ち。
口元の葉巻からは薄い煙がのぼり、顔にはニヤリとした笑み。
上半身だけやけに真面目な敬礼——いや、“絶対に敬ってない敬礼”をしてみせる。
「ほら、敬礼してやるよ。敬礼」
ヴィヌスは腰に手を当て、微笑みながら毒を刺す。
「どっちかに統一して♡」
ティータはへらっと笑って。
「悪ぃな、芸風がブレんのが俺たちの伝統なんでね」と返す。
――魔王軍、やっぱりただの悪役集団じゃない。
どこか“舞台”を意識したような、この異様なユーモア。
砂漠の夕日を背に、不敵な敬礼が影を伸ばす。

強化兵は次々と湧いてくる。倒しても倒しても、また砂の中から姿を現す。
「きりがないわね……一撃でまとめてぶっ飛ばせないの?」
ヴィヌスが苛立ち混じりに斧を構えるサタヌスに目を向ける。
「おい、チビ」
ガイウスが低く言った。
「力には自信あるだろ?」
サタヌスはニヤリと笑った。
「任せろよ。……ついでに、あの眼帯オヤジごとぶっ飛ばしてやるわ」
岩陰から様子をうかがっていたティータの眉がピクリと動いた。

「おい!?眼帯はまだしも“オヤジ”って聞こえたぞコラ!!」
叫ぶ声も虚しく、サタヌスが足を踏み出す。
その構え。
腰を沈め、斧を両手で抱え、重心を溜め込むあの姿。
──似ていた、あまりにも。

冗談だろ。こんなところまで似てやがるのか。
斧が風を切った。
振り抜いた瞬間、砂が爆ぜ、強化兵たちがまとめて吹き飛んだ。
風圧と衝撃波が辺りを一掃し、砂煙の向こうでサタヌスが立っていた。
静かに、呼吸を整えながら。

(……やばいな)
ティータは唇を噛んだ。
(あの目。あの構え。あの力──これ以上見てたら、俺の中の“何か”が崩れる)
撤退だ。
戦術でも、判断でもない。ただの感情回避。
「─強化兵、回収。撤収するぞォ!!」
ティータは怒鳴りながら踵を返す。
部下が混乱する中、彼の足取りだけがやけに速かった。
背後で砂を砕く風の音が、しばらく耳から離れなかった。

強化兵の群れが退いたあと、残されたのは静寂と、風に舞う砂。
ティータの姿は、もう見えない。
砂煙の向こうに消えていった彼を、サタヌスはしばらく呆然と見つめていた。

「……行っちまったか」
剣を収めながら、ガイウスがぽつりと呟く。
「逃げられたじゃないか」
その言葉に、サタヌスの肩がビクッと跳ねた。
「……っ、あ……わ、悪ぃ……」
彼は反射的に、頭の後ろを両手で覆った。
まるで、次の瞬間に拳が飛んでくるとでも思っているかのように。

ガイウスとヴィヌスは、動けなくなった。
何かを言うよりも、「それが当たり前だったんだ」と理解してしまった。
「……怒ってねぇよ、誰も」
ガイウスの声は、珍しく優しかった。
「えっ……あ、いや、そうか……」
サタヌスはぎこちなく手を下ろし、わざとらしく笑った。
「なんかクセでさ、スラムじゃ怒られると……まあ、反射的に」
言いながら、笑みが少し震えていた。
ヴィヌスは黙ってサタヌスの腕を引っ張り、包帯を巻き直す。
いつものように軽口を叩くでもなく、ただ静かに。

「……頭、殴られるのが日常だったのね」
それは問いではなく、確認する必要すらない事実だった。
「……まあ、あん時ゃ怒鳴るより先にゲンコだったしな」
サタヌスは照れ隠しのように笑ったが、誰も笑わなかった。
風が吹き、また砂が舞った。

「ここじゃ、あんたを怒鳴りつける大人はいない。……私以外はね」
そう言って、ようやくいつもの皮肉混じりの笑顔を見せた。
サタヌスも、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。