メキア編-星の子 - 3/5

砂漠を抜け、オアシスが見え始めたころには、空はすっかり夜の顔に変わっていた。
頭上にはぽつぽつと星が灯り始め、地平線の向こうだけがかろうじて赤く染まっている。

「ねぇ、ほんと寒いんだけど!?ねぇ!?」
ヴィヌスの声がいつにも増して甲高い。
「昼と夜の温度差がでかいからって、これはさすがに犯罪級よ!?」
「砂漠を訴えるわよ!どこに!?」
「……先生、本日の文句テーマは“宇宙訴訟”でございます」
サタヌスがマフラーを巻き直しながらぼやく。
「わがまま姫様、再臨だな」
ガイウスがため息とともにマントを広げる。
「その反応慣れすぎてるのよ!?初回みたいなフレッシュな驚き返して!」
風がひゅう、と砂を滑らせて流れていく。
赤い空は、いつの間にか群青に呑まれていた。

オアシスの静けさに、風の音だけがささやくように吹き抜けていた。
ヤシの木の影は水面に長く伸び、空には満天の星。
「ねぇ……来たはいいけど、私たちどうやって帰るの?道なんか覚えてないんだけど」
ヴィヌスが水辺で腕を組んだまま、ぶつぶつと呟いた。
「サハ・メキアって一本道じゃないの?」
サタヌスが適当なことを言いながらマフラーを直す。
「星を見ればいい」
ガイウスがぽつりと言い、指を空へ向けた。
「動かない星」――それは通称「ポラリス」、天の北極星。
季節ごとに星座が巡る夜空の中で、“唯一”ほぼ動かない星。

天文学では、この星を中心に天が回っているように見えることから、
極めて重要な“基準”とされている。
「無神論者の冒険者ですら、この星だけは信じている」
とまで言われる存在だ。
旅人や船乗り、砂漠の民にとっては――迷った時、必ず“帰るための星”。
果てしない旅路の「拠り所」として夜空に輝き続けている。

「……あれって、ずっと動かねぇんだよな。空の真ん中で」
「船乗りも冒険者も、あの星だけは信じてるらしい」
「珍しく、信じていい気がしてきたわ。星くらいなら裏切らないでしょ?」
北極星を目印に、三人はオアシスの外れを歩いていた。
遠くにかすかに灯りが見える。賢者の住む家だ。

砂は一気に冷えて、足元から体温を奪っていく。
水気を含んだ夜風が、マントの隙間から忍び込んできた。
「やっべ……夜の砂漠、マジで寒い……」
サタヌスがマフラーをきゅっと巻き直しながら肩をすくめる。
「ほら!ついにメキア人まで寒がり出したわよ!」
ヴィヌスが嬉々として指差す。

「ちげぇっつってんだろ!!だから現地人じゃねぇっつの!」
サタヌスの声が、砂に吸い込まれるように空へ響いた。
「……うるさいと、星の声が聞こえない」
ガイウスがぼそりと呟くと、二人は一瞬だけ黙り込む。
そのあと、何故か三人とも、同時にくすっと笑った。

夜のオアシス、星が水面に映る中。
ガイウスはバザールで買った「星見のランタン」をそっと掲げる。
サタヌスは覗き込んで眉をひそめる。
「なんだこれ? 消えかけのろうそくか? 全然明るくねぇじゃん」
ガイウスは苦笑しながら、ランタンの芯を指先で調整する。
「いや、これは“ゆっくり燃やす”から、とにかく長持ちするらしい。
バザールの親父いわく“天文学者とロマンチストに大人気”だってさ。星の光を邪魔しないんだと」

ヴィヌスも腕を組んで冷ややかに見やる。
「そりゃ天文学者が気に入るわけだわ……全然仕事する気ないランタンね」
「でも、あんた意外と似合ってるわよ?」
ガイウスは少し照れたようにランタンを振る。
「まぶしいのは苦手なんだ。……これくらいの灯りで、充分だろ」
サタヌスは「オレも夜目はきくし、案外こういうのも悪くないか」と苦笑し。
三人は星明かりとほのかなランタンの下、静かにオアシスの夜を歩き続けた。

——-

オリオンの家はすぐ見つかった。
入り口は扉じゃなく布が垂れており、人を拒むでもなく、招くでもない空気。
ランプの光がもれているが、音はしない。
不思議な家だった。
(この先に居る)
確かな気配を感じ、3人はほぼ同時に布を潜った。

「来よったか、星の子よ」
見た目だけなら、どこにでもいる旅の男に見えた。
だがそのまなざしだけは、千年を超えて積もった砂のように、静かに重かった。
肌は深く焼け、白い布を頭に巻いていた。
金の髪は、陽の下でくすんだ砂金のように光を受けている。
「……あんたが、賢者オリオンかよ」
サタヌスが半信半疑にぼやいた。
男は、静かに笑った。
若い顔のくせに、“何もかも知っている目”で。
その顔が少しムカついて、語気が荒れた。

サタヌスが身を乗り出して詰め寄る。
「なあじいさん、ティータってヤツの正体、わかるか?」
オリオンは頷き、ゆっくりと水晶玉に手をかざすと—。
水晶の中に砂嵐のような映像が浮かび、途切れ途切れにティータの姿が映し出された。

「……なんだこれ、めっちゃ映像荒れてんだけど?」
「そうだな。この水晶、最新型じゃないのでな」
「テレビかよ!!」
サタヌスが水晶を睨みつけながら、思わず叫んだ。
「いやもう……なんなんだよコレ。古いテレビかよ!買い替えろよ!」
オリオンは軽く肩をすくめる。

「買い替えたい気は山々だがな。どうにも薄型は落ち着かんのだよ」
「─今どきの水晶玉って、薄いのね……」
ヴィヌスがぽつりと呟いた。
「おまえら神秘台無しだぞ!?」
サタヌスが両手で頭を抱える。
どうも本当に古い水晶玉らしい、映像はノイズが酷く殆ど見えない。
しばしの静けさが流れ、重たい空気を誤魔化すようにヴィヌスが口を開く。

「……で、なんでアンタ、エルフのくせに砂漠なんかに住んでるのよ。
ハイエルフって一生森から出ないんじゃないの?」
オリオンは肩をすくめて、器用にターバンを整える。
「よく言われる。“エルフは森から出ぬ神秘の種族”だと。だがな──」
彼はちらとヴィヌスの顔を見て、くすりと笑った。
「……おぬし、ダークエルフの血が入っとるな?」
「えっ?」
ヴィヌスが素っ頓狂な声を上げる。
「私まだ何も言ってな─」
「お前の親がそうだったように、馴染めぬものは馴染めぬのだ」
オリオンはそれだけ言って、火鉢の炭を静かに突いた。

「……アンタ、それで普段どんな相談受けてるわけ?」
オリオンは長く生きた風格を漂わせながら、 妙に誇らしげな顔で答える。
「そうだな……たとえば、皿の油汚れを水なしで落とす術などだ」
「おじいちゃんの知恵袋かよッ!!」
ガイウスも流石に耐えきれず、苦笑する。
「なんだよ。生活便利術の魔法使いか?」
「侮るなよ、”水なし皿洗い”の術は高等魔法の応用だぞ?」
「いらねぇよそんな魔法!!」
そんなしょーもない駄弁りをしている最中。
ついにノイズが消え映像の再生が再開された。
サタヌスはそれを視界にとらえるや、食いつくように見詰め出す。

水晶の中に、映像が浮かぶ。
赤く染まった娼館の一室。
香炉の横を、ヴィヌスの目が鋭く捉える。
「……アルルカン旧市街の娼館ね。この模様、間違いないわ」
「……ってことは、これ……」
サタヌスが映像に映る若いレアへ目を向けた瞬間だった。
ドアが、蹴り破られるように開いた。
鍵も、ノブも吹き飛び、木片が床を転がる。

「……誰?」
レアが呟くように言ったが、返事はなかった。
帽子を目深にかぶった男が、笑っているのだけが映っていた。
「へぇ……逃げるヒマもなかったか」
サタヌスの表情が変わった。
怒りとも困惑ともつかない、ひび割れそうな静寂の顔。
男は何も言わず、レアに近づく。
カメラのアングルは傾き、やがて香炉が倒れ、視界の隅に映るレアの拳が握られる。

——サタヌスが小さく、息を吸った。
喉が震えた。
「ッ゙……!」
声にならない、叫び。
それだけを残し、サタヌスは駆け出すように水晶の部屋から飛び出していった。
ドアが、バン! と音を立てて閉まる。

静かになった部屋。
残されたのは、ガイウスとヴィヌス。
そして、まだ再生が続いていた水晶。
男の服が乱れ、床にベルトが落ちる音が響いた。
レアの目は、ただ真上の天井を見ていた。

「……もう、やめなさい」
ヴィヌスの声が、低く、震えていた。
ガイウスが無言で手をかざし、映像が消える。
しばらく、誰も何も言わなかった。
ガイウスは、視線を落としたまま口を開く。

「……あいつ、自分の存在を“これ”で知るなんて、残酷すぎないか」
ヴィヌスもまた、ゆっくりと水晶を見つめる。
「サタヌスの誕生は……救いなんかじゃなかった。始まりから、暴力と絶望の象徴だったのよ」
—そして、それを受け止めてしまったサタヌスは。

サタヌスが飛び出してから、火鉢の炭の音だけが室内に残った。
ヴィヌスは腕を組んだまま、黙って立っている。
ガイウスは何も言わず、火を見つめていた。
どちらも、追わなかった。
そして──それが最も信頼のある選択肢だということも、分かっていた。

「泣くことも、間違いではない」
オリオンが静かに言った。
「選んだのは彼自身だよ。私は目の前に水を差し出しただけだ」
オリオンは、まるでその水が熱すぎたとも、冷たすぎたとも言わなかった。
沈黙がまた落ちる。
それからガイウスが口を開く。

「……本題に入ってもいいか」
「もちろん」
「“4人目”の勇者。俺たちはそいつを探してる」
「だが砂漠では見つけられなかった」
オリオンは小さく笑った。
「砂漠に来るのは見当違いもいいところだぞ。4人目は─アンスロポス連合におる」
「……聖王国」
ガイウスがぽつりと呟いた。
「じゃあ4人目は、神官様か、聖女様か……」
ヴィヌスが皮肉を込めて口角を上げる。

「あるいは、もっとタチの悪い何かかもしれんな」
火鉢がまたパチ、と鳴った。
夜の静けさが重くのしかかる中で。
彼らはまだ戻らない仲間の席を空けたまま、次の運命を見据えていた。

火鉢の炭が、もう一度パチ、と音を立てた。
沈黙の中、オリオンはぼんやりとそれを見つめていた。
「この千年、実にいろんな親子を見てきたよ」
誰に向けたでもなく、ただそこにいた空気に溶けるような声で、彼は言った。
「幼い子が泣いて縋るのに、父親は剣を振り下ろしたこともある」
「母を守るために、子が魔族になった話もあった」
「親に捨てられ、拾われた先で英雄になった子供もおる」
言葉は、どれも具体性がなかった。
けれど、それがかえって現実味を増していた。

「─正しさなど、最初からないのだよ。あるのは選んだ道と、戻れない過去だけだ」
ヴィヌスは黙っていた。
ガイウスもまた、顔を伏せたまま、何も言わなかった。

それでよかった。
この場に言葉はもういらない。
オリオンの声は、火の温もりのように、ただ静かに空間を満たしていた。
炭の火は、さっきまでよりも幾分穏やかに燃えていた。
ガイウスは、火鉢をぼんやりと見たまま、ぽつりと呟いた。

「じいさん。死ぬまで生きろよ」
オリオンの眉が少しだけ動いた。
それが笑ったのか、呆れたのかはわからない。
「ほう。ハイエルフに“長生きしろ”とは、珍しいことを言う」
ガイウスは立ち上がり、マントをはたいて砂を払った。
「ガキを一人で泣かせっぱなしは性に合わん。探してくる」
ヴィヌスもゆっくりと立ち上がり、黙ってそれに続いた。
オリオンはふう、と煙のように息を吐いてから、微かに笑った。

「せいぜい……あの坊主が、引き込まれんように見張ることだ」
「砂漠の夜は、昔話よりよほど深いぞ」
彼のその声は、もう誰の背中にも届いていなかった。
布のカーテンが揺れ、火鉢の音だけがまた、部屋を満たしていた。