メキア編-砂の海 - 2/5

砂の照り返しが強烈な昼下がり、キャラバンの進行が一瞬止まった。
前方の砂丘から、黒い影がぞろぞろと現れる。
「……魔王軍、か?」
ガイウスが目を細めると、そこに現れたのはおよそ10人程度の小隊。
だが、その様子はどこかおかしかった。
「なんか……よろよろしてない?」
ヴィヌスが言った通り、兵士たちの中には肩で息をしながら。
砂に足を取られふらつく者すらいた。

「て、敵発見……ぜぇ……そ、即座に……撃退せよ……!」
指揮官と思しき悪魔の男が叫ぶが、すでに喉が潰れかけていて、言葉も息切れ混じりだ。
「うわ、マジでバテてるな。あいつら砂漠向いてねぇな……」
「ま、羊狙いに来たんでしょうね。人間より羊肉のが保つし」
サタヌスが苦笑する。その時、キャラバンの護衛が慌てて叫ぶ。
「戦える者は構えろ!魔王軍だ、数は少ないが油断するな!」
勇者一行も武器を構える。

だがその隙に、一人の兵士が倒れ込んだ。
するとすぐさま、後ろにいた兵士が顔を歪めて怒鳴る。
「この無能が!立て!まだ動けるだろ!ティータ軍曹の命令を忘れたか!」
そして躊躇なく、その倒れた兵士の背中を蹴りつけた。
「ッ……ごめ、なさ……ッ」
蹴られた兵士が、歯を食いしばって顔を上げる。

「ティータ……軍曹?」
サタヌスは目を瞬かせる。
初めて聞く名前だ、なのに何故ここまで胸に引っ掛かるのだろう?
そんな思考も、すぐさま次の命令に遮られる。
「我等はっ……誇り高き魔王軍ッ……ハァ……砂漠流の戦術で……敵を殲滅せよ!」
魔王軍の小隊が、一斉に飛びかかってくる。

「来やがったな!いくぜサタヌス、ヴィヌス!」
「ええ!」
「ああ」
三人は武器を構えて飛び出した。
しかし、すぐに異変に気づく。

「……なんだ?こいつら……」
その悪魔たちは、明らかに疲弊していた。
砂に足を取られ、銃を杖代わりにするものまで居る。
サタヌスは眉を寄せる。
(なんだ……?何かおかしい……)
そのとき、ガイウスの背後からうめき声が聞こえた。
「っ……!」
最下級兵士、通称ブラックベレーが重度の熱中症となり。汗だくになって砂に埋もれていたのだ。

「……隊長ぉ。退却しないでありませんか?強化兵になるのが遅くなるか早くなるかの違いで……ゴホッ」
「バカか!ここで退けるか!軍曹殿に顔向けできなくなる!」
「でも、もう限界であります……」
「うるさい!弱音を吐くなッ!!」
隊長各の悪魔がブラックベレーを怒鳴りつける。
その隙にサタヌスの斧が彼の首を捉えていた。

「……悪ィな、恨むなら自分の弱さを恨みな」
サタヌスが斧を振り抜くと隊長各の首が切り離され。
断末魔と共に雲1つない空に塵が舞い上がった。
「……た、いちょ……」
残された悪魔たちは、呆然と立ち尽くし。
そして次の瞬間には、武器を取り落とし、砂の上に膝を突いた。
もう戦う気力など残っていないだろうに。
それでもなお武器を手放さないのは、軍曹に対する忠誠心か、それとも恐怖からか。
サタヌスはその一人に近づき、その肩を掴む。

「おい」
「……ひ」
悪魔は引きつった顔で彼を見上げる。
「軍曹ってのは誰だ」
「て、ティータ軍曹……下っ端の俺達にすりゃ魔王様より恐ろしい。鬼軍曹でありま……す」
「……そいつが、お前たちをこんな目に遭わせてるのか?」
サタヌスの瞳に、怒りの色が灯る。
「い、いや……それは」
「答えろ」
悪魔は目を泳がせながら、小さく頷く。

「……そうであります」
その一言に、サタヌスの体が動いた。
「っ!?」
砂の上に組み伏せられた悪魔が、恐怖に目を見開く。
彼の首の横に突き立てられた斧の刃が、砂に食い込む。
「軍曹はどこだ」
「……へ、返答を拒否するであります!」
「そうかよ」
そして彼は斧を引き抜き、悪魔の喉笛を切り裂いた。
悪魔は断末魔を上げる間もなく絶命した。
その返り血がサタヌスの顔に散るが……彼はそれを拭おうともしない。

(……なんだ?)
サタヌスは唇を噛む。
(なんでこんなにムカついてるんだ、俺は)
メキアの太陽は刺さるぐらいに眩しい。
その光と熱を全身に浴びながら、サタヌスは砂漠の空を仰ぎ見るのだった。
「ねぇリーダー」
「なんだ?ヴィヌス」
「パツキン野郎。ユピテルが言ってたわね?
魔王軍が征服した暁には力在るものが美しい、シンプルで美しい世界となるって」
その世界がもしも実現した場合、最も苦しめられるのはきっと人間でなく。
向こうには脱水症状で、獣のように荒い呼吸を繰り返すブラックベレーが倒れ伏していた。

ヴィヌスの言葉にガイウスは砂漠の風を受けながら目を細めた。
「……力がある者が美しい、ね。ユピテルらしい価値観だ」
「そういう世界、ほんと勘弁なんだけど」
ヴィヌスは肩で息をしながらブラックベレーのほうへ視線を送る。
瀕死の悪魔兵は、もはや敵意を向ける余裕すら無かった。

サタヌスは、ほんの一瞬だけ、その兵士へ歩み寄る。
倒れ伏した悪魔は、かすれた声で言った。
「……こ、殺すなら、早く……ッ」
「……いや」
サタヌスは斧を引っ込めた。
「こいつはもう戦意ねぇ。殺す必要もねぇだろ」
「珍しいわね。あんたが手を止めるなんて」
「……別に。殺す価値もねぇってだけだ」
そう言い捨てたはずなのに、サタヌスの瞳にはまだざらついた怒気が張り付いていた。
ティータ軍曹。
その名が、砂漠の熱よりもずっと不快な形で胸に刺さっていた。

灼熱の砂丘、地平線の彼方。
ゆらめく陽炎の向こうに、ついにそれは見えた。
遥か遠く、空に浮かぶような壮麗な街並み。
幾つもの尖塔が立ち上り、白壁の建物群が陽光にきらめいている。
サハ・メキアだ。
そのシルエットは、まるで蜃気楼の中に浮かぶ夢の宮殿。

サタヌスは岩に腰かけ、斧の柄を砂に突き立てていた。
背中は相変わらず余裕たっぷり。余所見すらしながら、
「……魔王軍ども、あの町に行こうとしてたのか? それとも――」
独り言めいた声を、熱風がさらっていく。

ヴィヌスは灼熱にぐったりしながら、街を睨むように見つめた。
「……わからないわ。でも、とにかくクソ暑いのからようやく解放されそうね」
ガイウスはほとんど口を開かない。
無表情のまま、じっと砂丘の向こう――人々の営みの気配がする方角だけを見ていた。
その視線の先、巨大都市の輪郭が陽炎で歪む。文明の匂い、水の気配。
だが同時に、街へ続く砂漠の道には、何人もの人影が点々と横たわっている。

勇者ズがここに辿り着くまで、いくつもの“倒れた魔王軍兵士”を見送ってきた。
悪魔の新兵、通称ブラックベレーたちは、炎天下の行軍で体力を使い果たし。
何人もが熱中症で道端に倒れ込んでいた。
もう誰も、彼らを助けようとはしなかった。

ヴィヌスが小さく呟く。
「……先に進むしかないわね。あいつらを見ても、もう何もできない」
サタヌスは一瞬だけ振り返る。だが、感傷も躊躇もない。
「弱いヤツから脱落する。それが砂漠ってもんだろ」
砂丘の尾根を、三人の勇者がゆっくりと歩き出す。
空はどこまでも青く、熱風が全てをさらい尽くす。
その後ろには、命尽きた兵士たちと、誰も振り返らないままの焼けた大地だけが、
静かに広がっていた。

地平線のメキア――そこが、次なる運命の舞台だった。