魔王軍小隊を退け、駱駝たちは静かに進む。
昼下がりのキャラバンの荷台。
乾いた風が吹き抜ける中、サタヌスは何気なく後ろ髪に手をやった。
「……くそ、崩れてやがる」
斜めに落ちてきた髪を指先でかき上げながら、荷物の隙間から小瓶を取り出す。
中身はスラム特製の“即効ワックス”─粘度高め、匂い強め、そして見た目が最悪だ。
「……うわ。色といい粘りといい……これ、完全にアレだな」
サタヌスが苦笑いと共に小瓶を振って見せると。
近くにいたラーヒラが不思議そうに首を傾げた。
「それ、なあに? なんで白くてベタベタしてるの?」
「……お、おい、こらやめとけ」
ガイウスが眉をしかめる前に、サタヌスはニヤリと悪ガキ全開の顔で言った。
「これはな……男が夜中に……こう、ムラムラっとなった時に─」
「ストーーップ!!!!」
ヴィヌスの怒号が砂漠に響き渡った。
「ラーヒラの前でなに言ってんのよ!今すぐ瓶ごと砂に埋めろ!」
「わーっ!?悪かったって!ツッコミ早ぇなぁお前マジで!」
「お兄ちゃん、それ食べ物じゃないの?」
「やめろラーヒラ!それ以上詮索するな!」
ガイウスもさすがに止めに入る。
騒ぎながらも、サタヌスは手早く髪を撫でつけ、後ろに流す。
顔が影になり、また“いつもの顔”に戻っていく。
(童顔、バレたくねぇしな……)
でも、その悪ふざけの裏で。
そのジョークの“下品さ”と“ノリ”が──この後出会う男と、まるで同じだったことに。
この時のサタヌスは、まだ気づいていなかった。
—–
砂の坂を下りきった先に、それはあった。
サハ・メキア——白砂に浮かぶように、光を跳ね返す白壁の街。
建物はどれも出入り口が大きく、昼でも涼しげな影が落ちている。
街のあちこちには背の高いヤシの木が揺れ、灼熱の空にわずかな緑を添えていた。
サハ・メキア——通称「白い街」。
“ キャラバンの聖地”とも呼ばれる大オアシス都市。
昼間は日よけのため、建物の壁が真っ白に塗られている。
陽光を反射して街全体が“輝いている”ように見えるため、
「輝く」という意味の古代メキア語「サハ」が冠されている。
世界中のキャラバンや商人が行き交う“交易の十字路”。
市場(スーク)は雑多かつ活気に満ち、
香辛料、宝石、絨毯、異国の酒器、金銀細工など。
ありとあらゆる品物が路上を埋め尽くしている。
商人たちは誰もが“自分の店”を持つことに憧れ、
じゅうたん一枚を広げてでも商売を始めるのが伝統。
サハ・メキアで名を上げた者は“大商人”として一目置かれる。
この街での成功こそが、多くの旅人・商人にとって夢そのものなのだ。
キャラバンの駱駝たちは市場の外れで足を止め。
商人たちは慣れた手つきで荷を下ろし始めた。
旅の終わり。いや、彼らにとっては日常の一区切り——出会いと別れの交差点だ。
「サタヌスおにいちゃん、ここでバイバイだよ」
ラーヒラが駱駝から飛び降りて、小さな手で彼の袖を掴んだ。
「……そっか。あんがとな、いろいろ教えてもらって」
「ううん、あたしこそ。楽しかった!」
サタヌスは、ラーヒラの頭にぽんと手を置く。
彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「また会える?」
「会えたら、その時は……メキア語、全部忘れてるかもな」
「だいじょーぶ! そしたら、また教えてあげるもん!」
ラーヒラが手を振ってキャラバンのほうへ駆けていくと、サタヌスは目を細めた。
その視線の先には、白く照り返す壁と、ゆっくりと荷を解く旅人たち。
そして、ヤシの葉が風に揺れる音が、静かに耳に届いていた。
「……さあて、こっからだな」
サタヌスはそう言い、ひとつ息を吐くと、真っ白な街へと歩を進めた。
白い門をくぐるとすぐ、街の入口には粗雑な柵と、剣を携えた兵士たちの姿があった。
顔立ちはこの地の者に似ていながら、どこか異様な気配をまとっている。
体格は一様に大きく、褐色の肌に刺青のような紋様。
瞳は鈍く光り、街の空気にはそぐわない異物感があった。
「手荷物検査だ」
低い声が、乾いた喉を鳴らすように告げる。
ガイウスが少し警戒した目で彼らを見やりながら、背の袋を差し出した。
「旅の者だ。我々は——」
「喋らなくていい。開けろ」
検査というより“脅し”に近い態度だった。
兵士たちは一つひとつの荷を乱暴に開け、内容を確かめもせず元に戻す。
剣の柄に手をかけながら、彼らは警戒というより“見せしめ”のように睨みつけていた。
サタヌスの番になると、兵士は見下すように片眉を上げた。
「子どもか? 何持ってんだ、お前」
「はァ? ちゃんと荷物くらいあるわ」
サタヌスは肩の小袋を開けて見せる。
手のひらに転がるのは、小さなビー玉が数個。
色とりどりのガラスが、陽光を受けて淡く光る。
それと、柄が削れた片手斧——明らかに使い込まれた実用品。
兵士はビー玉をじっと見てから、鼻で笑った。
「……なんだこりゃ。オモチャか? 旅道具にしては、ずいぶん子どもじみてるな」
その言葉に、サタヌスの顔がわずかに歪む。
「……持ってて悪いかよ」
低く、乾いた声で言い放つ。
「は?」
「これは俺のだ。大事なもんなんだよ」
その瞬間だけ、サタヌスの瞳が強く光った。
軽口の裏に、触れられたくないものを隠すように、睨みつける。
兵士は一瞬、息を止めたが、すぐに目を逸らすように言い捨てる。
「……勝手にしろ。通れ」
兵士たちが笑いを引っ込めたのを、ガイウスとヴィヌスは感じ取っていた。
魔王軍の制服を着ていても、全員が恐ろしいわけじゃない。ただ、牙を見せないと食われる。
サタヌスは、それを本能で知っていた。
「お前、ビー玉で睨むやつ初めて見たわ」
ヴィヌスが、からかうように言うと、サタヌスはふんと鼻を鳴らした。
「おまえらだって、ひとつくらいあるだろ。ガキのころから持ってるやつ」
「……まあ、否定はしないわ」
検査が終わると、兵士たちは無言で門の脇に戻り、次の旅人たちを見張るように見送っていた。
かつて“商人のメッカ”と呼ばれたこの街も、今や魔王軍の駐屯地の影に怯え。
日常の皮をかぶった異常がそこかしこに滲んでいる。
「シュクラン、だっけ?」
サタヌスが後ろでつぶやいた。
「ラーヒラの教え、ここでも使えたな」
「言ったわよね、バカにできないって」
三人は、白くまぶしい街へと足を踏み入れる。
けれど、壁の光とは裏腹に、空気はどこか重く、音を吸い込むように静かだった。
白い街・サハ・メキア、灼熱の市場(スーク)。
三人は雑踏のなか、各々のテンションでバザールを歩いていた。
ヴィヌスは宝石屋の屋台でサファイアを前に大興奮。
「ちょ、待って!? このサファイア、本物なのに……金貨1枚って……」
「アルルカンじゃ20枚は余裕で吹っ飛ぶ値段よ!5万……!?安すぎでしょ!!」
ガイウスは「宝石に騙されてないか……?」と心配そうに横から覗くが。
宝石商は陽気に肩をすくめる。
「お嬢さん、ここメキアじゃ宝石なんてそこらの洞窟を掘ればゴロゴロ出るもんだからね」
「サファイアもエメラルドも、まぁ高くはないよ」
「君ら旅人だね?旅人にはターコイズがおすすめさ。砂漠の守り石って言われてる」
ヴィヌスは青いターコイズの石を手に取り、思わず見とれる。
「……うわ、これも綺麗……」
宝石の相場も価値観も街ごとに違う。
サハ・メキアは、まさに宝石が“生活雑貨”レベルで溢れる街だった。
ガイウスは宝石を横目に「お、おい宝石買いにきたわけじゃ……」と呆れていたが。
いきなり露店の商人に声をかけられる。
「コブラだよ、噛まれたら死にかけるけどいい子だよ」
目の前の籠の中、蛇がとぐろを巻いている。
「うわっ!? そんなの売るな!!!」
聞いてもいないのに説明してくれる、ネズミよけとして人気らしい。
「大人しいので、わざと怒らせなければ心強い守り神」と商人は胸を張る。
メキア砂漠のネズミたちも、このコブラの籠には絶対近づかない。
「……いや、絶対売るなよ!」とガイウスが叫ぶ横で。
商人は「ちゃんと餌やりも簡単だよ」とニコニコしている。
一方、サタヌスは香辛料屋台で黒い粒をじっと見つめていた。
「黒い粒だらけだ……なんだこれ?」
隣の商人がニヤリと笑う。
「全部こしょうだよ、こしょうは奥が深いんだ。白、黒、赤、ピンク、いろいろあるよ」
スパイス大国メキアの命とも言える香辛料。
「たかが胡椒と思うなかれ。産地ごとに風味がまるで違う」と。
壺からホワイトペッパーを一摘み差し出す。
「ほら、ホワイトペッパーはちょっと甘いだろ」
サタヌスが恐る恐る味見。「ん……確かに、あまい……」
ブラックペッパーは逆にピリリとした辛みが後を引く。
「こしょうは奥が深いんだ」と、スパイス談義が止まらない。
「マジか……全部違うのか、これ」
ヴィヌスは美しい幾何学模様のタイルに目を奪われ。
サタヌスはスパイスの香りに包まれ、
ガイウスはコブラにビビりながら商人たちに絡まれている。
熱気と雑踏、香辛料の匂いと宝石のきらめきが入り混じる中、
三人はバザールの奥へ、異国の喧騒に飲み込まれていった。