白い壁の建物が並ぶ街路はどこも眩しく。
地面に落ちる影だけがわずかな涼を与えていた。
その時、路地の脇から、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
何人かの子どもたちが、広場の片隅でビー玉を転がして遊んでいた。
カラフルなガラス玉が地面に跳ね。
手で囲んだ小さな輪の中をめがけて投げ込まれていく。
「……ビー玉だ」
サタヌスがぽつりと呟いた。
一人の少年が振り返り、彼らに気づくと、にこっと笑って手招きしてきた。
「! تعال! تعال! نلعب!」
(おいで!あそぼ!)
─そんな風に聞こえたが、言葉の意味は掴めなかった。
「何て言ってるのかしら」
ヴィヌスが首をかしげる隣で。
サタヌスはぴょんと一歩、子どもたちの輪の中に飛び込んだ。
そして、先ほど門の検問で使ったビー玉をポケットから取り出すと、地面に置いた。
「こいつで混ぜてくんねぇか?」
言葉が通じないはずなのに、子どもたちは一瞬目を見合わせて、歓声を上げた。
「جميلة! حلوة كثير!」
(きれい!すごい!)
「مِن أينَ جئتَ؟ من البعيد؟」
(どこから来たの?遠くから?)
聞き取れないはずのその言葉を。
サタヌスはじっと聞きながら、つぶやくように繰り返した。
「ジャミーラ……ハルワ・クティール……」
「ミン・アイナ・ジィタ……?」
まるで音のかけらを拾うように、ひとつずつ発音を真似していく。
子どもたちは面白がって、どんどん新しい言葉を投げかけてきた。
サタヌスも負けじと返す─声の調子も、イントネーションも。
次第に本物そっくりになっていく。
「おい、なんか普通に喋ってない?」
「……え?あれ、真似の域超えてるわよね」
ガイウスとヴィヌスが唖然と見守る中、ついには子どもたちが笑いながら拍手を送り始めた。
「……おまえ、何その特技」
「わかんねぇ。でも……体が勝手に覚えてく感じなんだよな」
サタヌスは照れ臭そうに頬をかきながら、しかし目はどこか遠くを見ていた。
彼の言葉は、もう“異国の音”ではなく、ちゃんとこの街に響く“声”になっていた。
わぁっと笑いがはじける中で、子どもたちはビー玉を弾いたり。
指先で回したりして遊び続けていた。
サタヌスもすっかり輪に溶け込み、いつの間にか完全に会話が成立していた。
「アナ・ジャイイド・ジャッダン!(俺、超うまくね?)」
「أنت غشاش!(ちがーう、ズルい!)」
「うっせ、今のはスピンかかったんだよ!」
楽しげな声が響くなか、ふいに背後から。
涼しげで少し芯のある女性の声が飛んできた。
「ちょっとあなたたち、またここで遊んでたの? ここ馬車が通るのよ」
振り返ると、布の日除けを掲げた食堂の入り口から、一人のウェイトレスが出てきていた。
年はサタヌスたちより少し上、褐色の肌に色とりどりのビーズ飾りをつけた髪。
着崩し気味の制服の下からは、街の空気と馴染んだような落ち着きがにじんでいた。
「危ないから、もう少し奥の広場で遊んできなさい」
ウェイトレスが柔らかく手を振ると、子どもたちは散っていく。
サタヌスに向かって「またねー!」と手を振る子もいた。
「……よく溶け込んでたわね。あの子たち、言葉通じない人には全然懐かないのに」
彼女が目を細めて言うと、サタヌスは首をかきながら照れ笑いする。
「いやぁ、音がハッキリしてて覚えやすいっていうか……?
なんとなく口が勝手に動く感じでさ」
「ふーん……“風の血”って、こういうのを言うのかもね」
「へ?」
「気にしないで。ただの例え話」
ウェイトレスはふっと笑うと、手を広げて食堂を示した。
「さて。言葉も通じたことだし─そろそろ、おなか空いてるんじゃない?」
「おっ、それはナイスなご提案……!」
サタヌスの返事を合図に、三人は日除けの奥。
香辛料の香る涼やかな店内へと足を踏み入れた。
ようやく街の食堂にたどり着いた三人は、入り口近くの席に腰を下ろしていた。
頭上には風通しのいい布の日除け、壁は白く塗られ、香辛料の香りが空気に溶け込んでいる。
周囲の客は皆、褐色の肌を持ち、陽焼けの笑みで串を頬張っていた。
食堂の中は外とは打って変わって涼しく、白壁と布の天井が柔らかく光を拡散していた。
席に着いた三人の前には、木製のメニュー板がどん、と置かれる。
「なんなのこれ……呪文?」
「サタヌス、通訳頼む。お前だけが頼りだ」
ガイウスが真剣な目を向ける。
サタヌスが苦労しながらメニュー板を解読していると、
カウンター越しのウェイトレスがクスッと笑い、余裕の顔で声をかけてきた。
「新顔さんね。その顔、見慣れてるわ」
「ん?」ガイウスが振り返ると、ウェイトレスは愉快そうに指を立ててみせる。
「この街に来た冒険者は、みんな同じ顔するの。呪文にしか見えないってさ」
「でしょ!?禁断の言語かと思ったもん……」とヴィヌスが速攻で同意。
「で、サタヌスが“これが肉”とか自信なさげに指さすから余計不安でさぁ……」
ウェイトレスは笑いながら。
「慣れると読めるけど、最初はみんな“何コレ呪文?”って顔になるのよ。
冒険者さんだけじゃなく、商人だって最初はびびってたもの」
と、ちょっとした武勇伝のように語る。
「でも、不思議と馴染むんだよね、この街」
サタヌスがぼそっと呟き、ガイウスとヴィヌスも苦笑しながら、
異国の食卓でまたひとつ“旅人あるある”を噛みしめるのだった。
「えーっと、“シシリク”は……肉の串焼き?たぶん、羊肉だな」
「たぶんってなによ、たぶんって!」
「いや、単語の横に“ヤーン”って書いてあるんだけど。
“羊”って意味かどうかまでは確信ないんだよ」
「不安すぎんでしょ!!」
「“ハムース”はたぶん、豆……すり潰してなんかペーストにしたやつ」
「……ぐぬぬ、想像できるようなできないような」
「“キシュタ”は……チーズっぽいな。白くて柔らかいとか書いてあるし」
「いけそう!それは食べられそう!」
「“サーグ”は……青いやつ?葉っぱ?炒めてる?味付け不明……」
「なぁ、これ勇者の冒険じゃなくてメニューとの死闘になってねぇか……?」
ガイウスが真顔でつぶやくと、三人とも妙な沈黙に包まれた。
「とりあえず……“シシリク”行ってみる?」
「お前ら、それしか読めてないんだし、実物見るしかねーだろ」
「うぅ……羊だったら泣くわよ……」
「はいはい偏食姫」
結局、全会一致(?)で「シシリク」を注文することになり。
三人は軽く身構えながら皿の到着を待つこととなった。
「お待たせしました、シシリクです」
ウェイトレスが運んできた皿には、焼き立ての羊の串が三本。
スパイスの香りが立ち上り、腹が鳴るほどに食欲をそそる。
「……これが噂の羊肉ってやつか」
ガイウスが串を一本手に取る。
一口齧ると、目を見開いてから、うーんと唸った。
「旨い!けど……癖、強ぇなこれ。野生感というか」
「って言ったでしょ!」
ヴィヌスは口を尖らせ、串を突き返すようにサタヌスに渡した。
「ガイウスが癖って言うなら、私無理よ! においからダメ!」
「はいはい、偏食姫さま。遠慮なく貰っとくわ」
サタヌスはにやつきながら、ヴィヌスの分の串を引き寄せると、豪快にかぶりついた。
パリっと焼けた皮の奥から肉汁がじゅわっと溢れ、スパイスの熱と香りが舌を刺激する。
「んー……うめぇな、これ」
「おまえ、食い慣れてないか? メキア人だろ?」
ガイウスが冗談めかして言うと、サタヌスは口をもぐもぐさせながら首を振った。
「スラムじゃ、もっと臭ぇのとか食ってたけどな」
「……褒めてるの、それ」
ヴィヌスは、香辛料の香りに鼻をひくひくさせながらも、チーズを摘んで口直ししていた。
テーブルには肉の香りと、異国の空気と、そしてほんの少しの安堵感が漂っていた。
束の間でも、戦いの後に訪れたこの「食卓」は、三人にとっては貴重な一時だった。
サタヌスが串を二本目まで平らげた頃、ウェイトレスが満足げな笑みを浮かべて戻ってきた。
「そんなに食べてくれて嬉しいわ。サービスね、よかったら飲んでって」
彼女の手には、深紅の飲み物が入った陶器のカップ。
グラス越しに透ける光が、まるでルビーのようだった。
「カルカデよ。冷たくて、ちょっと酸っぱくて、喉に優しいの」
「へえ……初めて見た」
ガイウスが興味深そうにカップを覗き込む。
ヴィヌスが先に一口含み、目を細めた。
「……あ、これ好き。羊は絶対無理だけど、これはいけるわ」
「食い物に対して極端すぎだろおまえ……」
サタヌスも一口啜ってみると、たしかに酸味がスパイスの後味をスッと流してくれる。
「……悪くねぇな。冷えてるし、変な後味もないし」
「気に入ってもらえてよかった。レアも好きだったのよ、このお茶」
ふと、ウェイトレスが懐かしむようにそう言った。
「その“シシリク”、レアって人が考案したのよ。前にこの店で、厨房任されてたことがあってね」
サタヌスの指が、コップの縁でぴたりと止まる。
「レア……?」
「そう。食材の使い方がうまくて、誰もが舌巻いたわ。
顔もね……振り向かなくても、綺麗な人ってわかる感じだった」
その言葉に、サタヌスの頭の奥で、何かがカチリと噛み合う音がした。
─日差しの中。
石の壁のそばに立つ、ひとりの女性の背中。
サタヌスの視界に、まるで“記憶の切れ端”のような景色が差し込んだ。
——それは、白く色あせた厨房。
昼の光が、すりガラス越しに淡く揺れている。
その光の中、ひとりの女性が背を向けて鍋に向かっていた。
白いチュニックのような衣が、褐色の肌にふわりとかかり。
腰まで届く黒髪が、ゆっくり揺れるたびに光を透かしていた。
彼女は、振り向かない。
それでも、サタヌスはなぜか確信していた。
——あれが、“レア”だ、と。
(……なんで、こんなもんが浮かぶんだよ)
自分でも理由がわからないまま、サタヌスはそっと目を閉じ。
サタヌスは軽く頭を振って水を飲んだ。
けれど、胸の奥に引っかかったその名前は、簡単に飲み込めるものじゃなかった。
「へえ……」
ガイウスが相槌を打つ横で、サタヌスはカップの縁に指を沿わせたまま。
何かを考えるように沈黙していた。
「レアって人、今は……?」
ヴィヌスの問いに、ウェイトレスは少しだけ目を伏せて答えた。
「数年前に亡くなったの。……病気だったって話だけど、ほんとのところは、あまり詳しくはね」
少し躊躇った後、彼女は静かに続けた。
「……あの人、昔はもっと明るかったのよ。」
「でも……ある日を境に、まるで別人みたいに笑わなくなってね」
カルカデの湯気が、ひとときの沈黙を包む。
ヴィヌスもガイウスも、それ以上の言葉を挟まなかった。
「この店に来てくれてたのも、ほんの少しの距離だからなの。
レアの家、すぐ裏手にあるのよ。……この街のどこにも行けなくなってた。
人間不信、って言えばそれまでだけど……」
ウェイトレスはふと、笑みを浮かべる。
「でも私とはね、昔っからの友達で。子どもの頃から、よく一緒にふざけて怒られてたのよ」
「それで、この店だけは……ってことか」
ガイウスが低く呟く。
「そう。……せめてここだけは、安心して来られる場所でありたかったから」
そう言う彼女の目には、少しだけ光がにじんでいた。
「レアのこと、思い出してくれてありがとう。
……今でもこの味、誰かに食べてもらえると、私まで救われる気がするの」
サタヌスは何も言わず、ただ静かに、カルカデをもう一口、啜った。